10.復讐の勇者
神殿から続く大通りの沿道を人が埋め尽くし、ざわめきが聞こえている。新しい勇者を一目見ようと詰め掛けてきていた。五年前、四人で旅立った神殿を、今日私は一人で旅立つ。もちろんアレンは側にいてくれている。
聖獣は勇者をサポートするのが役割みたいで、今度は私を主人にすると決めたみたい。神殿の人たちは私の空っぽだったかばんに薬や保存食、魔道具なんかを詰められるだけ詰めてくれた。全て大聖女様の指示らしく、本当に慈愛に溢れた人なんだなと思う。
その大聖女様は神殿の門まで私を見送ってくれた。私は人々の視線を背中に受けながら、やるせない気持ちで不愛想な顔を彼女に向けている。私はもうここに戻るつもりはない。かばんの中には一回きりの通信魔道具が入っていて、魔王が復活したら連絡がもらえるようにしてある。
「ヒスイさん。何かあればいつでも神殿に戻ってきてください。私たちはあなたを支援しますから」
大聖女様は申し訳なさそうに眉根を下げていた。本心からの言葉で、彼女の後ろで頭だけを下げているお付きの聖女たちとは違う。
「大丈夫です。私は一人でできますから」
でも、その優しさを嬉しいと受け取れるだけの心は私にはなくて、ただ淡々と言葉を返していた。一刻も早く弱い自分を鍛えたくて、魔物を狩りたくてうずうずしている。勇者としての役割がそれを後押ししていた。
突き放すような言い方に、後ろの聖女たちが不快そうに眉を動かしたけど、大聖女様はさらに心配そうな顔になって私の手を取った。その温かさとやわらかさに少し驚く。そういえば人に触れたのは久しぶりだった。
「ヒスイさん、私はあなたを二度も魔王のところへ送り出すのが辛くてしかたがありません……。ですが、私はあなたに期待しています。ヒスイさんは魔王復活から51代目、初代から入れれば52代目の勇者となります。この長く苦しい歴史の中で、転生者が勇者になったことは一度もありませんでした」
彼女が私に向ける瞳は真剣で、縋るようだった。それでいて、勇者に縋るしかない自分を恥じているようでもあって……。そのきれいな心は私には眩しく、痛い。大聖女様は一呼吸置き、私の手を包む手に力を入れて言葉を続けた。
「それに、あなたに与えられた勇者の剣には七色に光る石が嵌っています。これは過去の文献を調べても、初めての色です。だから、今回は何かが変わるのではないかと思うのです」
そして彼女は私の手を包み込んだまま、祈るように瞳を閉じた。優しくて、心配していて、期待している。それは清らかで、聖なる心。でも対する私の中にあるのは、絶望、虚無、復讐……。
(これじゃ、勇者だなんて名乗れないや)
勇者は皆、人の希望となって、人々を守り救うために魔王へと挑んだ。でも私は、復讐のために魔王に挑もうとしている。
(復讐の勇者か……悪く、ないかな)
もともとジェイドたちについて行ったのも、復讐したいためだった。無力な自分を嘆いて、生きる道を憎しみと復讐に見出した結果だった。だから、この道は私にあってる。
(どん底で冷たい闇の中でも、あがいてみせるわ)
私はそっと大聖女様の手から抜けて、頭を下げた。転生者の勇者。それがなんだって気もするけれど、少しでも彼女の期待に、希望になれるならそれでもいい。そう思えるぐらいは、彼女に恩がある。
「大聖女様、ありがとうございました。魔王が復活した時は、お願いします」
短くそう伝え、私は踵を返した。それと同時にラッパが鳴らされ、人々の歓声が沸き起こった。口々に「勇者」と叫び、「頼んだ」とか「期待している」とか、明るい顔で好き勝手言っている。勇者は神殿を出て、仲間を探しながら魔王を倒す旅にでる。そのため、神殿の入り口付近には熱意ある鎧で身を固めた人や、魔法使いと見える人の姿もあった。
(けど、仲間なんて私にはいらない)
私は隣を歩くアレンの頭を撫でると、心得たように大きくなった。クマと同じくらいの大きさになり、私はそれに跨ると一気に大通りを駆け抜ける。どよめきが走り、追いかけようとした人もいたけど知るもんか。
(もう、犠牲になんていらない。私だけで十分……)
人の群れを飛び越し、ジェイドたちと思い出のある街の風景が流れていく。いつも防具選びに時間をかけた店、クリスマスを祝ったレストラン、アンが通い詰めていた工房に、マッスンが筋トレをしていた広場、ジェイドが猫たちと戯れていた路地裏……。
(全部、ここに置いて行こう……)
振動に合わせてポニーテールが揺れる。その波打つようなブロンドの髪が視界に入り、胸がざわつく。思えば、髪を伸ばそうとしたのは長髪のジェイドに憧れたからだった。でも私の髪はくせっ毛で、伸ばしてもジェイドみたいに美しいつやのある髪にはならなくて、ポニーテールにしたんだ……。
町の門を抜ければ、農作地があり、その先は草原が広がっている。風に乗って草と太陽の香りがして、私はアレンを小高い丘の上で止めた。振り返れば、街を守る壁が見える。それはまるで、みんなとの思い出を詰めた宝箱のよう。
「アン、マッスン、ジェイド……」
私はアンからもらった髪留めを握りこみ首筋まで下ろす。長い髪を編みこみおそろいのお団子にしてくれるアンも、色気づいたのかと茶化すマッスンも、ふわふわで柔らかい髪が素敵ですと撫でてくれるジェイドも、もういない。
束になった髪を握り、左手で髪留めを取った。小豆色のリボンがついた髪留めで、リボンの中央に薄緑の石が嵌っている。
「さよなら、みんな」
指の先から高温の熱を出し、髪を焼き切った。すっと頭が軽くなり、重みは右手の中。ジェイドに合ってからの年月が、この髪だ。私は街へと視線を向け、掌から炎を出して髪を燃やした。炎はみるみるうちに伝っていき、火の粉を散らせる。
「……さよなら、私」
私は燃える髪を両手で包むように持ち、顔へと近づけるとふっと息を吹きかけた。火の粉が舞い、街に降りかかるように落ちていく。それに背を向けるように踵を返せば、肩口にかからないぐらいに短くなった髪が広がった。ふわりと波打つ髪の中で、翡翠のピアスが静かに揺れるのを感じて。