8.記録の間
漆黒の世界。何も見えないそこは、ジェイドの闇のよう。でも、ただ冷たい、救いのない世界。ジェイドの闇は違う。怖いはずなのに温かくて、私を包み込んでくれていた。
アン、マッスン、ジェイド。倒れた三人の姿が頭にこびりついて離れない。悲しいのに涙は流れず、自分に剣を突き刺してしまいたいのに、体は動かない。ずっと、後悔して考えた。どうして三人に置いて行かれたのだろうって。それはきっと、私がまだ弱かったから。足手まといになるって思われたからだ。
だから私は今すぐにでも魔物を倒して力を付けたかった。魔物が、魔王が憎い。私の両親も、村の人も、たくさんの人が死んでいった。三人の仲間も……。でも、魔王以上に自分が、自分の弱さが許せない。
私は考え、自分を責め、意識の限界が来ては気絶した。何度も同じことを考え、いきつく結論はいつも同じ。
(魔王を殺す……そして、私も死ぬ。もうこんな世界嫌だ。みんなが、ジェイドがいない世界なんて、なんの価値もない!)
その決意を何回繰り返しただろう。体を動かすと言う感覚も忘れた頃だった。絶望の中、突然光が私を包み、結晶化が解けた。そしてその時、私は魔王を滅ぼしてから5年が過ぎたことを知った……。
私が目を覚ましたのは大神殿で、床に寝かされていた私にアレンが寄り添ってくれていた。私が目覚めたことはすぐに知らされ、神殿は大騒ぎになる。私は慎重に運ばれ、診察をされてご飯を食べさせられた。正直食べたくなかったけれど、アレンが心配そうに見て来て食事が入った皿を私に向けてくるから食べるしかない。
そして私の状態が落ち着いた頃に、大聖女様がやって来た。大聖女様の説明によると、魔王が滅んだという神託の後、アレンが私を背に乗せて大聖堂に駆け込んできたらしい。
私には、見たこともない呪いがかけられていて、神殿があの手この手を尽くしたけれど時が来るまで解けなかったと聞いた。そう、勇者が選ばれる時だ。勇者は魔王が滅んでから5年後に選ばれる。だからその時まで、私は眠らされていたんだろう。私は年を取らず、見た目は16歳のままだった。だが鏡の中の顔はひどく沈んでいて、瞳には復讐の炎が宿っている。ジェイドたちの隣で笑っていた私は、もういなくなっていた。
心が渇いたようで、空虚なそこには憎しみと絶望感しかない。悲しかったはずなのに、もう涙は流れなかった。
私が目覚めてから一週間が過ぎた。この一週間は丁重に扱われ、医者に診てもらったりお偉いさんが事情を聞きに来たりしていた。今まで勇者が魔王を討伐しに行った中で、帰って来たのは私だけだから、魔王城や魔王についていろいろ訊かれた。そして勇者に選ばれたことを祝福して帰ったけど、正直吐き気がした。人々のために死んで来い。そう言われた方がましだった。
(ジェイドは、勇者の使命を果たした……今度は私がする番)
ジェイドと二年間一緒にいたのに、私は勇者が何なのか全く分かっていなかった。魔王を倒さなければならないと駆り立てる体。生贄の勇者への周りの反応。表面の笑みと、その裏にある蔑み。私はそれを、まざまざと感じ取った。その苛立ちは全て魔王、魔物への憎しみに変わっていく。
「早く魔王を殺したい。魔物を八つ裂きにしたい」
そう医者にも偉い人にも伝えたけど、まだ安静にしているようにと言われて、部屋に閉じ込められている。笑顔は消え、椅子に座ってぼんやりと窓の外を見ている私を心配したのか、アレンがずっと足元に寄り添っていた。くぅーんと小さく鳴いて、すり寄ってくるが撫でる気力もなかった。
そうして一時間が経った頃、ドアがノックされた音がして、私は重い頭をそちらに向ける。声を出すのも億劫だ。
返事も待たずにドアは開かれ、顔を覗かせたのは大聖女だった。ゆるやかにウェーブがかかった金髪は腰まであり、手入れが行き届いて金糸のよう。瞳は深みのある青紫で、目鼻立ちがよく肖像画が飛ぶように売れるほど。そんな彼女は白いゆったりとしたローブに身を包んでおり、神々しさを感じる。
「大聖女様……」
私は座っているわけにもいかず、仕方なく立ち上がって頭を下げようとした。だが私が頭を下げるよりも先に、大聖女が駆け寄って来る。
「かまいません。どうか楽にしていて……」
大聖女様は思いつめたような顔で、私を覗き込んでいた。優し気な大人の女性で、元々彼女は神の神託によって選ばれた村娘だった。幼い頃に選ばれ、神殿で厳しい教育を受けたと聞いた。人々に分け隔てなく接し、特に貧困に苦しむ人たちへ様々な政策を行ったらしい。その辺りはジェイドが色々話してくれた。
そんな大聖女様の温かい手が、私の冷え切った指先を包む。
「ヒスイさん……もし嫌でなければ、一緒に来ていただけませんか? 見せたいものがあるのです」
こちらを気づかわし気に見つめている彼女からは、ただただ心配と優しさが伝わって来た。他の人たちは私を腫れもののように扱う中、彼女だけは変わらない。
「わかりました……行きます」
ちょうど歩きたかったから、私は大聖女様の誘いに乗った。彼女はほっとしたように微笑み、私の手を引いて歩く。子ども扱いされているみたいだけど不思議と嫌ではなく、なんだか温かい気持ちになれた。
(そう言えば、大聖女様ってジェイドと同じくらいの歳だったよね……)
若いが絶大の力を持っていて、歴代の聖女の中でも魔力が多く、神の加護を強く受けていると評判だ。
