3.勇者との出会い
体がだるい。瞼が重く目が開かない。ゆっくり頭が回転を始め、黒い闇が脳裏に浮かぶ。闇なのに不思議と温かかった。
(起きないと……起きてご飯を食べて、掃除して)
早く起きないとお母さんに怒られると、ぼんやり思う。だが次の瞬間、惨状が蘇って跳ね起きた。
「お父さん! お母さん!」
黒だ。あれも、真っ黒だった。恐怖と嫌悪感に鳥肌が立つ。夢だと思おうにも、自分の服についた黒い染みと焦げた臭いが現実を突きつける。遅れてベッドで寝かされていることに気づいた。
(あれは、夢じゃない)
眠気は一瞬で吹き飛び、ただただ虚無感だけが胸の中にあった。放心状態で、何もしたくない。自然と涙が頬を伝い、私は抜け殻のような自分を抱いて、ゆっくり辺りを見回した。
(ここ、どこ?)
状況がつかめず不安に襲われる。私の家ではない。私の、家族で住んでいた家は、竜に燃やされたのだから……。家も、家族も、村も、もうない。そう思うとますます涙が溢れる。開け放たれたドアからは光が入っていて、夜が明けていた。
(村は、どうなったの?)
ベッドから降りて、重い体を引きずるように光のほうへと歩く。もしかしたら、無事だった村人が外にいるんじゃないかって、縋りながら。寒い室内に比べると陽の光は温かかった。
「うっ……」
だけど目に映る景色は残酷で、思わず口元に手を当てる。焼け崩れた家、荒れた田畑、火はまだあちこちでくすぶっており、黒い煙を上げている。その臭いは刻印のように私に刻まれた。
「あぁ……」
そこに動いている人はいなかった。
(もう、終わりだ……)
力が抜け、その場に崩れ落ちる。私も一緒に死んでしまいたかった。そんな気持ちに支配される。
(なんで、生きてしまったの? こんなんじゃ、もう、死んだ方がましだよ……)
しばらく放心状態で焼け跡を見ていると、背後から土を踏む音が聞こえた。
「まだ体が万全でないのに、外に出てはいけませんよ!」
焦った声が聞こえて、私はのろのろと振り返る。もう、何もかもどうでもよかった。男の人がこちらに走ってきていて、軽鎧が擦れる音がしている。この辺りの村では見られない立派な装備だ。腰まである長髪は黒に近い紺で、動きに合わせて左右に揺れていた。
(冒険者か、兵士……?)
彼は私の前に回り込んで腰を落とした。心配そうな銀の目を向けていて、年は私より年上に見えるけど、20歳には届いていなさそうだ。
「あなた、誰?」
出した声はかすれている。当然だ、昨日あれだけ絶叫したのだから。その声すらも、私の心に傷をつける。真新しい傷は深く、まだ血が流れ続けているように痛い。
「私はジェイド……勇者です」
彼は申し訳なさそうに視線を落とし、立ち上がらせようと私に手を差し伸べた。
「勇者……」
その言葉を聞いた途端、私の心の奥底からどろりとした真っ黒な感情が込み上げてくる。手先が震え、昨日の恐怖が全身を駆け巡る。勇者。村の人が、お母さんがその名を口にし、助けを求めていた存在。神木に選ばれ、勇者の剣を持ち魔王を打倒する国の英雄。それが、目の前の男。
涙が怒りの涙に変わり、私はかすれる声で叫んでさし伸ばされた手を払った。
「勇者なら、何でもっと早く来てくれなかったのよ! みんな助けを待っていたのに、あなたを信じてたのに! 死んじゃったじゃない! 私のお父さんも、お母さんも! 返してよ! 私の人生を返して!」
一晩で、今までの日常が砕け散った。目の前の男が憎くてしかたがない。荒れ狂う感情を制御できなかった。
「申し訳……ありません」
彼は一言、苦し気に呟いて頭を垂れていた。
「お前のせいで、お前のせいで……お父さんも、お母さんも。……間に合わなかったから」
私は砂を握り、弱弱しく男にぶつける。涙が止まらない。何度も何度も私は勇者に砂をかけ、彼はされるがままに俯いて耐えていた。その表情は見えない。
「お前が、私を助けたから。死ねなかった。こんなことなら、私も一緒に死にたかった!」
心が張り裂けそうで、砕け散ってしまいそうだ。悔しくて、憎くて……何より虚しい。私はもう砂を投げつけるのにも疲れ、ただ涙を流した。どれぐらいそうしていたか分からない。
「君に、来てほしいところがあります」
そう言うと、勇者は苦し気に眉を顰め、私と目を合わさずに立ち上がった。反抗するのも面倒くさくて無言で立ち上がると、彼はこちらを気にかけながら歩き出す。
(何よ、こんなところに、行くところなんてないじゃない)
私の精神状態は最悪で、些細なことでも苛立った。そんな自分がますます嫌になる。袖口で涙をぬぐい、揺れる髪を見ながら歩く。焼け落ちた村を見るのは辛かったから……。歩いていれば少しずつ自分が村のどのあたりにいるのか分かった。先ほどの小屋は、村の外れのおばあさんのところだ。そして村の中心に向かって歩いている。
角を曲がった先は広場のはずだ。勇者に続いて角を曲がった私は、目に入ったものに「ひぃ」と短く悲鳴をあげた。
「な、なんで……」
広場の中央には昨日の竜がいた。大きな口、炎、大気を震わす咆哮。足が震え、一歩も動けなくなる。
