2-1:救援と反撃
「よいか、まず“並べ”。それが兵の第一歩じゃ」
信長の一声で、散り散りだった兵士たちが、なぜかほとんど反射的に立ち上がった。さきほどまで「無理無理無理無理死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ」と連呼していた若い騎士ですら、「ハイッ!」と声を上げて直立不動である。なぜか敬礼までしていた。完全に体育会系である。
「ええい、そこの荷物を背負ったまま走るな。それでは戦わずして疲れるだけじゃ!」
「ひぃっ、す、すみません軍師殿っ!」
「誰が軍師じゃ。まだ就任しとらん。勝手に役職を増やすでない」
「は、はいっ!」
どこか微笑ましいような、一触即発のような信長の叱咤が飛び交うなか、彼の手はすでに動いていた。敵の進路、地形の高低差、味方の残存兵数。すべてをざっと確認しただけで、戦の筋が“見えた”。
「ふむ。退路を確保するには、あの丘の左。林の手前の窪地。あそこを盾にして陣を敷く」
そう呟いた信長は、右腕に浮かぶ刻印へ視線を向けた。戦国の刻印――あれが示す“視える戦場”の輪郭が、まるで地図のように彼の思考と重なっていく。
「お主、そこの頭に葉っぱついたままの者」
「へっ!? ぼ、僕ですか!? あっ、ほんとだ!葉っぱついてるぅ!?」
「その木の横を抜け、向こうの岩陰まで走れ。そこで味方の弓兵を呼び寄せろ。“そこからなら敵を横から撃てる”と伝えよ。よいな?」
「えっ、えっ……は、はいっ!」
びっくりしながらも、男は走り出す。後ろ姿に、何となく覚醒フラグの光が見えた。
「お主ら、隊列を四列に変えよ。逃げるな。今退けば、背後から狩られるだけじゃ。むしろ敵が食いついた今こそ、反転の好機よ」
信長の声は、異常に通る。戦場の喧騒の中でなぜか耳に届く。どこか法螺貝に似た響きがある。おまけに、言葉に“実感”がこもっている。
「だって、信じてよいと……思ってしまうのだ」
ある若い術士が、ぽつりと呟いた。彼はさっきまで震えて杖を握っていたが、今では敵の突撃方向にしっかりと向き直っている。膝も、ほとんど震えていない。
そんな中、草原の向こうに炎の尾が走った。火球だ。魔族の術士が放ったもの。だがその軌道は明らかに直線。信長はすかさず叫ぶ。
「前列、しゃがめっ!」
その瞬間、全員が反射的に伏せた。火球は頭上を抜け、数メートル後方の岩を粉々にした。
「……あれ、今の俺ら、めっちゃカッコよくない?」
「いや、死ぬかと思ったけど、ちょっと感動した……」
「軍師殿、すごすぎる……!」
「誰が軍師じゃ。ワシはただの通りすがりの――いや、まあ、いずれそれらしくなる予定じゃがな」
なんか否定しきらず、むしろ乗り気である。
そんなやり取りをしている間にも、戦場は動いていた。味方部隊が再編され、退路を作るべく移動を開始する。敵の突撃も止まってはいない。むしろ、人間側の再起に気づいたのか、獣人部隊が吠えながら走り込んでくる。
「うおおおおっ! 逃がすなあああっ!」
「そのまま突っ込ませてみよ。背を取れるぞ」
信長がそう言ったとたん、左右から伏兵が飛び出した。――信長が10分前に回らせていた部隊である。
「挟撃成功、か。ふむ、やはりこの地形は美味しいのう」
後方からその様子を見ていた騎士団の副官アルノーは、目をまんまるにして叫んだ。
「う、うそ……この短時間で、ここまで陣形を構築して……!」
「軍師様、どうかしてるっスね……!」
「いや、もう“軍師様”でいいんじゃね?」
「その呼び方、ちょっと好きかもしれぬな」
信長は、笑って受けた。場の空気が変わっていくのを、彼自身がいちばん敏感に感じ取っていた。兵士たちが“命令”ではなく“信頼”で動き始めている。それは、かつて幾万の兵を率いた時に、何度も見た光景だった。
そして戦況が完全にこちらに傾いたころ、ようやく彼女が現れた。
「退けっ!殿下の退路を開けろ!」
「王女殿下、お下がりください!もう我らが押し返し始めております!」
――白銀の鎧に、紅のマント。栗色の長い髪をなびかせて、気高き顔立ちの少女が、馬に跨って前線へと躍り出た。その背筋は、戦場の中にあってなお凛としていた。
「エリザ王女か。ほう……顔がよい」
信長は、何か思い出したように、目を細めた。
「まだあの位置にいるということは、味方の中心があそこか。ならば……」
彼は刻印に触れる。
《戦国の刻印:識破発動》
目の前の戦場が、光と線で浮かび上がる。敵の位置、動き、視界、死角。すべてが脳に流れ込んでくる。
「そこに退路を開く。全軍、エリザの陣を守りつつ南東へ下れ。あの森の縁を回る。そこに次の布陣を張るぞ」
「りょ、了解ッス!!」
「軍師様、かっけえええ!」
兵士たちは歓声を上げながら動き出す。さっきまで“撤退”の声しかなかった空気が、“反撃”の気配に満ちていく。
戦場が変わるとき――それは、指揮官ひとりの言葉から始まる。
信長は、再び声を張り上げた。
「勝てるぞ。ワシがそう言うのじゃ。勝てぬはずがなかろう!!」
その声に、兵士たちは答えた。異世界の草原に響く、戦国の風が吹いた。