夏休み
夏休みに入ったばかりの部活は、ちょっとタルかった。
一年がやたらと張り切っていて、レギュラーの座を奪われるのは時間の問題だろう。
「は? お前引っ越すから関係ないじゃん」
そうだ、オレはこの夏休みの間、引っ越す事になっていた。しかも引っ越し先はドイツ。
「行きたくねぇな……」
運動場の隅に将太と座り、他の部員がフリーキックの練習をしている姿を眺めながら、唇が動かないくらい小さく呟いた。
「なぁ幸平、さっきの話し、マジか?」
「ああ、オレには兄がいるらしい」
「て事は、親が離婚した時、兄貴は父親が引き取ったって事か」
「まぁ、そういう事になるよな……」
「何で」
「さぁ、知らねぇ」
わざと投げやりっぽく言うと、ギラギラの太陽を見上げた。眩しい……。この太陽の下、琢磨以外、自分に兄弟がいたなんて、こういうのを晴天の霹靂っていうのかな。なら、二度目の晴天の霹靂だ。
最初の晴天の霹靂は、四年前だった。
母さんはバツイチだ。オレが五歳の頃、父さんと再婚した。最近琢磨を見ていると、「母さんはオレがこんくらいの頃に再婚したんだなぁ」と思ったりした。五歳の記憶では突然父親が出来た、という感覚ではなく、事情があって一緒に暮らせなかった父親と、環境が整ったので暮し始めた、という感じだった。
親戚の集まりで、「血の繋がりなんて関係ないわ。理恵ちゃんは本当にいい再婚相手を見つけたわね」などと、ヒソヒソ話しているのを、子供の地獄耳で聞いたのは四年生の頃だった。「サイコン」や「チノツナガリ」などのキーワードで鈍感なオレでさえ気が付いてしまった。母さんは父さんとサイコンして、父さんとオレはチノツナガリがないという事を……。
ショックだったけど、「それがどうかしたか?」的な1ミリも深刻さを見せない父さんの態度で、オレは「だよね」と納得したような? そのままいつもの生活を送るしかなかった。その頃だった、琢磨が産まれたのは。オレは弟が出来たのがただ嬉しくて、波風立ててる場合じゃなくなった。
「ま、いっか」別にそんな事を深刻にとらえなくても。毎日はまぁまぁ平和で楽しいし、悩みなんて、成績がイマイチ上がらないとか、身長があと5センチ高かったら、とか? 最近は海外で暮らす事への不安くらいだ。
「なぁ幸平、会いに行かないの? 兄貴に」
「うん……どうかな……」
「年賀状の住所って遠いのか?」
「市内だから、そうでもないよ……」
「でも十年以上前の住所だからな。まだいるのかな?」
将太の言うとおり、もう十年も経っている。それこそ引越しているのかもしれない。一応行ってみて、ちょっとだけ顔を見て、帰ってくるだけでもいいじゃん……とか軽く考えていた。感動の再会とか、そんなんじゃなくて。
「モタモタしてる間に出発の日が来るぞ」
「……あーあ、何か行きたくねぇな」
次ははっきりと口に出してしまった。
「何でだよ、オレなんてお前のこと超羨ましいのに!」
「何で? 言葉とか勉強とか、友達とか出来るか、超心配だよ」
「まぁ、それも分かるけどさ。でも、一つ、凄くいい事があるぞ!」
「何?」
「ひょっとしてお前、外人のカノジョができるかもしれないじゃん!」
「はぁ? それっていい事?」
「だって、初のカノジョが外人なんで……オレ、いろんなこと妄想しちゃうよぉ……」
呆れた。コイツ、冗談で言ってる訳ではなく本気みたいだ。超笑えた。将太みたいな奴、ドイツにいるのかな。いたらいいな……なんて少しセンチメンタルモードに入っていたら、ビュンっとテニスボールが飛んできた。
「あっぶねー。誰だよ!」と将太が速効、隣のテニスコートにボールを、おもいっきり投げ返した。
コートには、両手を広げ「ありがとう」とお礼を言う宮沢綾乃がいた。将太は超即効、笑顔を作り、手を振り返した。
「いいよなぁ、宮沢って。コートの天使だな」
「言い過ぎでしょ」
「頭も超イイし」
「へぇ、そうなんだ。クラス違うからよく知らないけど……」
テニスコートの宮沢さんは、すらっと伸びた足、長い髪はポニーテールにしていて、言われてみれば美少女オーラが出ているような気がしないでもない。思わず目で追っていると、隅の木陰で見学しているひょろっと背の高い少年に駆けより、楽しそうに話しをしていた。
「カレシ?」
「違うよ。あれは弟」
「ふうん……」
「見たことないか? ここの特殊の子」
「ふうん……」
「何だっけ……自閉症……か何かだっけ」
「ふうん……」
はっきり言って関心はなかった。宮沢さんの事も、自閉症とかいう弟の事も。それよりも頭の中は、「兄」の事でいっぱいだった。