正しいラブレターの渡し方
お人好しくんと美人さんのお話。
あくびを噛み殺したその手で蓋を開けると、カタッと音がした。
そのまま手を伸ばして上履きを取ろうとしたとき、かさりと違う感触があった。
……ん?
掴んで取り出したそれは、紛れもなくラブレターと呼ばれる類のものだった。
「はよ、朋哉」
「うわぁっ」
「な、何だよ大声出して」
「い、いや、別に……」
突然後ろから声を掛けられて、驚いた拍子にラブレターを制服のポケットに突っ込んでしまった。
考えてみればその時、入れ直しておけば良かったんだ。
*
授業中、こっそりさっきのラブレターを取り出す。
中にはシンプルに
『好きです。5時に正門のところで待ってます』
と書いてあった。けれど名無し。
丁寧で綺麗な字。丸字とかじゃなくて好感が持てる。
ルーズリーフとかじゃなくて、きちんと便箋に書いてあるそれ。
よほど大切な想いなんだろうなってよく分かる。
溜め息が出た。何であのまま持ってきちまったんだ。
俺は悲しいことに決してモテはしない。そこら辺はちゃんと自覚してるからこそ、自分がラブレターなんてもらえるような人間ではないことは分かってた。
そしたら何でそんな俺の下駄箱へ?
そうやってよくよく考えたら、とても簡単なことだった。
俺の下駄箱の下は上田の下駄箱だ。上田と言えば生徒会長をしていて、顔もまぁいい方だからかなりモテる。男の俺からすると、何考えてるんだかよく分からない奴だとは思うが。
このラブレターを書いた女子は、上田に宛てて書いたんだろう。たぶん、間違いなく。
だったら納得がいく。
けれどどうしたもんだろう。持ってきてしまったそれ。
間違えて俺の下駄箱に入ってた、などと言って上田に手渡しするのもなぁ。やっぱりあいつの下駄箱にこっそり入れ直しておくしかないか。
そう考えていたのに、そういう日に限って忙しく、休み時間にも昼休みにすら下駄箱に近寄ることが出来なかった。
そしてそのまま時計の針は3時を回っている。
もうすぐ授業が終わる。この後は委員会だ。
俺はくじ運悪く、高校3年にして文化祭実行委員なるものにさせられてしまったためにここのところ毎日のように委員会がある。
さぼりたいのはやまやまだがそうもいかない。女子の相棒である新田が突然盲腸になって入院しちまったから、うちのクラスの委員は今のところ俺1人なんだ。
だからこの手紙を下駄箱に戻すには今しかチャンスがない。
これ以上遅れると、上田にだって都合があるかもしれないし。
だからチャイムが鳴り終わると同時に下駄箱に走ろうと思った。
……なのに。
こういうときに限って普段は滅多に話し掛けてこない担任が進路のことで話し掛けてきてまんまと委員会まで食い込むほど捕まってしまった。
そして俺は結局、間違いのラブレターを手にしたまま5時を迎えることになってしまったのだった。
かわいそうな気がして、委員会中も気が気じゃなかった。
けれどだんだん時間が経ってくると、もう帰ったよな、と自分の中で言い聞かせる。勝手な言い訳。
結局その日俺が学校を出たのは、7時過ぎのことだった。
*
土、日と休みを挟んで週明け。
2日も時間が経っていたので、もう俺の中では勝手にあのことは終わったことになっていた。
「望月くん」
いつも通りの朝。裏門の方が登校に近いので、そこから入るとふいに声を掛けられた。
男どもにかなり人気のある古川奈菜だった。
「え?あ、何?」
俺と彼女はクラスが違う。
けれど初対面というわけじゃない。去年、今と同じように押し付けられた開校50周年記念アルバム制作委員とやらになってしまったとき、彼女もそのメンバーの1人だったからだ。
けれど緊張はする。だってあの古川だ。
何か用があってのことだとは思うが、古川から俺に話し掛けてくるなんて今まで夢にも思わなかったから。
俺は多少ぎごちなかったかもしれないが、彼女に怖がられないように笑顔を見せた。……つもりだった。
けれど彼女はそれを見て、目を逸らした。不自然に。
「ううん、何でもない。……ごめんなさい」
それだけ言うと、俺が言葉を続ける間もなく走っていってしまった。
その日1日、彼女のあの顔の意味を延々と考えた。
俺、彼女に何かしてしまっただろうか。
そもそも俺が彼女から話し掛けられた理由って一体、何だ……?
