聖女は魔術師とおとぎ話の夢を見る~ひいおばあちゃんとの約束、果たします!~
その昔聖女様がいて、勇者に魔法を与えました。
聖女様は勇者と共に魔王を倒しに行き、見事魔王を封印しました。
その代償に、聖女様は異世界へと送られてしまいました。
それは、ひいおばあちゃんから聞いたおとぎ話。
聖女様は後悔してないの?
だって、家族にも友達にも会えないんだよ?
そう、ひいおばあちゃんに尋ねたら、笑って肩をすくめた。
「そうねえ。後悔はどうかしら?」
「なんで魔王を封印するのに、聖女様は異世界に飛ばされちゃうの? ひどくない?」
「等価交換と言えばいいかしらねえ。魔王を異世界に封印するために、代償が必要だったのよ」
「おかしいよ、絶対! その魔王を倒したら、聖女様は元の世界に戻れるの?」
私が言うと、ひいおばあちゃんは声を上げて笑った。
「ははは、そうねえ。魔王を倒せたら、代償を支払う必要なんてなかっただろうからねえ。もしかしたら戻れたかもしれないわね」
「じゃあ、私が魔王を倒す!」
そう宣言した私に対して、ひいおばあちゃんはやっぱり笑いながら言った。
「莉央、ありがとう、楽しみにしているわね」
そう言って、ひいおばあちゃんは、私の真っ黒の髪を撫でた。
今思えば、ありがとう、ってなんだか変だよね。
だって、あれはおとぎ話だよね?
おとぎ話は本当にあった話ではない……はずよね?
子供の頃の私は、現実と幻想の区別が余りついていなくて、だから魔王を倒すだなんて荒唐無稽なことを言ったのだろうと思う。
でも、成長すれば、そんなの無理だ、ってことくらいわかる。
魔王なんていないし、異世界になんて行けるわけもない。
魔法なんてないもの。
なのに。
なんでひいおばあちゃんは、ありがとう、だなんて言ったんだろう?
おかしいと思うけれど、もう、それを確認する手立てはない。
私が大学に入学してすぐ。
ひいおばあちゃんは死んだ。
それはそうだろう。九十を越えれば亡くなるのは仕方ない。
だから、悲しみとか、喪失感、というのは不思議となかった。
親戚たちも悲しさはそこまでなかったらしく、食事会では笑顔で話していたっけ。
「おばあちゃんは不思議な人だった」
と、親戚たちは皆、一様に言う。
確かに不思議な人だった。
ちょっと外国人ぽい顔つき。
でも名前は遊佐紀子っていう、普通の名前だったけど。
ひいおばあちゃんは物が飛んできてもひょい、と避けるし、怪我もしない人だった。
「戦後の混乱期で、いろいろ間違えちゃったのよ」
とかなんとか変なこと言っていたっけ。
「でも後悔はないの。ここで素敵な人に出会えたし、貴方たちにも会えた。私の人生はとても幸せだった」
ひいおばあちゃんはそう言って、本当に幸せそうな顔をして永遠の眠りについた。
ひいおばあちゃんが語ったおとぎ話。
その話はおばあちゃんも、お母さんも、いとこたちも耳にしていた。
ひいおばあちゃんが入院する前に私にくれたペンダント。
十字に蔦が絡まり、そこに翼が生えたモチーフのごついペンダントは、私が今身に着けている。
「魔王を封印するのに必要だから」
ひいおばあちゃんはそう言って、笑いながらそのペンダントを私にくれた。
どういう意味なんだろう。
結局何にもわからないままひいおばあちゃんは死んでしまった。
ひいおばあちゃんは何者だったんだろう?
「おばあちゃん、魔法使いみたい」
いとこがそんな事言っていたっけ。
魔法なんてない。
そんなものはない。
そのはずなのに、私は運命に絡め取られてしまう。
葬式も何もかも終わり、私は大学のある町に戻った。
地元を離れる時、お母さんはなぜか泣いていた。
何で泣いていたんだろう?
さようなら。
そう言ってお母さんと別れた。
夕暮れの町を歩き、アパートへと向かう。
「何だったんだろうなぁ」
そう呟き、私は荷物が入ったスーツケースを引きずりながら通りを歩く。
別れ際の、お母さんの顔が脳裏にこびりついて離れない。
お母さん、ちょっと不思議な人、ではあったのよね。先のことがわかるというか。
ちょっとした未来を見通すようなことを言うことがあった。
芸能人の結婚とか、グループの解散を言い当てたりあった。だからなんだか不安な気持ちがぬぐえない。
私に何か起きるのかなぁ。
うーん……
首を傾げてもなんにもわからない。
静かな町を、私はがたがたと荷物を引きずり歩いていた。
――って、あれ?
私はふと立ち止まり、辺りを見回す。
「あれ、静かすぎない?」
そう呟き、私は耳に神経を集中させる。
いつもは聞こえるはずの車の走る音や、踏切の音が聞こえない。
なんだか妙に静かだ。誰も通らないだけならまだしも、車すら見かけないなんておかしくない?
目を見開き私は辺りを何度も見回す。けれど何も変化は見られない。何が起きているの、これ……
何だか怖くなって、ぎゅっと、拳を握りしめた。
その時だった。
私が立つコンクリートの歩道が光り出す。
「え、あ……な、何?」
光は徐々に大きくなりそして、私を包み込む。
「え? あ、え?」
恐怖に身体がすくみ動けない。
眩しい光が収束したとき、私は知らない場所にいた。
私は辺りを見回し、何が起きたのか把握しようと試みる。
薄暗い部屋。
床には見たことのない紋様が描かれている。丸い……魔法陣みたいだ。漫画とかアニメみたい。
足音がこちらに近づいてくるのに気が付いて、私ははっとしてそちらを見た。
誰だろう?
暗くてよくわからない。
『光りよ』
という、男の人の声が響いたかと思うと、天井に光の玉が浮いた。
おかげで辺りの光景がよく見えるし、そこに立つ男性の姿もはっきりと見えた。
短い銀色の紙。すっと細い、紅い瞳。端正な顔立ちの男性だった。
RPGのゲームにでてくるような、藍色の長いローブを着ている。
まるで魔術師だ。
彼は私をじっと見つめて言った。
「君が……聖女?」
今なんて言いました?
言われた言葉を頭の中で繰り返す。
聖女……って何でしたっけ。
あれ、おばあちゃんが言っていなかった?
