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1.ばあちゃんの文具店

 君も見上げた。みんな息を呑む。

 最初の玉が打ち上がる。ストロンチウムの赤が夜の青を切り裂き、一瞬にして見渡す限りの世界を夏に変えた。海と空を交互に行き交う光の群れを、傍らの猫も驚いた様子で見上げる。

 ヒュー、ドン、バン、バチ、バリ、パラ、夜をつんざく花火の唸りは…

 愛、嫉妬、怒り、悲しみ、後悔、孤独、見上げる人たちの日常の不協和音を次々に打ち消していく。壮観と言ってしまえば一言で終わる。終わりを考えないようにしていた。

 最後の四尺の花火をみんなが見上げる中で、僕は繋いだはずの手を見つめていた。


 8月3日

 祖母の家は小さな文具店を営む、とはいっても半分以上は駄菓子屋で、店の前は夏休みに浮かれた子供たちで賑わっていた。その声に叩かれて僕は目を覚ました。

「ばあちゃん、おはよう」

 5年も会っていなかったからか、ばあちゃんと呼ぶのに3日を要した。祖母は朝から忙しい様子で、レジを打ちながら僕に語りかけた

「ばあちゃん、ちょっと用事があるから、お寺さんに…朝の間だけ店番してくれる」

 寝起きの僕の姿を見た祖母は続けて言った。

「着替えて朝ごはん食べなさい。髪の毛もしゃんとしなさい」

 僕の髪は猫っ毛なので、整髪は水で少し濡らすだけだ。濡れたままの髪で、祖母が用意してくれていた朝食を掻き込むと、2階の部屋に戻り寝間着を着替えた。短パンにTシャツ、さっきまでと差して変わらない自分に、廊下の姿見がさりげなく自己嫌悪を写す。

「公介、ばあちゃん、そろそろ出掛けるから、それと空いた時に品出ししてくれると、ばあちゃん助かる」

 祖母は忙しない様子でエプロンを外すと、そそくさと店をでた。店には楽しそうに菓子を選ぶ数人の子供たち。僕はその様子を横目に店の隅に置かれた段ボールを開梱した。

「はぁ…」

 すぐに僅かなため息がこぼれた。段ボールの中は大量の筆記具だ。昨日も苦戦したが、どれがボールペンでどれがシャーペンか?陳列は迷路の様に難しい。これをスムーズに整然と並べる祖母に敬意を抱きながら、さて昼までに終わるだろうか。店の壁掛け時計は丁度10時を指している。


 今日はいつにも増して暑い夏だ。昼近くになり賑わっていた子供たちの声もいつの間にか消えている。一段落を終えた僕はレジの後ろに置かれた椅子に、どっかりと腰掛けた。

 ふいに入店のベルが鳴った。湿気を多めに含んだ風が、抑え目であるが冷房の掛かった店内をまた、ぬるま湯に変える。僕と同じ歳くらいだろうか、ポニーテールを結んだ横顔は少し汗ばみ、み空色のスカートは暑苦しさとは無縁に、すーっと夏の風を纏った様に明媚だ。その少女は先程僕が並べた筆記具を眺めると、そのいくつかを手に取り、レジへと向かってくる。会計をする為に椅子から立ち上がろうとする僕に目を合わせる事もなく、少女は直角にゆっくりと曲がり、そして堂々と店を出た。

 ポカン、客のいない静まり返る空気の中で何秒か、あたふたと意味の無い動作を繰り返す僕。その後カチカチと時計の音が何秒かリズムを刻み、ようやく少し平静を取り戻す僕。我へと帰り、椅子を倒しながら慌てて少女を追いかけた。

 店先に垂直に刺さる真昼の日差しが視界を白く奪う。必死に首を振ると、風に少し揺れる、み空色のスカートを視界に捉えた。左に3軒先の酒屋の角を自転車を押して曲がろうとする少女。僕は駆け出した。

「ちょっと」

 口が渇いて上手く言葉が出てこない。んんと小さく咳払いをして唾を呑み込み、もう一度。

「ちょっと待って」

 声に気付いたのか少女は少し振り返ったが、ポニーテールを揺らすと、自転車に跨がり漕ぎ出した。僕は急いで角を曲がり全力疾走へと切り替えた。文化系の全力疾走は3秒と持たず推進力を失い、絡まった足のベクトルはアスファルトへと叩きつけられた。一瞬強い痛みが走ったがそれよりも、ここまで派手に転けた事への羞恥が勝り、僕は周囲を見渡した。良かった誰にも見られていない、安堵のため息を一つ吐くと身体を恐る恐る確認していく。大丈夫だ、手は折れていない、少しの擦り傷があるだけだ。立ち上がろうとすると、じんじんと迫る痛みに左膝から大きく血が滲み始めているのに気付いた。

「大丈夫?」

 驚き見上げると、盗人猛々しいはずの少女がハンカチを差し出していた。その親切を鵜呑みにするわけにもいかず、立ち上がった僕は少し擦り傷の付いた右手を差し出した。

「かえして…」

 同年代の女の子との接触に馴れていない僕が絞り出した言葉。間近に見た少女は美しかった。言葉が続かず10秒ほど固まる僕、少女は少し悲しげな表情をした。

「盗んだわけじゃないよ」

 か細い肩に羽織った白い薄手の上着から、黄色、水色、女の子らしい色の何本かのボールペンを取り出した。それをハンカチにのせて、擦り傷の付いた僕の掌にそっと置いた。それからまた10秒ほどか、少女は悲しげに僕を見つめた。

「じゃあね、」

 傍らに止めていた自転車に跨がると、ポニーテールを揺らしながら自転車を漕ぎ、少女は去っていった。


 今頃になってズキズキと遅れてきた痛みを引き摺りながら、僕は店へと戻った。

「公介、どこに行ってたの」

 入れ違いで帰ってきていた祖母は少し怒った様子であったが

「どうしたの?血が出てるじゃない、足どうしたの?」

 すぐに驚いた表情に変わった。膝から滲み出ていた血は、いつの間にか足首まで垂れていた。祖母は慌てた様子で、救急箱を探しに店奥の居間へと急いだ。

「公介、そこに座りなさい。」

 店と居間を仕切る格子の引き戸から、祖母は顔を覗かせ手招きをした。僕は居間の畳に腰を下ろし左脚を伸ばした。祖母は救急箱から消毒液を取り出すと慣れた手つきで治療を始めた。

「何があったの?」

 怪訝そうに問い質す祖母に、僕は少し迷ったが、ハンカチに包まれたボールペンを取り出し、つい先程までの顛末を話し始めた。

「交番に話しといた方が…」

 と言う僕に

「いいのよ、知ってる子だから」

 スッと治療の手を止めた祖母は、少し語気を強めて僕の話しを遮った。そして再び慣れた手つきで僕の膝に包帯を巻いた。治療を終えるとタイミング良く入店のベルが鳴り、祖母は立ち店へと向かう為に立ち上がる。

「時間を置いてまだ痛むようなら佐々木先生に診て貰いなさい」

返事の無い僕に祖母は続けて言った

「覚えていないの?」

祖母は心配そうに尋ねたが、お客に呼ばれてれじへと急いだ。

僕はそのまま畳の上に仰向けになり、天井を見上げた。心地よい畳の匂いが昼寝を誘う。ウトウトする瞼に母の顔が映りかけるが、上手く思い出せない。店の方から祖母の呼ぶ声がしたが、僕はそのまま眠ってしまった。












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