9本目
行きづらいとは思いつつ、俺は今最早日課となっている第二図書室へと続く廊下を歩いていた。「開館中」というプレートが申し訳程度に掛けられたドアのぶをゆっくり押して、中に入る。
「……失礼する」
サラ嬢はチラリとこちらを一瞥すると何も言わず本に視線を戻した。俺は定位置になったテーブル席を通りすぎ、真っ直ぐカウンターに向かう。
「これ、やる」
俺は右手に持っていたラッピングの袋をカウンターに置いた。サラ嬢は不思議そうな顔で見上げる。
「……サンドラの袋? クッキーならもう貰ったけど?」
「これはあれとは別のお詫びだ」
「……お詫び? 何の?」
「変な噂が出回っているのだろう? 俺は今まで気が付かなかったが……」
「噂?」
俺はここで少し言い出すのを躊躇った。サラ嬢は大人しく俺の言葉を待っているので、観念して告げる。
「……俺と君が付き合っているとか婚約しているとか、そういう噂話だよ」
「ああ、あれね」
彼女は興味がないと言わんばかりに背もたれに体重を預けた。この様子からするとあの噂はやはり彼女の耳にも入っていたようだ。
「別に気にしてないわ。あんなの言いたい人には言わせておけばいいのよ。どうせそのうち消えるでしょ」
あまり、というかまったく気にしていないことにほっと胸を撫で下ろすも、それはそれで少し悲しいものがあった。そう思うのは俺の我儘だろうか。
「私より貴方の方が迷惑してるんじゃない?」
「え、俺?」
「だって、愛しのマリア様に誤解されたら困るでしょ?」
一瞬ぽかんとしてしまった俺を怪訝そうに見やる。だってまさか彼女にそんな心配をされるとは思ってもみなかった。青天の霹靂である。
「……それは先ほど解いてきたから大丈夫だと思う」
「そう」
サラ嬢はカウンターに置かれた包みを手に取った。
「あら、これ期間限定のフルーツマカロンじゃない」
心なしか声が弾んで聞こえる。やはりサラ嬢も期間限定という言葉に弱いのだろうか。
「これどうしたの? まさか女性だらけの中にまた並んだんじゃないでしょうね?」
クスリと笑ったサラ嬢に対し何も言えなくなる。
「これはマリア嬢から貰ったんだ」
「……マリア様から?」
「ああ。さっき食堂で会って、俺たちの噂話について聞かれて。噂を否定したら、根も葉もない噂を信じてしまったお詫びにって。それで、サンドラはサラ嬢が好きな店だろ? そこのお菓子だったから、君にあげようと思って」
「……そう」
サラ嬢は手に持っていた袋をカウンターに戻す。そしてぽつりと一言。
「これ、悪いけどいらないわ」
「……は?」
いつもより深めに刻まれた眉間のシワが、彼女の不機嫌さを語っているようだった。
「気持ちだけ頂いておくわ。ああ、一応お礼は言っておこうかしら」
いや、どう見てもお礼を言っている人間の態度ではない。読んでいた本をさっさと鞄に仕舞い、カウンターから出てきた彼女は「部屋に戻るわ」と言ってさっさと図書室を出て行ってしまった。
ぽつんと置かれたラッピング袋を手に取る。………………サラ嬢は、何故あんなに怒っていたのだろうか。
*
サラ嬢が怒った理由をもんもんと考えながら寮に向かって歩いていると、正門でその本人の姿を見つけた。先に戻ったんじゃなかったのか? と不思議に思っていると、何やら様子がおかしいことに気が付き立ち止まる。
サラ嬢の他にもう一人、上質な生地のジャケットにロングスカートを着た女性が居たのである。俺たちの親ぐらいの年齢だろうか。すらりと伸びた手足は細長くて、プラチナブロンドの髪が良く似合っている。そして美人だ。それもかなりの。
二人は向かい合って何やら話をしているようだったが、雰囲気がなんとなく穏やかではない。こちらに背を向けているためサラ嬢の表情は確認出来ないが、手はしっかりとスカートの裾を握り締めていた。相手の女性は必死な様子でサラ嬢に話しをしている。
