013.令嬢、弟の独占欲を知る
その日も私とリスティスは、1日の授業が終わり、いつも通りサンルームでそれぞれにくつろいで読書をしていた。
寒さの増したこの頃は、昼を過ぎるとあっという間に日が傾き始め、すでに夕暮れ時になっていた。
そんな頃合いに、パーシヴァルが来訪した。
執事の案内を受けて、サンルームへとやって来たパーシヴァルは入り口で固まっていた。
「あら、パーシー。よくいらっしゃいましたわ」
「また来たの?」
パーシヴァルは震える腕を上げて私たちを指さし、顔を真っ赤にした。
「な、何をしているんだ!」
何を?
我が身を振り返り、はたと気がつく。
そう言えば、1人掛けには大きいソファに、リスティスが膝を立てて座り、その足の間に私が座っているのだった。
すっかり慣れて忘れていたけれど、他人に見られていい格好ではなかった。
楚々とした態度で立ち上がる。
何事もなかったようにしてみるけれど、パーシヴァルだけでなく執事にも見られたのは問題があったかも。
「マーク、お茶を用意してくださる?」
「畏まりました」
執事は、動じた様子もなく退室していく。
お父様に言いつけられたらどうしよう。
「いつまでそこに立っているの? 中に入れば?」
リスティスに促され気がついたパーシヴァルは、盛大に眉を釣り上げ、ズカズカと擬音が入りそうな足取りで私たちに近づく。
「お前たちの仲が良いのは知っているが、あんな格好をして恥ずかしくないのか!」
潔癖なところがあるパーシヴァルには、かなりショッキングだったみたい。
それでも声を抑えてくれている分、怒りに我を忘れるというほどではないみたいだけれど。
でもね、私たち姉弟だしね?
なんて思っていたら、リスティスが予想外な反論を始めた。
「あんな格好って、親密な男女であれば適切な距離だよ。君が知らないだけで、みんなあんなものだよ。むしろ清すぎるくらいかな」
「なっ・・・!」
「君だって好きな娘ができたら触りたくなっちゃうよ。手を繋いだり抱きしめたりキスしたりもっと親密なことしたり?」
「!!」
「でもヴィヴィは俺のだからダメだからね」
いたずらっぽく笑ったリスティスは、私を抱きしめる。
同じくらいの背格好だから顔が近くて、みるみる顔を赤くなるのがわかった。
いやいやいやいや。
思わず赤くなっちゃったけれど、私たち姉弟だしね?
今はまだ子供だから許されるけれど、リスティスの独占欲はなかなかだ。
「って、騙されないぞ! 人前であんな格好でいいわけないだろ!」
「誰かに見られるようなヘマはしないよ」
リスティスは当然といった様子で返す。
確かにいつも誰かが来る前に、リスティスはさり気なく移動して距離を取っていたような。
もしかしてわかってやっていたの??
ん? それならなんで今日はパーシヴァルにも執事にも見られているのかしら?
リスティスは私から離れ、優雅な動作でベンチに座る。
パーシヴァルと私2人の視線を受けたリスティスは、クスリと笑った。
その時、ノックが聞こえ、メイドがお茶のセットを持って入室した。私たち3人の様子に若干首を傾げながら、テーブルにお茶を用意していく。
わざとか!
パーシヴァルはこれ見よがしにため息をつき、先程まで私たちが座っていたソファに座る。
仕方なく私もリスティスの隣に腰を落ち着ける。テーブルの回りには、パーシヴァルの座った1人掛けのソファと、リスティスが座るベンチしかなく、必然的にそこに座るしかないのだ。
メイドが退室するのを待って、パーシヴァルは私に向けて口を開いた。
「俺だったから良かったけど、気をつけろよ」
「気をつけますわ」
「パーシーに気にしてもらわなくても大丈夫だよ」
リスティスは相変わらず憎まれ口を叩く。
最近は仲良くなったと思っていたのに、どうしてそんなにパーシヴァルを嫌うのかしら?
