第一話: 「お断り」絶叫と執務室での暴走
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1. 静かな決意
「公爵令嬢たるもの、引き際は美しくなければなりません」
鏡に映る自分に、私は静かに言い聞かせた。 かつて「社交界の至宝」と謳われた面影は、婚約破棄という不名誉で泥にまみれた。
そんな「傷もの」の私を救い、婚約者の座に据えてくれたのが、当代随一の英雄ジークヴァルト公爵閣下である。
彼はあまりに高潔で、あまりに慈悲深い。だからこそ、私は決意したのだ。 ――閣下が真に愛する女性と結ばれるために、私は今日、この屋敷を去ろうと。
荷物をまとめてみると旅行カバン1つで収まってしまった。
「あら、そういえば、あのお気に入りのリボンが見当たらないわ……捨ててしまったかしら?」
まぁ、リボン一本なくなったところで困るものでもない。エレオノーラはカバンの口を閉じた。
彼女が居常していたこの部屋は常に華やかな花々が飾られ、クローゼットにはジークヴァルトが彼女に送った華やかなドレスと宝飾品で溢れていた。
「これらは全て、ふさわしい方が現れた時にお返ししなくては。私はただの“繋ぎ”なのだから」
心お落ち着かせながら、屋敷の廊下を歩く。使用人たちの視線はいつも通りに静かだ。
(ああ、今日も私は憐れまれているのだわ。かつての婚約者に捨てられた可哀想な令嬢と)
2. 決別の宣告
執務室の前まで来ると、部下への指示が聞こえてきた。「冷血の英雄」らしい厳しい声だ。
「怖がってはいけないわ。彼のために、私が悪役(不義理な女)になってでも自由にして差し上げるのよ」
振るえる手をそっと握り、扉をノックした。
「誰だ?」
「エレオノーラです。閣下、お仕事中に申し訳ありません」
「構わない。入りなさい」
執務室の中に入る。ジークヴァルトが顔を上げ射抜くような視線がエレオノーラに注がれる。
「ジークヴァルト様、大切なお話がございます。……どうか、私との婚約を白紙に戻していただけないでしょうか」
「……」
返答はなかった。
しばらく沈黙が続いた後、ポキリと何かが折れる音がした。
(ああ、ペンが……)
彼の手にあったペンが折れて、中の黒インクが流れ出す。それを握っていた手が徐々に黒く染まっていった。
手が染まるのを気にかけず、ジークヴァルトが音もなく立ち上がり、一歩、また一歩と距離を詰めてくる……。
(……閣下?)
無言で近づいてくるジークヴァルトの威圧感に、エレオノーラは思わず一歩、後ずさる。 戦場を支配してきた彼が放つ覇気は、か弱い令嬢が耐えられるものではない。けれど、彼はエレオノーラが壁に背をつく寸前で足を止め、インクに汚れたその手で、彼女の細い肩を「みしり」と音を立てるほどの力で掴んだ。
「……本気で言っているのか?」
その声は、先ほどまでの「公爵閣下」のものではなかった。 低く、掠れ、どこか獣の唸りにも似た、一兵卒から成り上がった男の剥き出しの「地」の声。
「泥をすすり、死線を越え……ようやくあんたをこの腕に収める権利を掴み取ったんだ。それを今さら『返上する』なんて……俺が許すとでも思ったのか……ッ!」
「ひっ……」
あまりの剣幕に喉が鳴る。けれど、エレオノーラが見たのは怒りではなかった。 彼女を凝視するジークヴァルトの瞳は、まるで今すぐ命が尽きる人間のような、絶望的な拒絶に濡れていたのだ。
「行かせない。絶対にだ。……もしあんたが修道院へ行くというなら、俺は今すぐこの国を焼き払って、あんたを閉じ込めるだけの国を新しく作る」
「閣下、何を……そんな、冗談を」
「冗談に見えるか? ……お願いだ、エレオノーラ。俺からあんたを奪わないでくれ。俺を、ただの『人殺しの道具』に戻さないでくれ……!」
次の瞬間、視界が真っ暗になった。 衝撃。鉄のような硬さと、熱。 ジークヴァルトが、折れんばかりの勢いで彼女を抱きしめていた。肩に埋められた彼の顔から、震える吐息が漏れる。
(ああ、なんてこと……)
エレオノーラは、震える彼の手の感触に、深い後悔を覚えた。
(閣下はこんなにも、傷ついている。不名誉な私を救った責任感から、私を失うことを「失敗」だと感じて、ご自分を責めておいでなのね。……私としたことが、なんて残酷なことを申し上げてしまったのかしら)
「……分かりました、ジークヴァルト様。どうか、そんなに震えないで」
彼女は、彼の黒く汚れた背中にそっと手を回し、優しく撫でた。 その瞬間、ジークヴァルトが「手に入れた」とばかりに暗い悦びに瞳を細めたことなど、露ほども知らずに。
3. 激情の初夜
「……そう言うなら、俺を受け入れてくれるか?」
「え……?」
抱きしめられていたエレオノーラの体をソファに押し倒す。
何が起こったのか理解できずにいる間に、ジークヴァルトの顔が近づき唇に温かい感触が触れた。
(え……キス……?)
