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4本目



 ──勝負の放課後。東棟、第二図書室。入口のドアの前で仁王立ちすること数十分。


 様々な本が分野ごとにきちんと並んでいる第一図書室とは異なり、ほぼ倉庫扱いとなっている第二図書室付近はトムの言っていた通り人の気配はまったくしない。


 今日一日を過ごしてたくさんの糸を見た。遊び人と呼ばれる男の指にはたくさんの糸がぐちゃぐちゃと絡んでいたし、婚約者同士の指は蝶結びで綺麗に結ばれていた。最近失恋したと噂される令嬢にはボロボロになった短い糸があったり、奥さんのいる教師からは二本の糸が伸びていて、そのうちの一本は今にも切れそうだったり。彼女が言っていた、運命の赤い糸。好き同士を繋げる、大切なもの。……これはもう信じるしかないだろう。


 入るか入らないか迷いに迷っていた俺は一つ深呼吸をすると、ようやく覚悟を決めて冷たいドアノブに手をかけた。ひんやりとした空気が頬を掠める。一歩足を踏み入れると、古い本や紙とインクが混ざりあったような独特の匂いに包まれた。こういった場所に慣れていないせいか、なんだかそわそわと落ち着かない。


 奥に進んで行くと、目的の人物はすぐに見つかった。


 彼女は静寂に包まれた空間の中でカウンターに座って本を読んでいた。活字を追うその横顔は確かに整っていて、この静かな雰囲気によく似合っている。

 規則的に並べられた机の上には、棚に入りきれなかった本が高く積み上げられていた。


「……失礼。サラ・クラーク嬢とお見受けする」


 俺はカウンターの真正面に立って口を開いた。顔を上げた彼女の表情にこれと言った変化は見られない。俺がこうして図書室に来た事にも、大して驚いていないようだった。


「私は騎士科に通うアレックス・ロンバートと申します。まずは先ほどの非礼を詫びたい。名前も名乗らず一方的に話し掛ける、淑女の腕を掴むなど数々の非礼、大変申し訳ありませんでした」


