糸屑:3本目
レイラと離縁が成立すると、アンナと共に国を出た。父は恩を仇で返すなんてクラーク家に顔向け出来ないと怒り狂い、母はこんな恥知らずが息子だなんてと泣き叫んだ。当たり前だが、実家からは勘当された。それはアンナも同様だった。レイラへの莫大な慰謝料は借金をして僕が支払った。これから取り立てに苦しめられるだろうが悔いはない。働いて少しずつでも返していくつもりだ。
同僚だった文官の伝手を使って隣国に渡り、小さな家を借りて二人で住んだ。身分は平民となってしまったが、隣には恋焦がれたアンナがいるのだ。気分は最高だった。それに、アンナは家事全般を一人でこなせるため、使用人がいなくても生活出来る。街の食堂で働き始めたアンナは、あっという間にここでの暮らしに馴染んでいった。
僕も仕事を探すが、なかなか雇ってくれるところが見つからない。王宮の文官をしていたため、体を動かすより計算や書類仕事の方が得意な僕は事務職を中心に探しているのだが、身元のはっきりしない者に経理など金の管理は任せられないと判断されるのだろう。
とある商会の面接を受けた時、事務員ではなく荷運びとしてなら採用すると言われ、僕は二つ返事で了承した。慣れない仕事だが、今は選り好みしてる場合じゃない。借金も支払わなければいけないし、僕らの生活もかかっているのだから。
正直言って、仕事は想像以上にキツかった。重い荷物を何度も何度も積み下ろし、尻が痛くなる硬い荷馬車であちこちを回る。ミスすれば先輩の職員から怒鳴られ怒られる。取引先からは、時間通りに荷物が来ない、発注していた品と違う、中の商品が壊れていた、などと散々文句を言われ、下げた事などない頭を下げる日々。疲れ果てて家に帰ると、アンナと会話する余裕もなくすぐに寝て明日に備えた。
汗だくになって働いても給料は少なく、それも借金の返済と生活費に充てればあっという間になくなる。
ある程度は覚悟していた平民としての生活だったけれど、考えが甘かった。……今までの生活がどれほど恵まれていたのか身に染みて理解した。平民だという理由で差別を受けることも多々あり、僕は精神的にも肉体的にも疲労困憊だった。
その日は、貴族街へ商品を卸す日だった。僕の働いている商会は貴族街にもいくつか店を持っていて、他国から輸入して来た商品なんかを運んでいた。そこに行く時だけは服装や礼儀作法に気を付けるよう言い聞かせられている。昔は母国で当たり前に来ていたような場所だが、今はあまり来たくない場所だ。さっさと終わらせて次の場所に行こう。宝飾品店に卸すアクセサリーの箱を確認していると、誰かに声を掛けられた。
「お前、もしかしてジョンじゃないか?」
その言葉に顔を上げる。伺うように僕の様子を見ていたのは、かつての学園の同級生だった。
「やっぱり! 久しぶりだな! 元気か?」
「あ、ああ」
「こんな所で何してるんだよ?」
「いや、その……仕事中で」
「仕事ぉ? ……ああ、そういえばレイラ嬢と離縁して貧乏男爵令嬢と駆け落ちしたんだっけ。そうか、この国に来てたんだな。全然知らなかったよ」
「…………」
「俺は妻と旅行に来たんだ。宝石店への近道を教えてもらって裏路地を歩いていたんだが、いやいや、まさかこんな所でお前に会うとは思わなかったなぁ」
彼は僕を憐れむように見つめた。
「お前もバカだなぁ。せっかく縁あって結婚したんだから、政略でも何でも二人で愛を育めば良かったのに。レイラ嬢となら難しくないだろう? あんなに素晴らしい女性なんだから。……駆け落ち相手はよほど魅力的な女性だったようだね」
僕は何も答えられない。
「ま、外野が何を言っても仕方ないか。二人にしか分からないものがあったんだろう。いやぁ、しかし勿体ない話だ。あのまま居れば幸せな貴族生活を送れただろうに」