「パーシーはわたくしたちのために言ってくださっているのよ。そんな態度はいけないわ」
「ヴィヴィがそう言うなら。忠告は受け取ったよ、パーシー」
パーシヴァルのほうは、リスティスはこういう性格だと割り切っているみたい。
困ったように眉を下げ、苦笑している。
8歳とは思えない大人な対応ね。
対してリスティスは、思ったことをそのまま言ったり、遠慮が無かったり、無邪気に私に甘えたり7歳らしいといえばらしい。その一方で、何を考えているのかわからないところがある。礼節をわきまえた言動を取ることもできるし、さり気なく私を助けてくれたり周囲をよく見ているようにも思われる。学問の授業が必要ないくらい頭もいいみたい。さっきまで読んでいた本も、他国の文字の本だった。
ヴィーの時のリスティスとは、似ているようでどこか違う。
横目で隣を窺うと、リスティスが笑顔を返す。
釣られて私も笑顔を返す。
パーシヴァルは呆れていた。
その日は珍しくお父様が日中もいらっしゃり、お母様も予定を取りやめて屋敷内にいらっしゃるらしい。
私は午前の授業が終わり、私室で休んでいた。
リスティスはまだ剣術の授業が終わっていないらしく、中庭から威勢のいい掛け声が微かに聞こえる。
ノックが聞こえ、侍女が呼ぶ声がする。お父様がお呼びらしい。
「お父様が? わかりました。すぐに参ります」
何かしら。
ヴィーの時と合わせて考えると、王子のことだとしたら少し早い気もするけれど。
姿見で服装をチェックしてから、お父様がお待ちの居間へ移動する。
「お待たせいたしました」
居間にはお父様の他、お母様もいらっしゃり、執事も控えている。
促されてお母様の対面のソファへ座る。お父様は私の左側、お母様の右側のソファに座っていらっしゃる。
マークが私の紅茶を用意し、お父様とお母様の分を淹れなおしてもお父様が口を開く様子はない。
お母様を見ると、優雅にカップを持ち上げている。とりあえず、私も紅茶を口に運ぶことにした。
「今度ね、王妃様のお茶会が催されるますのよ」
紅茶を一口楽しんだお母様が楽しそうに話を始める。
「王宮の庭園で開かれるのよ。王宮の庭園は、それは見事な造りなのよ。貴女も見てみたいでしょう?」
「はい、お母様。素晴らしい庭園だと噂はお聞きしております」
あれ、この流れは、王子とのお見合いなのだろうか。
王都への訪問や、リスティスが引き取られるのが早まったように、お見合いも早まったのかしら。
「王妃様のご意向で、何人かご令嬢が招待を受けています。貴女もその1人よ。良かったわね」
やっぱり!
でもヴィーの時とは違うみたい。
ヴィーの時は他の令嬢は一緒ではなかった。
「わたくしも参加してよろしいのですか?」
さり気なくお父様の様子を窺うけれど、何を考えているのかさっぱりわからない。少なくとも楽しくはなさそう。
「もちろんですよ。ウーゼル殿下に見初めていただけるといいわね」
「え?」
思わず声に出ていた。
ウーゼル殿下?
お母様はにこにこしており、最上の誉れだと思っているご様子。
娘が王族の婚約者候補に選ばれたのだから当然ではあるのだけれど。
あるのだけれど。
だって、ウーゼル王子様は、イグレーヌ様と婚約したのではなかったの?