「大丈夫。もう死んでいますよ」
勇者は竜の方へと進んでいく。よく見れば竜は地面に倒れ伏していて、全身傷だらけだった。そしてその手前に人が二人いることに気づく。
「アン、マッスン。あの子が目覚めました」
こちらに背を向けて土をかけていた二人に勇者が声をかけた。すると二人は手を止めて、こちらを振り返る。
「よかった~。無事だったんだね」
お団子頭の女の子はシャベルを地面に突き刺し、私に微笑みかけた。髪は小豆色で、茶色いリボンをつけている。
「今はゆっくり休んで食べろ! そしたら元気になるからな!」
ガハハと豪快に笑っている男は、筋肉が鎧みたいで、思わずじっと見てしまった。あんな筋肉だるま、今まで見たことがない。
「お、俺の筋肉に目が行くとは、筋肉の良さをよく分かってんじゃねぇか」
「いや、違うでしょ。あれは引いてる目よ」
男もシャベルを置き、手を叩いて砂を払った。二人が何をしていたかが分かって、じんわりと胸が温かくなる。
「……お墓、作ってくれたんですね」
竜の亡骸の前には、何十個もの盛られた土があった。きっと三人がお墓を作ってくれたのだろう。私は村の人たちが死んでしまった現実と、彼らの優しさにまた涙が出る。
「あなたが倒れていた近くにいた二人は、こちらに埋葬しました……近しい人かと思いましたので」
そう言って勇者は竜の首近くにある二つの墓の前に立ち、私に見えるように体をずらした。その墓は寄り添うように並べられていて、土の上には、父が使っていた短剣が刺さっていた。短剣の柄は黒く焦げ、炎の威力を生々しく残している。
私は泣きはらした目で墓の前まで歩き、ストンと膝をつく。昨日の惨劇を認めたくないのに、私は震える手を組んで祈った。安らかに、眠ってもらえるように。でも神には祈らない。神が選んだという勇者ですら、お父さんたちを救えなかったのだから。
(お父さん、お母さん……悔しい、悔しいよ)
ふつふつとまた怒りと憎しみが込み上げてくる。涙はとめどなく頬を伝い、泣き声を上げないように唇を噛んだ。
(なんでこんなことに、なんで私だけ!)
やり場のない怒りに身を任せ、私はお父さんの墓から短剣を引き抜いた。
「おい……」
筋肉男の戸惑った声が聞こえたが無視し、お父さんとお母さんの墓の間を通って竜の前に立つ。竜の濁った瞳に精気はなく、歯は欠け、全身に傷がある。中でも胸の傷が深く、大量の血が地面を黒に染めていた。
(お前が村を! お父さんとお母さんを!)
私は短剣を振りかぶり突き刺す。でもうろこは硬くて、何度も跳ね返された。
(悔しい! 憎い! よくも村を! 私の人生を返してよ!)
この巨体を前にして、私は何もできなかった。ただ怯えて逃げただけ。お父さんたちを助けることもできなかった自分が嫌になる。私は腕に力を込め、うろこの間を狙って剣を突き立てた。手ごたえがあり、その巨体に刃が入る。もう、血は流れない。
(これを倒したのは勇者たち……私は、何もできなかった)
これが八つ当たりなのはわかっている。勇者が遅かったからじゃないことくらい、分かり切っていた。両親が死んだのは、私に力が無かったからだ。それがただただ悔しくて、虚しい。私にもっと力があれば、みんなを守れたんじゃないかと馬鹿な妄想をしてしまう。ただの村人である私に、できることなんてないのに……。それでも、それでも、この空っぽな心に入り込んだ憎しみを向ける相手は、一人しかいない。
私は三人へと向き直り、一人ずつ顔を見ていく。彼らは自棄になった私を静かに見守ってくれていた。最後に勇者の顔を見て、私は頭を下げる。
「勇者様! 私に戦いを教えてください! 私が弱かったから、みんなが死んだんです。だから、私は強くなって魔王に復讐をします! 虫のいい話だって分かっています。でも、私も連れていってください!」
必死に懇願した。どうせここで暮らすことはできない。それならみんなの仇を討つことを生きる目的にしたい。そうでもしないと、死にたくなりそうだった。
三人は困った表情で顔を見合わせ、お団子頭の女の子と筋肉男は「ジェイドが決めて」と言葉を返す。判断を委ねられた勇者は、私の目を見て口を開いた。
「君は、それでいいのですか。勇者がどういうものか、知っているでしょう?」
「……知っています。それでも、このまま惨劇の記憶に苦しみながら生きるのは嫌です! 私は自分の手で魔王を討ちます!」
「……わかりました。あなたは素質がありそうでしたしね。でも、この旅は片道しかありませんよ」
「問題ありません」
私ははっきりとそう言いきった。この場所にも生きることにも未練はない。ただこの悔しさと怒りを、向ける相手が欲しかった。
「それで、名前は?」
そこでようやく、私はまだ名前を言っていないことに気づいた。少し恥ずかしくなって、ぶっきらぼうに返す。
「ヒスイ」
「ヒスイ……では、行きましょう」
勇者は踵を返し、二人の仲間を後に続く。私はもう一度だけ両親のお墓に祈ってから、小走りで後をついて行った。