聖女と勇者が魔王を倒してって話。あれ、ちがう。封印したんだ。
「聖女は魔王を封印して……異界へと送られてしまった……?」
そう呟くと、青年ははっとしたような顔になりこちらへと小走りに近づいてきた。
私は思わず半歩さがり、目を見開いて彼を見つめる。
驚きの顔をした青年は、嬉しそうな顔になり言った。
「そう、その通りです。聖女は異界へと消えてしまいました。ペンダントを持ったまま。そして僕は、今日聖女を異界から連れ戻したんです」
ちょっと何言ってるのかわからないんですけど?
でも気になる言葉がある。
聖女、ペンダント、異界……
子供の頃にひいおばあちゃんから聞いたおとぎ話。
私が託された、ひいおばあちゃんのペンダント。
十字架にツタが絡まったそのペンダントに気がついた青年は、それに目を向ける。
「そのペンダント。それが、魔王の封印に必要なのです」
「ちょっと待って? じゃあ……ひいおばあちゃんの話は本当だったってこと?」
ペンダントを握り声を上げると、青年は小さく首を傾げる。
「ひいおばあちゃん……」
「そうよ! 私のひいおばあちゃん。今の話、子供の頃にひいおばあちゃんから聞いたおとぎ話にそっくりなの。でもそれって、あの話が本当だったことでしょう?」
声を上げる私に、青年は頷き言った。
「たぶん、そうなのだと思います。その、ひいおばあ様は……」
「死んだわ。九十を超えていたし。私、そのお葬式の帰りだったの」
私が答えると、青年は目をすっと細めて言った。
「あぁ、そうでしたか。だから貴方が、聖女を受け継ぐ形になったのですね」
その言葉に、私ははっとして目を見開いた。
*
青年に連れられて、私は別室に通された。
そこは、応接室みたいでテーブルを挟んで紺色のソファーが置かれている。
荷物をソファーの横に置き、私はソファーに腰かける。
そこに、メイド服を来た女性がやってきて、お茶の入ったカップをテーブルに置いた。
それに、お菓子がのったお皿も添えられる。
「あ、ありがとうございます」
金髪のメイドさんに恐縮しつつ頭を下げると、彼女は微笑み頭を下げた。
「では失礼いたします」
彼女が去り、私はカップを手に取る。
これ、紅茶、かな。芳醇な香りがする。
「申し遅れました、僕はアレクシス=フォン=バルクシスと申します」
青年はそう言い、微笑む。
「あ、えーと、私は……桜葉莉央、です」
カップを置き、私は戸惑いつつ頭を下げた。
アレクシス……おもいきり外国語の名前。
「この国で魔術師をしております。それで、最近我々はあることに気がついたのです」
と言い、アレクシスさんは深刻そうな顔になる。
「あることって……?」
「今から数十年前、魔王が勇者と聖女によって封印されました。今、魔王城は観光名所となっています」
それを聞いて、私は心の中でずっこけた。
「か、か、か、観光名所? 魔王のお城が?」
声を上げる私に、アレクシスさんは真顔で頷く。
「えぇ。人類を恐怖に陥れた魔王が住んでいた城ですからね。観光収入、すごいんですよ。毎年何十万人も訪れる観光資源です」
すごい、人類すごい。
魔王の城を観光名所にするなんて図太すぎませんかね。
思わず苦笑を浮かべてしまう。
アレクシスさんはカップを持ち、それを口に着けたあと話を続けた。
「その魔王城周辺で、ここ一週間ほど異変が起こり始めているのです。魔王が封印されたことにより姿を消したはずのモンスターが、姿を現すようになりました」
「モンスター……?」
ますますゲームみたいな話になってきた。
「えぇ。最初はゴブリンやオークと言った下級のモンスターでしたが、オーガといった大型のモンスターの姿が見られるようになり、危機感を覚えた我々は調査をし、結果、魔王の封印の力が弱まっていることが判明しました」
一週間……魔王の封印の力が弱まった……
「あ……」
私がいた世界と時間の進み方がいっしょなら、たぶんその頃って、ひいおばあちゃんが死んだ頃じゃあ……
私が何に気がついたのかを察したのか、アレクシスは頷き言った。
「聖女が……あなたのひいおばあ様が亡くなったのが理由でしょう。そして僕は、魔王を封印するのに必要なペンダントを持つ聖女を、異界から呼び戻す秘術を行ったのです」
「そ、それで呼び出されたのが……私?」
「えぇ。貴方が、新しい聖女、ということです」
そんな事言われて、はいそうですか、とはならなかった。
ひいおばあちゃんが話していたおとぎ話は本当で、魔王はいるし、勇者も聖女もいたなんて。しかもモンスターもいるって……
ちょっと心はときめく。
でも、それはゲームの中だったら、だ。でもこれ、現実でしょ?
「それってつまり、私がその魔王を封印しに行かないといけないってこと、ですか?」
おそるおそる尋ねると、青年は申し訳なさそうに目を細めて頷いた。
「はい、その通りです。あの、危険はないです。ないはずです。封印の力が弱まりモンスターが現れるようになりましたが、魔王城周辺だけですし、すぐに魔術師や騎士たちが討伐していますから」
そうは言われましても……
私の心は不安でいっぱいだ。だって、何したらいいのか何もわからないんだもの。
「あの、その魔王の封印を放っておいたら……」
「たくさんの人が死にます」
きっぱりと言い、彼は私をまっすぐに見つめる。
ですよね。そう思った。
そうなると選択の余地はない。
私はネックレスの飾りをぎゅっと握る。
昔、私はひいおばあちゃんと約束した。
『じゃあ、私が魔王を倒す!』
って。
まさかあれが現実に怒ろうとするなんて思いもよらなかった。
「倒すのは無理、なんですか?」
その問いかけにアレクシスは肩をすくめた。
「どうでしょうか。勇者たちは倒すことができず、封印にとどめたとも言いますから」
ということは、倒すことはできないってこと?
