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ODを試みる彼女と、リストラされたサラリーマン

作者: はやはや

 目標を達成した。

 通院している精神科クリニックの薬が二百錠溜まったら、ODをして命を断とうと決めていた。

 頓服薬とか調子のいい日は服薬せずに、こつこつと薬を溜めていた。それが今日、達成されたのだ。


 最期の場所に選んだのは、廃墟となった団地の前にある公園。遊具は滑り台しかなく、草が鬱蒼と生い茂っている。ベンチの側には、ペンキの剥げたベンチ。そこで横たわって最期を迎えるのだ。


 私は早速、ミネラルウォーターのペットボトルと、薬が入った袋を持ちマンションを出る。持ち物はそれだけだ。身分がわかるようなものを持っていない方が、身元特定にも時間がかかるだろう。その方がいい。

 自分で命を絶ったなんて親が知ったら、半狂乱になるだろう。だから、少しでも長く、身元を特定されるまで時間を稼ぎたい。



 :


 公園に着くと先客がいた。時刻は午後十一時になろうとしている。唯一の灯りである公園内の外灯に、ぼんやりと照らし出されたシルエットから、男性だとわかった。


 それでも私の決意は揺るがなかった。

 今日で全てを終わらせるのだ。

 私は草を踏み分け男性に近づく。

 気配を感じた男性が顔を上げる。


「私、今から死ぬんで、そこどいてもらえます?」


 男性はその言葉に全く動揺しなかった。向き合っているのだから、いやでもその姿が目に入る。ノーネクタイでスーツを着ていた。足元の革靴と鞄はくたびれている。どちらかというと丸みのある体型。

 メガネをかけた奥の目は意外にもくりっとしていて、丸い鼻をしていた。

 深夜にこうやって対峙していても、目の前の男性が危険な人物ではないとわかった。


「そうですか。邪魔してすいません。でも、俺も行くとこないんで」


 声を聞いて思ったよりも若いと思った。


「何時になったら帰ります?」

「わからないですねぇ。足が家に向かう準備ができたらですかね」


 話している内容とは真逆の優しい言い方だった。

 何だコイツ。

 でも、私も絶対、帰るわけにいかない。今、マンションに戻ったら、また、一からやし直しになる。


「死ぬまで最期に話しませんか?」


 ははっと笑いながら男性は言った。



 :


 狭いベンチに並んで座るのは嫌で、斜め前にある、滑り台の階段に腰かけた。


「一応、身分明かしておきます」


 男性はそう言って、足元に置いた鞄の底をごそごそして何かを取り出した。差し出されたものは名刺だった。「もう、そこで働いていないですけどね」と、男性は付け加えた。


 聞いてもいないのに、男性は身の上話を始めた。三ヶ月前に仕事上のトラブルの責任を背負わされる形でリストラされたこと、家族には話していないこと、いい年して実家暮らしであること。


「両親にとって俺は優秀な息子なんで、まさかリストラされたなんて言えないんですよ」


 夜空に顔を上げて言う。初対面の私に対して、よく喋る。男性はこれまでの生い立ちを話し始めた。

 両親にとって遅く生まれた息子だったので、可愛がられ、愛情を一身に受けて育ったこと。勉強は得意で学生時代は優等生。現役で日本で一番学力の高い大学の、一番難しい学部に入学したこと。

 卒業後は一流企業(私は名刺に印字されてした会社は知らない。世間から心を閉ざしているから)に難なく就職しSEとして働いていたこと。そんな順風満帆な人生が、仕事上のちょっとしたミスですべて台無しになったと話した。


 男性はもしかしたら少しお酒が入っているのかもしれない。だって、人生の転落劇を世間話のように話したから。自分を憐れんだり、他人を責めたりするような口調ではなかった。



 :


 男性には話さなかったけれど、私の人生も高校までは順風満帆だった。容姿も中の上といっても過言ではないし、勉強も学年で十番以内に収まっていた。

 男子にそこそこモテたし、男女問わず友達も多かった。しかし、大学に入ってそれが全て崩れ去った。私は地方都市からこの街にある大学に入学した。私の容姿は育った地方都市だけでなく、都会であるこの街でも通用した。

 入学してすぐ男女ともに友達ができ、彼氏もできた。私にはそれが当たり前だと思っていた。だって、今までもそうだったんだから。


 ところが、数ヶ月後、その当たり前が目の前でガラガラと音を立てて崩れ去る出来事があった。

 三限からの授業で教室に行く前にトイレに寄った。用を足し個室から出ようとすると、聞き馴染みのある二人の声がトイレに入ってきた。普段一番親しくしている子達だった。


 個室に入る雰囲気ではなく、洗面台でメイクでも直しているのだろう。


「にしてもさぁ美結みゆってうっとおしくない?」


 美結とは私のことだ。


「のっちも同じこと思ってたんだ。確かにウザい。『自分イケてますオーラ』が腹立つ」

「あははっ! わかるそれー! 今までもイタい奴って思われながらも、誰も注意してこなかったんだろうね」

「ね。で、うちらも注意せず『コイツ、マジでイタイな』ってこれからも思うだけだけど」

「そうそう。確かに」


 血の気が引くってこんな感じなんだと思った。目眩を覚えて便座に座る。二人の声は、わぁわぁ、きゃあきゃあ言いながら遠ざかっていった。


 その日、そのまま家に帰った。その日以来、大学には行っていない。スマホのアカウントを全てブロックし、音信不通になるようにした。

 彼氏が家を訪ねてくることもなかった。アイツらと同じように私のことを思っていたのではないかと、疑心暗鬼になった。


 私は。私は今まで気づかずにいたのだろうか? 周りに実は疎まれていたことを。高校時代までの友達だったあの子もあの子もあの子も……実は私をウザいキモいなんて思っていたのだろうか。