これは…………どうすればいいのだろう。
話している相手が男だったら迷わず助けに入れるのだが、目の前にいるのは女性だ。しかも、学園に入れるということはあの女性は学園の関係者か生徒の親族なのだろう。下手に話に入っていくわけにはいくまい。
あれこれ考えている間にサラ嬢が女性の横を通り過ぎた。女性はその腕を掴んでサラ嬢の動きを止める。
「……っ!」
顔を上げたサラ嬢を見た瞬間、どういうわけか俺の体は勝手に動き出した。
「サラ・クラーク嬢!」
「…………アレックス……ロン、バートさま?」
突然現れた俺を見るサラ嬢の目は大きく開かれた。いつもより強調された猫目が心なしか安心したように俺の姿を映している。
「やっと見付けた! 先生が至急職員室に来いとお呼びだ! 怒っている様子だったから急いだ方がいい!」
サラ嬢は戸惑ったように俺を見詰める。ワンピース姿の女性はこの状況がまだよく飲み込めていないようで目を白黒させていた。これはチャンスだ。通じるか分からないけれど、俺はサラ嬢に〝ここは話を適当に合わせてくれ〟という念を込めてアイコンタクトを送った。
そして俺は〝もう一人の女性にはたった今気付きました〟というような体を装って話を続けた。
「…………あ、申し訳ありません。何かお話中でしたか?」
俺は眉尻を下げて申し訳なさそうな表情を作る。大根役者にしては上出来の演技だろう。というか、これ以上を求められては困る。これで精一杯なのだから。
「……別に何も話してないわ。行きましょう」
サラ嬢は俺の腕を掴んで足早に歩き出した。
「あっ、待って! 少しでいいから話を聞いて! サラ! お願いよ、サラ!」
去り際にチラリと見えた女性の顔は今にも泣き出しそうに歪んでいた。だが、斜め前を歩くサラ嬢本人は後ろを振り返ることは一度もなかった。
*
このまま寮に戻すのもなんとなく心配なので、中庭に寄ってとりあえずベンチに腰掛けた。
門限間近の中庭というのは、ひっそりとしていて少し寂しい。なんとなく気まずい沈黙の中チラリと横目で隣の様子を伺うと、サラ嬢の顔色は悪く、少し落ち込んだ様子だった。
「大丈夫か?」
「……ええ」
サラ嬢は呟くように答える。
〝サラ!〟
あの女性は彼女を呼び捨てで呼んでいた。親しい間柄か、親族なのだろう。もしかしたら母親かもしれない。でも、それにしては随分と険悪なムードだった。
……あの女性は誰なのか、今はとても聞ける状態じゃない。余計な口を開けば常備している愛用のハサミが飛んでくるだろう。触らぬ神に祟りなし、いや、触らぬサラ嬢にハサミなしだ。
「アレックス・ロンバート様」
サラ嬢は俺の名前を呼ぶと、軽く深呼吸をした。
「どうした?」
「……さっきはありがとう」
珍しく素直な態度のサラ嬢に面食らう。こんな言い方が失礼なのは百も承知だが、よほど参っているのだろうか?
「いや、たまたま通りかかっただけだ」
「それでも、来てくれて本当に助かったから」
ふぅ、と疲れたように息を吐いて、サラ嬢は静かに立ち上がる。
「今度こそ戻るわ。変な事に付き合わせちゃってごめんなさい」
「寮まで送ろう」
「大丈夫よ。お気遣いありがとう」
「しかし、」
「いい。一人で戻れるから」
強い口調で言いきったそれは、あきらかな拒絶だった。サラ嬢はくるりと半回転して俺に背を向ける。
「じゃあね」
かける言葉も見付からず、俺は小さくなっていく背中を見送ることしか出来なかった。
……サラ・クラーク嬢。君はどうしてそんな苦しげな顔をしているんだ。君をこんな風にさせた彼女は一体誰なんだよ。
そう聞けることは、残念ながら俺には出来ない。