授業中もその合間も、俺はずっとボーっとしていたらしい。
昼を一緒に食べた田中からは、「不細工にも程がある」なんていう酷いことまで言われる始末。
けれどそれでも俺は、考え続けていた。
答えの出ない問い。もやもやの中で彼女のあの顔だけが何度も何度もリフレインする。
「望月、これ去年作ったアルバムの残りだ。ボーっとしてるしかすることないんだったらお前代表で校長先生に届けてこい」
うちの担任は横暴だと思う。
いくら手近にいたのが俺だからって、そんな理由で可愛い教え子を扱き使うなと言ってやりたい。
それに俺はこれから実行委員なんだよ、とは言わせてもらえなかった。有無を言わさぬその態度。
校長室に向かいながら、俺は懐かしいそれをパラパラとめくった。
『編集後記』。
一番最後のページ。そこだけ手書きのスペースを眺める。
懐かしい気もする。
……と、そこに。
「大変でしたが、アルバムが仕上がって本当に良かったです。 古川奈菜」
その字を見て、俺は全てを悟った。
*
バカだ俺。
そうか、古川が書いたのかあれ。
古川がどうやって知ったかはしらないけれど、古川は俺が間違ってあのラブレターを取ってしまったのを知っていた。
そして、今朝彼女があんな顔をしていたのは、どうして上田に渡してくれなかったのかと言いたかったんだ。
俺は走った。
謝らなきゃ。とにかく、彼女に。
「古川!」
彼女のクラスに行ったら、さっき帰ったよと言われた。
さっきってことはまだその辺にいるかもしれない。
走って下駄箱のところまで来たとき、彼女の後ろ姿が見えた。
古川が振り向く。驚いた顔。
俺はすぐそばまで駆け寄って何度か荒れた息をついた後、頭を下げてこの3日間持ち続けていた(正確に言えば鞄の中に入れっぱなしだった)手紙を彼女に差し出した。
「ごめん!これ、間違って俺の下駄箱に入ってて、それで、俺……」
「望月くん……」
「こんな風にするつもりなくてすぐ戻そうと思ってたのに……ホントごめん……」
俺は恐る恐る顔を上げる。
目の前の古川はその大きな瞳にうっすらと涙を浮かべていた。
……可愛いなぁ。
こんなときになんだけど、古川って女の子はやばいくらいに可愛い。
「古川……?」
じっと俺を見つめている彼女に、だんだんドキドキしてきてしまう。違った意味で。
どうしよう。呆れられただろうか。
それとも、殴りたいくらいに腹を立ててる……?
「良かった、私まだ振られたわけじゃないんだよね」
心底ホッとしたようなその声。
良かった、怒ってるわけじゃないようだ。俺は胸を撫で下ろす。
「ホント悪かったよ。だから、これ返すな」
その小さな手の中にちょっとよれよれになってしまった手紙を掴ませる。
同時に顔を見ないで彼女に背を向けた。
バカみたい、俺。今、彼女のことが好きになっちまったなんて。
気持ちに気付いたときにはもう失恋決定だと分かっているなんて、あまりに情けなくて笑えもしない。
歩き出そうとしたら、学ランの裾を掴むもの。
俺は振り返る。
「あ、えっと……上田だ、って……相手は分かっちゃったけど誰にも言わないし……」
やっぱり勝手に中を見たことを怒ってるんだろうか。
俺は必死に弁明する。
「絶対誰にも言ったりしないよ。……上手くいくといいな」
ホントバカみてぇ、俺。
何失恋直後に好きな相手の恋を応援してんだって話だ。
けれどその手は学ランを掴んだまま離れない。
「古川……?」
「何で上田くんなの……?」
「え、だって古川が間違えて―――」
「私間違えてないよ!私、ちゃんと望月くんの下駄箱に入れたもん」
―――……ええっ?!
古川は間違いなく俺の下駄箱に入れたと言った。
だって、あの手紙はラブレターで……って嘘だろ?!
「いやいや、何かの間違いじゃ……」
「間違いなんかじゃないよ。上田くんじゃなくて望月くんの下駄箱に、入れたの」
うっそ……。
信じられん。何だこの展開。
「そ、それで……あの……中身見たよね……?」
かぁぁっと頬がこれ以上ないくらいに火照る。
うわ、やば。
慌てて俯く。
「う、うん……」
ど、どうしよう。
だって、こんな……どうやって信じろって言うんだ。
俺はたった今恋をして、失って、それで、また……?
「好きです……」
古川がぽそりと本当に小さい声で呟く。
でも俺にはきちんと届いていた。
こんなのとても信じられない。
だけど、これが現実なんだとしたら。
俺はこの恋を掴むことが出来る、ということだ。
好きな子が言うだけで、何て甘い言葉。
もう気付いてる。
信じられないと言いながら、目の前で古川が緊張に震えている、その事実は本物だって。
だから。
「……俺も、好きです」
俺の言葉もまた、彼女の耳に甘く伝わるといい。
そう願った。
*
「でも何で上田くんだって勘違いしたの?」
「だって奈菜の名前も俺の名前も書いてなかったんだよ」
「嘘っ?!」
「ホント」
ラブレターにはきちんと宛名と自分の名前を書きましょう。