ありがとう
結局、この日の授業は必修の5つだけで、選択授業はどうやら後日かららしい。今日やった他の教科の授業は退屈なものなので割愛しよう。
「ふぃ〜〜〜…つっかれだぁ〜〜」
陸人は放課後になると同時に足早に教室を出て、自室に辿り着いた瞬間ベッドに腰をおろし疲れを声に乗せて吐き出した。
第二王子のこともあってめっちゃ疲れた。
しかし、今日もどうやら天馬は用事があるらしく先に帰っていろと言われたのだ。
公爵令嬢の忙しさは半端ない。自分は伯爵家の娘でよかったなと心から思う。記憶を辿るとこの乙女ゲームでは後半登場人物はほぼ全員生徒会に所属するイベントがあったはずなのだが、これ以上クリスティーナに激務を課して大丈夫なのだろうか。ゲームの中で彼女が”悪役”令嬢になったのも案外そういうのが原因かもしれない。
(…つってもな〜)
公爵家の仕事だから手伝いたくても手伝えない。
とくに仕事も勉強への熱意もなくのんびり過ごすことが許されている自分でさえ、慣れない世界で他人、それも性別さえ違う少女を演じることに精神的にも肉体的にも極度の疲労とストレスを感じているのに、息をつく暇さえ与えられない天馬の苦痛はいったいどれほどのものなのだろうか。
ただでさえいきなり刺され死んだかも知れない状態で急にゲームの中にいる状況。せめてもう少し情報があってもいいのではないか。
(早くなんとかしなきゃな…)
なんとかとは言っても、なにか名案があるわけではない。
この世界がどうにか片付いて元の世界に戻れたとしても、あっちの世界でもう死んでいて身体が火葬でもされていたら意味がない。救いようのないことに、その可能性がなにより高いのだ。
しかしそもそも俺たちが死んでいるなら今のこれはどういう状態なのだろう。走馬灯でもなさそうだし、魂だけがどこかをさまよって変な幻覚でも見させられているのだろうか。
だが。
(わからんことをずっと考えてても意味ないわな)
陸人は疲れきった体に鞭を打って立ち上がり、シャワーと夕食をとって天馬が帰ってくるまで仮眠をとることにした。
◇ ◇ ◇
「…ん、……あれ、」
少し仮眠をとろうと思っていただけなのに、目を覚ますと窓の外は暗くなっていた。
時計を見ると寝始めてから5時間は経過しているようだ。
(寝すぎた…)
目をこすりながら起き上がり、手で軽く乱れた髪を整える。
体は寝起きで気怠いながらも、のそのそとテーブルまで歩いて、ピッチャーからコップに水をうつし、乾いた喉にゴクゴクと流し込んだ。
(そいえば天馬帰ってきたかな…)
自室の端にあるもうひとつの扉を眺める。
天馬も自分と同じように帰ってきてから疲れてもう眠ってしまった可能性もあるが、様子を確認しに入るくらいならばいいだろうか。
(いっか、天馬も気にしないだろ)
隣室に入ることが、クリスティーナの、女子の部屋に入ることだと考えるか、天馬の部屋に入ると考えるのかは入る人の自由だ。
先日は天馬も確認せずに入ってきたので問題ないだろう。責められたらおあいこだと言って逃れよう。
(…おじゃましまーす)
大きい音をたてないようにそっと扉をあけ、暗い部屋を覗き込む。
どうやら自分の部屋と間取りは同じらしい。隣の部屋なのだから当たり前か。
見える限りでは家具もそこまで多くない。公爵家にしては質素なほうだろう。しかし豪奢ではないものの繊細で優美な細工が、財力よりも権力の品格を表している。
悪役令嬢のイメージとしては豪華絢爛でやかましい感じの内装を想像していたのだが、いいかんじに予想を外れた。
(さっすが金持ちは違うな…)
さすがとは言うが、伯爵家もそうとうな金持ちであることは置いておく。
しかしこの部屋に来た本来の目的の人物を探さねばならないので部屋の中へと歩を進めると、陸人の予想通り、天馬はソファーで横になっていた。
だが様子が少しおかしく、”っはぁ、はぁ、…っふ、っ、”と荒い呼吸音が聞こえてきた。
普段の自分ならこういう時、自慰行為でもしているのかといった発想がでると思うのだが、そんな考えにも及ばないほどに、その呼吸音は苦しげに、辛そうに聞こえる。
縮こまるようにして丸まっている影に近づいてちゃんと見てみると、凄い量の冷や汗や、いつもよりも深く刻まれた眉間のシワが浮かんでいるのが見えた。
(悪夢でも見てんのか…?)