そうなると私はひいおばあちゃんとの約束、果たせないか……
それはそうよね。ひいおばあちゃんができなかったこと、私ができるわけない。
そう思うと私は思わず下を俯いてしまう。
「莉央さん」
「はい」
「勝手なお願いだとは思いますが、力を貸していただけますか?」
「あ……」
まっすぐに見つめる紅い瞳。
その目に見つめられると、なんだか心がざわつく。
「私は……その……」
どう答えたらいいかわからない。だって、あまりにも突飛すぎるから。
アレクシスさんは微笑み、首を振って言った。
「急にこんな話を聞いても受け入れがたいですよね。また明日、ご説明いたします。お部屋へご案内いたしますので少しお休みください。お食事の時にまたお呼びいたします」
「あ、はい、わかりました」
その申し出は、正直ありがたかった。
現実を受け入れる時間が少し必要だから。
*
廊下を歩き部屋へと案内される中、私は窓の外へと視線を向けた。
ここは高台にあるみたいで、街並みがよく見える。明らかに日本のそれとはちがう風景だ。
その向こうに海が見える。
そして廊下。どこかの大きなお屋敷っていうかんじで、紅いじゅうたんがしかれ、天井が高い。
本当に、ファンタジーのゲームみたいだ。扉も普通の木の扉じゃなくて、飾りが彫られているし。
貴族のお屋敷とかかな。
「こちらのお部屋をお使いください」
メイドさんに案内された部屋は、とても広かった。
何畳くらいあるだろう。
テーブルにソファー、風景画が飾られた壁に、暖炉。奥には天蓋のついたベッドが置かれている。しかも大きい。ダブルベッドかな。
「こちらにクローゼットがございます。浴室はこちらでトイレはこちらです」
と、室内の説明をしてくれる。
「お洋服ですが、夜までにはご用意いたします」
と言い、メイドさんは去っていった。
私はキャリーバッグを部屋の隅に置き、窓の向こうを見つめた。
たぶん夕暮れ前、なのかな。
少し、空がオレンジ色に染まってきている。
ここ、異世界なのよね。なのに、空の色、一緒なんだ。
ここ、ひいおばあちゃんが生まれたところなのかな。
不思議なおばあちゃんだったけど、世界を救うために自分を犠牲にしたんだ。
かっこいいけど切ないな。
頭の中に、おとぎ話を話していた時の、ひいおばあちゃんの顔が思い浮かぶ。
ひいおばあちゃんが話したこと、本当だったんだ。
そして私がひいおばあちゃんの役目を引き継いだ。
まさかそんなことになるなんて……
もしかしてお母さんが泣いていたのはこれが理由?
そう思うと、背筋が寒くなる。
「お母さん……」
呟いて、ぎゅっとこぶしを握りしめる。
私、帰れるのかな。それとも、ひいおばあちゃんみたいに帰れなくなるのかな……
せっかく大学入れたのにな。
帰れなくなったらどうしよう。
そう思うと心が痛くなってくる。
異世界転移ってもっとわくわくするものかと思ってたけど、現実って厳しいな。
事故で死んだわけでもないし、召喚された訳だし。
勇者様! みたいに言われたわけでもないし、淡々としてて、なんか盛り上がりもない。
そういうもんか。
私はひいおばあちゃんの話を思い出す。
勇者と聖女の物語。
勇者は国の王子だったと言っていたっけ。
「勇者のこと好きだったの?」
て、私が聞いたらひいおばあちゃんは笑ってたな。
「勇者はどうしたんだろう」
そう呟き、私は首を傾げた。
聖女がいたなら勇者もいたはずよね。そして同じように子孫が……いるとは限らないか。
どうなんだろうな。
あとでアレクシスさんに詳しく聞いてみよう。
日が暮れてきたころ、メイドさんが服をたくさん持ってきてくれた。
ワンピースに幅広のズボン、ブラウス。それにドロワーズや下着など。
「サイズが合えば良いのですが……」
と、遠慮がちに言われたけれど、まあたぶんだいじかだろう。
目の前のメイドさんは私とあまり体型が変わらないと思うし。
「ありがとう」
礼を伝えると、彼女はほっとしたように微笑んだ。
「聖女様、お食事のご用意ができておりますので、ご案内いたしますね」
なんて言われ、私は目を丸くした。
「せ、せ、せ……」
「聖女様……ですよね……?」
私の反応を見て、メイドさんは自信なく言う。
そうかもしれないけれど、いざ、そう呼ばれるとむずむずしてしまうのよ。
私は目をぐるぐると回したあと、
「り、莉央と呼んでください……!」
と、裏返る声で言った。
「莉央様ですね、かしこまりました」
様づけもむず痒いけどそれは仕方ないか。
私はメイドさんの案内で、食堂へと向かった。
*
案内されたのは、広いひろい食堂だった。
アニメでしか見たことないような、長いテーブル。
赤い椅子に、暖炉や絵画が飾られている。
ゆらゆらと揺れる、シャンデリアの灯り。
ここがどこなのかわからないけど、すごくお金持ちのお屋敷なんだろうなぁ……
アレクシスさんはすでに席に腰掛けていた。
長いテーブルの隅の方に。
彼は椅子から立ち上がると、向かい側を手で示して言った。
「莉央さん、こちらにお掛けください」
「はい」
椅子に近づくと、メイドさんが椅子を引いてくれる。
「ありがとうございます」
礼をつげ、私は椅子に腰掛けた。
すると、料理が運ばれてくる。
コース料理みたいで、前菜にスープと続く。
用意された飲み物はワイングラスに入っていて、私はおそるおそる、中身について尋ねた。
「あぁ、ワインですよ」
「てことはお酒……」
「そうです」
その答えに私は首を振り、飲めないことを伝えた。
だって私、十八だもの。
「ああ、そうなんですね。ではお茶を用意させます」
よかった、気がついて。
料理を食べながら、私は疑問に思っていることを尋ねた。
「あの……聖女がいるなら勇者もいたわけですよね? 勇者はどうなったんですか?」
すると、アレクシスさんはフォークを置き、こちらをじっと見つめて言った。
「勇者は……僕の祖父でした」
「祖父?」
待てよ?
私はひいおばあちゃんなのに、祖父……?
