08
僕は少し道に迷いながらも、何とか細い路地から知っている大通りへと出ることができた。今思えば、大通りまではジェーンについていった方が良かったかもしれない、と少しの後悔を残しながら。
僕はピークォドと書かれた看板を掲げた、行きつけの喫茶店のドアを開ける。もともとはアルトゥールに教えてもらった店だけれど、今では僕の方がアルトゥールよりも足しげく通っている。木造帆船をイメージした内装で、壁にはクジラの絵や写真がたくさん掛けられている。ウェイターも僕たち常連客も、みんなマスターのことをエイハブ、と呼んでいる。
僕はやってきたウェイターに、アイスコーヒーを二つと、ジェーンのリクエストのチーズケーキを注文する。
「ところで、ジョンはCISのどの部署で働いているの」
コーヒーができあがるのを待つ間、ジェーンは僕にこう聞いてくる。
「僕は保護システムの管理部。システム本体の点検整備が主な仕事」
「管理部はCISでも屈指の過酷さを誇ると聞いているけど」
「他人の個人情報にアクセスした後の報告書が最難関です。先日も一件ありまして、いやぁ、大変でした。ジェーンはどこに」
「私はもっぱら事務職に。毎日手書きの仕事」
僕には到底無理そうだ。あの報告書と毎日にらめっこするのは、正直ぞっとしない。
「名前があればその人になれる現代で、他人の名前を公的に知ることができながら、その人になろうとしない管理部の紳士精神にはかないませんよ」
ジェーンは笑ってそう言う。
「しない、ではなくできないんですよ。CIS職員の肩書を記録してあるナノチップは、他人の名前では認証できないようになっているんです」
どうやら僕たちの紳士精神は信用にかけるらしい、と自虐の笑みを僕は浮かべる。
そのうちコーヒーが運ばれてきて、僕はナノチップ認証で支払いを済ませる。ここではもちろん現金は使えない。
運ばれてきたアイスコーヒーを、ジェーンは訝しげに見つめる。最初にアイスコーヒーを見たときの僕の反応とおんなじだ、と僕は思う。たっぷりの氷が入ったグラスに注がれたコーヒー。当時、普通のコーヒーしか飲んだことのなかった僕にはそれはそれは衝撃的だった。




