15.想いに代わる約束
「ヒスイ! ヒスイ!」
懐かしい、少し焦ったようなジェイドの声がする。重い瞼を開ければ、夜かと思うほど黒に近い紺色が広がっていた。銀の瞳が星のように輝いていて、心配そうに私を揺らしている。覗き込んでいるのが一緒に旅をしたジェイドだと分かった瞬間、感動が込み上げてきた。
「……よかった。成功した」
無事動いているジェイドを見て、私は長い息を吐いた。私は思わず手を伸ばしてその存在を確認する。
あの短剣は魂の繋がりを斬り、魂を封じるものだった。言い代えれば魂の保存ができる。ジェイドの魂はすでに肉体とのつながりが切れていて、あのままじゃ記録の間へ帰っていったはずだ。ほとんど直感だったけど、隔離して聖魔法の最高位回復術を使えばいける気がした。おかげで魔力はすっからかんになって、ジェイドの魂を体に戻したらすぐに倒れてしまったけど……。短剣で刺した部分は見える範囲では傷になっていなくて、魂を斬るだけで体に傷は残さない不思議な剣だったみたい。
「ジェイド、昔と変わらないね……」
ここで別れて10年が経ったのに、彼は勇者だった時と同じ年だ。私は5年生きたから、同じくらいの年齢になっていて少しおかしい。気が緩んでようやく微笑むことができる。封印が解けてから復讐心と虚無感の中で生きていて、気が休まる時はなかった。
「ヒスイ、どうして……?」
気の抜けた私とは逆に、ジェイドの顔には心配と戸惑いと不安が張り付いていている。ジェイドの頬を撫でながら、私は霞がかかったままの頭で答える。嘘もごまかしもない、まっすぐな想い。
「わがままなの……私が、ジェイドに生きていてほしかったから」
そう言うと、ジェイドは頬に添える私の手を包むように掴み、泣きそうな顔になった。たぶん、自己犠牲的で正義感が強いジェイドだから、申し訳なさやふがいなさを感じているんだと思う。ジェイドが何かを言おうと口を開きかけたけど、それが意味を持つ前に私は言葉を続けた。
「魔王が、言ってたでしょ。あの魔王の魂を封じても、また魔王と勇者は生まれるって……どうせ世界は変わらないって」
「それでも、私が生きる資格なんて……。君を勝手に勇者にしようとした、罪深い人間です。私だけが生きていては、アンとマッスンに顔向けができません」
どこまでも優しく、自分を責めている。それが私が好きになったジェイドで、不思議と安心してしまった。正直、あの方法で元のジェイドが帰ってくる保証はなかったから……。
私は重い体を起こして、荒れ果てた広間の床に座る。私の背を支えて手を握ってくれているジェイドに顔を向け、ゆっくりと首を横に振った。
「ううん。アンが作った短剣は、このためにあったんだと思うの。短剣のおかげで世界のリセットは回避できた……。私は自分のために短剣を使っただけだから、気にしないで」
「ですが……」
気にしないでと言ったのに浮かない顔をしているジェイドをじっと見つめて、私はここでみんなを失ってからずっと言いたかった言葉を口にする。
「ジェイド……置いて行ったことを悪いと思ってるなら、もう一人にしないで。……寂しかった、寂しかったんだよ?」
声が震えた。鼻の奥がツンとして、涙がにじんでくる。今まで心を無にして感じないようにしていた想いたちが押し寄せてきた。本当は毎日泣きたかった。置いて行かれたのが悔しくて、寂しくて。みんながいなくなったのが辛くて、勇者になんかなりたくなかったと叫び出したかった。だけど立ち止まっていられなかったから、押し殺していたんだ……。
私は感情の激流に呑まれ、声を押し殺して泣く。私の背中をジェイドは優しくさすり、そっと抱き寄せてくれた。魔王が着ていた黒い鎧は消えていて、布の柔らかさ、そしてジェイドの体温を感じる。