「祖父は、聖女を呼び戻すために手を尽くしたそうです。それでなかなか結婚しなかったと。けれどどうやっても聖女は呼び戻せなかった。だから婚期が遅れたと聞いています」
あぁそうか。
勇者は聖女が好きだったのね。だから諦めず、結婚しないで呼び戻そうとした。でも、できなかったんだ。
「だから、同じ方法で貴方を呼び寄せることができて驚きました。そうなるとなぜ、今まで聖女を呼び戻す事ができなかったのかと」
「代償……だからじゃないですかね。ひいおばあちゃん、言ってたから。魔王を封じるのに代償が必要だった。それでひいおばあちゃんは異界に送られたって」
おばあちゃんはその事を後悔していなかったみたいだけど。
「なるほど……だから呼び戻せなかったと……」
「そういうことだと思います」
勇者は諦めなかったのか……ロマンチックに感じるけど哀しい話でもあるわよね。
「アレクシスさん、その、魔王の城ってどこにあるんですか?」
「ここから汽車で移動して、二日ほどですね。観光地なので、移動にはさほど時間はかからないです。道も整備されてますし」
だから何なのよ、魔王城を観光地にしちゃうその発想。
心の中のもうひとりの私が横転してるわよ。
「人気、なんですね」
苦笑浮かべて言うと、アレクシスさんは頷く。
「はい、とても大事な観光資源ですよ。魔王の城の地下でとれる鉱石で作ったネックレスが、御守としてとても人気です」
商魂たくましいわね、ほんと。
その話だけだとほんと、危険を感じないなあ。
「魔王の椅子に座れますし、封印の間にも入って見学ができます」
……ほんと、私の想像の斜め上すぎてどう反応したらいいかわからないのよ。
「封印の間に近づけるんですか?」
「ええ、危険はないですからね」
と、笑顔で言われる。
まあ、封印されてるものね。
「我々でも封印をとくことは不可能なのです。だから誰かが封印を解く心配もありません」
「そ……そうなんですね」
だから誰でも近づき放題なのか。
驚きしたかない。
「そこに行って、私は封印をし直せばいいんですか?」
「はい、それだけでいいはずです」
「封じたら私……帰れますか?」
すると、空気がピーン、と張り詰めた。
私はアレクシスさんの顔をじっと見る。
この沈黙が全てを物語っている。帰れる保証、ないんだろうな……
それはそうよね、ひいおばあちゃんは帰れなかったんだもの。
あー……私の人生、どうなるんだろう。
虚無の心になっていると、アレクシスさんがふかく頭を下げた。
「申し訳ないです。必ず貴方を元の世界に帰す、とお約束できなくて。勝手に呼び出して、魔王を封じろと言われても困惑するだけだと思います。僕には、そうするしか方法がなかったのです。そのペンダントは、魔王の力を封じるために神から与えられた特別な物。だからどうしても、そのペンダントとその力を扱える聖女が必要だったんです」
苦しげな声で、アレクシスさんが言う。
そんな話されると、胸が苦しくなるなぁ。それはアレクシスさんも一緒なのか。
にしても、こういう時って、お願いだから魔王封じて、とか必死に頼むものかと思ったけど違うのね。
まさか謝られるとは思わなかった。
そして、こんな態度でこられて断れるほど私、ず太くもないのよ。
私は手に持つフォークをぎゅっと握る。
手の中には汗が溜まっていて、緊張しているのがわかった。
放っておくわけにはいかないよね。ここはひいおばあちゃんが生まれて育った世界。
おとぎ話ではすごくきれいで、かつてはドラゴンもいたとか言っていたっけ。
でもその世界が今、危ないんだ。
私はすっと息を吸い、決意を込めて告げた。
「わかりました……あの、私、やります」
出た声は震えていて、上ずっている。
あぁ、いっちゃった。もう後戻りはできないわね。
すると、アレクシスさんはばっと顔をあげて驚きの顔をみせる。
「本当に……?」
「はい……私、子供の頃ひいおばあちゃんと約束したんです。『魔王を倒す』って。だから……倒すのは無理かもだけど、お手伝いができるなら、やります」
どうせ帰れないのならやれることやるわよ。
じゃなくちゃ、私が召喚された意味、無くなるもの。
アレクシスさんはまた頭を下げ、
「ありがとうございます」
と、震える声で言った。
*
二日後。
私は与えられたこの国の服を身に包んだ。
キャリーバッグに服は入っているんだけど、せっかく異世界に来たんだから、この国の服を着ないともったいないよね。
季節はいつ位なんだろう。窓の外に見える風景からすると、春っぽい気がする。木々の葉は緑だし、暑くも寒くもないから。
渡された服も薄手の長袖ばかりだったから、暑くはないんだと思う。
カーキ色のワイドパンツに、黒いブラウス。それに若草色のロングベストを着る。
靴は履きなれたスニーカーだ。
昨日一日、私はこの国についてアレクシスさんに質問攻めをした。
「汽車があるってことは、電気も通ってるの?」
「はい。水力と風力、火力発電があります」
「てことは車とかあるの?」
「車……ですか? なくはないですが……」
などなど。
聞いた感じ、十九世紀末の日本みたいな感じの科学技術があるっぽい。
移動の中心は汽車で、路面電車も走っているとか。
馬車はあるけど、近距離移動でしか使わないそうだ。
「モンスターがいるってことは、エルフとかドワーフとかいるんですか?」
目を輝かせてアレクシスさんに尋ねると彼は戸惑った様子で頷く。
「えぇ、まあ……この国にはいませんが」
「そうなんだ……残念」
見たかったな……エルフやドワーフ。
スン……としていると、アレクシスさんが遠慮がちに言った。
「あの……もし、もし可能であれば、お連れしますよ。エルフやドワーフに会える場所に。まあ、もしかしたら魔王の城にいるかもしれませんが。あそこは色んな国から色んな人が集まりますから」
「本当ですか?」
ばっと顔を上げて言うと、アレクシスさんは目を瞬かせて、ひきぎみに頷く。
「え……えぇ。あの、貴方の国にはいないのですか? エルフたちは」
その問いに私は首を横に振る。
「いないです。だから見たいんです。せっかく異世界に来たんだし、色々みたいなって」
「あぁ、そうなんですね。わかりました。魔王の封印のあと、よろしければお連れしますよ」
「よろしくお願いします」
私が頭を下げると、アレクシスさんは不思議そうな顔になる。
「あの、元の世界にすぐ、帰りたいとは思わないんですか?」
そう言われると、私は複雑な気持ちになる。
