8話 「この者を罵って良いのは私だけだ」
赤、青、ピンク、黄色、紫。
床に散らばってしまった飴玉を眺めて呆然とするエルシオ様。そんな彼を嘲笑うようにカラフルな飴玉たちがコロコロと涼しげな音を立てて転がってゆく。
尻餅をつく麗しの王子フィーチャリング大量の飴玉。
突然出現したシュールな絵図に、思わず、噴き出してしまった。
「あははっ」
「……何がおかしい」
えっ!?
な、なんということだ!
エルシオ様が、頬を赤らめて照れている……だと!?
言葉はいつもの通り尊大だけど、むすっと頬をふくらませていて。しかもそれが尻餅をついたままなので威厳の欠片もない。むしろ、萌え度が爆上がりしているだけだ。
真っ白な大理石の床に、七色のキャンディーは皮肉にもよく映えていた。
飴玉に囲まれた彼はうつむくと、決まり悪そうに呟いた。
「……夢、だったのだ」
「夢、ですか?」
「ああ。甘いものを舌の上でずっと転がしていられたら……幸せだろう」
彼が転がる飴玉を名残惜しそうに見つめながら哀しそうに眉尻を下げた時、完全に心を撃ち抜かれた。
なんなんだ、この生き物は。かわいすぎる。私はいつかこのお方に悶え殺されそうだ。死因、キュン死。
いまだ尻餅をついたままの彼と、同じ目線までしゃがみこむ。
「素敵な夢ですね。歯の健康を思うと、褒められたものではありませんけれども」
「ああっ、もう。……知られたくなかったのに」
「どうして、知られたくなかったのですか?」
「……だって。甘いものが好きだなんて、男らしくないだろう」
うわあああああああ! エルシオ様が可愛らしすぎて死ぬ! ネリ=ディーン、このまま天に召されて死んでも一生に悔いなし!!
それにしても、エルシオ様が実は甘党だったなんて、ゲームをあれほどやりこんだのに知らなかった。
ゲームが始まる時点で、彼は既に二十歳。
幼少期の話は大人になった彼の回想シーンしか出てこない。ということは、まだ知らないことがあっても、おかしくはないのかも。
つまり、このお方の知らない一面を、まだこれから知っていけるということだ。
胸がわくわくして仕方がない。まるで、宝探しみたいだ。
「ううん。むしろ、もっともっと、好きになりましたよ」
エルシオ様は驚いたように私を見上げた後、またうつむいてしまった。
でも、その表情は凪いだ海のように穏やかだった。
この噂は瞬時にラフネカース城を走り抜け、事態を聞きつけて急いで現場に駆けつけた国王様の鉄拳がエルシオ様の頭にくだった。
きつく叱られた挙句、一か月間甘い物禁止令まで敢行されたエルシオ様は幽霊のように顔を青白くさせていた。
そんなハプニングがありつつも、私はエルシオ様とお得の同じ時を過ごした。
幸いにも、私が彼の遊び相手役を外されることもなく、穏やかで幸せな日々が続いていたのだ。
その内に、第二王子のシャルロ様、そして第三王子のリオン様とご一緒する機会にも恵まれた。
ある日、日課としてエルシオ様のお部屋を訪れると、珍しく先客がいた。
第二王子のシャルロ様だ。
サラサラの銀の髪に、神秘的なアメジストの瞳。
将来は女性を食い荒らすダメ王子になってしまうだけのことはあり、五歳にして既に色香を放たれているのが末恐ろしい。
シャルロ様は、入室してきた私を見るや否や値踏みするように紫の瞳を細めた。
「君が、このとんでもない兄様を手懐けたという噂の……想像していたより可愛くないな」
ええと、初っ端から失礼すぎませんか?
ネリ=ディーンの黒目がちの瞳は吊りあがっていて、どことなく猫っぽい。肌は雪のように白く、頬も健康的に色づいていて、体つきはどちらかといえば華奢な方。黒くしなやかな長い髪を、頭の高い辺りで一つにくくっている。
自分の容姿を、他人のことのように評してしまうのは、前世の記憶があるからだろう。
誰もが振り返る美人からは程遠い平凡な顔つきだけど、どことなく愛嬌はある顔立ちで、私としては今世に大満足している。まぁ、王子様方やヒロインであるティアの超人的な麗しさと比べてしまえば、月とすっぽん並の差異があるのは当然のことだ。
なにせ彼らは乙女ゲームにおける登場人物で、私は名前すら出てこない脇役。比べる方が間違っている。
さて。
シャルロ様になんと返答すべきか、と思案していたら、意外にもエルシオ様の方が先に口を開いた。
「黙れシャルロ。この者を罵って良いのは私だけだ」
なっ!?
突然の爆弾発言に、絶句するしかなかった私とシャルロ様。
当のエルシオ様だけが、何か変なことでも言っただろうかと首を傾げている。なんとも言えない気まずい空気の中で、まだ御年二歳のリオン様だけがぼんやりとしていた。
「に、兄様の言うことを聞く義理なんてない!」
とシャルロ様が反抗的な態度を示したものの、エルシオ様は完スルー。
それ以降、シャルロ様は始終面白くなさそうに唇を尖らせていて、私は苦笑いすることしかできなかった。
エルシオ様は、さしづめ、自分の見つけたおもちゃを他の誰かに傷つけられるのは気に喰わないといった程度のお気持ちだったのだろう。
けれども、そのお言葉はしばらくの間、脳裏から離れなかった。
その日以降、エルシオ様だけでなく、シャルロ様やリオン様とご一緒する機会も増えた。
エルシオ様はいつ何時も無表情だった。
でも、以前と同じように二人で遊んでいる時だけはわずかに表情豊かになる。そんな彼をくすぐったい気持ちで眺めていた。
そんな風にして、初めてエルシオ様とこの世界でお会いした日から二年が経過した。
幸せな日々は、続かなかった。
この世界はゲーム通りに進行した。
エルシオ様の下に、あの最大にして最悪の災難が降りかかったのだ。