「ヒスイさん……お体は大丈夫ですか?」
「……はい。全く問題はありません。一刻も早く、旅に出たいと思っています」
「そうですか……ご無理はしないでくださいね」
それっきり大聖女様は黙り、私を神殿の奥へと連れていった。そこは一度も入ったことのない場所で、部外者は立ち入り禁止とされている区画だったはずだ。
「あの、ここ、いいんですか?」
「ここは、大聖女と勇者のみが入れる場所なんです……ですから、先代のジェイドさんもいらっしゃいましたよ」
ジェイドの名前を出されると、胸がじくりと痛む。最期の倒れた姿を思い出して、苦々しい憎しみと怒りが私の心に広がる。空気がピリッとしたのを察したのか、大聖女様は握る手に力をこめた。大丈夫と言ってくれているような気がする。
そして彼女は石造りのドアの前で足を止め、ドアの紋様に手を置いた。魔法陣のような紋様が青く光り、ドアが音を立てて開く。手を引かれて中に入れば、壁中を埋め尽くす本に圧倒された。その部屋は吹ぬけになっていて、下から上まで本棚で埋めてくされている。びっちりと本が詰まってるし、いくつかは宙に浮いていた。
「何ここ……」
魔力に満ちていて、神聖な感じがする。部屋の中央に巨大な水晶が置いてあって、淡い光を放っていた。聖女様はそれに近づいて、私に顔を向けた。
「ヒスイさん、ここは、記録の間です。エターナルで死んだ魂は全て神殿に戻り、記録されることはご存知でしょう? ここには、その全ての記録があるのです」
「……これが、全部?」
その数に圧倒されて、私は口を開けて部屋を見回す。エターナルは歴史に記されているだけでも1500年続いている。
(その全てが、ここにあるんだ……)
この本のどれかに、両親やジェイドたちもいるのかなとふと思った。そしてきっと、私も死んだらここに記録されるんだろう。何のためかなんて知らない。ただ、そういう世界だ。
「アンさんやマッスンさんの記録をご覧になりますか?」
そう訊かれ、少しためらう。ここに記録があるということは、もういないということ。分かっていたけれど、突き付けられると傷が痛む。
「……お願いします」
それでも、その最期を見届けたからには、記録の彼らに会ってさらに強くその存在を自分に刻みたくなった。大聖女様は一つ頷くと、水晶に手をかざす。そして呪文を唱えれば水晶は輝き、一冊の本が上の方から飛んできた。
目の前に浮かぶそれを手に取ると、自然とページがめくられる。一ページに一人。見開きの左右には、アンとマッスンの名前があった。びっちりと書かれた文字に目を通せば、生年月日に生まれた場所、そして何をして、どう生きたか、その最期が年表となって記されていた。まさに記録。
二人のページには、恋人と結ばれたという一文があり、そこに涙が落ちた。
(よかった。二人は、死んでも隣にいられる……)
何もできずに消えていった命。私は本を閉じて胸に抱きよせた。二人の記録からは「絶対に魔王を倒せ」と伝わって来た気がする。私は目を瞑って二人の祈りを捧げてから涙を袖で拭い、大聖女様に顔を向けた。
「ジェイドの記録もお願いします」
その想いを引き継いで、前に進むためにジェイドの記録も読みたかった。でも、彼女は悲しそうに眉根を下げて首を静かに横に振った。
「……無いのです」
「え?」
「ジェイドさんの……いえ、歴代の勇者の魂は神殿に返らず、ゆえに魂の記録もありません」
全ての魂が死ねば返るエターナルで、それはおかしい。意味が分からないと眉根を顰めた私を見て、彼女は再び水晶に手をかざして一冊の本を呼び寄せた。その表紙には勇者の記録と書かれており、手に取って表紙を開くと一ページ目には初代勇者の名前があった。そこから数ページにわたって、彼の偉業がつづられている。
「……え?」
なのに、その後は真っ白だった。魔王が復活してからの勇者は誰一人として記録されていない。不可解な現象で、私は本を閉じて彼女に視線を戻した。
「……その通り、なぜか魔王復活以降の勇者は記録がありません。ですから、神殿は勇者の魂はまだ返っておらず、魔王城のどこかにいるのではと考えています」
「まだ、生きているということ?」
「……いえ、さすがにその可能性は低いのですが。言えるのは、ここに魂は返っていないということです」
それはもしかしたら、まだ魂は捕らわれているということなのかもしれない。
(あ、だから、ジェイドはあの時歴代の勇者も救うって言ったんだ)
決戦の直前。魔王の間に続く扉の前で、ジェイドはそう言った。その後私は眠らされて、その決戦には参加できなかったのだけど……。ジェイドはこの記憶の間に入ったことがあると言っていたから、歴代の勇者の魂が返っていないことを知っていたんだ。
(なら、今度は私がジェイドを、他の勇者を助ける)
正直方法なんて分からない。でも、次の目標ができた。ただ復讐するために魔王を、魔物を殺すんじゃない。私は深く深呼吸をして、部屋に眠る本に、そこに記された何万という魂の前で誓う。
「私は勇者として、必ず魔王を倒す。そして勇者の魂を救い、二度と魔王が復活しないようにする!」
それが、生き残り勇者となってしまった私の宿命だと思った。私は最後に大聖女様にお礼を言って、記録の間を後にした。そして三日後に旅に出てもいいという許可をもらい、旅支度を始めた翌日。私のところに五年前、魔王を倒す前に宿屋に預けていた荷物が届いた。