舌で唇をつつかれ、反射的に口を開くとぬるりと熱い舌が入り込んできた。
大きな手が後頭部を包みこんでいて、逃げることを許さない。
「……ぁ、んっ」
口の中を蹂躙されて、エレオノーラは息も絶え絶えになった。
「か、閣下……っ、ここは、執務室、ですわ……」
押し倒されたソファの上、エレオノーラの視界は、自分を閉じ込めるジークヴァルトの広い肩と、激情に濡れた銀色の髪でいっぱいになった。
鉄血の英雄。戦場では一太刀で百を屠ると恐れられた男の指先が、今はエレオノーラのブラウスのボタンを、壊してしまいそうなほど震えながら解いている。
「お断り、だ……。辞退なんて、死んでも言わせない……」
絞り出すような声は、命令ではなく、祈りのようだった。
エレオノーラの首筋に顔を埋め、彼は獣のように彼女の香りを吸い込む。熱い吐息が肌を焼き、軍服の硬い質感がドレス越しに彼女を圧迫した。
「本命がどうとか、そんなものは存在しない……! 俺は、あんた以外に触れることさえ吐き気がするんだ。あんたが俺を捨てると言うなら、俺は今ここで、あんたに泥を塗ってでも逃げられないようにしてやる……!」
彼の唇が、彼女の鎖骨に「所有印」を刻むように強く押し当てられる。
エレオノーラは、彼から放たれる圧倒的な執着の熱量に、頭が真っ白になった。
(ああ、この方は……なんて、なんて孤独で、痛々しいのかしら。私を抱くことで、その心の穴が埋まるというのなら――)
慈愛という名の致命的な勘違いを抱えたまま、エレオノーラは震える彼の手を、そっと自らの腰へと導いた。
エレオノーラの手が重ねられたジークヴァルトの手は微かに震えていた。
恐る恐る彼女の身体を隠しているコルセットを緩め、外していく。
ドレスも下着も剥ぎ取られ、柔らかな白い肢体が白日の元に曝される。
「ああ、なんて綺麗なんだ……」
(は、恥ずかしいわ……)
うっとりとした声がジークヴァルトの口から漏れる。熱の篭った眼差しに耐えきれず、エレオノーラは顔を背けた。
ジークヴァルトは宝物に触れるような手つきで確かめるようにエレオノーラの身体に触れていく。
首筋から徐々に下がっていく手がくすぐったくてエレオノーラは僅かに身悶えた。
「――逃さない」
逃げようとしていると思ったのか、ジークヴァルトは低く呟くと、首筋に顔を近づけた。
「……痛っ……」
痛むほど、強く吸い上げられて首筋に赤い徴が刻まれた。
「……消えないようにしているんだ。明日、あんたが目覚めたとき、昨日のことは全て夢だったと言って逃げ出さないように」
エレオノーラのつぶやきにジークヴァルトは微かに笑いを含んだ声で言った。
その言葉通りに、自分の所有の徴を刻むようにエレオノーラの身体中に唇を寄せていった。
「……これは、夢じゃない。あんたがここにいて、俺の手の中で震えている。……俺がこの手で奪い取った現実だ」
(彼が口づけるたびに、まるで祈りを捧げられているような錯覚を覚える。けれど、その腕の力は私を砕いてしまいそうなほどに強く、荒々しいわ)
優しい声音と荒々しい手の力にエレオノーラは不思議な気持ちを感じていた。
まるで神に祈りを捧げるような信仰にも似た何かが注ぎ込まれているようだった。
肌の上にヒヤリとした感触を感じて、目をやると、先程折れたペンのインクがエレオノーラの身体に塗り拡げられていた。
(折れたペンから零れた黒いインクが、彼の指先から私の肌へと移り、白さを汚していく。まるで、彼の色に染め上げられていくかのように――)
白と黒のコントラストが陽の光に照らし出され、得も言われぬ背徳感を与えた。
黒い線はジークヴァルトの手とともに体の中心に向かっていく。
「……あっ……ん!」
誰も触れたことのない敏感な場所も黒で染め上げられようとしていた。
「――あんたの全てはこれで俺のものだ」
うっとりと呟いて胸の頂に唇を寄せ、長く太い指は熱い中を蹂躙する。
これまで感じたことのない鋭い感覚にエレオノーラの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「泣かないでくれ。これから、気持ち良くしてやる」
頬に流れる涙を舌ですくい取り、熱い浅い息が耳朶をくすぐった。
余裕を失っていく男の背に縋り付くように腕を回す。
大きな手がエレオノーラの足にかかり、ジークヴァルトの身体が密着する。
少しの隙間も許さないようにぴったり重なり合った。
「……もうこれで、すべて俺のものだ……!」
浅く繰り返される息の合間に低く刻みつけるような台詞が耳を打つ。
エレオノーラはその言葉の記憶を最後に意識が白一色に染まるのだった。
◇◇◇
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