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Noir:Actor

作者: 京楽祥瓊
掲載日:2026/05/10

それは、まだ世界が「カタチ」を持ちきっていなかった時代の記憶。

光と闇の境界は曖昧で、生と死さえも緩やかに混じり合っていた。秩序は脆く、理は揺らぎ、ただ存在することそのものが奇跡であり、同時に呪いでもあった。

その混沌の只中に、ひとつの終わりが訪れる。


破滅竜『ヴェネクト』


その名は恐怖として語られ、その影は大地を覆い、空を裂き、海を煮え立たせた。竜はただ存在するだけで世界を歪め、怒りのままに暴威を振るい、あらゆる命を無価値な塵へと変えていった。人も、魔も、王も、神話でさえも――その咆哮の前では等しく無力だった。


だが、終わりに抗う者たちがいた。


東の大陸を統べる冥王アーロン。死と呪いを従えし王は、灰の騎士団を率いて立ち上がる。


棘の魔女。名を捨て、ただ“封じる者”として世界に背を向けた孤独な術者。


そして一人の人族――後に英雄王と呼ばれるサーム。


彼らは、滅びそのものへと挑んだ。


冥王の呪いが、竜の魂を蝕む。


魔女の荊が、天を裂く翼を絡め取り、その巨躯を縫い止める。


剥がれ落ちる鱗、噴き出す黒き炎。


そして――

サームは、霊魂を宿した剣を振り上げた。


それは、数多の祈りと絶望が織り込まれた刃。終焉に抗う、最後の意志。

刹那、世界は息を止める。

剣が、突き立てられた。


――――その結末を、誰も正しく語ることはできない。

なぜならそれは、あまりにも遠く、あまりにも曖昧な「古代」の出来事だからだ。


遥か昔。すべてがまだ定まらず、光と闇すら分かたれていなかった頃。

記録は風に消え、真実は歪み、ただ断片だけが語り継がれる。


そして、世界の北の果て。

そこには、終わりに触れた者たちが集う場所がある。

巨大な鷲が、檻に閉じ込められた囚人を運ぶ。


泣き声も、祈りも、誰にも届かぬまま――ただ運ばれていく。

世界の端へ。


そこは、あらゆる終焉が沈む場所。

終末地。北の最果ての地に黒い塔がそびえるがその主もまた歴史の観測者に過ぎぬ。


メフィラはすぐには答えなかった。

石の壁に灯る淡い光が、彼の横顔にゆらゆらと影を落とす。夜のように静かなその沈黙は、拒絶ではなく、むしろ慎重に言葉を選んでいるように見えた。


「……難しい問いだね」


ようやく、彼は口を開く。


「君が“何であるか”を、他者の言葉で定義することはできる。穢れ子、異端、災いの芽――好きなだけ名前は付けられるだろう」


エリーゼは、膝の上で指を絡める。


「……それじゃ、だめなの?」


「だめだ」


即答だった。


「それは“分類”に過ぎない。分類は便利だが、本質ではない。箱に入れることで理解した気になる――それだけだ」


少しだけ、声音が柔らぐ。


「君は箱ではない。ましてや、他人が用意した箱に収まる必要もない」


「……じゃあ」


エリーゼは、ゆっくり顔を上げる。


「ぼくは、どうやって決めるの?」


メフィラは、ほんのわずかに微笑んだ。


「決める必要すらないかもしれない」


「え?」


「“何であるか”は、固定されたものではない。変わる。揺らぐ。増える。欠ける」


彼は指先で空をなぞる。


「この世界そのものがそうだっただろう? かつては光と闇すら分かたれていなかった。ならば、君が曖昧であることに、何の問題がある?」


エリーゼはしばらく黙り込む。


それから、ぽつりと呟いた。


「……ぼく、いっぱい混ざってる?」


「おそらくね」


「こわい?」


「場合による」


「……メフィラは?」


彼は一瞬だけ目を細めた。


「私は――」


言葉が、わずかに途切れる。


「混ざりすぎて、もう分からない側の存在だ」


その言葉は、冗談のようでもあり、事実のようでもあった。

エリーゼはそれを聞いて、なぜか少しだけ安心したように見えた。


「……じゃあ、ぼくと同じだね」


「似ている、くらいにしておこう」


軽く肩をすくめる。

そのときだった。

塔の外から、低い振動が伝わってきた。

地鳴りのような、しかしどこか“内側”から響くような音。

エリーゼが顔を上げる。


「……また、こわいの……来る?」


「いや――」


メフィラは目を閉じ、何かを感じ取るように静止する。


「いや、ここには近づかないだろう」


「……そっか」


彼はゆっくりと目を開いた。


「“あの時”の残滓だ」


空気が、わずかに歪む。遠い昔。世界がまだ形を持たなかった頃。

〈破滅竜ヴェネクト〉その“終わり”は、完全には閉じていない。


「……北の最果てにまで影響が及ぶとは」


メフィラの声は低い。


「想定よりも、ずっと長く尾を引いている」


エリーゼは立ち上がる。


小さな手で、人形をぎゅっと抱きしめた。


「……いかなきゃ今日も時間だ」


「忙しい子だ」


「あまり深く入り過ぎるな」


メフィラは足元まで伸びた金髪をなびかせながら部屋を出て行くエリーゼをを見つめる。

 数日後のこと。

 一羽の巨大な鴉が悪魔王の塔を訪れた。ある隣人を連れて。


「ククク……久しいね。悪魔王。相変わらず引きこもり癖は治らずか」


メフィラはわずかに目を細めた。


「余計なお世話だ。道化師リッパー。お前が何の用もなしに来る訳がない。ただ暇でやってきた訳じゃないだろう?」


「ククク……お茶も菓子も出さない貴方にわざわざ会いに来たのにはそりゃ理由がありますよ。今、私が冥王の傘下に入っているのは知っているかしら?」


 メフィラは少し眉を歪ませた。


「あのガキの傘下にお前が? 皮肉を言いに来たのか?」


「ククク、それもいいけど。本題はそれじゃない。冥王は、近く神殿院と事を構えるつもりらしい。貴方の取引先でしょ? 神殿院は、だから教えてあげようって思ってね。昔の馴染みで」


