ミモザと真実
第9話『ミモザと真実』
「どん亀!なんでお前がいるんだよ!」
多恵は新門蓮子の声など耳に入らない。
スコップで掘り起こした根は、やはり傷んでいた。
過剰施肥で土壌も悪化している。
「この木は、もう寿命を過ぎています。
でも、あなたの想いを受けて、根を張って、花を咲かせていた。
──木って、すごいですよね」
多恵の頬を、大粒の涙が伝わった。
幹をそっと撫でながらつぶやく。
「『もういい?もういいよね』って……私には、聞こえます」
「あぁ……ご、ごめんなさい。その下に……私の赤ちゃんが」
思いもよらない告白に、視線が一斉に沢村へと向かう。
落ち着いた声で蓮子が促した。
「詳しく、話してください」
警察官も、誰も言葉を挟めない。
その沈黙の中で、沢村は乱れた呼吸を整え、ゆっくりと話し出す。
「私と夫はお見合いで、子供ができませんでした。
夫とは一歳違い。
夫の母は、妊娠力アップに食事をおろそかにするなと、すべて用意してくれました。
私が三十九歳になり、もう無理だと諦めた母は、息子に別の嫁はどうかと持ちかけていました」
幸子も静かに聞いている。
「夫の仕事が軌道にのり、忙しくなると、母もぷっつり来なくなった。
そんな頃2か月間、海外出張が決まり、夫が庭師を雇ってきたんです。
”腕がいい人をみつけたよ。裏門のスペースに離れを作って、そこに住んでもらう”
そしていたずらっ子ぽく、
”俺より13歳も年上だから、浮気の心配もない”と私の手を握り、
”泥棒除けの番犬になるだろ!安心して待ってておくれ”と、
夫の予想は見事に外れ、私は恋に落ちました」
(その子供ってことか......)
幸子は小さくつぶやく。
「こいつ......」
***
庭師は五十三歳。物静かで、真面目だった。
彼の手が入ると、庭は不思議なほどやわらいだ空気に包まれた。
「奥さん、野イチゴがありましたよ」
「えっ、食べられるの? おいしい……」
スギナのお茶は香ばしく、青じそが庭にあることにも驚いた。
優しい眼差しに触れるたび、庭に興味のなかった私も、
いつの間にか植物の名を覚えていった。
***
「夫の帰国が延びた時は、なんだか、ホッとしました。
彼との時間は心地よかった」
***
夜ベッドで横になっていると、小さくカチャっと、何かが割れる音がした。
(何?……窓でも閉め忘れたかしら)
気になり確かめに行くと、暗闇の中に帽子を深くかぶった男が立っていた。
「キャー! だ、だれか──助けて!」
「静かにしろ、金を出せ!」
「たすけてー!」
悲鳴に庭師が駆けつけた。
男は“ちぇっ”と舌打ちし、逃げていった。
「ケガはないですか!」
しゃがみこんだ私をかばうように抱きかかえ、
「怖かったね、もう大丈夫ですよ」
ごつごつした手で背をなでてくれた。
逃げた男の方へ目を向けると、吹き込む風に白い雪が舞った。
「花弁雪か……。どうりで冷えてきたわけだ。さあ、おやすみください」
その体は暖かかった。
恐怖と安堵が入り交ざり、忘れていた私の中の熱きものが溢れ、
唇をそっと重ねていた。
***
「朝露の美しさも、あの人が教えてくれました」
***
あの人は何度も、『旦那様が戻られたら、私はすぐに辞めます』と。
私はただ聞いていた。いや、聞いている”ふり”をしていただけ。
幸せすぎて、その先にある苦しみを想像できなかった。
***
「白いアナベル──彼が私に植えてくれた花です」
「『ひたむきな愛』ですね」
多恵が、そっとつぶやく。
蓮子が軽く咳払いをして、続きを促した。
「夫が帰国し、翌日、庭師は去りました。
忙しい夫は家にいない事も多く、私はただ庭で佇んでいました。
(消えかけた残像を追うように)
そんなある日、突然の腹痛に襲われました。
生ぬるいものが脚を伝っていき、見れば──血でした。
産婦人科で言われました。『流産です』と
……私、子供ができたんです」
沢村が笑った。
そしてその顔は、醜く歪んだ。
「性別もない小さな塊は、なぜか男の子だと思いました。
私は、その子を埋めました」
新門と柳は目で合図した。
(ちょっと待ってよ……変でしょ、これ)
幸子はそのとき、初めて沢村を“ちゃんと”見た。
虚空にしがみついてる──この人、現実にいないんじゃないか。
***
上風が木々を大きく揺らし、枯れ葉が私に当る。
まるで夫の怒りが、風になって私を責めているようだ。
***
「自分の行いに恐怖しながらも、 夫にばれないよう、その上にミモザを植えたんです。
木の成長は、息子の成長と重なり、私の生きがいとなりました」
幸子は家の前を通るたび、心の奥がチックとした。
それを”嫉妬”だと知っている。
今はそんな自分を蹴飛ばしてやりたい。
多恵は沢村の執着を理解した。
その念は、重かっただろう。
(あなたは優しいね)とミモザをなでた。
***
本当は、こう聞いていたのかもしれない。
──“あなたの気持ちは?”
***
沢村劇場が幕を下ろした時、幸子は言い切った。
「あんた大馬鹿だね!
誰だって、受け入れて、前に進むしかないんだよ」
つづく