彼は僕の格好を値踏みするように見ながら言った。ヨレヨレのシャツを隠した一丁羅のジャケットとズボン、底の減った靴。これでも、貴族街で浮かないように配慮した一番上等な服だ。
「ははっ、平民姿も様になってるじゃないか。まぁ、今が幸せなら良かったよ」
蔑むように笑われ、カッと頬が赤くなった。僕は咄嗟に俯く。
「俺は今から宝石店で妻にプレゼントを買うんだ。お前はここで働いてるのか? だったら売上げに貢献してやるよ」
そう言い残して、彼は妻である女性の手を取り店の正面へと歩いて行った。僕は木箱を抱えて裏口に向かう。
見るからに貴族とわかる煌びやかな服装。気品のある立ち振る舞い。妻と寄り添い、微笑み合う幸せそうな姿。対して、一番上等な服でさえもボロボロな平民の服を着て、毎日頭を下げながら働く自分。
……惨めだった。
今まで味わったことのない苦い気持ちが押し寄せる。本当なら、自分もその位置にいるはずだったのに。こんな風に馬鹿にされることも憐れに思われることもなかったのに。……でも、全てを捨てたのは僕だ。ギリっと歯を食い縛る。
最悪な気分を変えたくてアンナの働く食堂へ行ってみると、男性客と楽しそうに話す彼女の姿があった。光沢のある紺色のジャケットを着たその男性は、僕が働く商会の会長の息子だった。アンナとやけに親しげで、水のおかわりを注ぐだけだというのにクスクスと笑い合っている。
僕は二人の様子を見て、何故か声を掛けられずその場を後にした。口からは自然と溜息がこぼれ落ちる。
なんだかアンナの笑っている顔を久しぶりに見た気がする。仕事に追われて二人でゆっくり過ごせてないし、アンナもなんだか忙しそうだし……そういえば最近、アンナの様子が少し変だ。
見たことのない髪飾りやアクセサリーを持っていたり、洋服や靴も新しいものが多い。……おかしい。ハッキリ言ってうちにはそんなものを買う余裕なんかない。二人分の給料を合わせても生活費だけで精一杯だ。じゃあ、あれはどうやって手に入れたんだろう。中には高級品もあった気がする。誰かからのプレゼントか? 最近のアンナは食堂に働きに行くにはやけにお洒落な格好だし、休日もどこかに出掛けて行く。さっきの様子といい……何だか嫌な胸騒ぎがした。
それでも僕は毎日を今まで通りに過ごす。胸に巣くう違和感には気付かないふりをして。
仕事が早く終わり、たまには寄り道してから帰ろうと街をふらついていると、花柄のワンピースを着たアンナを見かけた。隣にいるのは商会長の息子だ。僕は目を見開いて立ち止まる。
アンナは反対側の道路で立ち尽くす僕に気付きもしない。ふと、商会長の息子と目が合った。彼は僕を見て挑発的に笑うと、ぐっとアンナの肩を抱き寄せた。アンナは恥ずかしそうに頬を染めて男を見上げると、そのままもたれかかるように頭を預けた。
ああ……自分の中の何かがガラガラと崩れ落ちていく。
商会長の一家は平民だが、そこらの下位貴族よりもよっぽど裕福だ。容姿も整っているし、父親の跡を継ぐため将来も安泰。そのため、若い女性たちから人気がある。
アンナは学園にも通わず、社交界デビューも出来ず家のためにずっと働いてきたのだ。この国に来て、圧倒的に人との交流が少なかった彼女の視野が広がった。貴族の身分を失い、自由を得た。
そんな中で出会った、自分に好意を寄せる見目麗しい男性。毎日食堂に通っては熱い眼差しで見つめられ絆されたのだろうか。ドレスでも宝石でも食べ物でも、なんでも欲しい物をプレゼントしてくれて、行きたい場所に連れて行ってくれて、自分を甘やかしてくれる。今まで感じたことのない贅沢。
