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これは少しは、ナチスドイツのヒトラーに通ずるものがあるかもな、とアルトゥールは言う。果たしてユダヤを虐殺したのはヒトラーなのか、それともヒトラーを選んだ民衆だったのか、と。ヒトラーは直接的に、民衆は間接的に、その違いしかないのではないだろうか、と。
「最後まで抵抗する人もいたでしょう」
「すぐにいなくなったさ。なんせナノチップがないと普通に生活することすらできなくしたんだから」
今では生活するのにナノチップは必要不可欠だ。これがないと僕は車に乗ることも、公共交通機関を利用することも、電話をかけることも、CISに入ることも、買い物をすることも、いっさいができなくなってしまう。
「ナノチップに依存している……」
「そう、これはもはや依存症だ。ユートピアに欠かすことのできない麻薬みたいなもんだ。こんな小さなチップだが、これなしには人類はユートピアを築けないのさ」
依存症。僕の父も同じようなことを言っていた。ディストピアを体験した僕の父も。
「ではもし、ナノチップがある日突然働かなくなったりでもしたら」
もちろんいま僕たちの入れているこのナノチップは僕たちの体からエネルギーを得て動いているから、例えば僕が死ぬようなことにならない限りナノチップが機能を停止しないことは分かっている。けれど、何らかの理由でイギリス中のナノチップが機能しなくなったら。もしくは、何らかの理由で保護システム自体が意味をなさなくなったら。
「また混乱、暴動、略奪、半世紀前に戻るだろうな。ユートピアからディストピアへと早変わりだ」
僕たちの生活は、僕たちのユートピアは、このナノチップに支えられている。 そしてそのユートピアは、ナノチップと言う小さなものに依存するという、言ってしまえばギリギリの楽園。不安定でいつ崩壊してもおかしくない楽園。
「ナノチップが壊れたって、保護システムが壊れたって、そんなのその時はその時」
あっけらかんとアリスは言うけれど、僕は言いようのない恐怖を感じていた。
僕と言う存在を記録しているこのナノチップが意味をなさなくなったら。僕はそれからも僕でいられるのだろうか、と。
アルトゥールの言うことはほとんど弟さんの受け売りだから、あんまり気にしないほうがいいよ、と付け加えて、アリスは手をひらひらと振りながら去っていく。