青桜
青春。その言葉は恋愛やスポーツ、努力や友情など多様な意味を含み、定義も曖昧だ。
だが青春を四季に例えるとどの季節が当てはまるだろう。もちろん春だ。読んで字のごとく、青「春」なのだから。
では春を草木に例えると、どの植物か。きっと桜だろう。入学式や花見、春の行事には桜がつきものなのだから。
薄暗い部屋の中、かすかに音が響く。その音は不規則で、勢いがある。
音の源はフラスコだ。下部が球体の丸底フラスコは下半分が液体で満たされており、ガスバーナーに熱せられて沸騰していた。沸騰する音が音源の正体のようだ。
よく見るとフラスコだけではない。試験管やビーカーなど、大小様々な実験器具が複雑に絡み合っている。さらにその器具群は所狭しと並べられている。実験器具は部屋の大半を占めており、なにか巨大な生き物のような錯覚を与える。
その生き物の住処に風穴が開けられた。扉を開け、一人の少年が足を踏み入れる。
「青春がしたい!」
そう言葉を発しながら部屋へと歩を進める人物。名前は森山俊太郎。背格好は中肉中背、髪型は普通で長すぎず短すぎもせず、容姿も可もなく不可もなく。という、素晴らしいほどの平凡っぷりだ。
「ああ森山くん、よく来たね」
そう言ったのは、部屋の主である加賀九郎だった。その恰好を一言で表すなら「科学者」だ。色白で高めの身長に加え、メガネや白衣がそう思わせる。さらに容姿は整っており、たいていのすれ違った異性は振り向くであろう美少年だ。
挨拶もそこそこに森山が口を開く。
「お前さぁ、よくこの暑さでブレザーの上に白衣とか着ていられるよな」
季節は桜の舞い散る春だ。しかし例年に比べはるかに気温が高い。満開の桜もすぐに散ってしまうのでは、と懸念されている。
その暑さにも関わらず、加賀は冬の制服一式の上に白衣を着用していた。
「暑いと感じるのは身体から発せられる信号、ただの感覚だよ。身体には問題ない程度の暑さだしね。耐えようと思えばどうとでもなるものさ」
「相変わらず『非凡』だな、お前は。両親ともに科学者で若干17歳にして天才的頭脳を持つ。さらに性格は人を困らせることが大好きなドSときてやがる。平凡の欠片もないじゃないか」
「だからこそ『平凡』な君をこの部に招いたんじゃないか、森山君。僕と対極に位置する君に興味があったからね」
加賀はメガネのブリッジを中指で上げ、さらに言葉を続ける。その仕草は様になっており、何気ない動作の一つ一つが彼をより「科学者」たらしめているのだろう。
「それに森山君も平凡な日常をどうにかしたくて、僕の誘いを受けたのだしね」
森山は意地の悪い笑みを浮かべ、全てを見透かしたように言う。
図星を突かれた森山は、素直に口癖を言う。
「ああそうだよ、俺は青春がしたいんだ。青春が。平凡な日常をどうにかしたくてな」
続けて負け惜しみのように反論する。
「大体『この部』って言ったって部じゃないだろ、ここ。部員が俺とお前の二人だから同好会じゃねぇか。しかも生物学なんて俺は授業で習ったことしか知らないぞ?」
そう、部屋の正式名称は「生物学研究同好会」、高校の部活動にしては大仰な名前だ。そそのため通称の生物研究会と呼ばれている。
「そんなことを気にしているのかい? 所詮、部か同好会かなんて、ただの名称に過ぎないよ」
その言葉を聞き、森山は鬼の首をとったかのように笑う。そして口を開き言葉を発する。
「でも部と同好会は……」
「もちろん同好会では部と比べ支給される金額は少ないだろう。だけど僕は頼まれてこの高校に入ったんだ。部費ぐらい優遇してもらわないとね」
そう、加賀九郎は入試を受けることなく、学校側から頼まれて入学したのだ。彼は中学生の身で研究成果を上げており、将来はノーベル賞受賞も確実とされている逸材だ。そんな人物が在籍した高校となれば、箔もつくだろう。
森山は言わんとしていたことを言われてしまう。森山は悔しそうに、加賀は楽しそうに口を歪めた。
「ぬううう……はっ、さすがは『科学の申し子』君は言うことが違いますねぇ。うちに入学する条件を『同好会という名目で、研究するための場所と費用を提供すること』なんて言っただけのことはあるな」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