これは起こしたほうがいいやつだろう。
陸人は、はくはくと口を動かし、必死に酸素を求めるように呼吸している天馬を見て、これは相当な悪夢を見ているに違いない。天馬がここまで弱っているのなら、元の世界の夢なのかもしれないなとも思った。
「おい、天馬…、天馬起きろ」
肩に手を置いて揺さぶる。
しかし天馬はゆっくりと瞼を開き、目を覚ますとビクッと肩を揺らして陸人の手を振り払った。
「……、触るなッ!!」
「…痛ッ」
陸人も天馬もびっくりする。
「………え、…陸人?」
天馬は目を丸くして固まった。
「……あ、ちがう、ごめん…まだその顔見慣れてなくて…」
天馬は起きぬけにヘレンの顔を見て驚き、とっさに手を振り払ってしまったのだろう。まだこの顔になって数日だ。慣れてなくて普通だし、悪夢を見たあとで気が動転していたこともある。仕方のないことだ。
仕方のないことなのに、天馬の落ち込みようが酷い。まるで捨てられた子犬のような顔でしょげている。あの仏頂面悪魔にこんな顔までさせるとは、悪夢の力は半端じゃない。
「わぁってるよ気にすんな。てか俺は陸人だ。ヘレンの顔で慣れられても困るくらいなんだけどな」
天馬は両手で顔を覆い、大きく息を吐き出す。
「…すまん」
「だからいいって」
らしくない。本当にらしくない。
「とりあえずお前シャワー浴びてこい、汗で冷えるぞ」
シャワーでも浴びれば少しは気分がスッキリするだろうし。
「…ああ、わかった」
すっかり気を落として歩いていく天馬の後ろ姿を見て、陸人は悪戯気にニヤッと笑ってからかう。
「一人で風呂入んの怖かったら一緒に入ってやるけど」
天馬が顔を赤くしてバッと振り返る。
「阿保か!」
◇ ◇
天馬が風呂から上がり、タオルで髪を拭きながら部屋に戻ると陸人の姿はなかった。
自分の部屋に戻ったのかと思って陸人の部屋も覗いてみたが、その姿は見当たらない。
(あいつ、どこ行った…?)
しかしそれから数分もせずドアがガチャっと開いて陸人が戻ってきた。
手には何故か湯気がたった2つのマグカップを持っている。
「なにそれ?」
「世界一優しい陸人様が、厨房でホットミルクを作ってきてやったぞ」
”泣いて感謝しろよ”と冗談めかして言って「はいっ」と渡す。
「え、マジか…サンキュ」
天馬はゴクッと一口飲み、ホッと息をつく。
丁度いい熱さと甘さが疲れた身体に染み渡る。正直言うと涙が出そうなほど感極まった。実際涙を流せばここぞとばかりに陸人にからかわれる未来しか見えないので泣かないが。
「てか厨房って生徒は立入禁止だろ?」
天馬がふと気になったことを聞いたら、陸人は何をわかりきったことを聞くのかと肩をすくめた。
「何のためのこの顔だよ、使える時に使うべきだろ」
つまり可愛い顔だから通してもらえたということだろうか。
「なるほどな、まあそんな顔面なら万能の立入許可証くらいにはなりそうだな」
天馬はそういう使い方もあるなと素直に感心した。
「そそ。あ、そーいえば天馬夕飯食べた?」
「いや、けど今は食欲あんまないからいいわ」
陸人はそれを聞いて顔をしかめる。
「お前なー、食欲なくなるまで無理すんなよな!?なんだってそんな学生なのに仕事に精出してるわけ?元の世界への手がかりとか微塵も関係なさそうなのに、天馬にしては珍しくね?」
さすがに自分の身体も心も追い詰めているのは見ていられない。
「…別に無理はしてないし、これはクリスティーナとして俺がやるべきことだから」
無理はしてないとかどの口が言っているんだと言いたい。
「はぁ?やるべきこと?天馬お前やっぱ他人の身体使ってること気にしてんの?…そんでいつかその人に身体を返すことになった時にその人の人生を壊してないようにとか、そんなこと考えてんだろ」
天馬が図星を突かれ、沈黙で返す。
「………」
「今はそれを考えるのは違うだろ。いや違くはないけど、多少は配慮しておくべき問題だけど、そればっかになって本来の帰るっていう問題を疎かにしちゃ駄目だろ?それよりも身体壊したらもっと駄目だろ!?」
「……そうだな」
天馬は素直に頷いた。
「はぁ…、いや、怒りたかったんじゃなくてさ。ただ、ここは所詮ゲームの中の世界なんだし。…あんま心配かけさせんなよって話よ」
陸人も、流れで怒鳴ったようになってしまったが、ただ心配で見ていられなかっただけなのだ。
大きい声だして悪かったと謝りながら、へこたれている天馬を見て頭を掻く。
「すまん…、これからは気をつける」
「おうよ。仕事量は極力減らせ。なんなら俺に手伝わせてもいいけど、できるならもう全部やめちまえ。もしクリスティーナがその身体に帰ってきて怒られたら全部俺のせいにすればいいだろ」
「ははっ、なんだそれ」
天馬がぷはっと吹き出す。やっと笑った。
「わかったよ、俺もうクリスティーナの仕事やんねぇ」
