第6話 朗報
「久しぶりだな、ネッド。元気にしていたか?」
目の前の化け物が軽く手を上げ、まるで旧知の友に声を掛けるかのように挨拶してくる。
「パール!下がってろ!」
おれはそれを無視して、パールに指示を出し剣を構えた。
「…………」
だが返事が返って来ない。
彼女に何が起こったのか直ぐにでも確認したいが、グヴェルから視線を外すのは危険だ。
俺は視線をグヴェルを捉えたまま、視界に彼女が入る位置までゆっくり下がってその様子を確認する。
パールは笑顔だった。
グヴェルが現れたにもかかわらず、まるで時間が止まっているかの様に、その顔に笑顔が張り付いたまま固まっている。
「ああ、もちろん時間は止めてある」
俺はその言葉の真偽を確かめる為、グヴェルが視線から外れない程度に辺りを見回した。
何枚かの木の葉が空中で制止しているのが目に映る。
耳を澄ますが、風の音も聞こえない。
――奴の言った通り、全てが止まっていた。
初めて会った時の事を思い出す。
あの時も、グヴェルは時間を止めたと言っていた。
その時は瞬間的に奴の言葉を信じてしまったが、冷静に考えれば時を止める事等不可能だ。
後々考えて、此方をビビらせるために言った大言壮語だとばかり思っていた。
だが違う。
嘘ではなかった。
奴は本当に時を止められるのだ。
辺りの状況から、俺はそれを認めざる得なかった。
そしてその事実は同時に俺の心に深い影を落とす。
この先どれ程強くなろうとも、時間を止める事の出来る様な相手に勝ち目があるとは思えなかったからだ。
俺がどう足掻こうと、目の前の化け物をどうにかする事など出来ないかもしれない。
そんな暗い思いが、俺の胸を締め付ける。
「そう警戒するな。別に戦いに来た訳じゃない。今日は話をしに来ただけだ。安心しろ」
俺の苦い表情から、死の恐怖に顔を歪めていると奴は勘違いしたのか、話に来ただけだから安心しろと奴はほざいた。
正直、化け物に余計な気遣いをされるのは腹が立つ。
「話だって?言っておくが……お前に従うくらいなら、例え此処で死ぬ事になっても俺は――」
「今更、お前を懐柔するつもりはない」
俺の言葉を遮ってそう告げると、奴は右手の人差し指と中指を立ててピースサインを作る。
意図が全く理解できない。
まあ相手は化け物だ。
その意図が人間である俺に理解できないのは、仕方のない事だろう。
「良い話と悪い話。どちらを先に聞きたい?」
いい話と悪い話で、それぞれ指を一本ずつ折り曲げる。
どうやらあのピースサインは、話が2つあるという意味だった様だ。
「良い話と……悪い話だと?」
「ああ、好きな方から聞かせてやる」
「……」
正直、どちらも悪い話の気がしてならない。
化け物が俺に有益な話を持ってくる理由など、ありはしないのだから。
俺が答えず黙って睨み付けていると、しびれを切らしたのかグヴェルが口を開いた。
「では良い方から伝えるとしよう。実はこの森から南に向かった先に遺跡を用意し……じゃなかった。遺跡がある。そこには所有者の力を引き上げる装具が封印されている。それを手に入れれば、お前の力は更に増す。どうだ?いい話だろう?」
強力な装具?
この南に遺跡があるなどと聞いた事もない。
そもそも俺が力を手に入れる協力をする意味など、奴には無い全く無い筈だ。
「その様子では疑っている様だな。まあ行ってみればわかる事だ。勿論、無理強いはしないがな」
やはり奴の意図が分からない。
仮に奴の話が本当だとしたら、俺に力を与えて何を企んでいるというのだろうか?
「ああ。それと先に言っておくが、その装具には呪いが掛かっている。俺の加護を受けたお前ならともかく、普通の人間が身に付ければ死に至る事に成るだろうな。まあそもそも、お前以外が身に着ける意味も無いが……」
まるで俺がそこへ必ず向かう事を確信しているかの様に、奴は言葉を続ける。
だが悔しいがその通りだった。
俺には少しでも力が必要だ。
奴を倒す為に。
例え相手が時を自在に操る化け物であろうと、諦める分けにはいかない。
その力を手に入れるためなら、俺は何でもするつもりだ。
「次は悪いほうの話だな。まあこちらも考え様によっては、いい話とも取れるがな」
「良い話ともとれる?」
「ああ、そうだ。じきに戦争が起こる。人間と魔族との間にな」
「な!?」
驚きから、俺は思わず声を上げる。
人間と魔族は10数年前の戦いを最後に、お互い不可侵条約を結んでいる。
戦争が起こるという事は、それが破られるという事を意味していた。
「半年以内に魔族側のトップが入れ替わる。魔王の交代劇という奴だ。そして新たな魔王は人間の世界に侵攻してくるだろう」
グヴェルは淡々と俺にそう告げる。
まるでそれが決定事項であるかの様に。
「おまえが何か――」
「ああ、したぞ。そしてこれからも色々とする事に成る」
俺の言葉を遮って、いけしゃあしゃあとグヴェルは自分の関与を告げる。
初めて会った時、奴は世界を混沌へと導き破壊する者と自ら言っていた。
その答えが、これから起こるという戦争なのかもしれない。
俺の背中に冷たい汗が伝い落ちる。
憎しみを籠めてグヴェルを睨みつけるが、奴はそんな俺を見て楽し気に目を細めた。
「そう睨むな。お前にとっても悪い話ではないだろう?名を上げるいいチャンスだ。頑張れば、英雄にだってなれるかも知れないぞ?」
――英雄。
それは全てを守る、偉大なる存在。
その言葉に興味がない訳では無い。
憧れていると言っても良いだろう。
だからと言って、多くの犠牲者を出してしまう戦争をチャンスだ等と誰が思う物か……人を犠牲にしてまで目指すつもりなど更々無い。
「ふざ……けるなよ……」
「至って大真面目なんだがな。まあいい、これはもう決まっている事だ。戦争で死んでしまわない様、精々精進しろ。健闘を祈っているぞ。ではな」
言うだけ言って、グヴェルが消える。
辺りを見回すが、気配はなく姿も見当たらない。
「どうしたんすか?パイセン。いきなりきょろきょろしだして?それに何だか顔色も悪いみたいですし」
先程まで止まっていたパールが動き出す。
彼女だけではない。
風が俺の頬を撫で、ひらひらと木の葉が舞い落ちた。
どうやらグヴェルは、本当に話をしに来ただけの様だ。
「パール、魔法で当たりの探索を」
グヴェルの事は気になるが、今俺達は仕事の真っ最中だ。
まずはそれを片付けなければ。
「ラジャっす!」
まだ近くに潜んでいる様なら、ひょっとしたら探索魔法で奴が引っ掛かるかとも一瞬考えたが、そんな間抜けなら苦労はしないだろう。
俺は手にしていた魔法剣をパールに返し、両頬を叩いて気持ちを切り替える。
「おお!何か気合が入ってるっすね!」
「ああ、油断せず行くぞ」
今は目の前の仕事を終わらる事に集中しよう。
グヴェルの事や、その内容を皆に話すのはそれが終わってからだ。




