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夢の中の姉

作者: 海山 里志

 お姉ちゃんの姿を初めて夢で見たのはいつのことだったでしょうか。たしか、私が初めて高熱を出した時だったと思います。その時はお母さんが背中をさすってくれたり、お父さんが氷を変えてくれたりしましたが、熱が引かないので泣いていました。やがて泣き疲れて眠りに就きましたが、その時出会ったのがお姉ちゃんでした。

 その時の夢の中の世界は浜辺で、天は荒れ海は暴れていました。風は海に向かって強く吹いていて、私はそれに押されるようによたよたと歩いていました。

「そっちに行ってはだめよ」

 と言って、手を掴む人がいました。私は手から腕を視線で辿り、見上げました。その先には私に微笑みかける女の子の顔がありました。

「だめ?」

「そう、だめ。帰ってこれなくなっちゃうから」

 彼女はそう言って優しく手を握ったまま、荒れ狂う海を眺めていました。その人とは夢の中で初めて出会ったはずなのに、なぜだかほっとする心地がしました。彼女のことが知りたい。そう思って私は尋ねることにしました。

「だあれ?」

 すると彼女は、しゃがんで私と視線を合わし、笑顔で答えてくれました。

「私? 私は満帆みつほなぎさちゃんのお姉ちゃんだよ」

 満帆お姉ちゃんの言うことはおかしいのです。というのも、私にはお姉ちゃんがいません。一人っ子だったのです。

 でも、満帆お姉ちゃんは私のことを知っているようですし、一緒にいるとほっとします。ということはやはり、満帆お姉ちゃんは私のお姉ちゃんなのかもしれません。

「そうだ、子守唄を歌ってあげる。膝枕もどうぞ。ゆっくり寝て、早く病気を治そう?」

 そう言って満帆お姉ちゃんは正座をして、膝をぽんぽんと叩きました。私が膝に頭を乗せると、満帆お姉ちゃんは頭を優しくなでながら、ゆりかごの歌を歌ってくれました。頭をなでる優しい手つきと子守唄の優しい調べで、私は安心して眠りに就くことができました。

 明くる朝看病でくたくただったお父さんとお母さんに、

「お姉ちゃん?」

 と尋ねてしまいました。二人が困惑したように顔を見合わせたことは忘れられません。


     *     *     *


 それからというもの、私はしばしば夢の中で満帆お姉ちゃんと会いました。満帆お姉ちゃんの夢を見るときは決まって浜辺でした。満帆お姉ちゃんはいつでも優しかったです。私が元気な時は、穏やかな浜辺で一緒に遊んでくれました。私が病気の時は、荒れ狂う浜辺で波や雨風から私を守ってくれました。良いことがあった日は飽きることなく話を聞いてくれましたし、私の記念日にはささやかなお祝いのパーティーを開いてくれました。私は一人っ子でしたが、夢の中にお姉ちゃんがいるので、寂しい思いはしませんでした。

 しかし、卒園式の日の夜のことです。私はいつものように夢の中で満帆お姉ちゃんに会いました。星降る浜辺で、満帆お姉ちゃんは私の大好きなチョコレートケーキを用意して待っていてくれました。

