目は口ほどにものを言う
『帰り道? 大丈夫よ。まっすぐ歩けば帰ることができるから。ふふっ、海斗のセリフだけどね』
大雑把だけど本質を掴んでいたのねと意味深な言葉を残し、アンナは洋館へと姿を消した。
放置プレイか忘れられたことをへの意趣返し……ではなさそうだ。
携帯の連絡帳に新しく追加された「アンナ」の名前。
『帰れる自信がない? そうね……。じゃあ、本当に迷ったら連絡して。すぐに迎えに行くから。それとも――』
うちに泊まっていくとの甘美な誘いは鋼の精神で断った。
脳裏に不動明王と化した七海の姿が過ったのは御愛嬌。
実際、二日目からいきなり外泊はよろしくない。居候なのだから、出来る限り事前に伝えておかないと。
出かける時、七瀬さんに今日の夕飯は何が良いかと聞かれたのもある。
「わかる日が来る、か」
アンナの言葉を反芻する。
言われた通り、真っすぐ歩いているだけなのでどうしても考えてしまう。
足を止め、後ろを振り返る。
「あれ?」
公園も洋館も見えなかった。
まだ五分と歩いていないはずだ。公園はまだしも、のどかな風景に似つかわしくない洋館すら見えないのは……。
しかし、公園に入った時も近づくまで洋館に気づかなかった。
建築の知識が全くないが、立地や建て方で見えにくくすることができるのだろうか。
そうでもなければ説明がつかないので、おそらくそうなのであろうと無理やり納得する。
そして、再び歩みを進める。
夕日は山の向こうへと沈み、微かに漏れる光が辺りをほのかに照らしていた。
何となしに携帯で時間を確認すると、六時を過ぎたところだった。
真夏の日の長さを考えれば暗いかもしれない。
(いつかわかるなら、今は考えなくて良い)
他のことで意識を逸らそうとするが、隙があれば無駄なことを考えてしまう。
アンナの真意は、頭をひねったところで出そうにはない。
ならば、彼女が教えてくれるか。気づく時を待てば良い。
結論は出ているのだが、隠された意味への好奇心が湧き出てくる。
気を逸らすために、当たりをきょろきょろと見回す。
そもそも、今日の目的は辺りの把握と言う名の散策だ。
(まあ、散策ならアンナと再会できた時点で達成されたようなものだけど)
ぶらぶら歩くだけよりは、よほど充実した時間を過ごせた。
彼女も二学期からは同じ学園の級友となる。
同じクラスになれたら良いねとはアンナ談。いや、俺もできれば一緒が良いのだが。友人がいてくれた方が心強い。
もちろん、男としてアンナの様な女の子と仲良くできるのは光栄でもある。
しかし、彼女ほどの美貌と人柄なら人気も高かろう。
本人は気づいていないか、歯牙にもかけていないだかなのか。
(う、うーん、友達作りに苦労するかもな)
容易に想像ができる未来に苦笑する。
逆の立場で考えるとわかりやすかった。
俺がクラスメイトなら、最初は遠巻きから見るだろう。
友達が少ない――自称だが――浮き世離れした美少女と親しげな転校生。しかも、異性ときた。
胡散臭いことこの上ない。
「それでも、まあ」
切れかけていた縁が再び紡がれたのだ。
その程度の代償など安い安い。
本当に、本当に嬉しそうなアンナの声を思い出す。
薄情者だが、そんな俺でも良ければまた仲良くやっていきたい。
(どうなるかと思った高校生活だけど)
空を仰ぐ。
黒に移ろう最中、星々がキャンパスに色を添えていた。
本土にいた頃は、ほとんど見ることができなかった光景に頬が緩む。
(楽しくなるかもな)
抜け落ちていた海月島の良さを一つ思いだせた日だった。
………………
…………
……
「ってな感じで終わりたかったな……」
口元を引きつらせ、独りごちる。
「海ちゃん聞いてる!?」
「き、聞いてる聞いてる」
玄関で門番のように立ちふさがっている七海はすっかりご立腹であった。
もちろん、忠告を聞かずに散策に出かけたからだ。
また、迂闊なことに――、
『おかえり、海ちゃん。どうだった? 迷子にならなかった?』
『ただいま、七海。いや、まいったよ。途中ここはどこだってなって……あ』
『へえ、“やっぱり”迷ったんだ』
まるで旦那を迎える幼な妻のような振る舞いに、警戒心を抱くことなく、口を滑らせてしまったのだ。
「海ちゃん!」
「は、はい! 聞いてます!」
「もう、山の中で迷ったりしたら迷子じゃなくて遭難になっちゃうんだよ! 危ないんだよ!」
「そ、そうですね」
流石に平地を歩いていたのに、気づけば山の中でしたなんて事にはならないだろ。
などと反論するわけにもいかず、しばしの間、七海の説教を受けるはめになるのだった。