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素敵、楽し、幸せの前に婚約破棄は些細な問題ですと令嬢は微笑む

作者: 雪那 由多

「アイエッタ!お前のような男を立てることを知らず、勉強ばかりの可愛げのない女よりもマルチナのような心に寄り添ってくれる心優しい女性と私は婚約をする!

 聞けばいくら姉妹とはいえ勝手に部屋に乗り込んでは宝飾品やドレスを持ち出し、亡き母親の形見を壊す非道。

そんな家族でも許されざる仕打ち婚約者としても許すわけにはいかない!お前のような性悪女をアーバン侯爵家の一員に迎え入れることはできない!

 よってお前との婚約を破棄する!」


卒業式後の卒業パーティーでの婚約者様からのお言葉。

仲の良かった友人たちとシャンパンを傾けていればこの場に相応しくない荒々しい声。

マルチナの腰に手をまわして私たちの前に現れた婚約者のカイル様の突然の演説。

呆気に取られながらもシャンパンをいただきながら最後まで聞いてしまいました。


「お姉様、ごめんなさい。カイル様がお姉様の婚約者と分かっていてもどうしてもこの思いを止めることができなくて!

 それに、もうお腹には…」

「そういう事なんだ。済まない」

「……」


あまりもの展開ですが……ちなみに子供はいません。当然です。

マルチナの月のものは毎回学校をお休みしないといけないくらい酷い、というかそれを言い訳に学校をさぼるので侍女たちにチェックさせて対応しなくてはいけないので私には通じませんよ?つい先日にも月のものが終わったと侍女から報告があったのでその疑似母性で出来たのお腹はただの不摂生のたまものです。たぶんカイル様が用意したドレスが着られなくなっての言い訳でしょう。今後がどうなるか面白いからこのまま騙されてくださいカイル様。

きっとカイル様には似もしない方の子種を見繕ってくるはずなのでその時まで楽しみにしててくださいね?


そんなこととは知らないカイル様によよよとしなだれ寄りかかりながら涙をこぼさずに泣き真似をする捨て身のマルチナの演技力。

ほら、やるからにはしっかり涙流して、口元も嗤ってるのが私の方からは丸見えよ?

もうちょっと俯きなさいとここは注意してあげるところか悩んでしまうじゃないの。

まあ、涙を人前で流す貴族令嬢なんて失格だけど下手な泣きマネ、演技力はともかくそこは認めてあげましょう。


卒業パーティーは毎年大小のトラブルがつきものですが、おかげさまで一気に注目の的となり本日のメインイベントにされてしまった『婚約者を巡る姉妹との三角関係』の私たち。

ついにこの日が来たか、さてこの後どうなると好奇心の視線に晒されるよう囲まれてしまったからには期待に応えたいと思いますが…


ふと思う。


改めまして私アイエッタ・サンスーン公爵家令嬢と申します。

わたくしの婚約者様のカイル様はアーバン侯爵家の次男様。我がサンスーン公爵家に入婿を条件として私と婚約いたしました。


私のお父様は現国王の弟でお母様と結婚した時に貴族として叙爵したのがこのサンスーン公爵家。お父様のお兄様とは年が離れていたために兄弟で争うという話にもならず、お父様も早くから王家を出る事を決めていた為にしっかりと準備をしていて前国王でしたお爺さまがお持ちだった王都からほど近い領地を受け継ぎ豊かな生活を送っていた歴史になります。


ただ妹が生まれた時にお母様が儚くなり、お父様もお爺様も妹が自分のせいでお母様が虹の向こうへ行かれたと思わないように同じ姉妹から見ても理不尽なくらい私には厳しく、マルチナは甘やかされて育てられた人生という育ちになりました。お婆様はなんとかにつける薬はないと言って暖かな地域の別荘に引きこもり、代わりに私のことを父の兄に託してくれました。


つまり現国王に。


お蔭様で王族レベルの作法と教養を施された私は王女仕立ての公女になっていました。

現王室に王妃様以外の女性がいないのが原因ですね。

国王陛下、王妃殿下、そして二人の王子殿下たちは妹として私を溺愛し、だけどマナーと教養はトップレベルで仕込まれる飴と鞭。

最初こそ一緒に家庭教師についていたはずのマルチナは早々にお爺様に甘えて離脱。この時点でもう立派に見切りをつけるには十分な事故物件の素質を輝かせていました。


せっかく無償…ではなくご厚意で最上質の教育を受けるチャンスだと言うのに勿体無い。

ほんとお馬鹿さんで呆れてしまいますわ。

その結果王妃様曰く

「アイエッタ、こんなにもどこの国の王室に出しても恥ずかしくない立派なレディーになりましたね」

と太鼓判をいただきました。


いえ、長子相続がこの国の法律なので公爵家で婿取りするのですけど?