「卒園おめでとう、渚ちゃん。今日は渚ちゃんの大好きなチョコレートケーキを用意したよ!」

 満帆お姉ちゃんはそう言って笑顔で迎えてくれました。私は嬉しくて満帆お姉ちゃんに抱き着きました。

「やったー! お姉ちゃん大好き!」

「うん! お姉ちゃんも渚ちゃんのこと大好きだよ!」

 私たちはしばらく抱き合っていました。しかし、近くで姉の姿を見て初めて、姉の姿がいつもと違うことに気が付きました。

「お姉ちゃん、透けてる……!」

「うん。それはね、もうすぐお姉ちゃんの役割が終わっちゃうからなんだ」

「やだ! ずっと一緒がいい!」

 私はぎゅっと満帆お姉ちゃんにしがみつきました。そんな私の頭を、満帆お姉ちゃんは撫でてくれました。

「いい子ね、渚ちゃん。大丈夫、すぐいなくなるわけじゃないわ。しばらくは一緒にいてあげられるから」

「本当?」

 私が顔を上げると、満帆お姉ちゃんはしゃがんで視線を合わせてくれました。

「本当よ。さあ、チョコレートケーキ、一緒に食べよう?」

 私は頷いて満帆お姉ちゃんと手をつなぎ、席に向かいました。私が満帆お姉ちゃんの向かいに座ると満帆お姉ちゃんはケーキを切り分けてくれました。そうして二人でケーキを食べながら、保育園での思い出を語り合いました。


     *     *     *


 その日から満帆お姉ちゃんの姿はどんどん薄くなっていきました。

 入学式の夜のことです。その夜満帆お姉ちゃんは私の大好きなエビフライを用意して待ってくれていました。しかし私にとっては山盛りのエビフライ以上に満帆お姉ちゃんのことが気がかりでした。

「お姉ちゃーん!」

 私は大声で呼びかけながら駆け寄りました。そんな私を、満帆お姉ちゃんは両手を広げて迎えてくれました。そんなお姉ちゃんには足がありません。そのことに気が付いた私は、その場で立ちすくんでしまいました。そんな私に満帆お姉ちゃんはゆっくり近づき、両手で抱きしめてくれました。

「お姉ちゃん、足、ないよ!」

 私の訴えに、満帆お姉ちゃんは平然と答えました。

「それはね、お姉ちゃん、幽霊だからなんだ。渚ちゃんは、幽霊のお姉ちゃん、嫌い?」

 この問いかけにどうして頷けましょうか。私はぶんぶんと首を横に振りました。

「ありがとう。お姉ちゃんも渚ちゃんのこと大好きだよ。だから入学祝に渚ちゃんの大好きなエビフライをたくさん用意したんだ。一緒に食べよう?」

 満帆お姉ちゃんは私に笑顔を向けて言いました。満帆お姉ちゃんは自分の終わりが近いことを知っていてもなお私思いなのです。その思いを無視するわけにはいきません。私は、満帆お姉ちゃんがするように、笑顔を作って食卓に就きました。

 その日は来る小学校生活への期待や不安を語り合いました。満帆お姉ちゃんは笑顔を絶やさず聴いてくれました。赤いランドセルを背負い黄色い通学帽を被って見せると、満帆お姉ちゃんは目に涙を浮かべて言うのです。

「お姉ちゃんになったね」

 それを聞いて私は思わず泣きそうになりました。それでも私は鼻をすすり、満帆お姉ちゃんに訴えました。

「でも私は、満帆お姉ちゃんの妹だよ! ずうっとずうっと、満帆お姉ちゃんの妹だよ!」

「そうね、渚ちゃんは私の可愛い可愛い妹だもんね。おいで。抱きしめてあげる」

 満帆お姉ちゃんも鼻をすすり、優しい声で言いました。私は椅子を跳び降り、満帆お姉ちゃんに駆け寄り、抱きつきました。満帆お姉ちゃんは足を失いましたが、温かさはまだ失っていませんでした。


     *     *     *


 それ以来満帆お姉ちゃんの夢を見ることはなくなってしまいました。正直に言うと寂しかったし、このまま会えないのではないかという不安もありました。しかし、今までと同じように、誕生日にはまた会えるという希望を捨てきれずにいました。

 こうして迎えた誕生日の夜。風は凪ぎ、波も立たない、満天の星の下の浜辺。そこにはご馳走もケーキもなく、満帆お姉ちゃんは海に立っていました。私は思わず駆け寄りました。