帰りたい。でもせっかく来たんだから、この状況は楽しみたいとも思う。
だって異世界転移だよ? きっともう二度と体験できないんだもの。
私は首を振り答えた。
「思わなくはないですよ。そりゃあ。でも……一度しかない人生だし、せっかく呼び出してくれたんだから色々と見たいなって」
と言い笑うと、アレクシスさんは微笑んで胸に手を当てる。
「すみません。正直泣いて叫んだりするものかと思っていたので。そう言っていただけてその……嬉しいです。僕のいる国に興味を持っていただけて」
「あはは、まあ、色々と思うところあるけど、ここ、ひいおばあちゃんがいた世界なんですよね。ここで生まれて育ったわけだし、私にとっては縁のある世界だから」
だからそんなにショックはないのかもしれない。
知らないけど、知っている場所なんだもの。
おとぎ話の世界が現実にあるって思うとなんかかっこいいし。
そして私は、アレクシスさんと一緒に旅に出た。
着替えを詰めたキャリーバッグを持って、お屋敷を出て汽車の出る駅へと馬車で向かう。
馬車の客車はなんだか豪華だった。
丸くて茶色の壁面に、銀色の装飾が施されている。
お屋敷の外観も、思っていたよりも広くて大きい。
「アレクシスさんて何者なんですか?」
「宮廷魔術師ですよ」
事もなげに言い、私に手を差し出してくる。
その手を取り、私は馬車に乗り込んだ。
そうなるとやっぱり貴族なのかな。
しかもけっこうえらい感じの貴族なんだろうな。
馬車の中でも色々と話をし、あっという間に駅へと着く。
そこから半日汽車に乗り、一度町で泊まって、また汽車に乗って三時間ほどで、山中にある魔王の城に着くらしい。
「当時の国王が、何を考えたのか魔王の城を観光地に変えたんですよ。そうしたらウケてしまって。モンスターの脅威もないためか、だんだん魔王の城の周りに人が増え町ができ、道も線路も整備されました」
何度聞いてもすごい話。
「反対されなかったんですか、それ?」
「もちろん激しい反対があったらしいです。あんな場所を観光地なんて何を考えているんだと。でも、魔王の脅威も去ったわけだし、いつまでも恐れていてはいけないと言い出して。魔王が封印されている地下ですら観光地にしてしまいました」
「あ、地下があるんですね」
魔王の城に地下。そしてそこに封じられている魔王。本当にゲームの世界ね。ちょっとわくわくする。
「えぇ。異変が起きた今は、地下を閉鎖しています。まあ、それでも魔王の椅子に座れますし、魔王の城すみずみをみて周れますから、人気は変わらないかと思います」
「何か特別な物、他にあるんですか?」
「そうですね。地下の牢屋とか。拷問部屋とか」
言いながら、アレクシスさんは首を傾げる。
「なぜか人気あるんですよ、牢屋体験。何がいいのかわかりませんが」
それを聞いて私は苦笑を浮かべた。
牢屋に入って閉じ込められる体験ができるのかしら。
正直入ってみたい気持ちはわかる。それって今が平和だからよね。じゃなくちゃそんなところに入りたいなんて思わないだろうし。
「それだけ皆、平和を楽しんでいるんでしょうね」
「あぁ、そういう事なのでしょうね。自分が牢に入る側に回ることはそうそうないでしょうし」
非日常が体験できるから、人気あるんだろうな、
あれかな、某埋立地にあるテーマパークみたいなやつ。それなら納得だわ。
しかも本物の魔王が住んでいた城でしょ?
雰囲気ありそうだもんね。
アレクシスさんと旅に出て二日目。
魔王の城がある山中にたどり着いた。
それは汽車を降りてすぐに見えた。
大きくそびえたつ、黒い城。
大きな三つの塔に、高い塀。まがまがしい空気を放つその城が、山の中にでーんと建っている。
すごい、見ているだけで威圧感感じる。
なのに……あれは今、観光地ですって?
きっと魔王も困惑しているだろうな。
*
アレクシスさんが手配してくれた宿に荷物を置き、私たちはそのまま魔王の城に向かった。
時刻は午後の二時位だろうか。
山の中のせいか、ちょっと肌寒いのでアレクシスさんがマントを貸してくれた。
「ありがとうございます。けっこう気温、違うんですね」
「えぇ。だいぶ標高が高いですからね」
当たり前なことなのに、全然考えてなかったな。
借りたマントには何かの紋章が描かれているけどなんの紋章だろう。
このペンダントに似ている気がするけど。
そのマントを羽織って、私たちは魔王の城を目指す。
アレクシスさんが言う通り、観光客と思しき人たちがとても多かった。
観光収入がすごい、って本当なんだな。
大通りにならぶ商店からは呼び込みの声が響く。
「魔王城焼き、いかがですかー!」
なにそれ、人形焼かなにか?
「魔王の角飾り、緊急入荷いたしました!」
なにそれ? 緊急入荷するほど人気なの?
驚いて辺りを見回すと、土産物屋と思われるお店に人が集まっている。
あれは……角の飾りがついたカチューシャかな。よくテーマパークにある耳のついたやつの角バージョン。
なんだか皆楽しそう。
歩いていて気がついたけど、土産物屋や食べ歩きできるお店がすごく多い。
ほんと、観光地なのね。
金髪や明るい茶髪、赤い髪に黒髪。色んな髪の色の人がいる。
エルフやドワーフがいないかとドキドキして見回したものの、発見することができなかった。
ちょっとしゅん、としてしまう。
歩いて行くと、どんどん魔王の城が近づいてきて、その大きさが体感できた。
学校の校舎よみたいに大きな建物だ。
魔王の城は大きなお堀に囲まれていて、高い塀にも囲まれている。
お堀を渡るための石橋には、入城待ちの人々がたくさん並んでいた。
入る人も多いけれど、出てくる人も多い。
「お城はとても広いので、周るとかなり時間を要します。中にはレストランもありますし、土産物屋もあります」
「本当に観光のお城なんですね」
もうおもしろすぎるのよ、その事実だ。
「えぇ、そうですね。城の中に洞窟があって、ゴンドラにも乗れます。一日遊べますよ」
私が来たのは魔王の城ではなくて、テーマパークじゃないだろうか。
ちょっと不安になってくる。
「あの、魔王の事って……」
「そのことは、僕と一部の魔術師しか知りません。なので……多くの人々は何が起きているのかもわかっていないはずです」
あぁ、そうなのね。だから皆楽しそうに城を目指しているんだ。
順番に受付を済ませる中、私たちの番になると受付の人の表情が一気に変わる。
「あ、アレクシス様」
「ただいま」
ただいま?
