呼び方
さて始めたエッセイが
ご挨拶で止まっていたらいけないと思うので、
もう一つ、追加してみようと思って。
夫婦の呼び方について、書いてみようと思います。
千子さんという呼び方。
僕らは基本的にさん付けで呼び合っています。
「れきさん」
「千子さん」
って感じです。
子供が一緒にいる時は
「お父さん」
「お母さん」
と呼び合うことがありますが。基本的にはさん付けです。
これは結婚前からなので、変えられないまま15年きてしまいました。
当初は亭主関白風に
「千子」って呼ぶよう練習してみたこともありましたが、
どうも照れてしまうのと、違和感があって。
子どもは普通に名前で呼べるのに、と思ってしまうのですが。コレなんなんだろうと思いました。
やっぱり相方さんって響きがしっくり来る。コレが理由か、と最近思っています。
千子さんと、どうしてもさん付けをしてしまう。
千子さんに対しては、所有とかそういうレベルでは当てはまらなくて。
ウチの妻、俺の女。
色々な響きがあると思うのですが、
僕にとっては相方さんで
やっぱり
千子さん
なんですよね。
それは彼女と僕は夫婦であり、
愛しい人であるのはもちろんなんですが。
相棒であり、戦友であり、親友であり、ライバルでもある。
そんな感覚を僕は持ち合わせています。
これは以前、彼女とそんな話をして、実際に共有していて。
お互い、同じように感じていたのを知り、妙にこそばゆかった記憶があります。
よくSNSで
旦那さんが
「おかーさん!」
と呼ぶことに対して、
「私はあなたのお母さんじゃない!」
と揶揄するのを見ますが、そういうのを見ると悲しくなります。
夫婦間での「お父さん」「お母さん」は僕はアイコンだと思っています。
役割という言い方でも良いかもしれませんね。
それは個人ではなくて、役割で。
自分の時間、時には感情を犠牲にする時もある。
でも「お母さんだから」「お父さんだから」で、そこを乗り越える人が大半じゃないかと。
だって、自分が完璧じゃなくて。
成長途中で。それでも、子どもを育てていくということは。
「お父さん」「お母さん」というアイコンがないと難しいのではないのかしら、と思います。
だから「私はあなたのお母さんじゃない」と言うのは
事実として見たら、それは当然だけど。
アイコンとして見たら、ずっとその役割だけ、その顔に体に貼り付けているのは、そりゃ辛いよね、って思ってしまう。
だから僕は――僕らは
「千子さん」
って呼ぶし
「れきさん」
と呼んでくれる。ココらへんは彼女に確認をしたわけでは、ないんですけどね。
結婚して15年。成長したのか、成長していないのか。
良い意味でも悪い意味でも
僕らは僕らで。
だからアイコンに縛られず
むしろ、自分たちを「お父さん」「お母さん」で縛りたくないと思うから。
千子さんの名前を呼ぶのです。
君に恋した、あの時のことを未だ忘れられないし。忘れたくないって思うので。