だったらと一番上の従兄様が私の弟なんてどうかな?なんて提案。

そう言うのは本人を挟んで話しましょうね、なんて二番目の従兄様の有能さ、魅力的だわと現実的な本音を言えば苦笑いされた。

だけどそんなふうに笑いあっている間にお父様が学友の方の息子を連れてきました。


それがカイル様。


同じ年齢で学園では隣の教室の方。

少しくすんだ金の髪と鮮やかなブルーの瞳がよく似合う、そんな第一印象。


そのこともあって女性に人気があり男性より女性のご友人が多くて周囲の友人たちにもあれは宜しいので?と忠告を受けてきました。

だけど


「親同士が決めた婚約者ですもの。

 そこに私が意見するものではないですわ」


貴族の娘らしい模範解答でその場を濁してきました。


つまり、模範的レディーという猫をかぶっていたせいで今この場にそのツケが回ってきたようです。


そもそも婚約者なのにこのパーティのエスコートもしない、はたまたこの日の為の打ち合わせと言う交流のためのお茶会にも来ない。

代わりにエスコートにはマルチナを常に選び、お茶会に誘うはマルチナばかり。

今に始まったことではないのですでにアーバン侯爵家にはこのようなことが続けば婚約を破棄にすると警告はしてあります。

なのにこの始末、どうつけさせてもらおうか。


なんて悩むふり。


正直に言えばそこまでこの二人にかける労力は私の中にはない。

証拠は山ほど用意してあるので後は弁護士に任せばそれで済む案件だ。

しかたがないの。

今はサンスーン家が所有する領地の開拓事業で頭が一杯ですから。



この夏に領地に襲った豪雨のおかげで山の一部が崩れてそこから温泉が湧くという奇跡がおこりましたのおおおぉぉぉっっっ!!!



失礼、あまりにも興奮しましてサンスーン公爵家令嬢とあろう者が少し取り乱してしまいましたわ。


崩れた崖の近くの村の人に段々畑のように溢れ出る温泉をためてもらってプールのようにしていただいたのだけど豊富なお湯の量に段々畑は瞬く間に三枚に増えました!そしてまだまだ増える予定です!


温泉だけど。


湯の量はもちろん二枚目の畑の辺りが程よい温度。はしたなくも足をつけてうっとりとしてしまったのは言うまでもありません。


ただ山崩れで溢れ出た温泉なので段々畑をしっかり崩れないように補強しなくてはいけないというこの事を伯父様に相談すればその場で伯父様も絡んでの一大事業に発展しました。


もう、皆温泉好きなんだから。


温泉が湧いてから従兄のお兄様たちも王都から馬で早駆けで辿り着く距離の領地なのでちょこちょこ平民の格好をして未完成の温泉に浸かりにきている模様。


視察と言う名目、便利な言葉ですね!


そして私が知るよりもちょこちょこ来ているのか工事現場の人と顔見知りになったようで気がついたら金髪、エメラルドグリーンの隠しようもない高貴さを醸し出す二人だけ場違いのような兄弟が下々と混ざって大岩を転がしたりして汗水流して土木作業に従事していました。


流石に目眩が起きました。


私も金髪でエメラルドの瞳ですが、父親同士兄弟なだけあってどことなく似ている顔が全身に泥と汗を浴びて働いてる姿、見たくありませんでした。それどころか王家が破綻してもどこでもやって行けそうな逞しさを見た気分で頭の中はショート寸前です。


そんな私に代わって伯父様がつけてくれた護衛兼侍女にこっ酷く叱っていただきました。

ですが周囲の皆様のやんちゃな息子を見るかのような温かい目、少し羨ましいです。

怒られても仕方がないと言いながらも最後はみんなで一緒に温泉に浸かって山羊のミルクをいただくまでがお仕事をこなしていきました。

私には温泉卵なのに羨ましいと思ったのは淑女なので心に秘めますよ?


