10本目
俺の悩みの種は日々成長を続けるばかりである。
正門での出来事から数日経ったが、サラ嬢の様子にこれと言った変化はなかった。放課後はいつも通り図書室で過ごし、時々持ち込み禁止のサンドラのお菓子を食べ、時間になるとふらりと寮へ戻って行く。落ち込んだ様子も悩んでいる様子も見受けられない。むしろ、俺の方がサラ嬢の様子を気にして不審な行動を取っているかもしれない。
あの女性について、余計な詮索はしないつもりだ。サラ嬢だって聞かれるのは嫌だろうし。まぁ……本当は、サラ嬢の方から話してくれないかと願っているのだけれど。俺達にそんな信頼はないのだから…………仕方ない。
梅雨時の晴れない曇り空のような心を抱えながら、俺は重い足を動かして街へ巡回に向かった。
*
今日は先日言われていた通り俺とトム、そしてワイルダー隊長の三人で街の巡回を行う日だ。普段の練習着とは違い騎士候補生が着る濃紺の騎士服に袖を通すと、自然と背筋がピンと伸びた。ワイルダー隊長も金ボタンの光る黒い騎士服にロングブーツ、そして同じ色のマントを纏っていて、いつも以上に風格が漂っている。
城下の市場はたくさんの人で賑わっていた。
人の数に比例して増える赤い糸は学園よりも更に多く、複雑に伸びていた。どこを見ても赤い糸が見えるのでぐったり状態だが、巡回はまだ始まったばかりだ。泣き言は言っていられない。
「騎士様だ!」
「キャー! 騎士様ステキー!」
すれ違う女性の黄色い歓声と子供たちの憧れの眼差しを浴びながら、隊長は慣れたように手を振った。
「騎士様! いつも見回りご苦労様です! これ、先日助けて頂いたお礼に!」
「ありがとう。あれから変わりはないか?」
「はい!」
「何かあったらすぐに言ってくれ」
「ありがとうございます!」
王族や貴族を護る第一騎士団や有事の際即戦力となる武闘派が揃った第三騎士団とは違い、街の安全と不正・犯罪の取り締まりを行う第二騎士団は比較的庶民との距離が近い。第二騎士団が国民の中で一番人気が高いのも、おそらくその影響なのだろう。
「見ろよあれ! あの黄色い声援! やっぱ騎士はモテるなぁ! よし決めた。俺絶対騎士になる。騎士になって出世して女子にモテまくる人生を目指す!!」
騎士候補生の制服効果で普段より少しだけカッコ良く見えるが、中身はやはりトムだった。相変わらず下心丸出しの男に軽蔑の眼差しを向ける。いくら騎士になったからってそれだけでモテるわけないだろう。そこに実力や誠実さがないと人は集まってこない。トムは上辺だけ褒められて嬉しいのか? 嬉しいのか。そうか。
ワイルダー隊長を筆頭に買い物客で賑わう市場を抜け、商店街、教会、孤児院、繁華街、貴族も訪れる高級街などを次々にまわっていく。裏通りや死角になっている場所は特に気を配って巡回する。犯罪発生の確率が高いからだ。飲食店での金銭トラブルや路上での喧嘩などが数件ほどあり、俺もトムも仲裁に入ったりはしたが大きな事件には発展せず、巡回はおおむね順調だ。前は王都でも強盗や誘拐という事件が多発していたが、騎士団の巡回が始まってからは発生件数が減った。やはり抑止効果はあるのだろう。
流行りのカフェの前を通ると「あら?」という鈴の音のような声がして、俺たちは一斉に振り返った。
「……マリア嬢?」
そこには、レースの付いたボンネット帽にフリルをあしらったワンピースドレスを着たマリア嬢が居た。後ろには護衛らしき従者もいる。
「こちらのカフェでお茶を飲んでいたら皆さんの姿をお見かけしたのでご挨拶に伺いましたの」
そう言ってマリア嬢は頬を染めながら微笑んだ。その熱い視線はある一人に注がれている。
「君はまたそんな格好で……。誰かに狙われたらどうするんだい?」
ワイルダー隊長が溜息混じりで言った。
「あら、今日は休日でしょう? ですからちょっと息抜きに来たんです。もちろん学園には外出許可を取ってありますし、こうして護衛も連れていますからご心配にはおよびませんわ」
二人は以前から知り合いだったのだろうか。何やら親しげな様子だ。
……いや。いやいやそんな事よりも。俺はこれでもかと目と口を見開いて彼女の小指を見つめていた。いや、正確に言えば彼女から伸びた赤い糸の先を、である。
──マリア嬢から伸びた赤い糸は、黒い騎士服をさらりと着こなす目の前のワイルダー隊長の小指へと絡みついているからだ。
