どうぞよろしく
サッカー部マネとクラスの人気者のバレンタインのお話。
奥村美友、15歳。
本日一世一代の決意をして登校をしました。
「はよーっす」
震える息を吸い込む。
胸を押さえて、うるさい心臓を落ち着かせる。
笑顔を作って声のするほうを向いた。
「おはよ」
「おはよーさん」
に、っと笑うその顔を見て、思わず息が止まりそうになる。
気付いたらじっと見つめてしまっていた失敗が何度もあるせいで、今日はすっと目を閉じた。
「工藤くん、はい、チョコー」
「おわ、まじで?サンキュー」
「言っとくけど作ったんだよ?味わって食べてよねー」
「ほいほい了解」
彼が教室に入ってきた瞬間からみんなの目線は自然と彼に向くのが分かる。
太陽みたいな人。
何もしてなくても目立ってて、茶目っ気もたっぷりの人気者。
ちょっと背が小さいのが悩みの種らしいけど、本人曰く「そのうち山崎(学年で一番背の高いバスケ部の男子)だって抜いちゃるぜー」だそうで、みんなを笑わせている。
目線も集まるけどそれだけじゃない。
女の子たちもまるで蜂蜜に集まる蜜蜂のように工藤くんの周りを取り囲んだ。
みんな思い思いにラッピングした箱を工藤くんに渡してゆく。中身は1つ。チョコレート。
今日は2月14日、バレンタインデーだった。
「工藤くん、私も私もー」
「はいはい、並んでねー。ありがたくいただくよん」
隣の席なのに、あっという間に女の子たちに囲まれてもう工藤くんは見えない。
その光景を見ながら、静かに溜め息をついた。
「美友、どうしたの?行かないの?」
「行けない……」
「何言ってんの?昨日散々苦労して作ったんじゃない、渡してきなよ」
「……無理」
後ろの席の宏ちゃんが心配して声を掛けてくれる。
案の定私は、この光景に圧倒されてしまってついさっきまで絶対やるって決めてたことを諦めようとしていた。
「何でよ、あの子達の中に混じって渡すだけじゃん。勢いだよ、大事なのは」
「うん、そうなんだけど……」
「美友はマネなんだよ?みんなよりずっと有利じゃん」
でも、無理。
ちらっと隣を見て、まだ女子の中に埋もれている彼のことを思った。
*
嵐高に入学してしばらくは友達がうまく作れなかった私。
1人だけ遠くの高校に進学してしまったことで、中学までの友達は1人もいなかった。
通学電車も1時間近くかかって最初は本当に疲れてしまって、それでも辞めるわけにもいかず気分も沈んで、毎日毎日何も楽しいことがなかったんだ。
それが6月の遠足のとき、くじで委員に選ばれて世界が変わった。
男子の委員は工藤くん。彼は明るくて話が上手で、私にもまったくためらうことなく話しかけてくれたの。
他のクラスにもサッカー部の子がいたみたいで、工藤くんはその子と組んでどんどん委員会をリードしていってくれた。
私も徐々に打ち解けていって、クラスでも少しずつ友達が出来た。
そしたらある日帰りが遅くなったとき、工藤くんに送ってもらったことがあった。
普段はいつもあんな感じだから私のことなんてあまり気になんてしてないと思ってたのに、駅で別れるときにあの笑顔で「最初クラスで見たときは元気ないみたいに見えたけど、良かったな。奥村は笑ってる方が可愛い」って言ってくれたの。
私はビックリしてしまって。そのあまりの驚きように工藤くんに突っ込まれちゃったんだけど。
よくよく考えてみれば、そんな風に男の子に送ってもらって帰ったことなんてなかったし、工藤くんがそんなにもよく私のことを見ててくれたなんて全然知らなかったからすごく嬉しかった。
それに……可愛い、なんて言われたのも初めてだった。
それからやけに工藤くんが気になってしまって。
もっと仲良くなりたくて、私にしたら大胆だなって思うけど工藤くんを追いかけるようにサッカー部のマネージャーになってしまった。
あれから半年。
不純な理由でなったマネージャーだったけど、やってみると案外楽しくて今でも続けてる。
工藤くんともちょこちょこ話せるようになって、今では隣同士。
ほんのちょっと勇気を出したことで舞い降りた奇跡みたいな現実。
最初の2ヶ月が嘘のように私の毎日はキラキラしてた。
それはみんな工藤くんのおかげ。
知り合ったときよりも、マネージャーになったときよりも、ずっとずっと好きになってしまった。
それでもなかなか勇気が出せなくて気持ちを伝えるなんて出来ないって思ってたんだけど、宏ちゃんが励ましてくれて、バレンタインに便乗すれば私でも、勇気を奮い起こせるんじゃないかって思ったの。
だからおとといの土曜日から宏ちゃんの家にお泊りをしてチョコ作りに励んだ。
弓道部の宏ちゃんは生徒会長の上田先輩を始め、部の人たちにも配るって言ってたけど、そんな彼女にも実は本命がいる。
昨日その話を聞いてビックリしちゃった。体育の長島先生なんだって。
宏ちゃんは自分も頑張るから美友も頑張って、と励ましてくれた。
不器用な私はなかなかうまく作れなくて宏ちゃんの家のキッチンを1日ずっと占領しちゃったんだ。
だから、宏ちゃんが怒るのも無理はない。
だけど。
*
結局渡せないままに時が過ぎて、放課後。
私は部のみんな用に作ったひとくちチョコを配り終えて部室に戻った。
半分諦めてた。
だって工藤くんはねだらなくたってたくさんチョコがもらえる人だから、別に私のが1つなくたって構わないもの。ただ食べるチョコが1コ減るだけ。
洗濯カゴを抱えて部室に入ると、黙々と仕事を片付けた。
宏ちゃんには最後まで「これでいいの?」と言われ続けて、気持ちが揺らめいたりもしたけど、でもやっぱり私には無理だ。
渡すことになったらきっと震えてしまうし緊張して上手く話せなくなっちゃう。
そんなことになったら工藤くん、きっと困るから。
誰もいない部室で1人、大きな溜め息をついた。
「あ、奥村ちゃん。お疲れー」
「須藤先輩。お疲れ様です」
入ってきたのはキャプテンの須藤先輩だった。
サッカー部って何でこういうかっこいい人が多いんだろう。不思議。
速水くんとかもすごくモテるし、引退した3年生の桐谷先輩もモテてたなぁ。
「ねぇ奥村ちゃん」
「はい?」
「奥村ちゃんは本命チョコ誰かにあげないの?」
須藤先輩はかばんをあさりながらさも私に本命がいるかのようにそう言った。
「え?い、いえ、私は別に……」
「だってよ、亮太」
えっ?!
