15本目
あの日から、俺はサラ嬢に徹底的に避けられるようになった。
図書室には顔を出しているみたいだが、どういうわけか俺が足を運ぶ時はその姿は見受けられない。意を決してクラスにも行ってみるも結果は同じ。無駄だとは思いつつ周りの生徒にサラ嬢の居場所を聞いてみれば、興味津々、面白半分と言った具合に「本当にあのサラ嬢と付き合ってるのか?」と逆に質問されてしまった。今更ながら本当に噂は広まっていたんだなと実感した。無駄な収穫である。
あの日、ダメ元でカウンターの上に短いメッセージと例のカードを入れた封筒を置いてきたが、それは翌日寮のポストに未開封で届けられた。読んでくれるとは期待していなかったが、それなりに落ち込んだ。
今日も一度も姿を見かける事はなく、俺はどうしたらいいかとますます頭を悩ませた。……正直、どうしてここまでするのか自分でも不思議でしょうがない。彼女の境遇を聞いたせいだろうか。……いや、そんなんじゃない。俺はただ、苦しそうな彼女を見たくないだけだ。寂しそうな彼女の横顔を見たくないだけだ。何かを我慢するように握りしめたその手を解いてやりたい。それだけだ。
サラ嬢の説得が一筋縄ではいかないことはよく分かった。向こうがその気ならこちらも手段を選んでいられない。俺は立ち上がると、そのまま隣室のドアを乱暴に叩いた。出てきた寝ぼけ顔の男に向かって、俺は不本意ながら口を開く。
「……トム。お前に頼みがある」
起きたばかりで頭の回っていないトムは「へ?」と真抜けな声を出した。
*
「こんにちは。本日の荷物をお届けに参りました」
木箱を抱えた配達員は一旦それを置くと、首にかけた入寮許可書を見せる。
「ご苦労様てす。荷物はこちらにお願いします」
「はい」
それを確認したハワード王立学園、女子寮の警備員は疑うことなく配達員を中に入れた。……よし、まずは第一関門突破である。
俺は今、着たこともない配達員の制服を着て男子禁制の女子寮に侵入している。バレたらもちろん変態のレッテルを貼られた上に処分を受けるだろう。そんなリスクを背負いながら女子寮に侵入したのは、サラ・クラーク嬢と話をするためだ。
先日、無駄に情報通である友人のトムに恥を忍んで女子寮に侵入する方法はないかと聞いたところ、学園に出入りする業者に変装して裏口から侵入する方法を教えてもらったのだ。特に手紙や荷物を運ぶ配達屋は入寮許可書を貰っているらしく、男性であってもエントランスまでは怪しまれることなく入れるという。
はっきりとした事情は言わなかったものの、サラ嬢の所に行くのだと目敏く察したトムはそれはそれは楽しそうに侵入方法を説明してくれた。変な誤解を与えないようにやましい事は何もない、やましい気持ちも何もない、事情があって仕方なく侵入せねばならないのだと口を酸っぱくして言ったのだが、伝わったのかは定かではない。
上機嫌になったトムは、どこからか配達員の制服と入寮許可書を調達し俺に渡してきた。そのどちらも本物だった。……一体どんな手を使って入手したのやら。落ち着いたら、トムは諜報活動に特化した第四騎士団に入るべきだと隊長に推薦しておこう。
木箱に入った荷物を所定の場所に置くと、すぐに行動を開始した。鞄に何通か手紙を入れ、帽子を深くかぶって誰にも見つからないように廊下を足早に進む。手紙はもし人に見つかった場合の言い訳のためだ。本来手紙は所定の場所に置いたあと管理人が仕分けるのだが、直接届けるよう頼まれた、とでも言って逃げればなんとかなるだろう。
サラ嬢の部屋は廊下の一番奥らしい。……ちなみにこれもトムに聞いた情報である。個人の部屋番号まで知っているとは……いや、今は何も言うまい。
〝107〟と書かれた部屋の前に立ち、コンコンと二回ノックをする。
……反応がない。もう一度ノックする。
……やはり反応がない。
おかしい。この時間はみんな部屋にいるはずだ。外出届けも出されてないし、図書室にもいなかった。おそらくサラ嬢は部屋にいる。あえて無視しているのだろう。俺は小さく溜息をつくと、ドンドンと休むことなくドアを叩き続けた。