 彼女の赤い瞳が真っ直ぐに俺を見つめる。その様子からは何を考えているのかさっぱり読み取れなかった。彼女の薄い唇が動き出す。


「あら。貴方まともな挨拶出来たのね」


 一発目のジャブを浴び、俺はぐっと押し黙った。


(わたくし)は特進科のサラ・クラークと申します。謝罪は受け入れますが、先ほどのことはどうぞお気になさらず。同じ学年ですし敬語はいりません。自由に話して結構よ」

「ありがとうございます。……じゃあ遠慮なく。そちらも自由に話してくれて構わない」


 クラーク嬢は読んでいた本に赤い花の押し花で作られた栞を挟むと、そのままパタリと閉じた。静かに立ち上がり、カウンターから出て俺と真っ直ぐ対峙する。


「それで? 私に何か用かしら?」


 相変わらずツンケンとした口調だが、ここで怯んではいられない。


「朝の件で色々聞きたいことがあって」

「朝? あれ以上説明することはないと思うけど……まぁいいわ。聞いてあげる」


 眉をひそめながらだったが了承を得たので、俺は彼女に質問を始める。


「じゃあまず……なんで俺の名前を知っていたんだ? 俺たちは初対面だっただろう?」

「貴族名鑑が頭に入ってるからよ。それに、騎士科の生徒は何かと目立つしね」


 なるほど貴族名鑑か……。次男だし騎士になるから自分にはあまり関係ないと碌に目を通していなかった分厚い本を思い浮かべ納得した。


「それより、最初の質問がそれなの? 他にもっとあるでしょうに」


 呆れ顔のクラーク嬢を無視して、俺は続ける。


「この赤い糸は……本当に運命の赤い糸なのか? 将来結ばれる相手に繋がっているという?」

「ええ、そうよ。正確には好きな人に向かって伸びる糸だけど」

「クラーク嬢は、」

「サラでいいわ。家名は嫌いなの」


 彼女は本当に家名が嫌いなようで、顔をぎゅっと歪ませながら言った。


「……失礼。サラ嬢はいつからこの赤い糸が見えてるんだ?」

「物心つく前からずっとよ」

「それは……大変そうだな。子供の頃は随分と苦労したんじゃないか?」

「まぁね。お気遣いありがとう」

「それで、サラ嬢は何故赤い糸に触れるんだ? 俺は何度やっても空を切るだけでまったく触れないのに」

「アレックス・ロンバート様」


 サラ嬢の目付きは鋭いものへと変わった。声色も口調も冷たさを増す。


「私、回りくどいのは嫌いなの。いい加減本題に入ってくれない?」


 はぁ、と口から溜息がこぼれ落ちる。もう少し場を温めてから言おうと思ってたんだが、もういいか。


「……サラ嬢はいつもあんな事を?」

「あんな事って?」

「通るのに邪魔だとかそういう理不尽な理由で他人の大事な糸を切っているのか?」


 睨むように赤い瞳を見るも、彼女は飄々とした態度のまま答える。


「そうよ」

「そうよって……」


 糸を切るということは想いを断ち切ること。つまり、失恋。恋人たちが別れるのは、噂通り彼女が糸を好き勝手に切っているからで──


「自分のせいで人が辛い思いをしてるんだぞ? それでもなんとも思わないのか!?」

「思わないわ。だって私〝破局の魔女〟だもの」


 その名を聞いて、一瞬言葉を失った。


「自分が世間からなんて呼ばれてるかぐらい、知っているわ」


 自嘲気味に笑うその姿は、少しだけ悲しそうに見えた。


「私は本物の魔女ではないけど、まぁ似たようなものなのかもしれないわね」


 呟くように言うと、サラ嬢は窓際へと歩き出した。がらりと窓を開けて何かを探すように周りを見渡すと、俺を手招きする。


「……なんだよ」


 彼女は窓の外を指差して言った。


「中庭のベンチに座ってる男女がいるでしょ? あの二人の繋がった糸、見える?」


 指の先に目を向けると、制服姿の男女が隣同士でベンチに腰掛けていた。その間には確かに赤い糸が伸びている。


「……ああ、見えるが」


 ん? よく見るとあれはダニエルとソフィア男爵令嬢だ。あの二人ってもしかして付き合って……いや、婚約者同士だったのか? 全然知らなかった。何か真剣な話をしているようだが、会話までは聞こえない。


「じゃあそのまま見てなさい。今ここで証明してあげるわ。私が他人の糸を切っても何とも思わないってこと」


 言うや否や、彼女は空中で糸を手繰り寄せるような動きを見せた。すると驚いたことに、二人を繋いでいた赤い糸がするするとサラ嬢に向かって伸びてくる。彼女はその糸の真ん中を左手でつまんだ。そして、あの時と同じような仕草で制服のポケットから銀色に輝くハサミを取り出した。まさか──!


「やめろっ!!」


 俺の声は虚しくも厭な金属音にかき消された。


 はらり、はらり。糸は無情にも二本に分かれて地面へと落ちていく。俺はその様をただ見ていることしか出来なかった。


「これで明日には別れてるわよ。あの二人」


 顔色ひとつ変えずに平然と言い切ったサラ嬢を呆然と見つめる。コイツ……自分が何をしたかわかってるのか!? あの二人は何も悪くないのに、彼女が糸を切ったせいで明日には他人同士になるなんて。俺はサラ嬢の神経を疑う。


「人の気持ちなんてあってないようなものなのよ。こうやって切られたらすぐお終い。それなのに、運命なんて信じちゃって馬鹿みたい」


 その言葉で、俺の中の何かが音をたててぶちギレた。


「いい加減にしろ!! お前は人の気持ちを何だと思ってるんだ!!」


 静まり返った図書室に俺の怒声だけが響き渡る。俺の口は箍が外れたように止まらない。


「お前に何の権利があって他人の大事な糸を切ってるんだよ!? 繋がりを切って楽しいか? 人と人が離れてくの見て楽しいか? なぁ、答えろよ!!」


 彼女は何も言わずただ真っ直ぐ俺の目を見ていた。心の内まで全て見透かされてしまいそうな、赤い瞳でただ真っ直ぐに。眉一つ動かさない彼女のそれが余計に俺を苛立たせる。


「破局の魔女? はっ! 笑わせるな! お前のやってる事は他人の幸せを奪って不幸に陥れるだけの最悪の行為だ! 魔女なんかよりもっとひどい!! 俺はそんなお前を絶対許さない!!」


 上下する肩で息を整えていると、これまで黙って話を聞いていたサラ嬢が俺の目を見据えたまま口を開いた。


「言いたい事はそれだけかしら?」


 カッと頭に血が昇った。どうやら彼女は人の神経を逆撫でするのが上手いらしい。これ以上彼女と会話をしていたら怒りでおかしくなりそうだ。俺は図書室のドアに向かって歩き出す。


「今まで……お前のせいでどれだけの人が泣いたんだろうな」


 ドアの前で捨て台詞のように吐き出すと、俺は後ろも振り返らずに図書室を出て行った。

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