必死の抵抗もあっさりといなされてしまう。
「くっそぅ……いつもいつも俺をおちょくって楽しいか!?」
涙目になり語尾を荒げる森山。
「心外だな、僕がいつ君にそんなヒドイことをしたんだい?」
加賀はすまし顔で言う。
「別にこの部室の中では良いんだよ、誰も聞いていないからな。……本当は良くないけど。だけどなあ、それ以外の場所が我慢できないんだよ!」
「ほう、例えば?」
「例えば廊下で会ったときだ」
*
それは2日前の休み時間。
森山と加賀は廊下ですれ違った時、挨拶を交わした。
「おう、加賀」
「やあ、森山くん」
「そう言えばお前、同じ学年なのにあんまり見かけないよな。まさかサボりか?」
加賀は微苦笑を浮かべ、肩をすくめる。
「森山くんは相変わらず発想が面白いね。僕は授業の大半が免除されているんだ」
「おかしい、高校で授業が免除されるなんて聞いたことがないぞ。この学校はどうなっているんだ」
森山は額に手を当て苦悩する。
「そんなことより森山君、放課後にいつもの部屋で待っているよ。今日も二人きりで楽しませてくれるね」
「お、おう。なんか言い方がおかしくな……」
そう問いかけた森山は、黄色い声がそこかしこから上がっていることに気付く。
「ねえ今の聞いた?『二人きり』で『いつもの部屋』で『楽しむ』だって」
「え? うそ、まさかリアルで? 三次元で?」
「ねえ、ちょっと! どっちが受けでどっちが攻めだと思う?」
「やっぱり加賀君が攻めでしょ! あ、でも森山君のヘタレ攻めもありかも」
この高校は腐りかけの女子が比較的多いと聞いてはいた。だが比較的多い、所ではなかったようだ。
ちなみに学校内での加賀の評価は、天才にイケメン、たまにしか授業に出ないこと。などの要素がかみ合って、女子の間でかなりの人気だ。
森山は焦るあまり加賀に顔を近づけ、小声で話しかける。まるで囁きかけているかのように。
「おい加賀! 完全に誤解されてんじゃねぇか! どうすんだよこれ」
「森山君みんなが見ているんだ、やめてくれ。せめて暗くなってから……」
周囲にギリギリ聞こえるような、絶妙な音量で話しかける加賀。それと同時に頬を赤らめつつ顔を横に逸らす。
その行動に、周囲のボルテージが上がる。
「まさか森山君の俺様攻め!?」
「俺様攻めキター!! ああ、もうダメ、気絶しそう」
一人の女生徒が力なく倒れこむ。その顔は鼻血を垂らし、とても満足そうにしていた。
森山は、これ以上何を言っても火に油を注ぐだけだと気付く。これ以上誤解を大きくしないよう足早にその場を立ち去った。
*
「あの廊下のことだよ! なんであんな誤解を受けるような言い方したんだ?」
「ああ、そうか。だから君は、一昨日の放課後は不機嫌だったんだね。それでは何故、その日に言わなかったんだい?」
さも不思議そうに首をかしげる。
「気づいていたくせによく言うぜ。女子が数人、ドアの向こう側で聞き耳を立てていただろ。昨日も一昨日もな」
そう言って森山は廊下に面した扉を指さす。
「ふふ、平凡な君も気付いていたんだね。まぁ窓から頭が覗いていたから当然か」
「で、なんであんなことをしたんだ?」
「もちろん君をからかう為さ、それ以外に理由があるかい?」
その表情はとても嬉しそうで満足げだ。
「くっそう……どれだけ俺をからかえば気が済むんだ」
森山はこぶしを握りしめ、肩を震わせた。
「からかうのも満足したし、少し話題を変えようか」
「また俺をおちょくって楽しむ腹か? サディストめ」
身構える森山。相当疑り深くなっているようだ。
「そう固くならなくても大丈夫さ。まさか下のほうは固くなっているのかい!?」
驚愕の表情で視線を股間に向ける。森山も慌てて訂正じみたツッコミを入れる。
「んなわけねえだろ! 自分で作ったホモネタに引っ張られてんじゃねえよ!」
「ふふっ、訂正するよ。君はツッコミだけは『平凡』ではないようだね」