「満帆お姉ちゃん!」

「来てはダメ!」

 それは満帆お姉ちゃんからの初めての強い制止でした。私は立ちすくんでしまいました。それを見て満帆お姉ちゃんはいつもの優しい声色で言いました。

「渚ちゃん、よく聴いて。まずは誕生日おめでとう。もう七歳になったんだもんね。大きくなったね」

 私は涙が出るのを抑えきれませんでした。声を出すと震えてしまいそうなので、私は口を固く結んで頷きました。満帆お姉ちゃんは続けます。

「お姉ちゃんの役目はね、渚ちゃんが無事に七歳を迎えるのを見守ることだったんだ。渚ちゃんがこっちの世界に来てしまわないようにね」

 薄々勘づいてはいました、満帆お姉ちゃんがもうこの世にいないということに。それでも満帆お姉ちゃんは私にとって唯一の、そして大切な姉なのです。だから私は声が震えるのも構わず叫びました。

「でも、私また病気になるかもしれないよ! 大怪我するかもしれないよ!」

「大丈夫。渚ちゃんは強くなったから。渚ちゃんはもう七歳、でしょ? そうだ! 誕生日の歌、歌ってあげる!」

 そして満帆お姉ちゃんはハッピーバースデートゥーユーを歌ってくれました。私は静かに満帆お姉ちゃんの歌に聴き入っていました。歌が終わると、私は惜しむことなく拍手を送りました。満帆お姉ちゃんは笑顔で言いました。

「じゃあ渚ちゃん、元気でね。もしよかったら、七五三の日、近くの寺のお地蔵さんの前に来て、渚ちゃんの晴れ姿を見せてほしいな」

 そう満帆お姉ちゃんが言い終えると、突然大きな波が立ちました。

「お姉ちゃん!」

 私は叫びますが、満帆お姉ちゃんは動きません。満帆お姉ちゃんはそのまま波に飲まれ、波が引いた時にはその姿はありませんでした。

「満帆お姉ちゃああああん!」

 星明かりの降る浜辺で、私の声だけが響いていました。


     *     *     *


 目が覚めると視界が滲んでいました。どうやら私は泣いていたようです。

「渚、どうしたの?」

 お母さんが来て言いました。

「満帆お姉ちゃんって言ったか?」

 お父さんも来て言いました。どうやら寝言にも出ていたようです。

 私は両親に促されるがまま、夢の中での満帆お姉ちゃんとのあれこれを話しました。それを聞いていたお父さんとお母さんの目には次第に涙が溜まり、お母さんはついには顔を覆ってすすり泣いてしまいました。お父さんはそんなお母さんの背中をさすりつつ、優しい声色で言いました。

「満帆は、確かに渚ちゃんのお姉ちゃんだ。と言っても、お父さんたちは産んであげることができなかったんだけどな」

「どういうこと?」

 私が問いかけると、お父さんは唇を舐めながら天を仰ぎました。言葉を探しているようでした。やがて良い言葉が見つかったのか、再び私と目を合わせました。

「満帆は、お腹の中で死んじゃったんだ。お母さんが悪いわけじゃない。誰も悪くないんだ。ただ、これは仕方のないことなんだ」

 それを聞いて私は、もちろんお母さんを責めるつもりはありません。他の誰かを責めるつもりもありません。お父さんの言うとおりこれは仕方のないことなんだと思います。それに、そのことを誰かに恨むというのは満帆お姉ちゃんが望んでいることではないと思うのです。

 そしてお父さんは顔を綻ばせて言いました。

「しかし、夢の中で満帆と会ったかぁ。お父さんたちも会ってみたかったなぁ」

「満帆お姉ちゃんが言ってた。七五三の日にお地蔵さんの前に来て晴れ姿を見せてほしいって」

 私がそう伝えると、お父さんもお母さんも何度も頷きました。

「そうだな、そうしよう」

「ええ」

 こうして七五三の日に近所のお寺にも行くことが決まりました。

 そして迎えた七五三の日、家族みんなで晴れ着を着てお地蔵さんに手を合わせました。顔を上げると、葉牡丹の花を黒い綺麗な蝶が離れ、海の方へと飛んで行きました。私にとってそれは満帆お姉ちゃんのように思われ、蝶が見えなくなるまで手を振りました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 読みながら、そうなのかなぁと思っていたら そうでした。 切ないけれどお姉ちゃんの優しさが伝わってきました。
2024/01/24 16:47 退会済み
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