2本目
………………まずい。
後先考えず思いついたままに行動してしまったものだから、ここからどうすればいいのかさっぱり分からない。
でも、彼女ならきっとこの糸について何か知っているはずだ。そうじゃなきゃハサミで切ったりなんかしないだろうし。出来れば一連の出来事を分かりやすく説明してもらいたいのだが、おそらくそのチャンスは今しかないだろう。だが……なんて切り出せばいいんだ?
彼女は腕を掴んだまま黙っている俺を訝しげに睨み上げると、不機嫌そうに口を開いた 。
「腕、痛いんだけど」
「あっ……すまない」
俺は慌てて手を離す。余程強く掴んでいたのか、彼女の白い腕は赤くなっていた 。片方の手で腕をさする彼女の眉間には深くシワが刻まれている。謝罪しようと息を吸い込んだが、彼女の方が先に音を発した。
「それで? 私に何か用かしら?」
やけに高圧的な口調で俺を見上げる。こんな状況なのでツンケンした態度も仕方無いのかもしれないが、随分と近寄りがたいような印象を受けた。美人なのに勿体ない。
「……突然話し掛けて申し訳ない。あー、その……。実は君に聞きたいことがあって」
「そう。それで?」
「もしかして今……赤い糸を切っていなかったか? 空中に真っ直ぐ伸びた赤い糸」
考えがまとまらない中、俺はしどろもどろになりながらなんとか話を切り出した。二人の間には妙な緊張感が生まれる。
これでもし彼女が糸の事を何も知らなかったら俺はただの不審者だ。いきなり腕を掴んだ挙げ句に赤い糸切ってませんでしたか? なんていう訳の分からない質問をしてくる男なんて不審者以外の何者でもない。……まずい。ひょっとしたらこれは俺のこれからの学園生活、いや、最悪貴族生活の立場に影響を及ぼすかもしれない。貴族は悪評が大好物だから。
「い、いや! もしかしたら俺の見間違い、かもしれないんだが……」
歯切れの悪い弁明を続ける。我ながら実に情けない。おそるおそる彼女の様子を伺うと、つり目がちな大きな瞳は真っ直ぐこちらを見据えていた。水々しい唇が小さく動くと、ぽつりと呟いた。
「……貴方、見えるの?」
彼女の言葉を飲み込むのに随分と時間がかかった気がする。
「えっ? ああ、見えるけど……。えっ!? ということは、やはり君にも見えるのか!?」
俺は驚いて大声を上げた。
「ええ、見えるわよ」
彼女はあっさりと答える。まるで好きな食べ物でも答えるかのような、随分と軽い調子で。無駄に緊張して硬くなっていた俺の筋肉が緩む。なんだか拍子抜けだ。
糸が見えるのは自分だけではないと分かって安心したのか、俺の口はぺらぺらと回り出す。
「俺、朝起きたら突然この糸が見えるようになってたんだ。最初は誰かの悪戯かと思ったんだが……不思議なことに他の人には見えないようで。言っても誰も理解してくれなかったんだ。正直この状況にかなり戸惑っている。だからこの糸について何か知ってるなら教えてほしいんだ。頼む!」
がばりと頭を下げる。頭上から降ってきた声は淡々としていた。
「赤い糸よ」
「……そ、それは見ればわかる。ええと、俺はこれが何の糸で、どうして見えるようになったのかを知りたいんだが」
ふざけてるのかと思って顔を上げるが、彼女の瞳は相変わらず真っ直ぐで、至って真面目だった。
「運命の赤い糸」
「は?」
「東の国の伝説。知らない? 将来結ばれる男女の小指には赤い糸が結ばれているっていう話。今貴方が見てる糸がその運命の赤い糸」
そう言って彼女は面倒くさそうに溜め息をついた。
「は? え? 運命の……?」
「赤い糸。普通の人には見えない特別な糸なんだけどね。これは正真正銘、本物よ」
普通の人には見えない特別な糸。運命の赤い糸。
