如月 乃愛
ピピピ、ピピピ
「ん……そろそろ起きなきゃなきゃ」
寝る前まで読んでいた本を棚に戻して、朝ごはんの準備を始める。今日の献立はベーコンエッグとパンというシンプルなもの。
フライパンで焼くと、ベーコン特有の良い匂いがパチパチという心地良い音と共に漂ってくる。
「あっ出しすぎちゃった」
私は目玉焼きにマヨネーズをかける派。でもうっかりベーコンにまでかかっちゃった。これは、よろしくない。
慎重にフォークで掬い取って卵に塗り直す。
「これでよし。いただきまーす」
少し品が無いけど卵は一口で。家だし許されるはず。
口の中で黄身が割れて広がっていく。ボーッとはしてられない。今こそパンが1番美味しい時! 黄身を飲み込む前にパンにかぶりつく。
「ごちそうさまでした。あー美味しかった」
スズメがさえずる穏やかな土曜日の朝。ついついノンビリ日向ぼっこでもしたくなる……けども。
「やば、もうこんな時間!」
私は朝の準備を済ませて急いで食器を洗うとカバンを持って玄関を出た。
そう、私の大学は土曜日にも授業をする非人道的教育施設だから。
「ふー、間に合った間に合った」
授業2分前になんとか到着。こういう時は大学に近い一人暮らしのありがたみが身に染みるね。
ささっと周りを見渡して、目立ちすぎなくて授業が分かりにくいほど後ろでもない良い感じの席を確保する。
ふー、今回も成功。座ってスマホを眺めている間に授業が始まった。
「〜というわけです。それでは今から簡単な課題を配ります。少し難しいので、周りの人と意見を交換しながら講義時間が終わるまでやってみてください」
ま、まさかのグループワーク! 土曜授業と並んで私を苦しめる要素が立て続けにやってきて苦しめてくる。
ま、まぁ今の私は友達もいるいわゆる陽キャだし? 普通に話しかけてグループに入れば、入れば……。と思ったけど何をすれば良いか分からないよぉ。
そうしている間にも周りの学生達はさっと友達同士でグループを作って、今までの授業を1人で受けていた子は上手い事周りに声をかけて輪に入っていった。裏切り者〜!
気づけば私1人……じゃない。左前の方にお仲間さんが1人残っているのを見つけた。
真っ白な髪と、無機質な澄んだ青い目。背は私より高い。まさにモデルさんのような人。映画の主演を務めてても私は驚かない。
確か私といくつか授業が被っていたはず。なんで私がわざわざ覚えているかというと、学部内の同年生ではちょっとした有名人だから。
最初の頃はその美貌とクールさに惹かれた、男女問わず色んな人達に話しかけられていたけど全員彼女のそっけない態度に気圧されて、今では私のようなエセ孤高じゃない本物の孤高の存在になっていた。
特に印象に残っているのは言語の最初の授業。授業終わりにイケメンの数人グループが彼女に話しかけていた時の事。
「ねぇ――ちゃんって、いっつも1人で授業受けてるじゃん」
「えぇ。そうですけど何か?」
「そんな悲しい事してたら落単しちゃうよ? この授業は必修科目なんだし俺たちで助け合おうよ。実はこの授業って毎年同じ問題出すって聞いたんだけど、先輩に答えくれるって人がいるんだけど……」
「結構です。私そういうの好きじゃないので」
それだけ言うと、それまで彼らの顔も見ずにノートに何かを書き込んでいたなんちゃらさん(名前なんだっけ)は席を立ってさっさと帰って行ったという事件があった。
それ以降に同じ授業で誰かが彼女に話しかけているのは見ていない。
というか会話はビックリしたから覚えてるけど、名前なんだっけなぁ。人の名前覚えるの苦手なんだよねぇ。
ともかく彼女の正直なイメージは怖い人。やっぱり1人で頑張ろうかな、と思ったけども。
その時彼女は少しだけ周りを見回した。なんかその目に見覚えあるなぁ。そう、よく鏡で見かけるような……。
そんな事を考えているうちに彼女の目は普段の感情があまり読めない状態に戻ったけども。
「ね、ねぇ。もし良かったら、その、課題を一緒に、やりませんか?」
あー! 気づいたらうっかり声かけちゃった!
