幼馴染と悪い知らせ
グレアムの口利きのおかげで、リーナ姫は無事一座入りを果たすことが出来ました。
リーナ姫は団員としての仕事を精一杯努め、芸を磨くことも忘れません。パントマイムはもちろん、手品や持ち前の体の柔らかさを生かした人間業とは思えない踊りなどもできるようになりました。そしてめきめきと頭角を現し、あっというまに一座の大スターとなることができたのです。
そうこうしているうちに、キリクからもらった丸薬が後一つとなってしまいました。ビンには沢山詰まっていたのですが、さすがに丸ごと持ってきては魔女さまに怒られてしまうので、十五錠だけ取り出して持ってきたのです。
最後の一錠を見たリーナ姫は、強烈な郷愁にかられました。家族やキリクに会いたい。今頃どうしているんだろう、と。リーナ姫は今すぐにでも帰りたくなってしまいました。ですが、ちょうど一ヵ月後に王子の誕生パーティーがあるのです。その日に自分の磨いてきた最高の技の数々を、王子とグレアムに見てもらうつもりでいました。それがリーナ姫の恩返しです。
リーナ姫は自分に活を入れて、最後の一錠を飲み下しました。
そしてパーティーの日がやってきました。
パーティーは最初に王子と出会った時と同じく、船の上で開催されました。
一座の芸は夜の九時から行われます。そしてリーナ姫の出番は十一時です。持ち時間は五十分程ですので、薬の効果が切れるまでには間に合います。
本番までにはまだまだ時間があるので、リーナ姫は人気のない甲板で夜の海を眺めていました。本当は王子とグレアムに渡したいものがあったのですが、彼はパーティーの主役なのでなかなか近寄れません。仕方がないので、後で人伝に渡してもらおうと考えていました。
リーナ姫が月明かりに照らされた波打つ海を眺めていると、下のほうから微かな声が聞こえました。ハッとして下を見ると、そこにはなんと姉たちとキリクの姿がありました。そして姉たちはキリクをひょいっと持ち上げて、空高く放り投げたのです。キリクはくるくると回って、リーナ姫の前に軽やかに着地しました。
久々に会えた喜びよりも、今の見事な連携技にリーナ姫は拍手を送りたくなりました。そして自分も今の技をやりたい、みんなの前で披露したら拍手喝采間違いなしだろうと思ったのです。リーナ姫は根っからの芸人になっておりました。
キリクが着地の姿勢から立ち上がると、リーナ姫は驚きに目を見張りました。別れた時は同じくらいの背丈でしたが、今のキリクはリーナ姫よりも頭一つ分程大きくなっていたのです。
驚くリーナ姫をよそに、キリクは光を纏った右手をリーナ姫の喉に当てて言いました。
「一時的に喋れる魔法を掛けた。リーナ、緊急の用があるんだ」
「あなた、大きくなったわね……。あ、そんなことより、今の着地技凄かったわ! 是非私に技の伝授を!!」
「アホか!」
リーナ姫の脳天に手刀が叩き込まれました。リーナ姫は頭を抑えて、呻きました。
「そんなこと言ってる場合じゃないんだ! リーナ、薬はいくつ飲んだんだ!」
「持ってきた数全部だけど……」
「今すぐ吐き出せ!」
「無茶言わないでよ! 飲んだのは一ヶ月前なのよ。今日ちょうど効果が切れるから帰るつもりだったの」
リーナ姫の言葉を聞いたキリクは、絶望感溢れる悲しげな呟きを漏らしました。
「そんな……」
こんな風になる彼を見るのは初めてです。リーナ姫は悪い予感に眉を寄せました。
「一体なんなの? 他にも副作用があるってこと?」
「あの薬は十五個以上飲むと、効果が切れた瞬間泡になって消えてしまうんだ……」
「!?」
最悪の答えに、リーナ姫は青ざめてしまいました。
「三カ月前に母さんから聞いて初めて知ったんだ。それを聞いてからリーナをずっと探し回ってたんだけど、全然見つからないし……」
ショック状態のリーナ姫にはキリクの言葉が聞こえません。泡になって消える。その言葉だけがリーナ姫の頭をぐるぐると支配していました。死の恐怖がリーナ姫に圧し掛かります。しかしそれも束の間、奇妙な興奮がリーナ姫の中に芽生え始めたのです。
「リーナ、誰かこっちに向かって来る……」
その言葉に、落ち着きを取り戻しつつあったリーナ姫は、ハッとして後ろを振り返りました。
王子でした。主役であるはずなのに、抜け出してきたようです。グレアムの怒り顔が、リーナ姫には目に浮かぶようでした。
王子は主人を見つけた飼い犬のように人懐こい笑顔を浮かべ、リーナ姫の下まで走り寄ってきます。
「リナ! ここに居たのか。探したぞ」
王子はとてもご機嫌な様子です。何か良いことでもあっただろうかと、リーナ姫は首を傾げました。