「わたくしも候補者に選んでいただいたのですか?」
動揺のあまり変な言い回しになってしまっていたけれど、お母様は気がつかなったようだ。嬉しそうに肯定した。
「ええ、そうですわ。当日は素敵なドレスを着て行きましょうね。午後に仕立て屋を呼んでいますから、一緒に選びましょうね」
「ロディーヌ。あまり楽天的に考えてはいけない」
それまで沈黙していたお父様が水を差す。
今日、初めてお父様は私を見る。
「私は、お前を王族に嫁がせる気はない。だが、ウーゼル殿下の強い要望があってな、やむなくお茶会への出席を許した。
まだ内々の話だが、ウーゼル殿下のお相手はロイスハルム伯爵家のイグレーヌ嬢にほぼ決まっている。ウーゼル殿下もそのことはご承知だ。
とは言え、次期国王であるウーゼル殿下のお相手は未来の王妃。選定は慎重であってしかるべきだ。お前はイグレーヌ嬢の人となりをよく見て来なさい」
イグレーヌ様は私より1つ年上のご令嬢で、王家に相応しい品性と魔法の力を持つ方だった。
ヴィーも良くしていただいた方なので、よく知っている。今回もお母様に連れて行っていただいたお茶会でその評判は聞いている。
「非公式とはいえ王族の方々への謁見だ。失礼のないように気をつけなさい」
「はい、お父様」
来年で12歳になられるこの国の第1王子、それがウーゼル王子様だ。
王妃様の正真正銘のご子息で、ヴィーの婚約者だったクローディン王子の異母兄でもある。
ヴィーは、第2王子の婚約者としてウーゼル王子様とも交流があったので、直接その人となりも知っている。
そしてその評判は今回も同じで、品行方正、文武に優れ、まだ王立学校にも入学していない歳なのに領地を治め、その神童ぶりは100年前の王のようだと噂されている。
そんなお方が、どうして私に興味を持たれているのかしら?
「ヴィヴィ!」
振り向くと、リスティスが駆け寄って来るところだった。
剣術の授業が終わってすぐなのか、動きやすい衣服のままで汗が引いていない。
「ティニー。お疲れ様ですわ。早く着替えたほうがいいわ」
「そんなことより、王宮に行くって本当!?」
情報が早い。
「ええ、6日後に王妃様のお茶会に参加できることになりましたのよ」
リスティスの顔が青ざめていく。
とても悪いことが起こったかのような様子だ。
「行ってはダメだ」
「え?」
リスティスは答えることなく、私の手を強引なほどの力で引いて近くの客室へ引っ張り込んだ。
後手に扉を閉め、困惑する私の両手を掴む。
痛いほどの強い力で、思わず顔をしかめていた。けれど、リスティスはそれにも気がつかなかった。
「ヴィヴィ。行ってはいけない。王子なんかの婚約者になんてなってはいけない」
「ティニー?」
「王子に会わないでくれ。王子になんて魅了されないで。
王子に会えばヴィヴィは不幸になる。ヴィヴィを悲しませたくないんだ。
王子の婚約者になんてさせない。ヴィヴィを不幸になんてさせない」
今まで見たことがない縋るような声、真剣な顔、悲痛そうな瞳。
私は手の痛みも忘れて呆然と、彼を見つめ返していた。
どうしてそんなに辛そうなの?
どうしてそんなに焦っているの?
どうして、知っているの?
「リスティス、あなた・・・?」
「ヴィヴィ、俺を見て。俺を信じて。絶対に俺が守ってみせるから」
リスティスは更に力を強め、たまらず眉間に皺を寄せていた。
すると、ようやく気がついたリスティスが手を離してくれる。
掴まれていた部分が赤くなっていた。
「ご、ごめん! 痛かったよね」
リスティスは、今度は労りを込めてそっと赤くなった腕を撫でる。
けれどどうしてだろう。
リスティスの瞳に仄暗い光が差しているように見えた。
「リスティス?」
リスティスはもう一度真剣な表情で私を見つめる。
「お願いだ。王子に会わないでほしい」
「それは無理だわ。王妃様からの招待ですし、お父様お母様の評判に関わることですもの。けれど、婚約者のことは心配いらないわ。ウーゼル王子様のお相手はもう決まっているそうですわ」
私の言葉に悲痛な表情を浮かべたリスティスだったけれど、最後の言葉を聞くと首を傾げた。
「え、ウーゼル王子?」
「ええ。ウーゼル王子様のお見合いですわ」
「相手決まっているのにお見合いするの?」
「ええそうですわね」
リスティスは考えこんでしまう。
いったいどういうことなのかしら。
リスティスは、何か知っている。
もしかして、リスティスも私と同じように・・・。
しばらくして、リスティスはいつもは浮かべない真剣な目をして言い聞かすように囁く。
「それでも万が一があるかもしれない。ウーゼル殿下は悪い人ではないだろうけれど、気を許してはいけない。
お願いだから、誰とも婚約したりしないで。
ヴィヴィを誰よりも愛しているのは俺だから」
その言葉に、全身が熱くなった。