全てを捨て何もかもを失った僕とは違い、なんでも叶えてくれる彼に心を奪われるのは当たり前の事だったのかもしれない。
そのうち別れを切り出されるのだろう。ははっ、これが運命の赤い糸で結ばれた二人の結末、か。笑わせる。僕は小さくなっていく背中を見ていた。
* * *
半年後、僕はアンナに別れを告げられた。予想していた事とは言え、実際に告げられると結構クルものがある。僕を見るアンナの目には何の感情もこもっていない。お互いあんなに恋焦がれていたのに、別れというのはこんなにあっさりいくものなのか。僕の心はぽっかりと穴が空いたようだった。
アンナと別れた後、僕はすぐに働いていた商会を辞めて引っ越した。さすがに彼の下では働きたくなかったのだ。今はパブで皿洗いなんかの裏方業務をしながら、小さなアパートで一人暮らしをしている。
……そういえば、あの商会は裏で人身売買を行なって金を不正に稼いでいるという噂を聞いたことがあるけど、実際はどうだったのだろう。確かに、若い女性従業員が突然仕事を辞めていなくなってしまう事はあったけど……まぁ、今さら関係ないか。
はぁ、と深く息を吐く。……僕は、一体何のためにここまでしたのだろう。
アンナの事は好きだった。娘が言ったように、彼女とは確かに運命の赤い糸が結ばれていたのだろう。だが、それだけだった。結ばれた赤い糸は、愛を育まなければいつかほどける。そんな当たり前のことに、僕は気付けなかったのだ。
僕は娘の力を自分の都合の良いように解釈していたんだ。運命で結ばれているということを信じて、アンナと一緒にいれば無条件に幸せになれると思っていた。だって運命の赤い糸で結ばれているんだから。……人の気持ちはそんな単純なはずないのに。
ふと、プラチナブロンドの髪を靡かせた彼女の姿を思い出す。いつも照れたような笑顔を浮かべていた彼女の姿を。……あの頃は幸せだった。彼女に思われて。彼女の熱い瞳が眩しくて。僕も彼女に微笑みを返して。毎日を心穏やかに過ごせていたのに。そんな彼女と実の娘に、僕はなんてひどい仕打ちをしたんだろう。彼女は……レイラはどれだけ辛い思いをしていたのだろう。僕はどれだけレイラを傷付けていたのだろう。後悔してもしきれない。
……今思えば、アンナへの執着に似た恋慕は自分の家族への反発が根底にあったのかもしれない。ずっと僕を蔑ろにしてきた家族に対する恨み。だから、親が選んだレイラを好きにならないよう、頑なに自分で選んだアンナを好きだと思い込んでいた。
……本当は、レイラに心惹かれていたのに。僕はなんて幼稚で愚かなんだろう。
いつか学園の同級生に言われた通り、二人寄り添って愛を育めば良かったんだ。変なプライドなんか捨て、自分の気持ちを正直に話して謝って、これからは君だけを愛していくと。そう言って、レイラの気持ちも聞いて、お互いに信頼を築ければ。そうすれば、あの温もりは今も側にあったのに。
愛してくれた人を捨て、愛した人には捨てられて、僕に残ったものは結局何もない。
今……レイラは、娘のサラは幸せだろうか。僕に泣く資格なんてないのに、勝手に涙があふれてくる。
レイラと過ごした日々。二人の微笑む顔。そこにあったのは確かに愛だった。嗚呼、僕は本当に馬鹿だ。
一人ぼっちの暗闇で、僕は静かに目を閉じた。
糸屑:ある男の後悔 了
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加筆エピソードがたくさんありますので、よろしくお願いします!
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ものすごく綺麗な絵なので、読んでいただけると嬉しいです!!