そんな我が家には聞かせずに進める私の一大事業はなお発展します。

だってお父様もお爺さまもマルチナにかかりきりで忙しそうでしたからね。伯父様も絡んだから今頃文句を言っても聞こえませんわ!


その結果いつの間にか近くには石造りの白亜の宮殿ではないけど豪華温泉施設の建設が始まり、施設の中は全てに石畳が敷かれていると言うお金のかけよう。伯父様が王国一のお金持ちなのは知っていますがやりすぎです。

私だって露天風呂入りたかったのに…

淑女が入る温泉施設ではないと怒られましたが入りたいものは入りたい。

いつか女性専用の露天風呂を作って…

なんて思ってたら王妃様もいつのまにか着工してました。

先日私の理想を描いた計画書をいただきすぐにゴーサインはしましたが仕事はやっ!

そして王妃様はおっしゃいました。


「アイエッタ気付いてまして?

 この温泉の底にたまる泥、これを塗るととてもお肌がつるつるになって肌理も整ってお肌のトーンが明るくなるのですよ」


うっとりとした瞳でふふふと笑う王妃様。

これは止めちゃいけない奴、と言うか私も試さなくちゃと仮設のバスルームでさっそく試させていただきました。

滑らかな泥にパックされればお肌つるつる、そして吸い付くような柔らかさ最高!

伯父様たちの施設建築が早く進むように私も全力で協力させていただきますわ!

そうして王妃様がお造りになるのは女性専用の美容施設、スパですね。

我が家とは比べ物にならない歴史ある公爵家のご実家からの潤沢な投資によって作られている模様です。


つまり、私がしたことは伯父様達に工事の許可を与え、興したばかりで公爵家としてはそこまで裕福ではないそこそこ裕福なサンスーンの領地に仕事を斡旋。伯父様達が惜しみなく与えてくれた施設建築の土地の借地代を使って王都までのインフラ整備。さらにはお隣の王妃さまのご実家の領地までの道路整備。あまり大きくない領地なので費用には目処がつきましたわ!っていうかそれ込みの金額ですよねどう考えても!

どれだけ温泉に入りたいのでしょうと思うも現状はまだプラマイゼロ。

マイナスだけでないだけありがたい。

これから必要になるものは環境整備したり休憩所、旅館を用意したり、美味しいレストラン、いやそれは近い王都で堪能できるのでむしろご当地料理的なB級グルメの方が受けるでしょう。

王都から無理なく遊びに来れて景観は悪くないのでその辺りも整えれば狩りに来たついでに、ピクニックにきたついでに、もしくは湯治に来てくれる方をターゲットに長期滞在型のお部屋の準備をしたりで忙しいのですよ!

目下の悩みはその資金をどこからかっぱらう…ひねり出すかですね。お婆様におねだりしようか悩んでいましたがちょうどいいカモがいるのでそれも視野に入れて伯父様に相談に乗っていただきました。


そんなクッソ…とても忙しい時に婚約者と妹の大したひねりのない不倫劇場になんで巻き込まれなくてはいけないのかとイライラしている様子を周囲の皆様は心配げに見守ってくださいました。

そうですよね?

皆様私のこの王家がらみのリゾート温泉開発事業に絡みたくて仕方がないお家の方達ですものね!

旨味を吸いたいのならしっかり皆様私に媚を売りなさい、取り返しのつかない事件だと広めてくださいと周囲に視線を巡らせば良識ある皆様はお任せくださいと目を輝かせて頷いてくれましたがなんだか逆にちょっと急に不安になりました。


私を陥れるこの断罪イベントをする立場がただのお笑い劇場に成り果てていることにまだ気づいてない愉快な二人に皆さんひそひそ話を始めてくださいました。

ひそひそ話、基本ですよね!

お花畑のお二方は私が笑い物になっていると勘違いしているようでニヤニヤとした下衆な笑みを浮かべています。

あまりにも想像通りに滑稽すぎて私は取り出した扇子で緩みたくなる口元を隠し、そっと顔を背けながら笑動で震える肩を見せつけます。

それを私が悔しがって泣いてると思ったのか


「アイエッタお姉様ごめんなさい。ですが私たちの晴れの場でもありますからどうか泣かないでください!」


あまりにも愉快な発想に周囲の皆様も耐えるのに必死な模様。

もう少しだから皆様の腹筋よ頑張ってくださいませ!


