1-3:不思議な印と自己認識
戦場というものは、不思議なものである。敵と味方が入り乱れ、あちらこちらで剣が交わり、血と煙と怒声が混ざる修羅の場でありながら、ふとした瞬間に“静寂”が訪れる。
今がまさにそうだった。信長の周囲には、数名の兵士たちがぐったりと座り込み、勝者というには疲弊しすぎた表情で呼吸を整えている。敵の獣人兵たちは一時退いたらしく、周囲にはしばしの休息が訪れていた。
「ふう……」
信長は地面に腰を下ろし、草をちぎって指先でくるくると丸めながら、思考に沈んでいた。視線は遠く、何も見ていないようで、全てを見ている。まるで、見えぬ棋盤を思い描くように。
――なぜ自分はここにいるのか。
――なぜ身体が若返っているのか。
――そして、腕に刻まれたこの妙な“紋”は何か。
「……」
右腕の二の腕あたり、うっすらと赤黒い文様が浮かび上がっている。見覚えのない意匠、丸い円に剣の形、周囲に古代文字のような図柄が連なっている。まるで、烙印のようだ。
「……火傷ではなかろうな?」
指先で触れる。痛みはない。むしろ、触れた瞬間に“びりっ”とするような感覚が走り、そして。
《スキル「戦国の刻印」確認》
《統率:半径30メートル以内の味方兵の士気上昇効果》
《識破:戦場の敵配置、弱点、陣形構成を視認可能》
《範囲効果:視認範囲内に戦術効果を付与可能(精度は知力・状況による)》
「……な、なんじゃと?」
頭の中に、勝手に文字が浮かび上がってくる。声ではない。思考に割り込むようにして、意味だけが脳に届く。初めて軍議の席に出された若手が、隣のベテランに小声で逐語訳されるような、あの妙な分かりやすさ。
「戦場の敵配置……見えるということか?」
試しに、まだ煙の立ち込める前線を見やる。すると、不意に地面に“線”が浮かんだ。いや、視界にだけ見えているような、光の筋。敵が踏みしめていた経路、移動速度、配置の重なり、そして――ある一点が、赤く光っていた。
「あそこが、急所というわけか。なるほど……」
これは“術”でも“幻”でもない。戦に勝つための道標。しかも、自分にしか見えていない。味方は、信長の指示によってのみ、この“視野”の恩恵を受けられる。
「ふむ……」
信長は再び座り込んだ。右腕の刻印は、薄らと光を残したまま沈黙している。まるで、今は使わぬが、必要があればまた語りかけてくるとでも言いたげな。
「何かの“祝福”か、“加護”か。もしくはこの世界特有の“力”というやつか……」
理解には至らぬが、ひとつだけ確かなことがあった。
――この力は、“戦に勝つための力”だ。
織田信長が、その真価を最も発揮する場所でのみ機能する特異な力。ならば、これを活かさぬ手はない。
「戦は、勝たねば意味がない。そして勝つには、“見えぬもの”を掴むことが必要じゃ」
そっと手を握る。まるで、右腕に宿るこの刻印ごと、握りしめるかのように。
そのとき、近くの兵士がとぼとぼと歩いてきた。顔の左に擦り傷、鎧は泥と血にまみれていたが、何とか生き残ったらしい。
「あ、あの、さっきは……ありがとうございました。俺たち、逃げ出すとこだったのに……」
「ふむ。良い采配であったのう。ちゃんと回り込んでいたな」
「え、ええ!? い、いや、それはその……あんたの声に……つい……」
「“つい”で勝てるのが、理想の戦よ。理屈を超えて動かねば、勝てぬ時もある」
「……かっけえ……」
「ん?」
「い、いえ! 何でもございません!!」
兵士は敬礼とも取れぬ所作で頭を下げ、逃げるように去っていった。
その背中を見ながら、信長は肩をすくめる。
「ふむ、まことに人の動きとはおもしろいものよな。こうも素直に従われると、少々むず痒いわ」
だが同時に思う。
――“支配”とは、命令ではなく“納得”で成り立つ。
強き言葉だけでは、兵はついてこない。納得し、理解し、共鳴した時にはじめて、軍は“意思”を持つ。
「異世界に来ようが、その理は変わらぬか……いや、むしろ、今の方がやりやすいまであるな」
どこか楽しげに、信長は立ち上がった。空を仰ぐ。二つの太陽が、重なるように沈みかけていた。
「異なる地。異なる力。そして戦。まことに……良き舞台よ」
そして何より。
「この“戦国の刻印”とやら――ワシと相性が良いようじゃ」
口元に浮かんだ笑みは、戦国時代で数多の敵を震え上がらせた、あの“鬼の信長”のそれだった。