満足そうに笑った加賀は、器具の生き物からフラスコを取り出す。フラスコの中は黒い液体で満たされていた。どうやらその液体は、複雑に組み合わされた実験器具の山から作られた完成品のようだ。
「ついさっき完成した薬品でね。今から効果を試そうと思っているんだ」
「まさかヤバいやつじゃないだろうな? お前の実験でろくな目にあってないぞ」
森山は過去のことを思い出し、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「さて、まずこの液体の効能について説明しよう」
「人の話を聞け」
「一見黒く見えるけれど実は濃い青、つまり藍色をしているんだ」
そう言って加賀は室内の電気をつけ、フラスコを天井へとかざす。蛍光灯の光で透かしてみると、深い藍色であることが窺い知れる。
「確かに藍色だな」
「そう、青色なんだ。ところで森山君、君はいつも『青春がしたい』と公言しているね?」
「ああ、そうだな。毎日が平凡すぎるから『青春したい』と思ってる」
素直に返す森山。完全に警戒を解き、目の前の薬に興味津々といった様子だ。
「そうだろう。君はいつ何時でも口酸っぱくその言葉を口にするね。出会い頭に『青春したい』、会話の途中で『青春したい』、独り言でも『青春したい』」
「待て。なんで独り言まで知ってるんだお前は」
語りの途中を遮る森山。さすがに最後の一言は看過できなかったのだろう。
「それは森山君のことが……」
そう言いながら、頬を赤らめて妙な雰囲気を作る加賀。
「早く本題に入ろう」
「物分かりが良くて助かるよ」
加賀は満面の笑みを浮かべた。
森山はようやく理解する。語りを遮ればつけ込まれ、遮らなければその事実を言外に黙認したことになってしまう。どちらを選んでも、加賀の手の平で踊らされていることに変わりはない。
「では続けよう。本題は効能についてさ。この液体の効能は、いたって単純。『植物の花を染めること』。色素はご覧のとおり青色さ」
「へえー、植物の花を青色にねえ……。アジサイの花は土のphで青色になったりするはずだけど、それとは違うのか?」
「大違いさ。薬品の力で無理やり色素を付けるのだからね。もちろん植物には一切害がないように配慮してあるよ」
「で、なんでまたそんな物を作ったんだ?」
「そうだな、一応君のためだと言っておこう」
口の端をつり上げる加賀。
この笑みを見せる時は、嫌な予感しかしない。森山はそう思って再び警戒する。
どうやら演説も終わりへと向かっているらしい。加賀の会話のテンポも早くなる。
「さて、ここで問題です。春に代表される花といえば何でしょう?」
「唐突だな……、春といえばやっぱり桜だろ?」
「そう桜だ。春といえば桜、桜といえば春。つまり春=桜という公式が成り立つ、そうだね?」
「まあ間違ってはいないな」
「そう、桜とは春なんだ。」
さらに口を歪める加賀。まるで三日月かと見紛うほどの湾曲ぶり。
加賀が閉じていたカーテンに手をかける。
やっぱりそうだ。こいつがこんな風に笑う時はろくなことが起きない。
研究器具が倒れないようにするためだろう。カーテンは隙間なく閉じられていた。
そう、一昨日の廊下でも一瞬だけ、周りには見えないように笑っていた。
そのカーテンを躊躇なく開ける。
そうだった。こいつはいつだって、全力で俺をからかうやつだった。
窓の外は青色で埋め尽くされていた。空は青いのだから当然だろう。しかし空だけではない。青い空に青いかけらが宙を舞っている。薄い青、水色のカケラだ。そのカケラは快晴の空と同系色でありながら、確かな存在を感じさせていた。
森山が手を広げるとカケラが一片、手の中に納まる。見慣れない青色をしているが、形はよく見るものだ。楕円形に鋭い切れ込み。カケラは桜の花びらの形をしていた。
そう、カケラは桜の花びらだ。
加賀九郎は言った。
「これが君の望んでいたもの、そうだろう森山君」
そうだ、加賀はいつも全力で人を遊ぶ。いつも全力だ。
「な、何言って……」
そのくせ天才的な頭脳を持っているから性質が悪い。
「青い桜、青い春。そう、青春だよ」
加賀九郎は満面の笑みでそう言った。
楽しんで頂けたのなら幸いです。