「わかりました。

 婚約は解消致しましょう。二人手を取り合って幸せになりなさい」


同じく震える腹筋で私がなんとか絞り出した声にマルチナはカイル様を騙した愛らしい笑顔を私にも向けて


「アイエッタお姉さまお許しになってくれてありがとう!」

「アイエッタすまない。マルチナ、君は身は俺が幸せにするよ」


見つめあいながら抱きしめあって、それから誓いのように触れるようなキスとは言え皆様の目前で披露。

これはもうどうしようもない事実としてこの数日中にこの国の貴族中に広がるのでしょう。こわーい(笑)

よくこんなボンクラと婚約していたわと私の忍耐力を褒め称えながら私の理想の結末にたどり着いたこの物語…



なんてこれで終わったと思ったら大間違いですよ?



まるで見計らったかのように人垣が割れて現れたのは


「あらお父様、いらしたのね。

 すでにご存じかと思いますが早速ですがご報告ですわ。

 カイル様がマルチナと不貞を起こしましたので私はかねてより申し上げた通り婚約を破棄させていただきます。

 侯爵様もこれだけの皆様が見守るなかの婚約破棄ですのでもう取り繕うことはできません。前にお話しした通り慰謝料、請求させていただきます」


「申し訳ない。愚息には何度も言い含めてきたが…」


カイル様とよく似た顔立ちは私が最後にお見掛けしてから一気に老けてしまって髪も真っ白になってしまっていました。もともとプラチナブロンドでしたが、その美しさは今となれば息子一人のせいで見る影もなくなってしまいましたけど私には関係ないので無視ですね!とはいえ優雅に扇子で口元を隠し

「ありがとうございます。

 そしてマルチナ」

「はい、なんでしょうお姉さま?」

甘やかされて育ったというような苦労を知らない顔が何かあったかしらとこんな時でも愛らしくコテンと首を傾ける。

同じようにサクサクと進む話に我関せずのカイル様はお父様でもある侯爵様が慰謝料をお支払になってくれると信じているようでマリアナの腰に手を回してベタベタしている。おっさんみたいできもっ!

「マルチナにも慰謝料を支払ってもらうから」

「え?どうしてです?」

まったく自分がしたことが理解できないマルチナにため息が止まらない。

「当たり前でしょ?貴族の婚約なのよ?

 あなたの好きな恋愛小説とは違って悪いことしたら罰を受けなくてはいけないの。

 小説と違ってこの世界では人の婚約者を奪ったら手っ取り早く罰金を払わなくてはいけないの。

 平民の子供でも知っている事をまさか知らないとか言わないわよね?」

 お父様とお爺様に甘々に育てられた結果プライドだけ高くなりちょっとつつけばすぐに顔を真っ赤にして

「それぐらい知っています!カイル様との愛は覚悟あってのことです!

 お父様、お姉様は私がカイル様に愛されているからって意地悪を言うのですよ!マルチナは悲しいですわ!」

そうやって我が家定番の流れとなったけど、少しどころか顔を真っ青にしているお父様。人前ではさすがに常識があるようですね。

だってその顔の隣に立つ伯父様という国王のあきれ返った顔。家の中の常識が通用しない事を理解できているから私の父とはいえたちが悪いですねと叫びたいですわ!

