2-3:エリザの招待
夕陽が草原を赤く染めていた。風に揺れる金色の穂が、まるで戦を終えた兵たちの息遣いのように、ゆらり、ゆらりと波打っている。
「……勝った、んですよね、これ」
「勝ったっスね。たぶん、いや確実に」
「えーと、俺たち、生きてる……よな?」
どこか呆けた声があちこちで漏れた。無理もない。つい一時間前には「死んだふりしてやり過ごすか」が現実的な選択肢に浮上していたような軍が、今や敵軍を撃退し、炎を制し、統率を取り戻し、堂々と“勝者”としてこの地に立っていたのだから。
その中央に立つ男――織田信長は、変わらぬ面構えで夕陽を背にして立っていた。血に濡れた鎧、煤けた裾、風に流れる黒髪。そして何より、異様に堂々とした立ち姿。
「……うむ、だいたい思った通りじゃな。火計は、よい。派手で、混乱を呼び、気分も上がる」
「いや、火計ってそんなエンタメ寄りな評価でいいんスか……?」
「戦は勢いじゃ。楽しむくらいで丁度よい。おぬしら、恐怖よりも“面白かった”という記憶の方が残るじゃろ?」
「いや、ちょっとだけ笑ってた自分がいたのは否定できませんけども」
そんなやりとりの最中、馬の蹄が小気味よく近づいてきた。草を踏み分け、現れたのは一騎の白馬。背に乗るのは、銀の鎧を纏った少女――エリザ王女その人であった。
「織田信長殿……」
信長はその声を聞くなり、くるりと振り返り、ぺこりと頭を下げた。
「おお、おぬしがエリザ王女か。見事な騎乗じゃな。なかなか腰が据わっとる」
「え、ええ……ありがとうございます?」
どうにも調子が狂う。戦場で指揮を取っていたときの彼は、風格と威厳に満ちていた。まるで千軍万馬の将。そのくせ今は、どうにもこうにも軽い。
「本日、貴殿の手腕により、我が軍は壊滅の危機を免れました。言葉では言い表せぬほどの感謝を……」
「よいよい、礼など無用じゃ。ワシが勝手に出しゃばっただけじゃからな」
「ですが、あの火計も、槍の配置も、伏兵も、すべて貴殿の采配で……」
「まあ、そうじゃが」
「素直!!」
周囲の兵士たちがずっこける勢いで息を呑んだ。だが信長は微笑を崩さず、手を広げて見せる。
「感謝するなら、この者たちにせよ。ワシがどれだけ策を練ろうと、それを“信じて動いた”のは彼らじゃ。おぬしの兵が立派じゃった」
その言葉に、兵たちは小さく息を呑み、そして誰ともなく「……軍師様……」とつぶやいた。
「軍師じゃないぞ。通りすがりの信長じゃ。勝手に役職を盛るでない」
「もう軍師でよくないっスか?」
「それな」
「公式にしよう、軍師信長、異世界編!」
「だ、だからその“異世界編”って何なんじゃ!」
エリザはやりとりを見て、口元に笑みを浮かべた。そして、馬からゆっくりと降り、鎧の音を鳴らして信長の前に歩み出る。
「信長殿。貴方に、正式にお願いがあります」
「ほう?」
「どうか、私の軍の“軍師”として、我が国のために、その才覚を貸していただけませんか」
ぴしりと空気が張りつめた。信長の周囲の兵士たちが、呼吸を止めて彼の返答を待っている。
だが当の本人は、まるで“今夜の献立を聞かれた”かのような軽い表情で顎をさすった。
「ふむ……軍師、とな。うむ、悪くはない。だが、ひとつだけ確認しておこうか」
「はい、何なりと」
信長は、ぐっと指を立て、にやりと笑った。
「ワシはな、“天下を取る”男じゃぞ?」
「……」
「そなたの国がそれを妨げるようなら、ワシは容赦なく敵に回るぞ?」
その物言いに、兵士たちが一瞬ぴりっとする。エリザもまた、ぐっと眉を寄せかけた――が。
「……“天下”というのは、この世界で言う“統一”のようなものかしら?」
「まあ、そんなところじゃな。すべてをまとめ、争いの芽を摘み、武を持って治める。簡単に言えば、“ワシの天下布武じゃ”」
「その志、悪くないわ。私は、争いを憎んでいます。でも、“力なき平和”には意味がないとも思ってる。あなたのような男が、“力を持った理”を掲げるのなら、私は歓迎します」
エリザはまっすぐに信長を見た。信長はその瞳に、かつて見た誰かの目を重ねていた。強く、正しく、けれど脆さも隠さない人間の目――
「……よいじゃろう。おぬしの軍師、受けて立とう」
その瞬間、草原に歓声が上がった。
「軍師就任だあああ!」
「正式に軍師!正真正銘の軍師様ッスよ!」
「やったあああああ!」
「っていうかこの流れ、完全に就職活動じゃな!」
「え、ええと、ようこそ、ようこそ信長殿!」
エリザがやや押され気味に笑う。その隣で、信長は誇らしげに、胸を張って言った。
「さあ、“天下布武”じゃ。異世界だろうが何だろうが、ワシはワシの道を進むぞ!」
その声が草原に響く。夕暮れは、燃え尽きる戦の跡をやさしく染めていた。