不思議に思いつつ、私は様子を伺うと、受付の人は頭を下げた。
「お帰りなさいませ、館長。わざわざ列に並ばなくても……」
「あはは、そうだけど。たまには並んでみるのもいいかなと思って」
「え、アレクシスさん、館長なんですか?」
驚き私が尋ねると、彼は恥ずかしげに頷く。
「えぇ。名前ばかりですけど。とりあえず奥へと案内しますよ」
「わかりました」
館長ならそう教えてくれたらいいのに。
隠していたわけじゃないのかもだけど、アレクシスさん、なんか不思議な人だな。
私はアレクシスさんと一緒に城の奥へと進む。
中は順路があるけど、彼はそれを無視して廊下を歩き階段を下りていく。
にしても広い。
天井も高いし、廊下も広いし。
人も多い。
どれくらい深く下りただろう。
立ち入り禁止、と書かれた大きな扉が目の前に現れた。
そこの前には警備と思われる騎士の姿とローブをまとった魔術師の姿があった。
彼らはアレクシスさんの姿を見ると、ばっと姿勢を正す。
「異常はない?」
「はい、中に異常はありませんが……」
ふたりは表情を曇らせ、視線を合わせる。これはなにか起きているって事かな。
騎士の方がこちらに近づき、声を潜めて言った。
「近隣で、大型のモンスターの出現が増えてきております。このままでは人や家畜に被害が出るのも時間の問題かと……見回りを強化してはおりますが」
それを聞いたアレクシスさんの表情が険しいものになる。
その様子をみて私はペンダントに手を当てた。
これは……けっこうまずいのかもしれない。
大丈夫かな、私。
心臓が痛くなってくる。
なんにもわかんないけど、私にできるかな、封印。
ひいおばあちゃん、助けて。
小さく震える身体。
そんな私の肩に触れる手がある。
温かくて大きな手が。
「大丈夫ですか?」
「あ……」
目を見開いて、私はアレクシスさんの顔を見る。
心配げにこちらを見る紅い瞳。
私がこんなんじゃあ、不安になるよね……
「だい、じょうぶ、です」
出た声は震えていて、説得力の欠片もないだろう。
「今日は帰りますか?」
と問いかけてくる。
そう言われて少し心が揺れる。
でも……このままだと被害が出るかもってさっき言っていたし。
私はぎゅっと、ペンダントを握る手に力を込める。
「大丈夫ですから」
と、さっきよりもはりのある声で答える。
でもアレクシスさんの顔から心配の色は消えなかった。
「あの……」
戸惑った様子の声が響く。
騎士と魔術師からしたら、何が起きているのかわかんないわよね。
「……中の様子を見ます」
「え、あ……はい」
アレクシスさんは、私の肩に手を置いたまま言い、魔術師さんが戸惑った様子で扉の前に立つ。
そして何やら唱えると、がちっという音が響いた。
きっと魔法の鍵なんだろうな。
騎士さんが扉の持ち手に手をかけて、ゆっくりとそれを開いた。
「参りましょうか」
アレクシスさんの声に、私は小さく頷きゆっくりと前へと進んだ。
*
中はとてもとても広い、洞窟の中みたいだった。
石の壁に、体育館みたいに天井がすごく高い。
そして、正面には丸く青い光を放つ巨大な穴。
縦横五メートルといった感じだろうか。
異様な、でも巨大な魔力を感じる。
って、何でわかるんだろう、そんな事。
「あれが、魔王が封じられている封印の光です」
「あれが……」
ひいおばあちゃんが、自分の存在をかけて封じたもの。
そう思うとなんかだ不思議な気持ちだった。
よく見ると、その光がない、暗い部分があるのがわかる。まるで太陽の黒点みたいな。
あれが封印のほころび、なのかな。
「だいぶほころびが増えているようです。このままだとモンスターが増え、魔王が封印を破るのも時間の問題かと思います」
その時だった。
光が縦にさけた。
……裂けた?
大きな黒い手が光りを裂き、こちらに出てこようとしているのが見える。
「まさか……封印を破ろうとしている?」
アレクシスさんの驚きの声が聞こえたかと思うと、彼はざっと、私の前に立った。
私をかばうかのように。
「アレクシス……さん?」
「このままだと危ない。下がってください」
「え、でも、私じゃないと封印、できないんですよね?」
「えぇ、そのはずですが……でもそうも言っていられなくなってきました。魔王が、封印を破って出てこようとしています」
見ると、光の裂け目が徐々に大きくなってきている。
これはまずい、と私でもわかった。
どうしたらいいの? このペンダント、封印に必要なのよね。でもどうしたら……
ペンダントを見るけど、何の反応もない。
何をしたらいいのかわからないまま戸惑っていると、にょきっと手が裂け目からでてきた。
手が、私たちの方を向いたかと思うと、大きな黒い光の玉がこちらへととんでくるのが見えた。
それに気がついたらしいアレクシスさんが、手を前にかざす。
「アレクシスさん!」
私は声を上げ、彼へと手を伸ばした。その時だった。
青白い光が私たちを包みこんだかとおもうと、バチッ! と何かが弾ける音が響いた。
「あ……」
どうやら光の膜が攻撃を弾いたらしい。
私、何したんだろう? いや、何かしたの? アレクシスさんの背中に、手が触れただけだと思うんだけど……
胸元をみると、ペンダントが光を放ってる。
何これ……何が起きてるの?
「あぁ……そういう事なんですね」
アレクシスさんが自分の手のひらを見つめ、私の方を見る。
「どうやら貴方は、魔力を増幅させることができるらしい」
「え、あ……え?」
「もしかしたら今の魔王なら、貴方の力を借りて倒せるかもしれませんよ」
真面目な顔で彼は言い、魔王の方へと再び視線を戻した。
よくわかんないけど、とりあえず私が触るとアレクシスさんの魔力が強くなるって事なのね。
ひいおばあちゃん、力かしてね。私、約束果たすんだから。
私はアレクシスさんの背中に触れる。
「あれが出てくる前に倒せるんですか?」
「えぇ。たぶん、ですけど……」
そしてアレクシスさんは手を魔王が出ようとしている光の裂け目に手を向ける。
裂け目は徐々に大きくなり、そこから何かが顔を出そうとしているのが見えた。
黒い顔に、四つの紫色の瞳。
頭に生えた黒い角。
何あれ……あれが魔王の顔?
怖くてアレクシスさんに触れている手が震えてしまう。
でもそれは私だけじゃないみたいだった。
アレクシスさんの背中も、震えている気がした。
そうだよね。私だけが怖いわけないんだ。
そう思って私はぐっと、地面を踏みしめる。
「莉央さん……怖いかもしれませんが力を貸してください」
「わかってます。ふたりで魔王、倒しましょう!」
そう、力強く答えると彼は振り返ってふっと微笑んだ。
「あと少し……」
そう、アレクシスさんが呟くのが聞こえる。
「あと少し身体が出てくれば……」
そう言った時、また、黒い光がこちらへととんできた。
すると再び光の膜が私たちを包み、攻撃を弾く。
怖い。
当たらないとわかっていてもすごく怖い。
『グオォォォォォォォォ!』
という、大地が裂けるんじゃないかと思うほど、低い彷徨が響き渡った。
何これ、足がすくみ、身体が勝手に震えだす。
でも……ここで逃げるわけにはいかないのよ。
私たちの運命だってかかってるんだから。
光の裂け目から、魔王の巨大な上半身が姿を現した。
その時だった。
『イム・ソル・リベラ!』
力あるアレクシスさんの声が辺りに響き渡った。
ブオオ! と風が巻き起こり、危うく私も飛ばされそうになってしまう。
アレクシスさんから放たれた巨大な青い光の塊が、魔王めがけて飛んでいく。
すごい魔力。
これ私たちの力なの?