彼女の言葉を頭の中で何度も何度も繰り返す。……これが運命の赤い糸? 将来結ばれる男女の小指に結ばれている? いや、まさかそんな。確かにこの糸は俺と彼女以外の人には見えていないようだが、でも、だからってそんな東の国の伝説の話をされても。はいそうですか、なんて簡単に納得できるものじゃない。
「この赤い糸の先に、運命の人がいるのよ」
彼女の凛とした声が鼓膜を揺さぶる。猫のように鋭い双眼に射抜かれるように見詰められ、一瞬息をするのを忘れた。彼女の表情が酷く真剣で、胸のあたりが嫌な感じにざわつく。
「……冗談よ」
「え?」
彼女はふっと自嘲的な笑みを浮かべた。
もしかしてからかわれていたのだろうか。だとしたら随分と質の悪い嘘つきだ。詐欺師の素質がありすぎる。
「ああ。貴方と私に見えてるこの糸が運命の赤い糸っていうのは本当よ」
不満が顔に出ていたのだろうか。彼女は念を押すように告げると、また説明を始める。
「でもね、これは運命の赤い糸っていうより気持ちを表す糸って言った方がいいわ」
「気持ちを表す?」
「そう。簡単に言えば、その糸は好きな人に向かって伸びてる糸なのよ」
俺の小指から伸びた赤い糸の先端が、重力に従ってだらりと地面に落ちた。
「好き同士を繋げる大切な糸。神様は何を考えてこんな糸を作ったのかしらね」
……どうすればいいんだろう。話に付いていけない。俺は置いてけぼりの思考に渇を入れる。
「本物の運命の相手ならどんなに切られてもまた繋がるみたいだけど……残念ながら私は見たことないわね。復縁しても意味ないわ。もう一度伸びても結局またぷっつり。切れたらおしまいサヨウナラ」
「話を少し整理させてくれ。……ええと、この糸は運命の赤い糸で、好きな人に向かって伸びてる糸なんだよな?」
「そうよ」
「普通の人には見えない糸」
「そうよ」
「じゃあなんで俺達には見えてるんだ?」
「さぁ。神様の気分次第なんじゃない?」
釈然としない回答だ。彼女の言う通り神様の気まぐれとやらでこんな事になったなら迷惑極まりない。どう責任をとってくれるんだ神様よ。
「糸を見ればその人の恋愛事情が大体わかるわよ。もちろん知りたくなくてもね」
「……例えば?」
「小指の糸が蝶結びなら両想い、絡み付いてるだけなら片想い、複数本ならその数の分だけ相手がいるか、好意を寄せられているかのどちらかね。切れかけの糸は近いうちの別れを示唆していて、切れた糸は失恋」
今まで半信半疑で聞いていたのだが、思い返せば今の話は朝からの出来事と全て一致する。やはり彼女の言う通り、これは運命の赤い糸で間違いないのかもしれない。
「……君はなんでそんなに詳しいんだ?」
「見てる年期が違うんだから当たり前でしょ」
あっさりと告げる彼女は、一体どれくらい前から糸が見えていたのだろうか。
しかしまぁ、糸を見るだけで人様の恋愛事情が把握出来るとは。そんな力いつ使うというのだ。好きな人の好きな人を知ってしまった日なんかは地獄じゃないか。……いや、考えようによっては失恋したタイミングが分かればこちらも動きやすくなるし、案外使えるかもしれない。失恋したかどうかは糸が切れたのを確認すればいいわけだろ? だったら…………あれ?
ここにきて、俺は重大な事に気が付いた。
いや、待てよ。ちょっと待て。これが本物の赤い糸で、切れた糸が失恋を表してると言うならば……。
俺の運命の赤い糸、たった今目の前の彼女に切られたんですけど。俺はごくりと生唾を飲み込んだ。
「……一つ、質問してもいいか」
「何よ」
「切れた糸は何を表すんだっただろうか」
「失恋ね」
「じゃあ……さっき切られた俺の糸はどうなる?」
「失恋したって事になるんじゃない?」
「なっ!」
なんだって!? この女、勝手に人の糸を切っておいてこの態度はなんだ!? ちょっと無責任なんじゃないのか!?
