16本目
これは違う、デートじゃない。
大事なことなのでもう一度言おう。これは違う、デートじゃない。ただの、そうただの付き添いなのである。
妙に落ち着かないのは悲しいかな、単純にこういった状況に慣れていないだけであって、別に浮かれてるとか女性と二人だからとかそういう不純な理由ではない。
待ち合わせの二十分前から待っているのも女性を待たせるわけにはいかないのだから当然の行動。前回以上に目の下にくっきりと出来てしまった青紫色の隈は親子の再会と彼女の母親の病状について考えていたらいつの間にか日が昇っていただけであって、子どもにありがちなピクニックの前の日に楽しみすぎて眠れなくなるというようなあれではない。あれではないが正直に言うと非情に戸惑っている。まさか俺まで行く事になるとは思わなかったのだから当たり前だ。サラ嬢の母君とは初対面だし、緊張しないわけがない。
先日のキーラ様の呼び出しとはまた違うドキドキを味わいながら待っていると、俺の前に馬車が停まった。前に見た時と同じように、家紋も装飾もされていないまさにお忍びといった風貌の馬車。ドアが開くと、中からサラ嬢が顔を出す。
「早いのね」
「そ、そうでもない」
二十分も前から待っていたことがバレたのかと思って動揺してしまった。落ち着け自分。
「そう。じゃあ乗って」
言われた通り馬車に乗り込み向かい合わせに座る。サラ嬢は見慣れた制服姿ではなく、裾にレースがあしらわれた白いロングワンピースを着ていた。艶やかな黒髪に白がよく映えている。その髪型もいつもと違い編み込みのハーフアップに纏められていて、美しさに磨きがかけられていた。黙っていれば完璧な美少女である。……鞄に飾りのように付いている小さなハサミさえなければ。
「……何よ」
「い、いや。別に」
訝しげな視線から逃げるように窓の外に視線を移す。どうやら彼女のことを見過ぎてしまったらしい。いかん、気を引き締めないと。馬車の中では会話はなく、サラ嬢はいつものように本を読んでいた。この揺れで酔わないのだろうかと思っていると、ひらひらと俺の足元に何かが落ちてきた。拾い上げたそれは細長い短冊に赤い花の押し花が貼ってある手作りの栞だった。この花の名前はなんだったか忘れたが、確か学園の花壇にも咲いていた気がする。足元に落ちてきたということは間違いなくサラ嬢のものだろう。前に図書室で見たこともあるし。
「落としたぞ」
「え?」
どうやら落としたことにも気付いていなかったようで、声をかけるとハッとしていた。……サラ嬢も緊張しているらしい。
「あら……ごめんなさい。ありがとう」
「その栞いつも使ってるな。お気に入りなのか?」
「……ええ。これは……私の宝物なの」
そう言って栞を本の間に大切そうに挟んだ。馬車は小さく揺れながら、目的の場所へと進んで行く。
〝今度の休日、サラ嬢と一緒にレイラ様のいる病院に行きます〟
その手紙を出した後のキーラ様の反応は凄まじかった。本当に!? 信じられないありがとう!! 感謝しても感謝しきれない! 本当にありがとう! アレックス様は神だわ! などという感謝の言葉がこれでもかと並ぶ手紙を毎日貰い、何かあったらトンプソン家に相談しなさい。権力を使ってなんでも叶えてあげるから! というとんでもない約束までしてもらった。侯爵夫人からそんな風に言われるなんて恐れ多い。俺は特別なことはしていないのだが……キーラ様はよほど嬉しかったようだ。
馬車を降りると、お見舞いの花を買うため俺たちは病院の近くの花屋に向かった。店員さんにアドバイスを受けながら花束を作ってもらい、店を出て歩き出す。
花束を抱えたサラ嬢はただ真っ直ぐ前を向いていて、その横顔は今何を考えているなかまったく読み取れない。気のせいか、彼女の足取りは普段よりゆっくりしているようだった。大きな白い建物が見え始め、徐々に近付いていく。そこで不意に彼女の足が止まった。
「どうした?」
不機嫌な顔をした彼女の細長い指が病院を差す。俺は目を見開いた。その先には、入口に立って辺りをキョロキョロと見回すキーラ様の姿があったのだ。迷子の子供でも探しているかのように随分と必死だ。まさか今日キーラ様も来るとは思わなかった。予想外の再会だが、サラ嬢は大丈夫だろうか。チラリと横目で様子を伺うと、先ほどとまったく同じ顔をしてキーラ様を見ていた。
「……まったく。侯爵夫人ともあろう人が何やってるのかしら」
サラ嬢はため息をついて再び歩き出す。
コツ、コツ、コツ、コツ。
道路を叩く二人分の足音に気付いたキーラ様がはっとしてこちらを見やる。サラ嬢はキーラ様の前で歩みを止めた。緊張感に包まれたまま対峙する。キーラ様はガチガチに体を固くさせ、ぎこちない笑みを浮かべながらなんとか口を開いた。
「あ、その、サ、サ、」
なんだか見てるこっちがハラハラする。
「サラちゃん!」
「……なんでしょう」
そっけないながらも返事をしてくれて安心したのか、キーラ様の体の力が少しばかり抜ける。合わせて俺の肩の力も抜けた。この再会シーンは心臓に悪すぎる。
「ええと、その、今日は来てくれてありがとう」
「……本当は来る気なんてなかったのですが、説得が鬱陶しかったので」
「あ、そ、そうよね! しつこくてごめんなさい!」
…………沈黙が気まずい。
「その……面会時間も限られてるみたいですし、そろそろ移動した方がいいのでは?」
なんとかこの空気を変えるべく時計を見ながら俺は言った。キーラ様は視線を俺の方に寄越すと少しだけ笑顔を見せた。
「……そうね。じゃあ行きましょうか。病室までわたくしが案内するわ」
キーラ様の後を追うように、俺たちは病室に向かって歩き出した。