そんなお父様に従兄のお兄様たちは最高に楽しそうな顔をしているのにねとまだ何もわかってないマルチナにお父様は顔を真っ青にしたまま告げます。


「マルチナ、先ほどのアーバン侯爵家の令息の婚約破棄の言葉をアイエッタが受け入れた時点で私の爵位はアイエッタに移ったのだよ」


周囲も黙るこの告白。

アーバン侯爵とお父様といろいろ取り決めをした中に盛り込んだ一文。

家族にでさえ猫をかぶっていた私しか知らない皆様が猫かぶりモードの私が婚約破棄を受けいらないだろうと高をくくってのもの。

本気でカイル様と一生を遂げると思っていたのですか?と本気で問いただしたい。

お父様、これが伯父様一家と一緒に真剣に考えたこの取り決め、カイル様なんかに一生を捧げるわけがないのですよと微笑みをかける。

「よって、我が家のお金はお父様とはいえ銀貨一枚動かすことができませんの」

と言ってもそこはマルチナ。お父様がこけたぐらいで負けるわけがない。

「でしたらお爺様に…」

困ったときのお爺様。だけどだいぶ高齢となられてその発言力は我が家でしか通用してないのを理解していないのがマルチナらしい。

「お爺様は本日お婆様が滞在されている別荘地に旅立ちましたわ」

「え?ですが今日ディナーをご一緒するお約束を…」

マルチナを溺愛するお爺様がお別れを言う前に旅立つとは信じられないという顔。旅行に行くのならマルチナを連れて行くから不思議がるのは当然でしょうね。だけど


「ああ、そうでしたわ。代わりにお婆様が公爵家に滞在することになりました。

 私の卒業のお祝いと久しぶりに子供たちとゆっくり話をしたいからと」

「え?」


ぴしりと固まるマルチナの言いたいことはわかっています。

お婆様はお爺様やお父様、それこそ伯父様でさえ頭の上がらない熊を素手で仕留める女傑。

万が一あった場合国王を守るためにその身を盾にという心構えと実行力を今の王妃様にも自ら教育したお方。

ちなみに王妃様は今はそのお役目をほどほどに放棄しております。

王妃様が素手で熊を仕留める理由なんて必要ありませんからね。

もちろんそんなお婆様とマルチナとの相性は当然最悪です。

まだお忙しかったころのお婆様に会いに行くとなった時も仮病を使う徹底ぶり。

挨拶ができていない、マナーがなってないなどの小言を言われるのがわかっていての拒絶。こういうことは他人に言ってもらわないとわからないのにねとその優しさが理解できないマルチナとはどんどん疎遠となり、お婆様が南の別荘地に旅立つとき久しぶりに顔を合わせたぐらいです。

その時にはもうお互い誰?っていう空気もありましたが、少しだけ老いた声はマルチナの記憶の中にも刻まれていてすぐに恐怖を思い出した様子。どうしてこの日に限ってきたのと顔に書いてあります。

そんなマルチナにトラウマを植えたお婆様が今日から公爵邸で一緒に暮らすことになります。

この一件直後に、いえ、すでに公爵邸でお待ちになっています。

顔を真っ青にしたマルチナはカイル様にしがみついて

「カイル様、こうやって皆様にお祝いしていただいたのですから今日からカイル様のお屋敷で一緒に暮らしても構わないですわよね?」

二の腕もだけどふっくらとしたお胸をカイル様の腕に押し付けながらのおねだり。

鼻の下を伸ばしているカイル様だけど

「悪いがアーバン侯爵家にはカイルの兄、アベルの爵位継承教育の真っ最中だ。

 重要な時なので我が家に関係のない者を邸に入れるわけにはいかない」

侯爵様がきっぱりとお断りをしてくださいました。

「ですが、マルチナは俺の妻になる…」

「カイル…」

 アーバン侯爵夫人がハンカチで目元を抑えながらすこし鼻にかかった声で伝えた。


「小さいころから教えた通りあなたは学校を卒業と共にそのままサンスーン家に婿入りすることになると。

 なのにサンスーン家を受け継ぐアイエッタ嬢と婚約を破棄すればあなたには爵位がなくなり行き場がないことをどうして理解できないの?

こんな大切なお約束を忘れたとは言わせませんよ!」


まだ理解してないようなカイル様のお顔にカイル様のお父様でもある侯爵様はおっしゃいました。


「すでにサンスーン家にお前の籍を移すためにアーバン家の籍からお前の名前は抜いてある。サンスーン家の籍はあちらの邸でサインを入れて婿入りとなると何度も言っただろう。

 そしてアイエッタ嬢との婚約を破棄した今、お前はアーバン家の者でもなければサンスーン家の者でもない家名のないただのカイルだ」


つまりそれは平民ということ。


お話合いしたときに取り決めた事をお忘れになられましたのね。

理解しているのかしたくないのか顔を真っ青にしてようやく現状を理解してか膝から崩れ落ちたカイル様に

「え?カイル様平民になっちゃったの?

 やだ、マルチナは侯爵家の女主人になるんじゃないの?

 お爺様はマルチナが侯爵家の女主人になればいいって言っていたわ」

「「「なれるわけがない!」」」

侯爵家の方々と伯父様も混ざっての否定。

マルチナのか弱い頭では処理できずに立ち尽くしております。

だけどそこでめげないのがカイル様。

「そ、そうだ!

 アイエッタ、また俺たちやり直そう!

 今なら君も公爵家令嬢なのに婚約破棄の疵をなかったことにできる!