そう思うと、これなら倒せるかも、という想いとこんな力怖いという思いが同時に生まれて背中に冷たい汗が流れていく。
『グアアアアアア……!』
バチッ! という音と魔王の雄叫びが大きく響く。
「アレクシス様……?!」
背中から騎士さんの叫び声が聞こえる。
「来るな!」
アレクシスさんが叫び、私は思わずぴくり、と震えた。
こんな威圧的な声出すんだ。
「扉を閉めて、外にいろ! 誰も近付けるな!」
「え、あ、わ、わかりました!」
震える声が聞こえたかと思うと、扉が閉まる音が続く。
手が、身体が震える。
だってまだ、魔王の魔力を感じるから。
怖いな……でも、やるしかないのよね。
私のもつペンダントが強く光ってる。
恐るおそる魔王を見ると、身体から白い煙をあげているようだった。
もう一発、攻撃すればいけるかも?
*
なんだかペンダントが重くて熱い。
「アレクさん、私の力を全部使ってください」
何がなんだかわからないけど、それで何とかなる気がする。
魔王がゆっくりとこちらを向くのが見えた。
怖い。足も身体も震えてる。
だけどここで逃げたらやばいよね。
たくさんの人が死ぬかもしれないんだもの。
お城の前にいたたくさんの人たち。あの人たちが死ぬとか、考えただけでも怖くなる。
「莉央さん……?」
ぶわっと、私の身体をペンダントから発せられた光が包み込み、その光が私の手を通じてアレクシスさんへと入っていく。
するとアレクシスさんの身体が青い光が包み、大きくなっていった。
「あ……」
アレクシスさんの銀色の髪が逆立つ。
そして、力ある言葉が響き渡った。
『リュミエールセラフィム!』
すると、アレクシスさんの目の前に魔法陣が現れ、そこから大きな翼をもつ光の天使が現れる。
その天使は手に剣を持っているみたいで、まっすぐに魔王へと向かっていった。
「まさか……僕によびだせるなんて……」
呆然としたアレクシスさんの声。
光の天使は剣を振るい、魔王が迎え討つ。
何が起きてるのかがわからないまま、私はそのままバタリ、と倒れてしまった。
「莉央さん?!」
誰かが私を抱きとめる。
「莉央さん」
必死な声が私の名前を呼ぶ。
うーん、とりあえず疲れたから寝かせてよ。
私はそのまま、彼の腕の中で目を閉じた。
夢を見た。
目の前に立ちはだかる、黒い大きな人。魔王だ。そして、その魔王はこちらへと魔法を放つ。
私も魔法を唱えて、攻撃を防いだ。
『ありがとう、キコ!』
『エルサイス、来るわ!』
私の口が勝手に動く。
あぁこれは、過去の記憶なんだろな。
エルサイスって、アレクシスさんに名前、似てるし。
ふたりは魔王と戦いを繰り広げる。
互いに消耗しあい、魔王にも疲れが見えてきた。
その時、ペンダントが強く光を放った。
『その光は……!』
魔王が叫ぶ。
『リュミエールセラフィム!』
叫びと共に、光の天使が現れ、魔王へと向かっていった。
そして抵抗する魔王を、天使が包み込み、そして後にはあの青白い光を放つ封印が現れた。
どうやら魔王を封じられたらしい。
その時だった。
『何……?』
『キコ……?』
ペンダントの光が聖女を包み込む。違う、飲み込まれる。どんどん身体が透けていき、存在があやふやになっていく。
勇者が聖女に手を伸ばす。そして聖女も彼に向けて思い切り手を伸ばした。
けれど、指先が触れるか触れないか、のところでふっと世界が消えてしまった。
そこから聖女は知らない場所に放り出された。
魔王を封じた力の代償は、自分の存在。
そう気が付いた聖女はどれだけショックを受けただろうか。
でも……ひいおばあちゃんは笑ってたな。
『だって、ここにきたからあなた達に会えたんだもの』
いつの間にか、私は真っ白な場所にいて、目の前には若い、明るい茶色の髪の女性が立っていた。
アレクシスさんが着ているようなローブをまとった女性。
「のりこ……おばあ……ちゃん?」
紀子とかいて、のりこと読む。けれどひいおばあちゃん、ほんとうなキコって名前だったのね。紀子って読み方ふたつあるもんね。
だから紀子なのか。
彼女は微笑んでこちらを見つめる。
『最初は確かにショックだった。何もかもが違う世界で、しかも戦争のあとであの世界はとても混乱してて。だけどそのおかげで私はあの世界で生きていけたのよね。戸籍も手に入れて、結婚もできて。あなた達に会えた。だから私は幸せだった』
本当に幸せそうな笑顔でのりこおばあちゃんはこちらを見てる。
『でも、その因果があなたの運命に影響を与えてしまったわね。ごめんなさい、莉央』
と、今度は悲しげな顔になる。
まあ確かにそうか……
のりこおばあちゃんが死んで、封印が解かれようとして私が呼ばれてしまったから。
まあでも。
「私、のりこおばあちゃんとの約束、果たせたよ」
子供の頃の他愛のない、きっと果たせることが来るはずなかった約束を私は果たしたんだ。
そう思うと、ちょっと誇らしい。
するとのりこおばあちゃんは、驚いた顔の後、安心したような顔になり、
『そうね、ありがとう、莉央』
と言い、胸に手を当てた。
「まあ、帰れないかもしれないけど、色々この世界見たいし。だって、のりこおばあちゃんがいた世界なんでしょ? ここだってきっと楽しいよ」
そう笑って答えると、のりこおばあちゃんは微笑み頷いた。
*
ゆっくりと目が開き、知らない天井が目に入る。
って、あれ?
