3話 悪役令嬢ミルラ様
初対面のあの日から二週間が経った。
あれから、進展はない!
エルシオ様のご尊顔をまぶたの裏に焼きつける日々も悪くないけれど、あわよくば、彼のお声を聴きたい。人間とは欲深くなるものだ。
うーん。
どう振る舞ったら、返事をしてもらえるだろう。
一緒に過ごす時、エルシオ様はいつも読書をしていらっしゃる。
本の内容を盗み見たところ、八歳の子供が読むにしては難解そうなものばかりだ。
だけど、どうも読書に没頭しているというわけでもないらしい。その証拠に、いつもつまらなそうな顔つきをされている。
そういえば、ゲームでは、エルシオがある意外な本を読んでいたことが、ヒロインと仲を縮める最初のきっかけとなるのだっけ。
ある日、たまたま王城の図書室で本を読みふけるエルシオを見かけたティアは近づいて声をかける。彼は不自然なほどに急いで本を閉じ、隠してしまう。
『ええと……何故、隠すのですか?』
『……お前には関係ないだろう』
ふいっと顔をそむける彼の手から、ティアはさらりとその本をさらっていく。
『何をする!』
それは、まさかの児童書だった。
氷の王子と畏れられる二十歳の男が、よもや子供向けの小説を読んでいたとは夢にも思わず驚くティア。
エルシオは、呆けているティアから慌てて本を奪い返す。
沈黙の後、気まずそうに一言。
『……軽蔑したか?』
『いいえ、違います! 実は、私も昔に何度もこの本を読みました! 大好きな本なんです!!』
今度はエルシオの方が言葉を失う。
ティアは、そんな彼に『読み終えたら感想を教えてくださいね! 約束ですよ』と微笑んでみせるのだ。
何度思い返しても、胸がドキドキしてしまう名シーンなのだ。そして、不意をつかれたというような表情のエルシオのスチルもたまらなく尊かった。
このエピソードをふまえて考えると、この世界のエルシオ様も、実はもっと自由な読書を楽しみたいのではないだろうか。
よし。
この作戦は、実行してみる価値がありそうだ!
「失礼いたします」
エルシオ様が振り返りもしないことは、もはや日常の光景。
だけれども、今日の私は、これまでの私とは一味違う!
エルシオ様の腰かけているソファの隣に座る。
当然のごとくスルーされる。
OK。
ここまでは、いつも通り。
私は先ほど王城の図書館で借りてきた秘密兵器を、これ見よがしに膝の上に広げた。
子供向けの絵本だ。司書のお姉さんが勧めてくれたもので、挿絵がとても可愛らしい。
すると。
それまで無反応を貫いていたエルシオ様の視線が動いた。どことなく、そわそわしているような感じだ。
おおお! 初の手応えあり!
すかさず絵本から顔をあげると、エルシオ様は逃げるように自分が読んでいた本に視線を戻した。
「エルシオ様。この絵本、すごく面白いですよ。エルシオ様も、一緒に読みませんか?」
「…………絵本なんぞ、くだらん」
!?
なんと! あのエルシオ様が、ついに、私に対してお言葉を発された……!
どうしよう、嬉しすぎて目が回りそう!!
私があまりにも間抜けな顔をするから、エルシオ様は決まりが悪くなったらしい。何事もなかったように、自分の本に集中しはじめる。
でも、私は見逃さなかった。
ふわふわの金髪からのぞく耳が、うっすらと紅く染まっていたことを。
その日にエルシオ様から聞けた言葉はそれだけ。
たったそれだけのことがどうしようもなく嬉しくて、帰った後も、母から気味悪がられたりした。
その日から、私は一日一冊、お勧めの絵本を片手にエルシオ様を訪れた。
彼に話しかける代わりに、隣で楽しく絵本を読むのが日課となったのだ。
初めて言葉を交わせたあの日から一週間が経ったけど、まだ二度目の言葉は交わせていない。
でも、彼が私の絵本を盗み見る頻度は日に日に多くなっていった。
時折、私の読んでいる絵本に向けられる彼の視線がくすぐったくて、そのたびに、今私はエルシオ様と同じ本を読んでいるのだというあたたかい気持ちで満たされた。
できれば空気だと思いたい。でも、読んでいる本はちょっと気になる。
そんな彼の心が透けて見えるようで、ニンマリとしてしまう。
私とエルシオ様が初めてお会いしてから、実に一か月が経った。
今日も、図書館に向かうために長い廊下を曲がろうとしたその時、後ろから女の子に呼び止められた。
「あなたが、エルシオ様につきまとっているという噂の女ね。みすぼらしい貧相な恰好だこと」
貴族の女の子だ。
その身を包んでいる高価そうなドレスは、宝石をちりばめたようにきらきらと輝いている。
うーん……?
この吊り目がちで豪奢な金の縦ロールの女の子、どこかで見たことがある気が……。
「無視なさるおつもり!? 他でもないフェアリラント公爵家の令嬢であるこの私が質問をしているというのに?」
ああっ! 思い出した!!
彼女は、ミルラ=オルザス=フェアリラント様。『ときめき★王国物語』における悪役令嬢!
エルシオ様の婚約者として、ヒロインを虐める典型的な悪役として登場するのだ。
「ご、ごめんなさい……! 驚いてしまいまして。いかにも。私が最近エルシオ様の遊び相手を務めることになったネリというものです」
「……ふぅん」
ミルラ様は私のことを品定めするように、その紫の瞳をすうっと細めた。
「単刀直入に要件を言いますわ。エルシオ様につきまとうのをやめてくれませんこと?」