天馬のその急な心変わりの返答に陸人は一瞬虚をつかれて止まったあと、満足気にニカッと笑って肩をバンバン叩いた。
「よろしい!」
クリスティーナになってからの天馬は、あまり作り物の笑顔以外は見せなかった。会話の中でたまに小さく笑っていることはあるにはあったが、こうして憑き物が落ちたように明るく破顔してくれたのは陸人たちが男だった頃ぶりだ。そうは言っても体感数日ほどだが。
(ゲームの中に入るなんて状況、そうそうあるものじゃないんだから楽しまねぇと損だよな…)
「……あ、」
「ん?」
陸人は自分がつい数十分前に考えていたことを思い出して、イタズラをしかける小学生のようにニンマリと笑う。
「俺、今日はそっちで寝るわ」
「は…?」
「怖がりの天馬ちゃんがまた悪夢に震えないように一緒に寝てやるよ」
「え、いや…はぁ!?」
天馬は、良い年した高校生男子二人が一緒に寝て恥ずかしくないのかと驚く。今の状態が男子かはさて置くが。
「安心しろって、別に襲ったりはしねーよ」
「いや、陸に下心があろうとなかろうと別に問題はないんだが…、正気か?」
問題ないとはどういう意味か。陸人のことなど簡単に制圧できるということだろうか。げせぬ。
「ショーキショーキ、さあGo!」
陸人は既に空になっているマグカップを天馬の手から素早く抜き取ってテーブルに置き、楽しそうに笑って天馬の背中を押して誘導した。
「えー…」
えーとは言うものの抵抗せずにベッドに向かって歩いていくあたり、天馬も存外満更でもないのだろうか。ただ抵抗する気力もないとか、面倒くさいとかそんな理由だろうが。
二人揃ってベッドに入って毛布をかぶる。ふっかふかの高級感ある”金持ちのベッド”だった。ヘレンの部屋の物よりも数段生地の質がすごい。
「うわ、めっちゃ気恥ずかしい」
天馬が両手で顔を覆いため息を吐いた。
「気にするとどんどん恥ずかしくなるんだから考えないようにするくらいで丁度いいぞ」
「お前も少しは恥ずかしいのかよ、なんか安心したわ」
人並みに羞恥心があって。とは口には出さない。
「そりゃなー。てか、枕も2つあるとか流石だわ」
「だろ」
枕は自分の部屋から持ってくる予定だったが、流石の公爵家。
「………………………………」
「………………………………」
沈黙が落ちる。
部屋は真っ暗で、背中合わせで寝ているため互いの顔も見えず寝ているのか起きているのかもわからない。
「なぁ陸」
陸人が「なんか話せよ〜」と思念を送っていると、テレパシーが伝わったのか、天馬が話しかけてきた。
「なに、怖いから抱きしめてほしい?」
「ちげーよ阿呆」
天馬は呆れながら返答したあと、少しの間沈黙した。
「…?」
陸人は、そちらから呼んでおいてなにも話さないのかと疑問に思っていると、背中の後ろで天馬が何やらゴソゴソと動いてるのに気づいた。
気配的に天馬がこちらに向き直ったのだとわかり、陸人もそちらに体の向きを変えるとパチっと目が合う。
(え、なになに…)
暗くてよくは見えないが、表情も妙に真面目くさっていて、何やら言葉を探しているような雰囲気だ。
「あのさ…」
天馬が静かにポツリと、一つ一つ言葉を選ぶように口を開いた。
「この世界に入る前の、あの日のこと…なんだが」
「…あー、うん」
あの日とは、流れ的に察するに、最後の、倒れていた相手に刺されたあの日のことだろうか。
天馬からその話を出されるとは。お互いにあまり元の世界のことは、必要以上に話題に出さないようにしていた節もあったと思うのだが。
戻れるかもわからないあの世界を思い出しても悲しいだけだし。なんせあの死んだ瞬間のことを思い出してしまうことは恐怖以外の何ものでもないのだ。
「お前は、俺をかばって刺されただろ」
「……んー…まあ」
天馬はその時の状況を思い出してか、痛みをこらえるように顔をしかめる。
あれは自分の選択だったし、陸人は別にあの時のことを謝ってはほしくはないのだが。
そんな陸人の思考が伝わってか、天馬は、お前は謝られても困るだろうから謝りはしないけど、と続ける。
さすが親友だ。わかってる。
「…ありがとう」
噛みしめるように。静かに、一言。
「でも元はと言えば不用意に近づいた俺が悪いし、それに結局二人とも死んじまったし、お前のこと守れたわけじゃないんだから、礼を言われるのもなぁ…」
陸人は、生真面目な空気がむず痒くて苦笑する。
「それでもだ。…あの時の男は何故か俺を狙ってたみたいだし、お前は逃げることもできたのに、真っ先に動いてくれてありがとな」
「…………おう」
夜も更け、二人共がしだいに二度目の眠気に襲われていく。
なんとなく向かい合っていた身体を、もう一度背中合わせに向きを変え、その眠気に身を任せた。
今夜は夢も見ず、深い良い眠りだった。




