20本目
ぼんやりと空を見上げる。俺の心情とは裏腹に雲ひとつない快晴だ。ただし、空中には赤い糸が何本も伸びているため、スッキリとした青い空は見えなかった。
「大丈夫か?」
授業中も上の空で溜息ばかりの俺を不審に思ったのか、トムが心配そうに問いかけてくる。
「……ああ」
俺の生返事が気に入らないようで、トムの眉間にぐっとシワが寄った。
「お前何かあったのか? ここ最近ぼーっとして元気ないし」
「別に。ちょっと気分が落ちてるだけだ」
「でも、」
「……悪いトム。今から行く所があるんだ。話ならまた後でな」
「おい、アル!」
心配そうなトムの顔を見て見ぬふりして席を立つ。放課後になった今、本当はどこにも行く予定なんてないが、気分転換も兼ねて街に行くことにした。剣の手入れを頼みたかったしちょうどいい。幸い、外出許可はすぐに降りた。ざわざわとした喧騒の中を歩くと、少しばかり気が紛れた。
──あの瞬間を、まだ覚えている。
一時的な混乱で曖昧になったとはいえ、記憶が無くなったわけではない。糸を切られた時のことはちゃんと覚えている。切られた瞬間、ガラス玉を高いところから落として粉々にしたような衝撃を受けた。まるで心が空っぽになったみたいだった。前に切られた時はこんな感覚しなかったのに……気持ちの変化が影響しているのだろうか。
「あら、アレックス様じゃなくて?」
声と同時に近くで馬車が停まる。開いた窓から顔を出したのはキーラ様だった。キーラ様は一緒に居た侍女に一言告げると、馬車を降りて俺の前に立った。
「こんな所で奇遇ね!」
「そうですね」
「わたくしはお見舞いの帰りなの。お姉様の退院準備で忙しくて」
「ええ、聞きました。おめでとうございます」
「サラ、ちゃんと貴方に伝えてくれたのね。よかったわ!」
キーラ様はにこにこと笑顔を見せる。
「実はね、サラもあの後一度だけお見舞いに来たのよ。お姉様ともちょっとだけ話してたわ。なんでも今読んでる本が同じだとかで」
どうやら彼女の読書好きは母親譲りのようだ。図書室で本を読むサラ嬢の姿を思い出すと、胸がツキンと痛んだ。
「それでね、その時サラってば本から栞を落としたんだけど、あの子まだアレ使ってたのね。びっくりしちゃったわ」
赤い花の栞が頭に浮かぶ。
「あの栞、知ってるんですか?」
「もちろん。だってアレを作ったのわたくしだもの!」
俺は驚いて目を丸くした。
「ふふっ。サラが小さい時の話なんだけどね、お茶を飲んでいたわたくしの元に走って来たと思えば、赤いポピーの花を一輪差し出してきてね。この花を枯らせたくないんだけどどうすればいい? って聞いてきたの。なんでも、森の中で会った男の子に貰ったんですって。お守りにして持ち歩きたいっていうから押し花にして栞を作ってあげたのよ。まさか今でも使ってるとは思わなかったわ。とっても大事なものなのね」
女の子……森の中……赤いポピー……。その単語を聞いて、俺は小さい頃に森の中で会った一人の少女を思い出した。ざわざわと胸が騒ぎ出す。いや、でもあの女の子の髪は確かプラチナブロンドだった。黒髪じゃない。それでも何故か黙っていられなくて、俺は口を開いた。
「あの……サラ嬢の髪の色って……」
「髪の色? ああ……そうよね、お姉様ともわたくしとも違うから気になるわよね。実はね、あの子も最初はわたくし達と同じプラチナブロンドだったの。でも、力が発言してから徐々に黒く染まっていったわ。おそらく巫女様の血が関係してるんでしょうね。東の国では黒髪が多いみたいだから」
俺はひゅ、と息を呑んだ。
「瞳の色も赤いでしょう? 巫女様の力を受け継いだ子はみんな赤い瞳を持っているのよ」
もしかして彼女は気付いていたんじゃないだろうか。俺が、森で会った少年だということに。もしそうだとしたら、俺は──。
「キーラ様、そろそろ……」
後ろに控えていた侍女がおずおずと申し出ると、キーラ様はハッとして返事をした。
「ごめんなさい、今行くわ。それじゃあアレックス様、今度ゆっくりお茶でもしましょう! 領地に遊びに行く約束も忘れないでね!」
慌ただしく去っていく馬車を見送って俺は片手で口元を覆った。そうか……そうだったのか。今の話を聞いて、ようやく色々なことが繋がった気がする。俺は頭の中を整理しながら、学園へと踵を返した。
*
「アレックス様」
学園へ戻ると、意外な人物が俺を待っていた。……マリア嬢だ。
彼女は翌日から授業を休んでいると聞いていた。体調不良で、ということらしいが、原因がワイルダー隊長の婚約なのは言うまでもない。俺の前でもたくさん涙を流していた。心に傷が付き、精神的にも疲れてしまったのだろう。少しゆっくり休んでほしいと思っていたのだが、もう出てきても大丈夫なのだろうか。
「アレックス様、先日はありがとうございました」
マリア嬢のその目はまだ若干腫れていたが、気丈にも笑顔を浮かべていた。
「マリア嬢……その、大丈夫か?」
「ふふっ。やっぱりアレックス様には私の気持ちがバレてたんですね。だからあの時も追いかけてきてくださった」
「……すまない」
「謝らないで下さい。それに……いつかこんな日が来ることはわかっていたんです。今はまだ辛いですが、泣いたらだいぶスッキリしましたわ」
空元気なのは丸分かりだが、俺はあえて気付かないふりをする。
「これでようやく長い片想いに決着がついたわ。……ワイルダー様にはね、街で知らない男性に連れ去られそうになっていた所を助けて頂いたことがあって。もちろん、あの方は仕事を全うしただけっていうのは分かってるんだけど、その時からずっとお慕いしていたの。あの時の勇姿が格好良くて忘れられなくて……気持ちは誰にも言ったことはなかったけれどね」
そう言って、小さな溜息をついたマリア嬢は当時を懐かしむように笑った。
「街にパトロール中の姿をこっそり見に行ったり、騎士団に差し入れに行ったこともあるのよ。学園に派遣された騎士の一人にワイルダー様がいるって知った時は嬉しくって。公開訓練の時は必ず見学に行ったわ。だからアレックス様にもバレちゃったのかしらね」
「……隊長のことを熱心に見つめている事には気付いていたよ」
「まぁ! そうでしたの。やっぱり私、わかりわすかったのね」
苦笑いを浮かべたまま続けた。
「本当はどこかでわかっていたの。私のような子ども、あの方が相手にするはずがないって。あんな素敵な人に婚約者がいないはずないって。だけど正式な発表はなかったから。せめてその間だけでもって夢をみていたの。でも……現実逃避ももう終わり。私も婚約者探しに本腰を入れるわ。あれだけお似合いの二人を見せつけられたら諦めるしかないもの」
「……マリア嬢は強いな」
「いいえ。強がってるだけですわ」
マリア嬢は確実に前を向いている。ならば、俺も覚悟を決めよう。軽く深呼吸をして、俺は口を開いた。
「……マリア嬢」
「はい?」
「話したいことがあるんだが……少しだけ時間を貰ってもいいだろうか」
俺の真剣な申し出に、マリア嬢はしっかりと目を見て小さく頷いた。




