12
そのあと男がどうしたのか、ノリオたちは知らない。
なぜなら、大人たちがここからは自分たちでするから、と先に団地に帰したからだ。
「一応消毒してから使えよ」
詩央は隆児に渡された手鏡を見て、嬉しそうに輝いて喜んでいた。
ノリオたちは、それが嬉しいはずもない。
詩央が笑って嬉しいけど、それはノリオたちが喜ばせる予定だったのだ。
あの笑顔は、ノリオたちが上げるはずだったのだ。
あの後すぐに、隆児のマネージャーの町田という男が現れて、肉を出した。
どうやら本当に焼き肉をするらしい。
詩央は他の母親たちと先に帰って、用意を始めた。
ノリオの家のリビングもキッチンも開け放って、みんなで大焼き肉大会だった。
時にはそれが鍋だったり、そうめん流しだったり、たこ焼きだったりするけど、隆児が基本的に人を集めて食べることが好きなのだ。
あまり大騒ぎにならないように、こんな団地に住んでいることが知られないように、大人しくしていてほしいと言うのがマネージャーの町田の意見で、ノリオの前でよく愚痴をこぼしていた。
いつも隆児のそばにいる町田の、仕事がなんなのかよく解らず一度聞くと、
「マネージャーの仕事は、君のお父さんのお守りです」
そうはっきり答えられた。
それ以来、ノリオは町田の仕事が大変だなあ、と感じて大人しく愚痴も聞くようにしている。
大焼き肉大会が始まると、大人たちは子供以上に飲んで騒ぎ始める。
ハルジやカツジやテツやシュウやリツの親も、いつもより楽しそうでにぎやかなのだ。
ノリオたちは自分たちの分をたらふく食べたあとで、すぐにリビングから逃げ出した。
子供が騒ぐと怒られるのに、大人は騒いでも怒られないなんてリフジンだ。
だけど騒いでる途中の大人にそう言っても聞いてはくれないから、ノリオたちは廊下に屯しているしかない。
「どうする?」
廊下で最初に口を開いたのはカツジだ。
それはこれからどうするって意味でもあるし、今日のミッションについてのことでもある。
結果として、詩央の鏡は見つかった。
ノリオたちの手柄じゃないけど、詩央は嬉しそうで、目的は達された。
「詩央姉喜んでるからいいけどさ」
「俺は、あの男もっとなぐりたかったけどなー」
ハルジについで、シュウもぼやいた。
なんというか、不完全燃焼なのだ。
「悪ものをやっつけるのって、いいよなー」
正義の味方になったつもりはないが、気分はいい。
テツの意見に、ノリオも賛成だ。
そこに、明るいリビングから詩央が出てきた。
いつものTシャツとジーンズに、エプロンをしてる。
今年の隆児からのプレゼントは母のお気に入りだった真っ白なワンピースだった。
「詩央も、もう同じのが着れるようになったんだなぁ」
とか言って隆児は涙ぐんでいたけれど、詩央は目を輝かせて喜んでいた。
ずるい、とノリオは思う。
ノリオはいつも怒られてばかりで、詩央を笑わせるのはとても大変なのに、隆児はこんなにも簡単に笑顔を掴む。
鏡が戻ってから、機嫌の直った詩央はずっと嬉しそうだ。
もう夜も遅い時間なのに、ノリオたちにまだ寝なさいとか、お風呂入りなさいとか言わないでいる。
ニコニコ顔の詩央は、廊下にいたノリオたちに驚いて、
「どうしてこんなところで座るの、あんたたちは」
呆れてから、それからひとりひとりの頭を撫でた。
いったいなに、と驚く前に、詩央はノリオたちの目線にしゃがみ込んで恥ずかしそうに笑った。
「あのね、ごめんね。みんなが何をしてるのかとか解らないのに、いっぱい怒って」
そしてもう一度、ごめんなさい、と頭を下げた。
あの男にしたみたいに、顔が見えないようなものじゃないけど、あれよりも詩央の気持ちは確かに解った。
それから顔を戻して、笑った。
「見付けてくれて、ありがとう」
隆児にしたみたいな、輝くものじゃないけど。
一緒に遊んだあとみたいな、楽しいものじゃないけど。
この笑顔は、他の誰でもない、ノリオたちだけのものだ。
それから詩央はリビングに戻って行った。
ノリオたちはしばらく、何も言えなかったけど、お互いの顔を見れば気持ちなんてすぐ解る。
ニヤニヤするな、と隣に座る幼馴染の肩を突き合う。
何もいらない。
何も言えない。
でも、この気持ちは確かに詩央のためにしたことで、詩央が返してくれたものだ。
そのうちに、リツがよし、と立ち上った。
「もういっこ、お祝いしようぜ」
それに逆らうものは、誰もいなかった。