その子はギロッとこっちを振り向く。や、やっぱり怖い人だー!
この後きっと体育館裏に呼び出されてお金取られちゃうんだー! 今日の所持金は少なめ……よし! いや、よしじゃない!
「良いわよ」
「す、すみませ……え?」
少し間があいて、予想外の返事が返ってきた。
「良いって言ったんだけど。なんで謝るの? あとタメ口でいいよ」
「ううんなんでもないで……よ。ありがとう。難しい問題は私にまかせて!」
私も伊達に今まで授業を1人で乗り切ってきたわけじゃ無いんだから。そう思って課題をみる。
……めっちゃ難しいやん。周りを見ると他のグループもみんな困っているみたい。
「この問題はこうやって解くのよ。少しプリント貸して」
そういうとその子はサラサラっと計算式を私のプリントに書いていく。
おぉ、すっごく分かりやすい。
「ありがとう。頭良いんだね、えっと……」
「そう? ありがと。私の名前覚えてないの? 如月よ。如月 乃愛」
「ご、ごめん。如月さんすごく賢くてビックリしちゃった。私は山本優香。よろしくね」
「乃愛でいいわよ。よろしく」
やらかしちゃったー!!! 名前くらい覚えておけば……そう思ったけど、如月さんの口角は少し上がっているような気がした。
幸い1問目がすごく難しかったものの、その後の問題は私でもギリギリわかる問題がいくつかあったから分担して解いていったら時間内になんとか間に合った。
流石に頼りきりにはなりたくなかったし良かった。ま、難しいやつは全部如月さんがやってくれたんだけどね。
「えー、皆さんの点数を見せてもらいましたが……1グループを除いて、ほとんどのグループは満足できない点数です。このままでは単位は取れても良い成績は上げられませんよ。では、本日の授業は以上とします」
先生は嬉しくなさそうだけど、単位さえ貰えれば成績なんて特に大事じゃないから大半の生徒はむしろ満足して出て行った。
「ありがとう乃愛ちゃん」
「気にしないで優香さん。おかげで私も時間内に間に合ったわ。それじゃあまた」
そう言うと如月さんは足早に颯爽と教室を出ていっちゃった。頼りきりになっちゃったけど、それじゃあまたって言ってくれたし嫌われてはいないって事で良いのかな。
今日の授業が終わった私はいつものように部室に来ていた。家にいるより楽しいから最近はここに入り浸る事が多くなってきた気がする。入学前はこんな大学生活を送るなんて想像もつかなかったなぁ。
「優香ちゃん、そのカバンに付けとる物はなんなん?」
「これ? チュパカブラのぬいぐるみだよぉ。最近見つけたから買っちゃった~。可愛いでしょ」
「う、うん。山本さんが良いなら良いんじゃないかしら」
「でしょ! 在庫はまだまだあるはずだし、高橋さんも今度買いに行く?」
「いや~私は遠慮しておこうかな……」
先日の仕事でお金が入った私達は再びダラダラする生活に戻っていた。
いや、高橋さんは超常課で任務以外の通常の仕事も手伝ったりしているらしいからダラダラしてるのは私と明里の2人だけか。
「うんまぁ~!」
まぁ流石にソファに寝転がってチョコ食べてる明里ちゃんほどグータラじゃ無いけど……。
「ちょっと明里、ソファの上ではこぼすと良くないからお皿使いなさいって言ったでしょ。ほらこれ」
「ごめ~ん。ありがともみじ」
今はちょうど春の一番ポカポカしている頃。こうしていると段々眠くなってくる。
「あ、そういえば1つ気になってたんだった」
「ん? 優香ちゃんどうしたの?」
「あの、超常存在……だっけ? ああいうのって扉から私達の世界に出てくるんでしょ? ならなんで周りの景色が変わる事があるの? ほら、お屋敷みたいな」
「その説明はこの明里様に任せぇ!」