 婚約を結びなおして、そしてマルチナの面倒を俺達で一緒に見ればまた昔みたいに三人で一緒に…」

「なるわけないだろ」

ぴしゃりと無理だという声は

「ヘンリーお兄様」

そこでまだ何か言いたげなお兄様を止めて


「カイル様、短い間でしたが実のない婚約期間をありがとうございました。

 正直に申せば私今事業を展開させていただきましてカイル様に相手にされないぶん楽しく事業に集中することが出来ました。カイル様から頂いた守られる事のない約束の手紙を読むより誠実な事業報告を読ませていただく方がよっぽどワクワクしましたの。

 私の、いえ、私達の計画が一つ一つ形になっていく様子を見守る事はとても楽しくて、カイル様に煩わされる時間が減っていった事、本当に感謝しておりますの。

 安心してください。今の私にとってカイル様との婚約破棄は些細な問題ですわ。

 後日こちらから書類と、一応婚約者に対する不誠実な形のお別れですのでそれなりに頂くものは頂きますのでよろしくお願いします」


 

そう貴族の女性が作る感情を一切乗せない笑顔で言い切って頭を下げることなく堂々とした姿勢のまま膝を軽く折る。

カイル様に向ける感情も一切必要ないという様な笑みたじろぐカイル様。

あなたのお母様の得意技でもありますのよとさらに笑みを深くすれば


「イエッタおいで」

 

ヘンリーお兄様はそういって私を隣に立たせます。

というかこんな公の場で私の愛称を呼ぶなんて少し恥ずかしいですわ…

カイル様は並んで立つ私たちを不思議そうに見上げますが


「カイル、イエッタと婚約を破棄してくれてありがとう。

 これで僕は堂々とイエッタに結婚を申し込むことができる。

 感謝してもしきれないからそうだな。

 平民になっていき場がないなら北部で国が行ってる事業が人手不足だからそこの仕事を斡旋してあげよう。

 きっと君みたいな美しい顔立ちならみんな歓迎してくれるから楽しんでおいで」


「ほ、北部の事業って……」


言わずもながら炭鉱のことを指していることはカイル様でも理解しているようだ。

男だらけの男社会。

危険と隣り合わせ。

娯楽も少なければ女性も少ない過酷な環境。

そんな場所にカイル様のような華奢で綺麗な顔立ちの男性を放り込んだらどうなるかなんて想像するまでもない生まれや血筋なんて関係ない力がすべての世界。


「ああ、マルチナも行ってくるといいよ。夫婦は一緒にいるべきだからな。

 あそこはとても素敵な体つきの男たちがたくさんだから、マルチナみたいなかわいらしい女の子が来たら大歓迎してくれるよ」


とてもさわやかなお顔でヘンリーお兄様はマルチナを説得して下します。

とはいえさすがにマルチナでも北部の話は知っていたようで、顔を真っ青にしてすでに涙目になっております。


「大丈夫。イエッタは僕が幸せにするし、サンスーン公爵家は僕も力の限り協力するから心配しないでハネムーンに出かけておいで。新しい新居もそこに用意してあるから、子供も生まれるんだろ? 楽しんでおいで」


言って次はにこにこと私に向っておっしゃいました。


「イエッタ、こんな僕では頼りないかな?

 生涯をかけてイエッタ一人を愛し、守ると誓うよ」


とても頼もしすぎるくらいの言葉の後での突然の告白。

お忙しいとはいえ私へのプロポーズの方がついでのようで怒れてしまいますがお互いの両親とたくさんの方達の目の前でのプロポーズに


「すまない。もうイエッタを誰かが奪おうとする機会すら与えたくなかったから、少し焦ってしまった」

「ひどい方。ここでそのようなこと言われたら私には「はい」というしかありませんわ。

 私は城のバラ園でポロポーズを受けたいと子供のころからの夢がありましたのに、今度そちらでやり直してくださいませ!」

「もちろん。ちゃんと指輪を用意してバラの花びらのカーペットの上でプロポーズをするから、それでどうか許しておくれ」


びっくりするほどのロマンチックなステージを用意してくれるようです。

そのような計画を皆様の前でお話しするのはさすがに恥ずかしいですわと頬を染めてしまえば周囲のギャラリーの方たちの「おめでとうございます!」「お祝い申し上げます!」なんて祝福の言葉。


