21本目
カウンターに座って本棚から適当に引き抜いた本をパラパラと捲る。正直、小さな文字がびっしりと埋まっているページは見ただけで読む気が失せてしまう。……どう頑張っても眠くなるので活字は苦手なのだ。これならワイルダー隊長の地獄の訓練を受けてる方がましだ。いや、それも出来れば勘弁してほしいが。
溜息をついて室内を見回す。カウンターの内側から見える景色は、いつも見ている景色とは違って新鮮だった。なんだかこの部屋の主人にでもなった気分だ。
今日、俺は午後の授業をサボって第二図書室に引きこもっている。その理由は明白で、ここで待っていれば必ず彼女に会えるからだ。予想していた通り、カツカツと一定のリズムを刻んだ足音が近付いてきた。
「久しぶり」
何も知らず入室して来た彼女に声をかける。実際は会わなくなってからそんなに日が経っていないのだが、なんて声を掛けていいか悩んだ末の一言だ。彼女は声の主が俺だと分かると、目を見開いて続く言葉を失った。分かりやすいほど驚いた顔をした彼女は、次の瞬間には弓矢の如く鋭い眼差しで俺を睨みつけてきた。暫くの間射抜くように睨みを効かせていた彼女──サラ・クラーク嬢は、やがて絞り出すような声で言った。
「……どうして貴方がここに居るの」
納得がいかない。理解不能。サラ嬢の顔にははっきりとそう書いてあった。眉間にシワが寄っていて、相変わらず不機嫌そうだ。
「どうやら〝人の縁〟というものは、あんな細い糸を切ったくらいじゃ切れないみたいなんだ」
俺は口角を上げながら言った。
「……何それ。全然答えになってないわ」
サラ嬢は不満そうに言ってこちらを睨んでいる。
「マリア嬢にこないだのお礼を言われたよ。俺はただ慰めただけなのにな。彼女の長年の片想いも決着がついたそうだ」
俺は活字だらけの本を置いて立ち上がった。
「だから、その勢いで告白してきたんだ」
「……そう」
サラ嬢の眉間のシワは深くなる。う~ん、せっかくの美人が台無しだ。それなのに……どうしてだろう。今はその眉間のシワさえいとおしい。恋は盲目とはこの事か。
「ずっとマリア嬢に憧れていたと。貴女のことが好きだったのだと正直に告白してきた」
俺はカウンターから出ると、サラ嬢の元にゆっくりと歩み寄る。今思えば、俺がマリア嬢に惹かれた理由は髪の色だったのではないだろうか。あの森で出会った少女のような、キラキラ輝くプラチナブロンドに。
「マリア嬢はありがとうと返事をくれたよ。過去形で告白されたのは初めてだって、苦笑いされたが」
「……過去形?」
俺はわざとらしく大きな溜め息をついた。サラ嬢は訝しげな顔で何やら思案している。きっとまたごちゃごちゃと難しく考えているのだろう。答えは案外単純なのに。
「言っただろ。マリア嬢はただの憧れだったって」
「でも、」
「俺が好きなのはサラ・クラーク嬢。貴女だ」
遮るように告げると、サラ嬢は勢いよく顔を上げて俺を見た。陶器のように白い頬がだんだんと薄紅色に染まっていく。それは、初めて見るサラ嬢の表情だった。……なんだこの可愛い生き物は。なんだか俺まで照れくさくなってきたじゃないか。でも、いくら照れくさくても恥ずかしくても、今ここで言わなければダメなのだ。俺は随分と回り道をしてしまったのだから。
「ずっと不思議に思ってたんだが」
何か言おうと口を金魚のようにぱくぱくさせていたサラ嬢の動きが止まった。
「最初に会った時に切った糸。あれ、ずっと俺からマリア嬢に向かって伸びてる糸だと思ってたんだが、違ったんだな」
彼女の華奢な肩が小さく揺れる。まるで、隠していた宝物が見つかってしまった子供のようにソワソワとして落ち着きがない。目も不自然に泳いでいる。いつもの余裕綽々な態度は影も形もなかった。それを見て、俺は確信した。
「あれは、サラ嬢から俺に向かって伸びていた糸だったんだろ?」
しかめっ面をしてサラ嬢は俺から視線を逸らした。その頬はまだ赤く染まっている。