「なるほど。だが、リッパー。お前だけじゃないんだろ? 冥王に与することを選んだのは。かつての英雄たちの中で」


「ククク……さーてね。どうだろう。時代が進めば分かるかもね。じゃ、帰るよ。教えたから」


 リッパーは鴉に乗って颯爽と帰っていった。棚の後ろからどたどたと走ってエリーゼがやってくる。


「戦いが起こるの?」


「直接わたしたちには関係ない事だ。しかし、中央では大勢死人が出るだろうね」


エリーゼの顔が少し曇る。頭に手を置き撫でてやる。」


「――わたしは」

「――ぼくは」


エリーゼと声が、混ざった。二人は顔を見つめ合い少しクスっと笑った。


暫くすると影悪魔【シャドウデーモン】が影を伝ってメフィラの元に帰ってきた。


念話でシャドウデーモンの報告を聞く。メフィラは世界中に配下の悪魔を飛ばしている。メフィラは他と一切の協力関係を築く事なく北の大地を治め続けてきた。悪魔種は最強種であり。その頂点に君臨するメフィラは個体とし十分すぎる力を持っていた。


 かつての大戦。戦記に記載され唄になっているもの以外もの英雄に名を馳せる猛者たちは大勢いた。破滅竜:ヴェネクトとの戦い後。英雄王サームが王国を創ったが、王となったサームに隷属の指輪を渡したのはメフィラだった。それがサームが従えた十三の眷属鬼の始まりだったのだがそれを知るのはサームだけだ。


「冥王……か。まだ中央の覇権に拘りがあったとはな」


「どんな人なの?」


静寂。一冊の本を机から出す。

エリーゼが本を覗く。


「……現在、冥王と呼ばれている男はかつてただの野心家だったのさ」


「……野心家?」


 本のページを捲りながらある張り付けにされた男の場面のページで手を止めた。


「あのガキは魔女の一族だった。だから火炙りの刑に一族諸共なったのさ。しかし、あいつは皮膚が爛れても骨が見えても死ぬことはなかった。村人は三日三晩奴を燃やし続けたそうだ。だが、いくら燃やしても死ぬことはなく。魔女の呪いは強力だった。そして奴は冥府の門を開いたのさ。一族の血が赤く染まった血で呪いを纏い村を逆に滅ぼした。それから奴は後に冥王と呼ばれだすようになった」


 メフィラは本を閉じた。エリーゼは、メフィラの膝の上で丸まっていた。


「復讐したいのかな?」


エリーゼが尋ねる。


「なるほど……君にはそう見えるのか。確かに、あのガキは未完成な存在だね。それぞれが、自分の終わりを選べるなら話は別だが、あのガキは冥府の門を開いているからね」


全てはゆっくりと消えていく定め。誰にも見送られず、ただ静かに。エリーゼは、それをこの場所で沢山見てきた。


「……さみしいね」


「ああ」


メフィラの声には温もりは無かった。空洞のだったかもしれない。


「そうかもしれない。だが――」


彼は視線を落とす。


「混ざり合って苦しみ続けるよりは、遥かに穏やかだ」


エリーゼは〈未完の終焉〉区画を思い出した。


「……ねえ、メフィラ」


「なんだい」


「ぼくって、なんなの?」


メフィラはすぐには答えなかった。


風が、塔の外壁を撫でていく。遠くで鎖の軋む音が響き、北の囚人院はいつも通り、静かに“終わり”を受け入れていた。


その問いは、小さく、けれど深く沈むものだった。

メフィラはエリーゼを見下ろし、それからゆっくりと視線を外した。灰色の空を仰ぎ、わずかに目を細める。

「それは――」

言葉が途切れる。

「本来なら、他者が答えてはならない問いだ」


「……どうして?」


「定義は、枷になるからだ」


エリーゼはきょとんとする。


「かせ?」


「ああ。名付けるというのは便利だが、その瞬間に可能性を狭める。君が“何か”であると決めてしまえば、それ以外であることを許さなくなる」


エリーゼは人形の頭を撫でる。


「……でも、ぼく、よくわからない」


「分からないままで今はいい」


「ほんとうに?」


「むしろ、その方がいい」


メフィラは、ゆっくりとしゃがみ込み、彼女と目線を合わせた。


「君は、まだ“途中”だ。形を持ちきっていない。だからこそ、どこへでも行けるし、何にでもなれる」


「……そっか」


 エリーゼにはメフィラが何かを隠しているようなそんなもやもやが残った。メフィラが眼をそむけているような気がしたのだ。


 悪魔はそっと少女の魂のカタチを撫でるのだった。

 北の大地にそびえる黒い塔には二人だけ。

 今日も冷たい風が吹いていた――――

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