表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/25

6本目


 朝起きたら糸が見えなくなってました、なんていう都合の良い事はいつまで経っても起きず、今日も薬指から伸びる赤い糸は健在だ。短くなった俺の糸もだらりと力なく垂れ下がったままである。この無意味なやり取りを何度繰り返しているだろう。はぁ、と深く息を吐き出して、俺は朝のトレーニングへと向かった。



 *



「今日の訓練はこれまで!」

「ありがとうございました!!」


 騎士科の授業はキツい。朝から晩まで剣を振るい、己の精神を鍛え、限界まで動き続ける。うちの学園の騎士科には週二回、騎士団から現役の騎士が数名派遣され、俺たち候補生を鍛えてくださっている。授業の成績と彼らの評価、そして試験の結果を元に、卒業後の配属先が決まるというなかなか効率の良いシステムだ。もちろん座学もあるが、やはりメインは身体を鍛えることだろう。


「アル、お疲れ。今ちょっといいか?」


 汗だくになった顔をタオルでごしごしと拭いていると、騎士科の特別講師、現役の第二騎士団第三隊長であるスコット・ワイルダー隊長に声をかけられた。


「はっ! なんでしょうか」

「今度の王都の巡回(パトロール)だが、お前とトムと組む事に決まった」


 王都の巡回(パトロール)とは、犯罪の抑止や治安維持などを目的に、騎士団の団員が定期的に街を見回る仕事だ。主に第二騎士団が中心となり、その巡回には俺たち騎士候補生も参加している。俺も数回参加したことがあるが、大きな事件に遭遇したことはまだない。


「詳細は追って連絡するが、準備しておいてくれ」

「了解しました!」

「巡回は街の安全を守る騎士団の大事な仕事だからな。しっかり取り組むように」

「はっ!」


 俺が敬礼すると、隊長は軽く笑みを浮かべた。ポンと肩を叩いて静かに立ち去っていく。うん、相変わらずクールでかっこいい。ワイルダー隊長は二十五才という若さで隊長まで上り詰めた実力者だ。剣の腕も確かながら、市民の安全にも気を配る、強くて優しい俺の憧れの騎士である。


 そんなワイルダー隊長の小指には一本の赤い糸が結ばれていた。蝶結びでしっかりと結ばれていることから、おそらく想い合っている女性との糸なんだろう。婚約者がいるとは聞いたことないが……隠しているのだろうか? そんな事を考えながら大きな背を見送っていると、隊長がふと校舎の方に視線を向けた。つられて俺もそちらに目をやる。


 隊長の視線の先には、一人の美しい女性がいた。ガラス張りの窓からは、廊下で生徒と話をしているエマ・ハリス先生の姿が見える。エマ先生は淑女科で音楽を担当しているこの学園の教師だ。そして驚いたことに、隊長の小指とエマ先生の小指から伸びた糸が、綺麗な一本の糸となって結ばれている。


 つまりこれはあれか? 隊長の婚約者はエマ先生で、何か理由があって公にはまだ発表してないということか? まぁ、婚約者が同じ学園にいると知られれば色々面倒なこともあるのだろう。隊長も先生も、学園では人気が高いし。


 しばらくエマ先生の様子を見ていた隊長はふと優しげな笑みを浮かべると、何事もなかったかのように歩き出した。しかし、その足取りは先ほどより軽く感じる。……隊長もあんな風に浮かれたりするのか。余程先生に惚れてるんだなぁ。


 ……別に羨ましくなんてないぞ。断じてない。俺は相変わらず短いままの赤い糸を見つめて溜息をこぼした。



 *



 その翌日のことだ。


「おはようございます、アレックス様」


 ああ、ついにこの日が来てしまったか。耳に入ってきた可愛らしい声に、喜びと不安が交互に押し寄せる。先日までの俺だったら朝から会えるなんて今日はなんて良い日だ、と間違いなく浮かれていたのだろうけれど、今は手放しで喜べないのがツライ。


「……おはよう、マリア嬢」


 マリア・グリフィス子爵令嬢。美しく輝くプラチナブロンドの髪に柔らかく垂れ下がった目が特徴的な、可愛らしいご令嬢。騎士の公開訓練の見学に毎回訪れる女子生徒の一人で、騎士科の生徒たちからの人気も高い。こないだサラ嬢には否定していたが、俺の切られた赤い糸は間違いなく目の前の彼女に伸びていたんだろうなぁと、彼女の笑顔を見て改めてそう思った。


 運命の赤い糸が見えるという特異体質になったせいで不本意ながら人様の恋愛事情に随分と詳しくなってしまった俺だが、実はまだマリア嬢の小指の糸は見たことがなかった。無意識のうちに会わないようにしていたのかもしれない。俺は彼女から伸びる赤い糸を、ましてやその先にいる人物を知るのが怖いのだ。


 挨拶を交わした俺は急いで下を向く。彼女の赤い糸をなるべく見ないための最後の悪あがきである。


「……アレックス様?」


 ―─俺の不審な態度にマリア嬢は不思議そうな声を出す。仕方ない。俺は覚悟を決めて顔を上げた。



「…………あ」



 覚悟はあっという間に崩れ落ちた。


 見たくもないのに見えてしまった、マリア嬢から伸びる赤い糸。

 その糸が俺に伸びていなかったという事は言うまでもないだろう。唯一の救いは糸の先の相手が分からなかった事だろうか。


 ああ、さよなら俺の恋心。神よ、あなたを恨みます。


 一気に落ち込んだ様子の俺に、マリア嬢は戸惑ったように声をかけた。


「アレックス様、お疲れですか?」

「あ、ああ。最近少し訓練がキツくて。騎士としては情けないんだが……」


 眉尻を下げて心配そうな顔をするマリア嬢に俺は苦笑いを浮かべ適当に誤魔化した。


「まぁ。あまり無理してはいけませんよ」

「ははっ、面目ない。もうすぐ巡回(パトロール)もあるし、体調を整えておくよ」


 そう言うと、マリア嬢はパッと顔を輝かせた。


「巡回はいつからですの?」

「まだ決まってはいないが、来週以降になると思う」

「付き添いはワイルダー隊長様ですか?」

「ああ、多分」

「そうなんですね。気を付けて行って下さいませ」

「……ありがとう」


 ふんわりと笑ったマリア嬢は相変わらず可愛らしかった。この目の前で俺以外の奴に向かって伸びている赤い糸さえなければもっと純粋に喜べたのに。ああ……泣きたい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