6話 目標
「力が欲しくないか?剣士としての力が」
化け物が語り掛けてくる。
だが何を言っているのか僕には理解できなかった。
「……」
言葉の続きはない。
化け物は何をするでもなく、静かに此方を見つめ続ける。
今のところ、特に襲いかかってくる様子も強い敵意も感じない。
ひょっとして悪い奴じゃないのか?
そんな考えが一瞬頭を過るが、余りにも目出度過ぎる考えだと頭から振り払う。
ザ・化け物と言ったこの見た目だ。
どう考えても凶悪な魔物に違いない。
僕は相手に気づかれない様に、ゆっくりと腰を浮かす。
いつ襲われるかも分からないこの状況下。
風呂場で尻もちを付いていたんじゃ、確実に殺されてしまう。
逃げる準備をしなくては。
でも、それよりも先に――
自分の命よりも――
「母さん!逃げて!!」
大声で叫ぶ。
最初の叫び声で、母さんはきっと風呂場に向かって来ているはずだ。
このままじゃ母さんまでコイツの餌食になってしまう。
守らなくっちゃ、例え化け物を刺激して僕が殺され事になったとしても。
母さんを。
「安心しろ。外の時間は止めてある。お前の母親が乱入して来る心配はない」
沈黙していた化け物がにやりと口の端を歪め、口を開く。
それはとても信じがたい内容だった。
奴の言葉に、僕は思わず目を丸める。
「そんな事が……」
「出来るさ、俺にならな。くくく」
化け物はその醜悪な表情を歪め、意地悪そうに笑う。
もし奴の言っている事が本当なら、僕ではこいつを撃退する事は愚か、逃げ出す事だって出来やしないだろう。
「まあ落ち着け。俺はお前を襲いに来たわけじゃない」
「そんな言葉、信じられる訳ないだろう!」
「そうか?もし俺がお前を殺す気なら、最初に声などかけず問答無用で殺しているぞ」
それは……確かにそうだ。
只殺すだけなら、話しかけずに襲えばいいだけの事。
今の僕は丸腰だ。
不意に襲われれば、きっとひとたまりもなかっただろう。
「此処へ来たのはお前をスカウトする為だ」
「スカウト?」
「そうだ。俺の配下になれ。そうすればお前に剣士としての道を――力を俺が与えてやろう」
「断る!誰が化け物の傀儡なんかになるものか!」
即答で返す。
化け物と取引などはしない。
僕の返事を聞き、目の前の化け物は顎に手をやり考え込む様な素振りを見せる。
どうやら断られるとは思っていなかった様だ。
「理由を聞いてもいいか?お前は優れた剣士になりたがっていただろう?」
「僕はがなりたいのは、父さんの様に弱い人達を守って上げられる勇敢な剣士だ!お前の様な化け物の手先になって、人々を苦しめてまで剣士になりたくなんかない!」
「くくく、素晴らしい心意気だ。気に入ったぞ」
化け物は指先を僕へと向ける。
その鋭い爪先が赤く輝き、まるで空間を引き裂くかの様に何もない場所に模様が描かれた。
「魔法陣……」
目の前に描かれた魔法陣を前に、僕は緊張から唾を飲み込む。
逃げなくては、そう思い立ち上がろうとするが、体が思う様に動かない。
まるで何かに体が包まれ、抑え込まれている様だ。
「お前に、我が加護を授けよう」
「ふざけるな!誰が化け物の手下になんか!」
動けない事に焦りを覚え、恐怖で体が竦む。
だが僕は勇気を振り絞って声を張り上げた。
下手に逆らえば、僕は間違いなく殺されるだろう。
正直怖いし、死にたくもない。
でも、曲がりなりにも正義の剣士を目指した僕が化け物に屈する何て――そんな無様な真似をすれば、天国にいる父さんに合わせる顔が無くなってしまう。
だから抗う。
例え命を落とす事になっても。
僕は歯を食い縛り、必死の形相で奴を睨みつけた。
自らの強い意志と覚悟を籠めて。
「良い目だ。益々お前が欲しくなった」
奴が嬉しそうに声を上げる。
と同時に、空中に描かれた魔法陣が大きく広がり僕を包み込んだ。
そこから逃れるため必死に藻掻こうとするが、どんなに頑張っても、体はぴくりとも動いてくれない。
「が……ぁ……」
何か得体のしれない物が僕の体の中に入り込んで来た。
不快な感覚に怖気が走り、吐きそうになる。
「受け入れよ、我が力を」
奴が言葉を発した瞬間、怖気が熱に変わる。
体が熱い……血液が沸騰しそうだ。
「ぁ……ぁぁ……」
血管を通り、全身に赤い光が駆け巡るのが分かる。
痛みと共に僕の体に力が……新たなる可能性が肉体に、そして魂に刻まれて行くのを感じた。
頭の中に、力が言葉となって浮かぶ。
加護 加速、加護 努力倍加と。
「はぁ……はぁ……加速に 努力倍加?」
体に纏わりついた熱が急激に冷め。
思考が一気にクリアになる。
「加速は瞬間的にお前の時間を加速し、努力倍加は訓練の効果を数倍にする力だ。俺の授けたその力で、見事最強の剣士になって見せろ」
「お前はいったい……」
「俺か?俺は……そうだな。我が名はグヴェル!魔神グヴェル!世界を混沌へと導き破壊する者だ!」
名乗りと同時に立ち上がった化け物――グヴェルの全身から、瘴気の様な禍々しい闇が立ち昇る。
「ネッド・ガイラスよ。弱者を守る刃となるならば、せいぜい抗え。そして強くなって俺を倒して見せろ」
魔神はそう言い残すと、自ら纏った闇へと溶けていく。
やがてその闇も消え、まるで初めから何も無かったかの様に、風呂場に静寂が訪れる。
「魔神グヴェル……世界を混沌へと導く者……」
この日、僕の歩むべき道がはっきりと定まる。
この世界の脅威となる魔神グヴェル。
奴から世界を守るため、僕は――俺は奴を倒す!