これは一体……ま、まさか、彼女の想い人がワイルダー隊長だと!? ……そういえば今回の巡回の話もやたらと聞いてきたし、騎士科の公開訓練には毎回見学に……そうか。欠かさず見学に来ていたのは隊長を見るためだったのか! 生徒ではなく! そう考えると辻褄が合う。今日ここで会ったのもおそらく偶然ではない。俺から巡回の情報を聞いていたマリア嬢が待ち伏せしていたんだろう。学園では隊長と話す機会がほとんどないから。正解のピースはそこら中に散りばめられていたのだ。なのに、俺はそれをものの見事に見落としていた。
開いた口と目がまったく塞がらない俺はさぞかし間抜けな顔面を晒しているだろうが、気にしている余裕はまったくなかった。隊長とマリア嬢が何か話をしているが、俺の頭には一つも入ってこない。
*
──正直、そこからどうやって巡回を終えどうやって学園に戻り寮に帰ってきたのか記憶がない。気付けば俺は、すっかり行きつけとなった第二図書室のテーブル席に座っていた。机に顔を突っ伏し、抜け殻のように薄暗い室内をただただ眺める。
「……ねぇ、ここで落ち込むのやめてくれない?」
「いいだろ……どうせ誰も来ないんだから」
迷惑そうな声が響く。むくりと起き上がると、眉間にシワを寄せた赤い瞳と目が合った。
「君こそ。まさか休日まで図書室にいるとは思わなかった」
「図書室の雰囲気が好きなのよ。学園側も知ってるからご心配なく」
サラ嬢はそう言ってカウンターに読み終わった本を置いた。こんな時間まで読書とは。彼女はよほど本が好きらしい。それに、休日ぐらい寮に戻ってゆっくり読めばいいのに。変わった令嬢だ。
「貴方、今日騎士団の隊長と同じ騎士科の生徒と街の巡回だったんでしょう?」
「……ああ」
「もしかして、そこでマリア嬢に会った?」
「なっ!」
何故いつもサラ嬢にはこちらの事情が筒抜けなのだろう。赤い糸を見る力だけではなく、何か他の力も持っているのかと疑いたくなってしまう。
「たまたま彼女が街に出掛ける姿を見ただけよ。あの気合いの入り方で目的はすぐに分かったわ」
顔に出ていたのかはたまた心を読んだのか、サラ嬢は俺の疑問に的確な答えをくれた。
「見たんでしょう?」
「…………」
「マリア嬢の糸の先。貴方、だからそんなに落ち込んでいるんでしょう?」
返事の代わりに、俺の口からははぁ、という大きな溜め息が溢れた。
「マリア嬢の糸の先は私も見た事があるわ。もちろん、お相手の騎士様の糸の先も」
……そうだ。俺はワイルダー隊長の繋がった糸の先を知っている。その糸は二人の小指にしっかりと結ばれていて、とてもじゃないが解けそうにない。お互いがお互いを想い合っている証拠だ。
大きな大きな溜め息を一つ吐き出すと、俺は再び机に突っ伏した。ゴン、という乾いた音と同時に額に硬い木の感触がしてじんじんと痛みが訪れる。
「この事を知ったら、マリア嬢は泣くだろうか」
「さぁ。泣くんじゃない?」
「……悲しむだろうな」
「そうね」
「……ツラいだろうな」
「そうね」
全ての人の恋が成就するなんてことはありえない。そんな事は分かっている。分かってはいるが、とても苦しい。いつか彼女も現実を知る日が来るだろう。何せ隊長と先生は婚約しているのだ。今は隠していても、いずれ正式に発表されるだろうから。
「そんなに気になるなら、私が切ってあげましょうか?」
止まらない溜息を吐き出していると、上から声が降ってきた。
「……君が言うと冗談に聞こえない」
「あらまぁ。とびきりのジョークだったのに」
いや、真顔でそんなこと言われても。俺は最近見る事の少なくなった銀色のハサミを思い浮かべた。
本人は否定しているが、サラ嬢が好き勝手に他人の糸を切っているわけではないと俺は知っている。〝破局の魔女〟に別れさせられたと噂のあった恋人たちを数組調べてみると、みんな何かしらの問題を抱えた者ばかりだったのだ。無理やり結ばされた婚約だったり、陰で暴力を振るわれていたり、片方が浮気をしていたり。サラ嬢はそんな誰にも言えない悩みを抱えた者の糸を切っていた。それが「良い事」なのかハッキリとは言えないが、少なくとも「悪い事」ではないと俺は思う。
……あれ? つまり、あの時俺の糸を切ったのは何か問題があったからという事だ。もしかして、俺の不毛な片想いを終わらせようとしたのだろうか。
しかし、ふと浮かんだ疑問の答えを聞く気には今はなれなかった。