「今日で一座を抜けるそうだな。先ほど座長から聞いた。ようやく私の元に帰ってきてくれる気になったのだな……」
王子は期待に瞳を輝かせて、リーナ姫の手を取ろうとします。けれどその前にキリクが王子の手を叩き落しました。当然王子は激怒しました。
「何をする! 無礼な奴め……。私を誰だと思っているのだ!」
「失礼。殿下のお手に虫が止まっていたので」
そう言ってキリクはさりげなく二人の間に割って入り、自分の手のひらを王子に見せました。そこには小さな蚊が潰れて張り付いています。王子は釈然としない様子でお礼を言いました。
「そ、そうか。それは感謝する……」
「それと彼女は明日から故郷に戻ります」
「故郷だと? お前は一体彼女の何なのだ」
「ぼくは彼女の友人です。彼女の家族に頼まれて迎えにきたんです」
すると王子は疑わしい目つきになって、キリクを上から下までじろじろと眺めました。
「お前、リナの記憶がないのをいいことに、デタラメをいっているのではないだろうな? その見るからに怪しく陰気な身なり、如何わしい店の者とよく似ているぞ。私は見たことがあるのだ」
「デタラメではありません。そもそも如何わしい店というものはどういうものなのですか? 殿下はよくご存知でいらっしゃるようですね。お教え頂きたいものです」
「わ、私はこの国を継ぐ者。それが世間知らずでは勤まらない。穢れたことも知らなければいけないのだ!」
「それはご立派なことで」
キリクの平坦な呟きに、王子の顔が険しくなります。
険悪な雰囲気を感じ取ったリーナ姫は、慌てて前に出ました。そしてキリクと自分を指差し、彼の手を握ってぶんぶんと振ります。
「リナ? 本当にその者はお前の知り合いなのか? もしかして記憶が戻ったのか!?」
リーナ姫はこくこくと首を縦に振りました。本当は声を出せれば手っ取り早いのですが、生憎と魔法の効果は切れてしまったようです。
王子は切なげに顔を歪めました。
「そうか、それは良かった……。だが、何も故郷に帰らずとも……。そうだ、リナ、是非私と結婚し」
「王子、勝手な行動は困りますな!!」
王子が求婚しようとしたその時です、彼の背後から鬼の形相のグレアムがぬっと顔を出しました。
王子はグレアムの言うことには大抵素直に従います。ですが、このときばかりは反抗の姿勢をみせました。
「グレアム、邪魔をするな! 今肝心な所だったのに!!」
「邪魔しますとも。何が結婚ですか。恋に目が眩んで隣国との関係を壊すおつもりで? さあ、姫君がお待ちしておりますよ。皆、王子をお連れせよ」
哀れ王子はグレアムの部下によって、会場へと引き摺られて行きました。一仕事終えたグレアムは、ふんっと鼻息を吐いてリーナ姫に向き直りました。
「リナ、故郷に戻るそうだな。座長が惜しがっていたぞ。私ももったいないと思うが、それがお前の意思ならば仕方ないな。それと、記憶が戻って良かった」
笑顔のグレアムに、リーナ姫もにっこり笑って応えます。そしてポケットから二通の封筒を取り出しグレアムに手渡しました。
リーナ姫の渡したいものとは手紙でした。簡単な文章なら書けるようになっていたので、王子とグレアムに感謝の手紙を書いておいたのです。
「これは……、王子と私への手紙か。ありがとう、後で読ませてもらおう」
グレアムは手紙を懐へしまい、しんみりとした口調でいいました。
「リナが居なくなると寂しくなるな。王子もしばらく落ち込むだろう。恋が実らぬのはお可哀相だとは思うが、立場上仕方がない。それにリナにその気がなくてよかった。想い合っても結ばれぬのは、余計に辛いだろうからな……」
グレアムの言葉の端々から王子に対する想いが感じられ、リーナ姫は胸が温かくなりました。グレアムが居れば、王子はきっと大丈夫だろう。リーナ姫はそう思いました。
この愉快な主従とも今日を持って永遠のお別れです。様々な想いがこみ上げ、リーナ姫の目にじわりと涙が浮かびました。どうにか感謝を伝えたくて、リーナ姫はグレアムの手を両手で握りこんで微笑みます。リーナ姫の意図はちゃんと伝わったようで、グレアムはわかっているという風に頷いてくれました。
「そろそろ私も戻らんとな。また後で会おう」
そう言って戻るグレアムの背を、リーナ姫は手を振って見送りました。そして彼の姿が見えなくなった頃、キリクが再びリーナ姫の喉に手を当て、懐から小さなナイフを取り出しました。何事かと思ってキリクを見ると、彼はとんでもないことを言い出したのです。
「リーナ、王子をこのナイフで刺せ」