そうなのだ。そう考えれば全て納得が出来るのだ。あの時サラ嬢が赤い糸を切っていた理由も、俺の小指の糸が再びマリア嬢に向かわなかった理由も、全部。
「サラ嬢はあの時、俺への恋心を無くすために切ってたんだな?」
自分で言っていて恥ずかしいが、事実なのだから仕方ない。サラ嬢は俺から視線を逸らしたまま黙秘を続ける。彼女の性格上、無言は肯定と捉えていいだろう。何せ素直じゃないのだから。
「そういえばその髪、昔はプラチナブロンドだったらしいな」
「……どうして貴方が知ってるのよ」
「ああ。キーラ様に聞いたんだ。巫女様の力の影響で黒くなったって」
「その通りだけど……何が言いたいの?」
すっと息を吸う。
「小さい頃、森で泣いてる女の子に出会った。プラチナブロンドの髪に赤い瞳の可愛らしい子で、大事な糸を切ったって言って泣いてた。俺は泣き止ませるために赤いポピーの花を一輪渡したんだ」
俺は、少女の笑った顔がずっと忘れられなかった。あの笑顔をもう一度見たいと思って森に行っても、彼女と会う事は出来なかった。
「あの時の少女はサラ嬢だったんだな」
「…………」
「いつも持ち歩いている押し花の栞がその証拠だ」
多分、初めて出会った時から俺の糸は彼女に伸びていたのだ。気付かなかっただけで、ずっと。そして、彼女の糸も俺に伸びていたに違いない。何度切られても結ばれる、神様が結んだ本物の運命の赤い糸が。
「自分の気持ちをなくそうとしても無駄だ」
俺は彼女の手を引っ張って胸の高さまで上げると、無理やり左手の小指を立たせた。
「な、何するのよ!」
「本当の運命の相手ならまた糸が結ばれるって言ったのはサラ嬢だろ?」
切られたばかりの俺の小指の糸は確かにサラ嬢に向かって伸びているが、まだ短くて本人には届いていない。そして、サラ嬢の小指からも赤い糸は伸びていない。おそらく、出会った朝のようにハサミを使って自分で切っているのだろう。……今さらだが、あのハサミは何か特別なハサミなのだろうか。巫女様の力が関係しているのだろうか。今度聞いてみよう。
「言ったけど……何のつもり?」
「証明するから少し大人しくしててくれ」
「は? ち、ちょっと! 何する気!? 離してよ!」
俺はサラ嬢の立たせた左手の小指に赤い刺繍糸をぐるぐると巻き付けた。彼女は戸惑いながらその様子を見ている。
「言っただろ。証明するって」
俺はその赤い糸を今度は自分の右手の小指に巻き付ける。糸は綺麗な一本の線となって俺とサラ嬢の間を繋いだ。
「本気で好きならハサミで切られたぐらいじゃ気持ちは変わらない。だから俺の糸は何回切られたってサラ嬢の小指に伸びていく」
「なっ、」
「サラ嬢の事が本気で好きだから」
呆れたのか照れたのか、サラ嬢は下を向いた。二人の間を繋ぐ赤い糸が揺れる。
「こんな事して…………ありえないわ」
自分でも何をやらかしてるんだとは思っている。思っているけれど、彼女を振り向かせる方法がこれしか思い付かなかったのだから仕方ない。例え後から確実に黒歴史の一ページを刻む出来事になろうとも、後悔だけはしたくなかった。
「……貴方は、いいの?」
サラ嬢は下を向いたまま、小さな声で言った。
「何がだ?」
「だからっ! 私でいいのかって聞いてるのよっ!」
「……良くなかったらこんな恥ずかしい告白はしないだろ」
「…………そう」
聞こえた声はひどく弱々しかった。なんだかしおらしいサラ嬢はサラ嬢らしくなくて調子が狂う。
「私、捻くれてるし友人もいないし社交界でも実家の評判は悪いし、巫女の血なんてやっかいな力も受け継いでるし、他人の赤い糸を好き勝手に切っちゃうような自己中女よ?」
「知ってる。というか、一応自己中の自覚はあったんだな」
「う、煩いわね。ああいう態度を取っていれば誰も近付いて来ないからちょうど良かったの。それなのに……まさか貴方も赤い糸が見えるようになってるなんて予想外だったわ」
「ああ。それは俺が一番驚いた」
「私の言動や家族の問題にまで首突っ込んでくるし。お節介にもほどがあるわよ」
