ばあちゃんの傷
家でばあちゃんに傷の手当をしてもらっている隣で、まだ兄ちゃんが泣いていた。
「あいつらは元同級生でね、しょっちゅう退屈しのぎみたいに陽一の事をからかってね」
「そうなんですか……」
「段田くん、無視すれば良かったのに」
「そう思ったけど、何かムカついて……」
「……ありがとうね……。あっ、段田くんのご両親に一言謝りたいんだけど……」
「えっ! そんな事いいんです、だってオレが勝手に喧嘩しただけだし……」
「でもね」
「しょっ、しょっちゅうですから、こんな事! 日常茶飯事ですから!」
「……そんな風には見えないけどね」
ばあちゃんはそう言いながら、救急箱を棚の上に片付けた。その時、半袖から出た二の腕に、半径十五センチ程の火傷の跡が見えた。
「それって、火傷?」
結構酷い火傷だったから思わず言葉にでてしまった。その時、兄ちゃんがとても辛そうな顔をした。
「……ごめん……ボクのせいなんだ……」
「違うよ。おばあちゃんがそそっかしかっただけだよ」
何があったか知らないけど、二人にしか分からない事なんだろう。きっと、二人にしか分からない事はたくさんあるんだ。そう思うと、胸の奥の方がチクチクした。
「オレ、帰ります」
そう言ったと同時に、お腹の音が鳴った。そうだ、今日は昼から何も食べていなかったんだった……。恥ずかしい。
泣いていた兄ちゃんは笑いだし、ばあちゃんは「ご飯、食べてって」と言ってくれた。「いいです」と一度は断ったけど、聞いちゃいない。「手伝ってね」とさっさと隣の台所へ向かった。
じゃがいもの皮を剥くばあちゃんの横で、兄ちゃんがキュウリを洗っていた。オレはその後ろ姿を、じっと見ていた。
「ほら、見てないで! 段田くんは玉ねぎの皮!」
「はい!」と元気に返事をし、流しの玉ねぎを手に取った。
ちょっと狭い台所は、三人並んだら窮屈だ。でも、兄ちゃんは真ん中で楽しそうにキュウリを切っていた。その横顔はやっぱり琢磨にちょっと似ていた。
テーブルの上に並べられたカレーライス、サイズがバラバラなトマトと胡瓜のサラダ、福神漬け。「いただきます」と手を合わせて、食べ始めた兄ちゃんを、向かいに座ったばあちゃんが、「陽一、肘、ついてるよ。お行儀が悪いから」と注意を促す。もし、一緒に暮らしていたら、今みたいに「お行儀が悪いわよ」とかばあちゃんに言われたりして生活してたのかな。そんな事を考えてしまった。
「段田くんの家は何人家族なの?」
ばあちゃんの質問にドキリとした。
「あっ、両親と弟の四人です」
「やっぱりね。しっかりしてるから、弟さんや妹さんがいると思った」
「そんな、しっかりなんて……」
そんな事を言われる事はめったにないので照れた。そして、家族のことを尋ねられるとやっぱり緊張する。オレ、怪しい顔してないかな……。
兄ちゃんは母さん似だと思う。でもオレは母さんに似てるとはあんまり、いや、言われたことがない。だとしたら、オレは父親似? まさか、実は会った瞬間にオレが幸平だって気が付いてて、あえて知らん顔してる……とかだったら? そうだ、あんまり認めたくないけど、オレはひいじいの若い頃に似てるってよく言われる。なら、長生きしてじいさんになったらあんな風にボケんのかな?
「あっ、沢山食べてね。陽一が作ったサラダも」
箸が止まっていたオレに、ばあちゃんがサラダを勧めてくれた。実はキュウリはちょっと苦手だった。でも、兄ちゃんがじっと見てるから、一口食べた。
「あれ? うまい! このドレッシングがいい味!」
「学校の先生のレシピなんだ」
そう言うと、兄ちゃんはすごく嬉しそうな顔をした。担任の先生は料理が好きらしく、よく簡単に作れるメニューを教えてくれるらしい。
「何をやらしても人の倍かかるけどね、何でも自分でやろうって気持ちがある子なのよ」
そう言うと、温かい目で兄ちゃんを見つめた。
カレーの味が、母さんが作るカレーにどこか似ているのは、ルーが同じだからなのかな。そのせいか、一瞬、ずっと昔からここで暮らしていた様な気持ちになった。
予定では今日、「幸平です。引越すので会いに来ました。段田とかウソついてごめんなさい」と、そんな内容の話をしになくてはいけない筈なのに、やっぱりさよならを言えなくて、家に帰った。
玄関で、「また来てね」と兄ちゃんが手を振った。
「ばあちゃん、午前中は仕事でいないけど、よかったらまた遊びに来てよ」
「あ……はい」
「気を付けてね。ご両親によろしく」とオレの二の腕をポンポンと優しく叩いた。やっぱりそんな事を言われるとドキッとする。
家では母さんや琢磨に怪我の事を聞かれたけど、将太とプロレスごっこをしてて、ついエキサイトしてしまったと、適当な事を言って誤魔化した。咄嗟のウソって笑える。プロレスごっこなんて今までやった事ないし。
でも母さんは、相変わらず忙しくしてるので、オレの顔の怪我などそんなに気にしていない様子だった。