急に元気になった明里ちゃんは、そう言うと部屋の奥からホワイトボードを出してきた。
「あれ? そんな物部室にあったっけ?」
「こんな事もあろうかと買ってきといたんよ〜。何かと便利かな思うて」
「本題に戻るで。周りの景色が変わるのは基本的に2パターンあるねん! まず1つ目は扉からあいつらが出てきたばかりの時。向こうの世界とあちらの世界が干渉しあうからって言われとるよ」
「あのトンネルの時みたいな感じだね」
「そうそう。2つ目はそういう能力を持っている場合やね。公園で出会ったのはこちらのパターン。お話にお屋敷が含まれていたから作り出す能力を持ってたんやと思うで。私達はどっちも中間世界って呼んどるよ。まぁ実際は結構な割合で奴らはこの能力持ってるから基本中間世界に巻き込まれると思ってええかな」
そう口頭で説明すると明里ちゃんは真っ白なままのホワイトボードを戻していった。
「え? そのボードはなんの為に出してきたの?」
「さっきねー、気づいちゃった訳ですよ……マーカー買うん忘れた!!!」
「えぇ……それなら今からみんなで買いに行く? もうみんな授業終わったわよね?」
「さんせー!」
「うん。私も時間あるし行きたいかな」
「ありがとうございましたー。またのご利用をお待ちしてます」
「なんだかんだ結構色々と買っちゃったわね」
「100円ショップってそういう魔力あるよね。結局他の店よりお金使っちゃう」
「それなー。前なんか8000円も使っちゃったで」
「それは逆にそんなに買いたい物あるのがすごいわね……」
「私自身でも良くわからん。店に入った時から記憶がなくて気づいたら会計を済ませたところやってん。ってヤバ! 今日家族で夜ごはん食べに行くの忘れてた! 駅までダッシュしないと予約に間に合わん! バイバイ!」
それだけ言うと明里ちゃんは手だけ振って走って行った。
「あら、もうこんな時間。私もちょっと事務作業するために超常課に戻らなきゃ。急にごめんね、山本さん。また今度ご飯でも行きましょ」
「うん。私も楽しみにしてるね。お仕事頑張って」
「ありがと。じゃあまた明日」
高橋さんも帰って行って私は1人取り残されちゃった。せっかく街の方まで出てきたし1人外食……はまだ少しハードルが高いからスーパーに寄って帰ろうかな。
今日の予定は生姜焼き。理由は豚肉が家に余ってるから。玉ねぎをかごに入れている間も、妄想の生姜の匂いが漂ってくる。油分の多いジューシーな豚肉を甘くなるまで料理したシャキシャキの玉ねぎと食べると……。
「やばい、お腹空いてきた。ご飯炊くの待てないしパックご飯にしよ」
レジに着いた頃には惣菜コーナーで目に入ったアジフライも増えていた。やっぱりお腹が空いている時にスーパーに来るのは良くないね。分かってても買うけど。
そういえば私が初めて料理を手伝った時も、献立は生姜焼きだったなぁ。あれは、小学校の頃かぁ。
仲良くなった子が家に泊まる事になって、良いところ見せるために一緒に作ったんだっけ。まぁ9割はお母さんが完成させたんだけど。
懐かしい記憶を思い出しながら、暖房の効いたスーパーから出ると冷たい風が体に当たった。
「さ、さむ! もうすぐ5月なのに流石にこの気温はおかしくない?」
独り言を言いながら歩いているうちに、ある事に気がついた。全然人の声が聞こえない。ここは繁華街もある駅前。こんな静かな事なんてあり得ない。
恐る恐るお守りを取り出す。うっすら光っている。
私は前に高橋さんに教えてもらった事を思い出した。
「いい? 大事な事だからちゃんと守ってね。もしもお守りが壊れるような事があれば……」
私のお守りが膨張し始める。
「絶対に相手にしちゃダメよ」
そこまで思い出した時、ゴルフボール大にもなったそれは、目の前で弾けた。