「君のことがほっとけなかったんだからしょうがないだろ」
サラ嬢は観念したように溜め息をついた。
「…………ええそうよ。小さい頃に森で貴方と会ったのは私。両親の糸を切ってしまって絶望に打ちひしがれていた時に会ったの。そこで貴方は私を励ましてくれる言葉をくれたわ」
「……けど、結局はうまくいかなかったんだろ? 俺の思いつきの言葉のせいで余計傷付けてごめん」
「いいえ。あれはあの時の私の支えだった。結び直せばいいなんて、当時の私には思いつかなかったから。まぁ、上手くいかなかったのは仕方ないわ」
苦笑い混じりに言った。
「学園に入って貴方を見かけて、すぐにあの時の男の子だって気付いたわ。でも声は掛けなかった。いえ、掛けられなかった。私は貴方を見てるだけで十分だったの。それなのに、」
いったん言葉を切り、再び口を開く。
「あの日の朝、貴方と会った時は心底神様を恨んだわ。よりによって、貴方に伸びた私の糸を切ってる所を見られるなんて……ってね。まぁ、貴方は自分から伸びた糸だって勘違いしていたからなんとか誤魔化せたけど」
開き直ったのか、サラ嬢は顔を上げて俺を睨み付けてきた。
「私の願いはただ一つ。好きな人には……貴方には、貴方の好きな人と幸せになってほしいのよ」
「なるほど。それなら俺の幸せはサラ嬢の返事次第で決まるということだな」
サラ嬢はぐっと言葉を詰まらせた。
「……なんでそんなに諦めが悪いのよ」
「好きだからだ。貴女の笑顔を一番近くで見ていたいからだ」
まったく。こういう時ぐらい素直に「はい」と言ってほしいものだ。
「……私、は」
躊躇いがちに呟かれた声に、俺は耳を傾ける。
「貴方も知っている通り、私は一度家族を壊してる。他人の気持ちを考えず、周りにいるたくさんの人を傷付けてきてしまった。だから、私と一緒に居たら私はきっと貴方を傷付けてしまう。……それが、私は怖いのよ」
やはり、サラ嬢はそれが原因で一歩を踏み出せずにいるらしい。傷付けるのが嫌で人との関わりを断ち切っていたくらいだ。トラウマになっていることにはもちろん勘づいていた。しかし、それとこれとは別である。
「……いいか? 誰かを一生傷付けない人間なんていない。それとは逆に、傷付かない人間もいない」
言い聞かせるような口調で話すと、こくり、と小さく頷いた。
「正直、俺も怖いんだ。俺の言葉で、無意識のうちにサラ嬢を傷付けているかもしれないと考えると怖い。現に俺はもう何度もサラ嬢を傷付けてるし。……申し訳ない」
サラ嬢はふるふると首を横に振る。
「傷付くのは嫌だし、傷付けられるのも嫌だ。それはみんな一緒だ。サラ嬢だけじゃない。みんな傷付けて傷付いて、それでもなんとか乗り越えていくんだ」
彼女はぎゅっと自分の手を握った。その拳を解くように、俺は彼女の手に自分の手を重ねる。
「レイラ様やキーラ様とも、時間はかかったが話せば分かり合えただろ? 今まさに、前に進もうとしてるだろ?」
暫く考えた後、サラ嬢はまたこくりと頷いた。それを見て俺は薄く笑みを浮かべる。
「これからはたくさん話をしよう。思ったことはなんでも言い合うんだ。そうじゃないと、すれ違って面倒なことになる。大丈夫。俺たちは上手くやれるはずだ」
「そう……かしら」
「サラ」
それでも不安そうな顔をする彼女の名前を呼んで、大きく息を吸い込んだ。
「貴方が好きだ」
本日何度目かの俺の告白にゆるゆると顔を上げた彼女の顔は想像以上に真っ赤で、想像以上に可愛かった。
ふと気が付くと、刺繍糸で無理やり繋げた赤い糸の他に、俺たちの間には他人には見えない本物の赤い糸が結ばれていた。彼女も初めて見るだろう、再び繋がった本物の運命の赤い糸。結び目はもちろん蝶結びである。
神様か巫女様か知らないが、たまには良い仕事をするじゃないか。少しだけ見直してやった。
了
本編はここで完結です。
あとは番外編をいくつか書けたら……と思っております。