 そう思うと心臓を銃で貫かれたような気がした。



 :


 大学を休んでいることが両親にバレた。「体調が悪くて行けない」と正直に話した。両親は私に興味がないくせに、世間体だけはやたらに気にする人たちだ。


「休学届出して、一日も早く復学しなさいよ。後、すぐ病院に行きなさい」


 とだけ言った。その頃の私は何時間も眠ることもあれば、その逆もあった。気分も体も鉛のようにずうんと重かった。死にたいなと思うけど実行に移す気力がなかった。


 病院に行くなら精神科だろうなと思った。そして、閃いたのだ。そういう病院で処方される薬をODすれば死ねるんじゃないかと。だから、私は通院を始めた。

 診断目は〝うつ病〟だった。ふぅんとしか思わなかった。早く薬が欲しい。それだけだった。でも、そんな簡単に致死量にいたる薬が手に入る訳ではなかった。

 初診の日から今日まで、コツコツ薬を貯めたのだった。



 :


 目の前に座る男性のぼんやりとしたシルエットを見ながら、自分の過去を振り返っていた。突然、男性が両手でぽん! と軽やかに自分の膝を叩いた。その音に私は顔を上げる。


「明日の朝、両親にきちんと話します。だから君も死ぬことなんて考えないで生きてほしい。そうだ、明日の朝、十時にここで待ち合わせしましょう。俺、ちゃんと約束守るんで、君もちゃんときてくださいね」


 男性はそう言うと「おやすみなさい」と、ぺこりと頭を下げ公園から出て行った。私はその後ろ姿を見送る。

 自分一人になった公園は、さらに静かになった。


『君も死ぬことなんて考えないで生きてほしい』

『明日の朝、十時にここで待ち合わせしましょう。俺、ちゃんと約束守るんで、君もちゃんときてくださいね』


 そう言った男性の声が頭の中でこだまする。

 今日死のうと決意していたのに揺らぐ。

 どうせ口からの出まかせに決まっていると思う一方で、あの男性なら約束を守る気がした。私は生きたいのか? わからなくなってきた。



 男性の声のこだまに負けて、私はマンションへと戻った。二度と帰ってこないと思っていたのに。死ぬのを一日ずらしただけ。自分にそう言い聞かせベットに潜り込んだ。



 :


 翌日目を覚ますと昼の十二時だった。男性との約束の時間を二時間過ぎていた。昨夜の公園に行くかどうか迷ったけれど、どうせ今日死ぬんだしと思って薬とミネラルウォータのペットボトルを持って家を出た。


 公園に着くと昨日と同じベンチに男性が座っていた。彼は約束を守った。しかも、二時間も待っていたのだ。そう思った時に、何も感じなくなっていた心が、じわ、と微かに動いた気がした。

 私を認めると彼は「おはようございます」と目を細めて笑いながら言った。遅刻したことなんか全く気にしていないようだった。男性が発した『おはようございます』 その何気ない一言が、私を再び生の道へ導いてくれる気がした。


 私は男性に近づく。きちんと両親に話したのだろう。その顔はさっぱりしていた。チノパンにTシャツ。どこにでもいる男性の典型的な服装だ。それでも、彼の周囲に漂う空気は、優しくて、淡い色合いを持っていた。


「両親に話しました。始めはショックを受けていたようですけど、『まだ、やり直せる年齢だから、大丈夫だ』と言ってくれました」


 全てを受け入れた笑顔だった。


「昨日、たまたま君に会えたからです」

「え……」


 男性は私の目を見て言う。


「君に事情を話して、そしたら急に自分の中で腑に落ちたんですよね。そして決意しました。前に進もうって」


 私が黙っていると男性はさらに続けた。


「今日、約束通りきてくれて、ありがとうございました。生きていてくれてありがとうございました」


 涙腺を鋏で切られたかのように、涙が溢れた。


『生きていてくれてありがとうございました』


 そんなこと初めて言われた。私はやっぱり生きていていいの? そうだ。生きていていいんだ。人にどう言われようが、それはその人の勝手なんだ。


「え? え? マズイこと言いましたかね?」


 慌てる男性の言葉に私は首を横に降る。


「……生きて、いて、いいんだ、って、思えました」


 嗚咽をもらしながら途切れ途切れに答える。


「そうですよ。生きていていいんです」


 通院している病院の先生の言葉より胸に沁みた。心が温かさを取り戻していく。


「しばらくゆっくりしてから、就職活動しようと思ってるんで、たまにこうやって話しませんか? 君と話していると心が穏やかになるんです」


 メガネの奥の瞳は、子どものように純粋そのものだった。


「はい。電話番号伝えておいていいですか? スマホ、家に置いてきてるんで」


 私はそう言って自分の番号を伝えた。「不在着信残しておきます」と言って、男性はすぐさま私のスマホに電話をかけた。


「じゃあまた。気をつけて帰ってくださいね」


 男性はそう言うと、ゆったりとした足取りで公園を出て行った。男性を見送った後、右手に重みを感じた。水の入ったペットボトルだった。スウェットのポケットには例の薬。もう、私には必要のないものだった。


 公園を出てマンションに向かう。途中にあるコンビニのゴミ箱に私は薬を捨てた。死を手放したのだった。だって生きると決めたから。

読んでいただき、ありがとうございました。

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