あまりのうるささに我慢出来なくなったのだろう。カチャリと鍵が開く音がして、中から不愉快極まりないと言わんばかりに眉間にシワを寄せたサラ嬢が出てきた。俺の顔を見ると驚いたように目を見開く。
「……なっ! 貴方っ」
「しー!」
俺は慌てて人差し指を口に当て静かにするよう懇願する。俺の意図を察したのか、サラ嬢は苦虫を噛み潰したような顔をして口を閉じた。
「こんな所まで押しかけて申し訳ない。だけど話があって、」
「私はないわ」
「待ってくれ!」
彼女は非情にもそのままドアを閉めようとしたので、俺はすかさず右足を隙間に滑り込ませて阻止した。足首の辺りにガッと衝撃を受ける。それを見たサラ嬢の舌打ちが聞こえてきた。挟まれた足はじんじんと痛い。
「叫ぶわよ?」
「それは困る。だが、頼むから話を聞いてくれ。お願いだ」
そう言って頭を下げると、上から諦めたような溜息がこぼれ落ちた。
「……とりあえず入って」
「はっ!? い、いいのか!?」
「こんな所誰かに見られたら大騒ぎになるでしょ。巻き込まれるのは御免だわ。それと、ドアは少し開けておいてね。これ以上変な噂がたつのも困るから」
それは……本当に申し訳ない。
*
サラ嬢の部屋は伯爵令嬢にしてはとてもシンプルだった。派手な装飾品はなく、生活に必要な最低限のものだけが揃えられた感じだ。
婚約者でもない女性と密室に二人きりなんて普通じゃありえない。しかし、これは緊急事態だ。やましい気持ちなんてこれっぽちもないのだから堂々としていればいい。
ソワソワと落ち着かない俺の前に紅茶の入ったカップを乱暴に置いたサラ嬢は向かい側の椅子に腰を下ろす。侍女もメイドもいないので、おそらくサラ嬢本人が淹れたのだろう。令嬢らしくないが、サラ嬢ならやりそうだ。
「それで話って何? 病院なら行かないわよ」
開口一番、あっさりと先手を打たれる。やはり俺の目的はお見通しだったようだ。俺は送り返されたカードをテーブルに置いた。サラ嬢はそれを一瞥するとまたそれかとでも言いたげに視線をそらす。
「サラ嬢は本当にそれでいいのか?」
「叔母から話は聞いてるんでしょ? だったらうちの事情も知ってるわよね?」
「……ああ」
「それなら話は早いわ。今さら何したって無駄よ」
「何故だ。やってみなきゃ分からないだろ」
「無理なものは無理なの。そこにあるカップだって割れたら元に戻らないでしょう? それと同じよ」
「直そうと思えば直せるだろ」
サラ嬢の眉がピクリと動いた。
「不格好でも汚くてもつぎはぎだらけでも直そうと思えば直せるはずだ。戻らないわけじゃない。そうだろ?」
サラ嬢は眉間にシワを寄せ、ジロリとこちらを睨む。
「ねぇ、どうしてそんなに干渉してくるの?」
「それは……」
「そんな格好までして男子禁制の寮に乗り込んで来るなんて信じられない。これは私と家族の問題なの。前にも言ったけど貴方には関係な、」
「関係ないなんて言うな!!」
俺はサラ嬢の言葉を遮って叫んだ。同時に両手でテーブルを叩く。驚いたようにサラ嬢の肩がびくりとはね上がったのが見えたが、構わず続ける。
「自分でもどうしてここまで気にしているのかわからない。ただ、俺は君がそうやって何も気にしてないような振りをしてるのが嫌なんだ! 苦しそうな顔も寂しそうな顔を見るのも嫌なんだよ!」
「貴方、何を言って、」
「俺には関係ないなんて言われて腹が立った! それなりに仲が良いと思ってたからだ! それなのに君は何も言ってくれない! 俺は君の本音が知りたいんだ! 家族に対する愚痴でも恨み言でもいいから本音をぶつけてほしかった! 干渉する理由なんてこれだけあれば十分だろ!?」
ぜえはあと肩で息をする。最近はなんだか怒鳴ってばかりだな、と言いたいことを言って少しばかり冷静になった頭で考える。
「……大声出して悪かった」
