1-2:異世界の戦場
見たこともない空だった。まるで湯でといた藍のような色に、赤みを帯びた陽がふたつ、ゆっくりと沈みかけている。風が妙に軽く、空気はどこか甘い草の香りがした。信長は草原の丘に立ち、下方に広がる異様な光景を見下ろしていた。
「……戦じゃな」
地響きのような音が連続して響く。その正体は、爆ぜる火の玉だった。人間ほどの大きさの火球が空を飛び、着弾した場所から煙と土埃が舞い上がる。どこから飛んできたのか――空中を滑るように浮かぶ者の姿があった。人かと思いきや、背には蝙蝠のような翼、肌は紫がかっている。人外だ。
その一方で地上では、鉄の鎧をまとった人間たちが剣を構え、押し寄せてくる異形の敵とぶつかっていた。人間より一回りも大きい、獣の頭を持つ者たち。牙を剥き、斧を振るうその姿は、まるで“鬼”そのものだ。
「……ほう、こういう化け物もおるのか」
信長は興味深そうに目を細める。だが一方で、表情には冷静さが宿っていた。戦を見慣れた者の目だった。敵味方の配置、動き、地形――そのすべてを一瞬で頭に叩き込んでいく。
「兵数、敵三百弱。味方、百五十。布陣は不揃い、隊列乱れ気味。おまけに指示が届いておらぬな。前線が崩れ、中央が孤立。……指揮官、何をしておるかのう」
戦場に響く怒声、金属の音、爆発、獣の咆哮。それらを静かに見下ろしながら、信長は一歩、丘を下りはじめた。太刀を腰に差し、草を踏みしめる音も軽やかだ。
「ふむ、魔法とか申しておったが……あれがそうか。空を飛ぶ者、火を操る者、雷を放つ者……これは、“術”にしてはだいぶ規模が大きいのう。うむ、なるほど、“現象”であるな」
自分の理解の範囲にねじ込んで納得するその横で、草むらががさりと動いた。
「くっ……退け、退けっ……!」
「止まるな!まだ王女殿下が!」
ばたばたと駆けてくる数名の兵たち。そのうちのひとりが転倒し、兜を落として地面に顔から突っ込んだ。
「ぬおおおっ!? い、痛い!鼻が、鼻があああ……!」
「ああっ副長! ご無事をっ!」
「顔がもともとひどかったのが、さらにひどく……!」
「誰が“もともと”じゃああああっ!!」
その一団に、信長は躊躇なく声をかけた。
「おぬしら、そなたらは味方か?」
「誰だ貴様は!?」
槍を突きつけられた。だが信長は微動だにせず、逆にぐいっと顔を近づけて兵士の鼻先まで覗き込んだ。
「戦に敗けた顔じゃのう。鼻血の出方が戦後っぽい」
「戦後の鼻血って何だ!?」
「お主ら、このまま逃げるつもりか?」
「は? そ、そりゃあ……殿下の指示があれば、もちろん……!」
「だが指示はない。つまり“退け”の判断はお主らの独断。違うか?」
「そ、それは……!」
信長は口元にうっすらと笑みを浮かべた。
「ならば、ワシの指示に従え。背後の丘に回り込み、左右から包囲の形を取れ。味方の本隊が中央に残っておる。敵を釘付けにしておるうちに、挟撃できれば勝てる」
「え、ええっ!? ちょっと何言って……」
「よいから行け。負け戦を生き延びたいなら、命令より勝機を取れ」
鋭い声が兵士たちの背骨を震わせた。否応なしに、その場に立つ“指揮官らしき何者か”の気迫が、全員の判断を塗り替えた。兵士たちは、見ず知らずの男に引っ張られるように走り出す。
「……え、あの人、何者なの……?」
「わからんが、なんか……すっごい説得力だった……!」
信長は草を払いながら前進を続けた。前線はもはや崩壊寸前。だが、敵もまた無秩序に突撃を繰り返し、陣形はガタガタだった。火球を撃つ者も、冷気を操る者も、どうにも“勢い任せ”で、連携がない。
「なるほど、魔法というのは……あくまで“個”の技よのう。ならば、群の理を以て制するは当然じゃ」
彼は、崩れた前線のど真ん中に飛び込んだ。
「下がれ!」
その声に、一瞬だけ人間の兵士たちが顔を向ける。信長はその刹那、振り上げられた敵の斧をすんでのところでかわし、脇差で膝を斬った。
「ぐ、グアァッ!?」
大柄な獣人が倒れこみ、周囲に隙ができる。
「そこじゃ!左に開け!背後を取れ!」
声が通る。思わずその場の兵士が従う。気づけば、指揮系統の切れた軍が、再びまとまりはじめていた。
「誰だあの男!? 味方か!?」
「わからないけど、なんか……上司力がすごい……!」
「上司力って何!?」
信長は、敵の動きと味方の位置を観察しながら、素早く布陣を再構成した。後衛に撤退していた弓兵を再配置し、残っていた術士を高所に誘導して砲撃支援に切り替える。
「術は弓と同じ。撃つべきは正面ではなく、斜線を作るように撃て。敵の目を釘付けにするのじゃ!」
気づけば、彼の周囲には兵士が集まっていた。誰もが混乱の中、何か“芯”を欲していたのだ。それを与えられた瞬間、人は動ける。
「織田信長と申す。この戦、ワシが預かる」
誰が命じたわけでもないのに、兵たちはその背に従い、立ち上がっていた。
そして戦場に、新たな風が吹いた。