「もしかして貴方、好きな人がいたの?」
「うっ」
顔に熱が集まると同時に、俺の頭にはとある令嬢の姿が浮かんだ。騎士科の公開訓練を見学に来てくれる、プラチナブロンドの可憐なご令嬢。春の日差しのような笑顔を振りまくとても感じの良いご令嬢で、たまにたわいのない話をしたり食堂で会った時は何度かご飯を一緒に取ったこともあるが……。え? つまり、告白どころか碌にアタックもしてないのに、俺の失恋は決定事項なのか? 試合開始前からいきなりの敗北なのか? いや、あの令嬢と繋がっていたかはわからないけど! 可能性はあったんじゃないのか!?
「き、君は何故俺の糸を切ったんだ!? もしかしたら運命の相手に繋がってたかもしれないんだろ? まだその相手もわかってなかったのに!」
俺は右手の小指を指差しながら彼女を問い詰める。
「ああ、それね」
情けなく地面に垂れ下がった赤い糸を一瞥すると、彼女は冷たい声で言い放った。
「邪魔だったから」
「……は?」
「私がここを通るのに邪魔だったから切ったの。文句ある?」
俺の思考は一時停止した。のち、ゆっくりと動き出す。邪魔だったから……だと? 目の前の女はこの糸が人と人を結ぶ大切な糸だって分かってるくせに、通行の邪魔だからって理由で勝手に切ったというのか!? 冗談じゃない!
「ふ、ふざけるな!」
「……まったく。糸の一本や二本でごちゃごちゃうるさいわね。本当に運命の相手だったならまた繋がるわ。気長に待ちなさい」
「なんだと!?」
彼女は心底面倒くさそうなしかめっ面で俺を見やる。どうやら反省はしていないらしい。
「言ったでしょう? 本当に運命の相手だったら再び繋がるって。ま、そしたら私も初めて見ることになるから、楽しみにしてるわ」
コイツ……完全に馬鹿にしてるな。
「ちなみに……運命の相手じゃなかったらその後糸はどうなるんだ?」
「そうね。失恋した大抵の人はすぐ別の人に気持ちが移るから、糸も別の人に伸びるわね」
「すぐ!?」
「ええ。切れたら結構そんなものよ。まぁ……それだけのことで他人に気持ちが移るなら所詮その程度の気持ちだったってことでしょ。運命でもなんでもないわ。ない方がマシ」
じくじくとした痛みが胸に走る。
「運命の赤い糸なんて鍵穴みたいなものよ。手持ちの鍵を何本差し込んでも形が合わなきゃ開かない。それと同じ。どんなに好きな人に赤い糸を繋げても結ばれないものは結ばれないの」
寂しげにぽつりと呟くと、彼女はくるりと半回転して俺に背を向けた。制服のスカートがふわりと揺れる。
「授業に遅れるからもう行くわ。じゃあね、騎士科の〝アレックス・ロンバート〟様」
彼女は顔だけ俺に向けて挑発的な笑みを浮かべると、一言だけ残して歩き出した。小さくなっていく背中をぼんやりと見つめ「……なんで俺の名前を知ってるんだ?」と考えたところでザッと血の気が引いた。
最近は昔より身分差の扱いが緩くなったとはいえ、相手の爵位や年齢を確認せず一方的に話し掛け、初対面にも関わらず自分の名を名乗りもしなかっただなんてマナー違反もいいところだ。まさに常識知らずの恥知らず。一歩間違えば家をも巻き込んだ大問題になるところだった。自分の態度は彼女の怒りを買ってもおかしくないどころか、むしろ怒りしか買えない状態だったのに……許してくれた彼女の広い心には感謝しかない。自分の非礼に気付いた俺は顔面蒼白でガックリと項垂れた。
今回は運が良かったが、直情型の脳筋思考をどうにかしないといつか取り返しのつかない事態を引き起こしそうで怖すぎる。
短くなった赤い糸が、慰めるようにゆらりと風に靡いた。