(温かい……私、辛かったんだ。寂しかったんだ……)
その無言の優しさが最後の一押しとなって、決壊した。嗚咽が漏れ、我慢できなくなって、ジェイドに抱き着いて声をあげて泣いた。封印が解けてから、両親が死んでからもここまで泣いたことはない。今までの押し殺していた想いを洗い流すように涙する。
(ありがとう……ジェイド、ありがとう……)
その間ずっと、ジェイドは体で包み込むように抱きしめ、頭や頬、背中を撫でてくれた。頬にかかる彼の髪がくすぐったくて、だけど心地よくて。私はジェイドの優しさに甘えてしばらく泣き続けた。
そして少し落ち着き、涙を袖口で拭いて鼻をすする。少し冷静になれば泣き顔をジェイドに見られたのが恥ずかしい。私が落ち着いたのを見ると、ジェイドは真剣な瞳を私に向けた。私が泣いている間、ずっと考えていたんだと思う。決戦の前のような、覚悟を決めた顔をしていた。
「ヒスイ……私たちは、多くのものを失いました。甘い言葉を囁く資格は、私にはありません。……ですが、一つだけ言わせてください」
ジェイドは時折苦しそうに顔を歪め、声を震わせる。きっと私と同じで色々な感情が渦巻いていて、まだ整理がついていないんだと思う。冷静な彼にしては珍しいけれど、その分想いが伝わって来た。ジェイドは一息置いて、口を開く。
「……蘇ったこの命は、ヒスイのために使いたいと思っています。君の側で共に戦い、守っていきたいのです。……許して、くれますか」
いつもその背を追って、目標にしていたジェイドが、私と同じように声を震わせて苦しんでいる。旅をしてたころは、一切弱音を吐かなかった。苦しいことも辛いこともあったはずなのに……。でもがっかりなんてしない。むしろ、同じなんだって安心する。
(ジェイドの苦しみも分けて欲しい……私、支えになれるかな)
じわじわと氷が溶けるように、穏やかな気持ちが広がっていく。ジェイドがいるだけで、こんなに気持ちが変わるんだと改めて自分の想いを知る。
(ジェイドが好き……今のジェイドが、一番好き)
だけど、その言葉は伝えることはしない。甘く優しい言葉を口にするには、私たちは傷つきすぎた。予防線のように、最後の言葉を形にするのを避けていた。それはたぶん、ジェイドも同じ。つないだ手から、見つめる瞳から、私と同じような気持ちでいてくれてる気がする。でも、アンとマッスンのようになるには、まだ癒される時間が必要だった。それに、私には、まだやることがある。
「ジェイド、約束だよ。……一緒に生きて。私は、この世界の真実を知ったの。……だから、止めるわ。私は、この世界に反逆する」
あの記憶を見て真っ先に思ったのはそれだった。まだ理解できていないところもあるけれど、神が、アークが管理する世界に逆らうのが、私たちが生き続けられる唯一の道だと思うから。
「えぇ。ヒスイなら、ヒスイと一緒ならできる気がします。この世界を争いのない、皆が幸せになれるものにしましょう」
きっと、魔王になったジェイドもこの世界の真実を知っているんだろう。私は頷き返し、ぎゅっとその傷が癒えるようにとジェイドに抱き着きた。戸惑いがちに抱き返され、少し笑ってしまった。私が笑うとジェイドも小さく笑って、少し希望が見えてた気がした……。
その後、私たちは体力が回復してから魔王城を離れ、途中で私たちを見つけたアレンに乗ってその地を後にした。アレンはジェイドを見つけた瞬間、しっぽがちぎれそうなくらい振って飛びかかり、顔じゅうを嘗め回していた。ジェイドは嬉しそうに顔を緩ませて全身を撫で、何度も名前を呼んでいた。ジェイドのもふもふ好きは相変わらずで、なんだか安心してしまう。
そしてアレンの上で情報を整理しながら、休める街へと向かうのだった。