2-4:獣人の将軍との邂逅
草原の夜は思ったよりも静かだった。燃え残った枝葉が時おりぱち、と音を立てる。風は柔らかく、戦いの気配はすでに遠い幻のように感じられる。だが、そう感じていたのは“人間側”だけだった。
「……敗けたな」
黒い毛皮を風になびかせ、巨体を草むらに伏せながら、ひとりの男――いや、獣人が呟いた。彼の名はヴォルフガング。魔族軍に属する獣人族の将であり、今回の進軍の最前線に立っていた。鋼のような筋肉と、鉄をも砕く戦斧を持つ、生粋の“戦士”である。
「火計……まさか、あんな原始的な手で、俺たちを混乱させるとはな」
斧の柄で地面を軽く突く。まだ熱が残る土が、負けたことの現実を突きつけてくる。獣人たちは戦を誇りとし、敗北は“屈辱”ではなく“学び”と捉える種族である。だがそれでも、今回の敗北はヴォルフガングにとって、妙に“こたえた”。
「なんだ、あの人間……。あの男、ただ者じゃない。策も、声も、兵の動かし方も……全部が、“戦の理”をわかっている」
撤退の途中、草原の小高い丘でちらりと目に入ったあの姿。炎の向こう、兵たちを先導し、風を読み、策を動かすあの小柄な黒髪の男――
「織田……信長、だったか」
ヴォルフガングはゴツゴツとした指先で、自分の毛深い顎を撫でた。ぴくりと耳が動く。背後から小さな音、風の裂ける気配。敵ではない。彼の副官である獣人兵が、慎重に草むらをかき分けて近づいてきた。
「将軍。部隊の再編が完了しました。追撃はありません。こちらの被害は……正直、甚大です」
「……わかってる」
ヴォルフガングは鼻で息を吐いた。ほんの少しだけ、火の匂いが残っていた。
「お前は……あの戦、どう見た?」
副官の若い獣人は、言葉を選びながら口を開いた。
「……人間とは思えぬほど、洗練されていました。命令系統、タイミング、兵の配置――まるで“経験で磨いた戦士の軍”でした」
「だよな」
「ですが、ひとつだけ理解できないことが……」
「なんだ?」
「……なぜ、兵たちがあれほどまでに“彼を信じて動いていたのか”が、腑に落ちませんでした」
「ああ、それか」
ヴォルフガングは、まるでそれを最初から理解していたかのように、淡々と返した。
「信じて動かせる将こそが、強い将だ。それは、力でも、恐怖でもなく、“理”と“本能”の両方を兼ね備えた者にしかできない。あの信長ってやつは……その二つを、両方持ってる」
「……まさか、将軍がそこまで認めるとは」
「勘違いするなよ?俺はあの人間を“称える”つもりはない。“認めた”んだ。あれは、次またぶつかるとき、真っ先に潰すべき相手だってことをな」
ヴォルフガングの目がぎらりと光る。戦士の本能が、同じ“匂い”を感じ取ったのだ。それは、尊敬と敵意が入り混じった、獣人にとっての“複雑な感情”だった。
その頃、戦勝の余韻に浸っていた信長は――というと。
「よし、火計も成功したことじゃし、これで焼き芋でも作るか」
「軍師様ぁああああ!!勝利の余韻って、そういう方向で使うんスか!?」
「いや、火があるのじゃ。使わぬのは勿体ないじゃろ?」
「うまいけど!正論だけども!」
「む、今よい香りがしたぞ……おい、誰か肉はないか、肉は。せっかくなら芋だけでなく、肉も焼こうぞ」
「軍師様、それは戦後のバーベキューでは……」
「ふむ。ならば異世界初“信長流・戦後宴”といこうか」
「勝手に命名したー!」
エリザ王女が遠巻きに見ながら、肩をすくめた。
「……さっきまで“軍神の如き采配”だった人が、今はただの食いしん坊なんですけど」
「まあ、兵たちは喜んでますし……いいんじゃないですかね、これで」
「良いのかしら……ほんとに」
軍の空気は、不思議なほどに和やかだった。恐怖ではなく、笑いと勝利が場を支配する。――これもまた、信長という男の“戦”の一部なのだろう。
そして、そんな笑い声が草原に響くなか、ヴォルフガングは遠くからその様子をじっと見つめていた。
「――次だ。次こそは、こっちが勝つ」
彼はその場に、戦斧を突き立てた。
地面が、ごつりと鳴った。
それは、獣人の将が下した“宣戦布告”であった。