「本当にね。隣室から文句がきたらどうしてくれるの? 騒ぎを起こして部屋に男がいるなんてバレたら強制退去させられるかもしれないのに」
「……悪い」
彼女の突き刺さるような視線を受け、ごもごもと謝罪を口にする。
「それにしても、随分と身勝手な理由なのね」
「サラ嬢だって勝手に俺の糸切っただろ。お互いさまだ」
ばつが悪いのか反論の言葉は返ってこなかった。珍しいこともあるものだ。サラ嬢はふぅ、と諦めたように息を吐いた。
「…………会って、どうなるの」
小さな声で呟いた。その呟きは俺にというより、自分自身に問いかけているようだった。
「今さら会った所でどうなるっていうの? 話すことなんて何もないわ。私がしたことは変わらないしお父様だって戻ってこない。私と会ったって、話たって、傷は消えない。それどころか、あの人達をまた傷付けてしまうわ」
そこで俺はようやく気が付いた。
サラ嬢は家族に会うのが嫌なんじゃない。家族を、大切な誰かを傷付けてしまう事が怖いんだ。だから会いたくないのだ、と。
「君は……意外と怖がりなんだな」
ぽろりと口をついて出た言葉に、サラ嬢は気を悪くするわけでもなく自嘲気味に答えた。
「……そうね。私は人との〝縁〟が怖い。だから切った。私と繋がるものは全部。誰にも関わってほしくなかった。放っておいてほしかった。どうせ傷付ける事になるなら、一人の方がずっとマシだもの」
サラ嬢は伏し目がちに続けた。
「私が切った父と母の糸はね、何度結び直してもすぐにほどけてしまった。気持ちがすっかり離れているものはどうしようもなかったみたい。……ダメね、私。糸が見えてたってさわれたって、結局何も出来ないんだもの」
……あれはいつだったか。ヤケになって俺の糸とマリア嬢の糸を無理やり結んでしまおうか、と言った時だっただろうか。
〝気持ちのない者同士を結んだってダメ〟
〝待っているのは悲しい結末よ〟
あの時見せたサラ嬢の怒りは、寂しげで哀しそうな表情の根底は、全てはここにあったんだ。
結び直したのはきっと、幼かった彼女の精一杯だったのだろう。自分に何が出来るか一生懸命考えて、実行して、上手くいかなくて、壊れてしまった。
彼女は母親に責められたから家を出たんじゃない。
自分のしたことに責任を感じて、もう誰も傷付けたくなくて、だから自ら家族と離れることを選んだんだ。
そんな彼女の気持ちはキーラ様も母君も知らない。でもサラ嬢だって、キーラ様がどれだけサラ嬢を心配してるか知らないだろ? 母君があの日の言葉をどれだけ後悔してるか知らないだろ? こんな風に、お互いに知らない事がまだまだたくさんあるはずだ。だからこそ会うべきだと思うんだ。
「……病院には、行った方がいいと思う」
力なく呟いた俺をサラ嬢が見据える。
「別に今すぐ何か話さなくてもいいんじゃないか? 難しい事は後回しで、今はただ顔を見るだけでいいと思う。まぁその辺はなんとなく伝わるだろ。親子なんだからさ」
俺はテーブルに置いたままのカードを彼女の元へ移動させた。
「ほら、これ」
「……いらない」
「っ!」
これで断られたらもう為す術はない。キーラ様申し訳ありません、やはり俺では力不足でした。がっくりと項垂れる。が、それは俺の早とちりだった。
「もう必要ないわ、そんな紙。……貴方に案内してもらうから」
「え?」
サラ嬢は獲物を狙うライオンのような鋭い目で俺を睨みつける。
「貴方、さっき自分の事を関係ないなんて言うなって言ったわよね?」
「は?」
「言ったわよね?」
「……い、言いました」
「ならその責任は果たしてもらうわ」
「責任?」
「……今度の休日。正午、裏門前」
「は? ちょっと待ってくれ。どういう事だ?」
状況についていけない俺にサラ嬢は言い放つ。
「貴方も行くのよ。病院に」
「えっ!?」
「貴方が勝手に首を突っ込んできたんだから、これぐらいの覚悟は出来てるでしょ?」
ああ、これはどうやったって逃げられないやつだな、と俺は静かに悟った。