先輩が話を振った矛先に驚いて慌てて振り返る。
部室の入り口のところに工藤くんが立っていたのに私、全然気付かなかったんだ。
工藤くんの姿を見た途端、思考が停止する。
目が合ってしまって思わず息を呑んだ。
「あ、お、お疲れ様です……」
かろうじて声になったのはそんな言葉だった。
工藤くんが無言で部室に入ってくる。
ど、どうしよう。
「ねぇ奥村、俺にもちょーだい、チョコ」
「えっ?」
「さっきみんなに配ってたっしょ」
「あ、えーっと……ごめんなさい、もう、あの、なくて」
声が震えた。
昨日までの私は最高に盛り上がっていて、工藤くんには本命チョコがあるから義理チョコは用意しなくてもいいって考えてた。
だから今日、まさかこんなことになるなんて思わなかった。
鞄の奥底に眠る1つだけ特別なチョコレートを思い出して胸が痛む。
でもこんなになったらますます渡せない。
「え?数なかったの?」
「う、うん……私、勘違いしてて……」
俯く。
どうしたらいいのか分からなくてもうパニック状態。
「じゃあ俺帰るわ。お疲れー」
「よりちゃん先輩をあんまり困らせないでくださいね」
「分かってるよ」
うな垂れた私の頭の上で、そんな2人のやり取りが交わされていた。
どうしよう。
私も今すぐこの部室を出たかった。誰か他に入って来てくれたら助かったのに、須藤先輩が出て行ってしまった後は誰も来なくて。
ふと制服のポケットに今日のお昼に学食で当たったチロルチョコがあったことを思い出す。
私は藁をもつかむ思いで制服を探した。
「ご、ごめんね。こんなのしかないんだけど……」
工藤くんの方にチョコを乗せた右手を差し出す。
そうしたら。
「そんなのいらない」
工藤くんはそう言ってムッとした顔になってしまった。
怒らせちゃった。
また、どうしよう、と考え始める私。
考えに考えを巡らせてあることに思いつく。
「あ、あの、お誕生日に何かあげるから……あの、ホントにごめんね」
そうっと工藤くんの方を見る。
複雑そうな顔をして私の方を見ている工藤くん。
「……チョコじゃないのがいい」
「な、何でもいいよ。私のあげられるものなら、うん」
ビクビクしてしまう。
工藤くんはまだムッとしている。
こんな風に機嫌の悪い彼を見たことがなくて、どうしたらいいのか考えもつかない。
「ホントに?」
「ホ、ホントに」
「……じゃあ、奥村」
……え?
「奥村ちょーだい」
「えっ?!」
「ホントにくれるの?」
「あ、あの、工藤、くん……?」
「言ってること分かる?」
呆然として、ただいつもみたいな笑顔に戻った工藤くんのことを見つめることしか出来ない。
「こういうこと」
その声が聞こえたときには差し出したままだった手が引っ張られてた。
あっという間に私は工藤くんの胸の中。
ぎゅっと抱きしめられて、私の心臓は完全に壊れてしまった。
「ほ、本気……?」
小さい声で私を抱きしめる体に恐る恐る呟いた。
そうしたら、ますます強く抱きしめられて耳元で同じ小声で囁かれる。
「めちゃ本気。俺、かなり本気で奥村のこと好きかも」
工藤くんの腕が私を離す。
やっと息が出来るような気がした。
「返事は?」
優しい問いかけにも、もう唇が震えてしまって答えられなかった。
ぽろぽろと涙が勝手に出てきてしまう。
私はジャージ姿のまま、工藤くんの前で突っ立って泣いた。
工藤くんはよしよし、と頭を撫でてくれた。
「どうぞよろしく」
*
帰り道。
繋いだ右手が恥ずかしくて、でも温かくて。
「その鞄の中に入ってるもんもくれたら俺もっと嬉しいんだけどなー」
そんなことを言い出す工藤くんにぎょっとして見つめてしまう。
工藤くんは笑って、教室にいたときから知ってたと教えてくれた。
きっとバレンタインには魔法がかかっているんだ。
それはありふれた日常にあるビッグチャンス。
魔法自体もありふれてるかもしれないけど、だから本当にそれを逃しちゃいけないんだね。
私も逃したくはないから、今度こそはととびきりの笑顔で想いの詰まった袋を工藤くんに手渡した。