「二人ともおめでとう。

 ずっと二人のことを見守ってきたが王として、そして父として二人の婚約を認め祝福を」


国王の宣言も出たために口約束とはいえこの婚約は決まったも同然。

きっと裏では婚約の書類が用意されているのでしょう。

さすが王様いい仕事しています。

そこですかさずヘンリー様は国王に頭を下げて

「でしたら陛下、早速ですがサンスーン家でお待ちの皇后陛下へと婚約の報告を参りたいと思うので退席をさせていただきます」

「ああ、許そう。

 ついでではないがよければ城の方にもたまには顔を出してくれと伝えてくれ。お待ちしてますと」

「わかりました。

 ではイエッタ」

そう言って差し出された腕。

前の婚約者様にされたことのなかったエスコートなので恥ずかしそうに手を添えれば私たちは見つめあいながら退席させてもらう、の前に北部に連れていかれるという事を理解した顔面蒼白のマルチナに


「マルチナ、不良債権を引き取ってくれてありがとう。

 どう処分すればいいか悩んでいたけど率先して引き受けてくれるなんてなんて姉思いの良い妹ね。

 だけどまさか平民になってまでカイル様を愛してるなんて思ってもなかったわ。愛って素敵ね。

 そうそう、向こうについたらそのおなかにちゃんと子供を仕込みなさいよ。きっと子供がいる間はお仕事お休みできるから、張り切りすぎて体壊さないでね?」


そう最後のお別れをするのでした。




お婆様と再会した翌日、お婆様はお父様を連れて久しぶりに国王陛下に会いに行きお茶会でたくさんお話をしたそうです。

カイルとマルチナはあの日の翌日には北部の事業に檻付きの馬車でご案内され、アイバーン侯爵家はそれからしばらくして当主が変わったと話題になりました。

時折マルチナとカイルの様子を綴った手紙が届きます。

カイルはお仕事が忙しくなかなかおうちの方に帰ることなく宿舎の方に缶詰め状態と報告書には上がっていました。お仕事が大変そうですね、お得意のお仕事だろうから頑張ってください。

そしてマルチナは案の定カイルとは似てない髪と瞳の色を持つ男児を生んだそうです。そしてやっぱり新婚だからかすでに二人目を身ごもっているとか…カイルがおうちに帰れないほどお仕事頑張ってるのに不思議ね?お熱いのは分かりましたがちゃんと体を休めないとおなかの子供にもよくないわよと出産のお祝いにおむつを送っておきました。

お父様と言えばあの騒動からしばらくしてお爺様がいる別荘に居住を移されました。

腐って… 老いても元国王と王弟なので外から見られないように高い塀をお作りになられたそうです。慣れない土地でもあるのでたくさんの護衛が見守る中別荘から出る事もなく不自由なく別荘暮らしを堪能しているとか。

時折顔を見たいと手紙が来ますが、私も会いに行きたいのはやまやまですが発展する領地経営になかなか行けそうもありませんのでそのうちにとお手紙にしたためさせていただきました。





そして季節が巡り、あれから一年後に結婚した私たちにも天使が舞い降りました。

それは愛らしい黄金の髪と鮮やかなエメラルドの瞳を持つかわいらしい男の子で名前をエドワードと申します。

いとこ同士なので子供は望めないかもと思っていましたが、ヘンリー様にたっぷりと愛された私はほどなくして身ごもり、幸せの中にいます。

結婚した時はいずれ爵位も領地も王家に返さなくてはいけないですねともともと王家の財産なので抵抗なく考えていましたが……


「兄上に当分爵位も領地も返還できない事を伝えないとな」

「でしたらたっぷり税金でお返しできるようにこの領地をもっと発展させなくてはなりませんね」


腕の中で静かな寝息を落とす我が子を見つめながら私たちはいつまでも寄り添いつづけました。

 


車検を待っている間に書いてみました短編です。


スマホでポチポチ書いていたので車検が終わる前には書けませんでした(あたりまえw)


お粗末様でした。

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― 新着の感想 ―
もっと早く御婆様に薫陶受ければ妹も真面になったろうに(メソラシ
温泉が湧いちゃったのなら全てが最優先になるのは仕方がないと思います。温泉最高。 そして温泉に全力すぎる王家の皆様方が素敵w あらすじに「好きなことに慢心するために」とありますが、慢心だと驕る、過信す…
葬最後のお別れに、は誤字な気がするけどなんか意図もありそうで指摘しづらいw
感想一覧
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