何だろうここ。
視線を動かして、それが天井じゃなくって、ベッドについている天蓋だと気が付く。
まるでおとぎ話の中のような、天蓋つきの大きなベッド。
室内は夕焼け色に染まっている。
「莉央さん」
聞きなれない男の人の声に、私はびくっとして目を見開く。
すると、私の顔を紅い瞳の青年が覗き込んできた。
心配げに目を潤ませて。
あ……アレクシスさんだ。
あぁ、そうだ。私……魔王を倒す手伝いをしてそれで……気絶、したんだった。
「よかった……二日、寝たままでしたので心配いたしました」
ほっとした様な顔になり彼は言い私の手をそっと握る。
二日も眠っていたなんて……
握られた手が温かい。私はゆっくりとその手を握り返した。
「あの……魔王は」
「消えました。あのあと大騒ぎですよ」
といい、アレクシスさんは苦笑する。
あぁ、そうなんだ。本当に倒せたんだ。
「貴方のお陰です。ありがとうございました」
「え……あ……」
面と向かってお礼を言われると正直恥ずかしい。
「いいえ、あの……アレクさんの力があったからですよ」
掠れた声で答えると、アレクシスさんは首を横に振る。
「いいえ……貴方が僕に魔力を与えてくれたからです。ただ……」
そこで言葉を切り、彼は苦しげな顔になる。
「ペンダントが……神から与えられたペンダントが壊れてしまいました」
「え……」
言われて私は、開いている手で首に触れる。
そこにあったはずの鎖がない。本当に消えてしまったのね。
「……きっと、役目を終えたから壊れたんですよ」
「そう、ですね」
そう言って、アレクシスさんは微笑んだ。
「そのあと、封印の間は……」
「あぁ、今度は封印の紋章の代わりに魔王が封じられていた巨大な空洞が現れまして。虚無がひろがる巨大な穴です。こんどはそれが、観光名所になるかと思います」
あぁ、そうなんだ。
「その穴、危なくないんですか?」
「たぶん、大丈夫だと思います。危険な力は感じませんし。人が近づける高さでもないです。試しに近づこうとすると弾かれてしまいます」
なんだよかった……のかな。
「なんだか、世界を救ったにしてはあっさりしていますね」
「そう、ですね。多くの人々は日常を過ごしていました。あの場所で何があったのか知っているのは僕らと、ごく一部の従業員だけです」
私たちは、色んな人の日常を守ったって事かな。
それが一番か。英雄としてたたえられたいわけじゃないし。
私は、ひいおばあちゃんとの約束、果たせたのだからそれで充分だ。
「あの、アレクさん」
「はい、何でしょうか」
「そうしたら、この国……ううん、この世界のいろんなところを見てみたい。アレクさんは聖女がどこで生まれて育ったのか、ご存知ですか?」
私の言葉に、彼はちょっと驚いたような顔になる。
「え、えぇ。はい。知っていますよ。でも、いいのですか? 帰らなくて」
「大丈夫……だと思います。わかんないけど。私はひいおばあちゃんがいた世界のこと、もっと知りたいんです」
そう答えて、私は、アレクシスさんの手を握る手に力を込めた。
それから一週間ほどが過ぎた。
世界は何もわからず、今日も魔王の城はたくさんの観光客を受け入れている。
「殿下、本気ですか?」
旅行鞄を手に城を出る私たちを、呆れた目で見つめる男性。
三十前後と思われる、金髪のその人は、アレクさんの秘書官らしい。
「あぁ、僕は本気だよ」
そう答えてアレクさんは微笑む。
……今、殿下って言った? 宮廷魔術師で、この城の館長で、王子って肩書多すぎません?
あぁ、そういえば勇者は王子だったって、ひいおばあちゃん言っていたっけ……忘れてた。
「アレクシス殿下。貴方は第二王子なのですよ。そんな人物が連れもなく、国外へと旅に出るなんて」
「大丈夫だよ。僕は自分の身も、他人の身も守れるから。それに」
と言い、彼は私の方を見る。とても柔らかな笑みを浮かべて。
「彼女も一緒だしね」
「いや、あの、私何もできないですよ?」
言いながら私はぶんぶん、と首を横に振る。
ペンダントを失ってしまった私に何か力があるようには思えないんだけど?
するとアレクさんは私の目の前に立ち、私の肩にそっと、手を置いて言った。
「大丈夫ですよ、莉央さん。貴方は自分の力に自覚がないようですが、僕にはわかります。貴方には強い魔力があると」
「え、あ、そう、なんですか?」
言いながら思い出す。
ペンダントなんて持ってないお母さんが、未来を予知するようなことできた事実を。
そして……私と別れる時泣いていたことを。
もしかしてお母さん、こうなることを予知していたのかな。
そうなると私……帰れない、の、かなー……
……やめよう。だって、まだ帰れるか試していないしまだ、試そうとも思わないもの。
「そう、ですね。じゃあ、アレクさん、私に教えてください。魔術のこと」
そう笑顔で見つめて言うと、彼は大きく頷いて答える。
「えぇ、もちろんです」
「殿下……わかりました。では、せめて連れを……戦士をひとり連れて行ってください。この城に何人もいますから。お願いです」
そう懇願する秘書官。
アレクシスさんは彼の方を振り返り、ぼそっと呟く。
「せっかくふたりきりで旅できると思ったのに」
と。
ん? 今なんておっしゃいました?
不思議に思いつつ、私はアレクさんの顔をじっと見つめる。
その視線に気がついたらしいアレクさんは、こちらを向いて肩をすくめた。
「どうしましょうか。僕としてはふたりきりがいいんですけど」
「んー……あの、危険はないんですよね。モンスターはいませんし」
「えぇ。危険なのは人間の方ですね。強盗とかいますから」
「ですから護衛をつけてほしいと申しております」
秘書官が強めの口調で言い、半歩、前に出る。
正直危険さがピンとこない私は、どうしたものかとふたりの様子をうかがった。
するとアレクさんは私の腕をそっと掴み、
「行きましょうか」
と、笑顔で言う。
「殿下!」
そう声を上げる秘書官を無視して、私たちは荷物を持って歩き出した。
「あの、いいんですか? 護衛、つけなくて」
「そうですね。モンスターの脅威はありませんし、危険なことはそうそう起きませんよ。だって、ここに来る多くの観光客は護衛なんてつけていませんから」
それは確かにそうね。
でも他の国もこんなふうに安全なのかしら?
「とりあえず、聖女の故郷へ行きましょう、莉央」
「はい、わかりました」
そして私たちは、人ごみをかき分けて駅へと向かっていった。
終