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「私はいつも紅茶で、コーヒーには明るくないのですが、これは一体」
「まぁ騙されたと思って一口飲んでみてください」
おそるおそるアイスコーヒーに口をつけるジェーンを、僕は楽しそうに見守る。僕にアイスコーヒーを勧めたアルトゥールも、こんな気持ちで僕を見ていたのだろうか。
「あ、これ意外と美味しいですね。冷たいコーヒー、変な感覚」
どうやらありがたいことにアイスコーヒーはジェーンの口にも合ってくれたようだ。アリスとダンプティとともに来ることもあるけれど、アリスは紅茶を、ダンプティはアイリッシュコーヒーしか頼まないのでアイスコーヒーを頼むのは僕一人だけ。
「僕も初めて飲んだ時は衝撃でした。でもそれからはまってしまって。今では紅茶よりコーヒー派です。でもここら辺にアイスコーヒーを出してくれるお店がここしかないのは残念です」
「不思議ですね。一度、完全に冷めてしまったコーヒーを飲んだことがあるんですけどそれとは全然違う」
「マスターが言うには冷めたコーヒーと冷ましたコーヒーは別物だ、ですって」
ジェーンは興味深そうに僕の話を聞いてくれている。僕はマスター、エイハブ受け売りの蘊蓄を少しばかり披露する。後からエイハブに中途半端な知識をひけらかすなと怒られてしまいそうだけれど。
アイスコーヒーもほぼほぼ飲み終わったころ、僕はチーズケーキを食べるジェーンの視線は僕の後ろ、奥の席に向いていることに気づく。
若い男女の二人組が、奥の席で何やら話しているようだった。
「昔はどんなふうにプロポーズしていたか、知っていますか」
唐突に、奥の席を見ながらジェーンは僕に問いかける。
「いえ、残念ながら」
「昔は女性に指輪を贈って、結婚してください、って直接言うんです。もちろん贈り物も、プロポーズの言葉も、多種多様ではあったけど、おおむねそんな感じ。自分の気持ちを素直に相手に伝えるって言う点では、みんな同じ。素敵だと思いませんか」
でも今は、とジェーンが続ける。その顔は悲哀に満ちていた。
「でも今はプロポーズの言葉は自分の本名を相手に伝えるだけ。本名を知っているのは自分と、家族だけだから、本名を相手に伝える行為は家族になってほしいって意味もあるけど、私はそんなのそっけないと思う。昔の方がずっと素敵。今の世界は、貨幣も、昔のプロポーズも、素敵なものをみんな失くしてしまっていると思う」
まるで『一九八四年』の管理社会みたい、とジェーンは寂しそうにつぶやいた。




