2-2:槍と火計
「殿下、退路は確保しました。軍の主力は南東の林へ再集結しております!」
「……ありがとう。みな、本当によく動いてくれたわ」
エリザ王女は馬上から軽く頷き、焦げたマントの裾を払った。彼女の軍勢は奇跡的に再編を果たし、窮地からの脱出に成功していた。退却というには整然としすぎた“後方移動”――いや、これは“再布陣”と呼ぶべきだろう。
そして、全ての中心にいたのが、あの男――
「信長殿、でしたか……一体、何者なのかしら」
彼女がそう呟いたとき、件の本人はというと――
「――うむ、ここで火じゃ。火をつけよ。燃やせ。盛大に、だ」
「え、火!?え、まじで火つけんの!?敵来てるんスけど!?」
「だからこそじゃ。火計というのはな、混乱を起こすために用いるものよ。敵が整ってからでは遅い。火は、“乱れ”の中に放つが最も効果的じゃ」
信長は、うやうやしく火打ち石を構える。横にいた兵士がそわそわしているのは気のせいではない。
「て、敵が火に耐性あったらどうするんスか……?だって魔族ですし……燃えたら喜ぶタイプだったらどうしよう……」
「そのときは、その“喜び”のまま踊ってもらうしかあるまい」
「軍師様、話が雑ッス!」
だが、すでに信長は地形と風向きを完全に把握していた。ここは戦場の端に近い山林地帯。風は北西から吹き、魔族の進軍方向は真南――。つまり、炎は敵の背後へと流れる。
「小細工ではない。風と火と兵、すべてを“勢”に変えるのが戦よ」
兵たちはもう信長の口調に慣れていた。多少の無茶でも“どうせ成功するのだろう”という謎の安心感がある。それが一番怖いのだが。
「火計班、火打ち三人、油壺十、点火役は……あ、また靴片方のやつ!」
「ええっ!?なんでまた俺なんスか!?」
「片足の軽さが火計に最適だからじゃ」
「そんな理屈聞いたことねぇ!」
それでも彼は律儀に走る。周囲には枯れ草、落ち葉、そして信長が密かに指示して集めさせていた松脂。火を点ければ一気に燃え上がる仕掛けだ。
「よし、点火!」
ごうっという音とともに、林の斜面が炎に包まれた。兵たちは後方へ退避、魔族の突撃部隊はその直前まで迫っていたが――
「ぬうっ!?火だと!?罠かっ!」
「だ、だがもう止まれん!前だ、前へ抜けろ!」
結果――
「どこに向かって走っとんじゃ、あいつら」
炎の中に突っ込んだ魔族たちは、視界を奪われ、進むべき方向を見失い、味方と衝突し合い、混乱の極みに陥った。信長はその様子を上から眺め、満足げに頷いた。
「よいのう、よいのう。これぞ戦よ」
「あの……めっちゃ燃えてますけど……火、消えますかね?」
「火計とはそういうものよ」
「やっぱ雑ッスよね!?」
そして信長は兵たちに命じた。
「“楔”を打つぞ。中央に槍兵五列、両翼に術士と騎兵。敵が混乱しておる今、こちらの編成が崩れなければ、ただの木偶人形よ」
「木偶……?」
「つまり、“当たって砕ける前に砕かれる”のじゃ」
兵たちは唖然としつつも、信長の配置通りに動き出した。炎と煙の向こう、敵は確かに混乱している。指示が出ていない。統率がない。――いける。
「さあ、“押し返す”のではない。“返す刀で断つ”のじゃ。行けいっ!」
信長の号令と同時に、槍の波が草原を駆けた。左右からの魔法支援も合わさり、敵の先陣はなすすべなく崩壊する。
「か、勝ってる……!」
「本当に押してる!いや、斬ってる!?燃やしてる!?なにこれ!?」
「軍師様、マジで軍師だった!!」
「いまさら!?」
歓声と驚きと炎と勝利が入り交じり、まさに異世界の大地にて――“戦”が形を成した。
そしてその中央で、信長はゆっくりと呟いた。
「……こうでなくてはのう。戦は、“燃える”ものであるからして」
とんでもないドヤ顔だった。