第7話 親友
「ここは……」
体が揺れ、頬と手にはごわごわした毛の感触が……
ゆっくりと首を動かし、視線を上げると、そこにはアムレの顔があった。
更に視線を動かすと、魔獣に騎乗しているアムレに抱えられている事が分かる。
これはいったい?
「目覚めたみたいね。もうじき城につくわ」
城?
そう言えば私は何を……!?
「戦闘は!?」
思い出す。
そう、私は人間と戦っていた筈だ。
それなのに、何故私はこんな所に居る?
「暴れないで、落っことしちゃうわ」
「答えて!アムレ!」
「戦争自体の状況は分からないわ。あなたが意識を失って、私も戦える状況じゃなかったから」
気を失った?
戦場で意識を失ったという事は……
私は……あのネッドとういう人間に敗れたのか……
ならグゥベェにも期待できない。
彼は私が負けた時点で撤退すると宣言していた。
死んでいないとはいえ、戦場を後にした以上、彼はもう撤退してしまっているだろう。
「アムレ戻って!戦場に!」
私は魔王だ。
そして戦争が起きたのは、私のせいだったとも言える。
その私が、戦場を放り出して逃げ出すわけにはいかない。
「ラミアル。その体じゃ、戻っても真面に戦えるわけがないでしょ。
「でも!」
「あなたは魔王なのよ。瞬間的な感情じゃなく、これからどうすればいいのか考えなさい」
「それは……」
アムレの言う事は正しい。
此処で戦場に戻っても、この体の状態では大して役には立たないだろう。
魔王として出来る事、それは冷静に先を見据える事だ。
落ち着きを取り戻した私は、千里眼で戦場の様子を確認する。
「戦闘は……もうほぼ終了しているみたい」
状況は痛み分けだった。
人間側も魔族側も、被害は甚大だ。
どちらが先に始めたのかは分からないが、両軍共に撤退を始めている。
「城が見えたわよ」
顔を上げると城が目に飛び込んでくる。
魔王城。
そこは魔王の城にして、魔族にとっての最後の砦とも言える場所だ。
城と形容されてはいるが、実際は岩をくりぬいて作られた砦に近い作りになっていた。
周りは深い堀に囲まれており、出入りは跳ね橋のみだ。
「橋が架かってる?」
アムレが疑問気に声を上げた。
城を出る時、跳ね橋は上げておくよう指示していた筈だ。
それが何故?
「あれは……」
橋の中央に、小さな影が見える。
それは距離が近づくにつれ、はっきりとその色形がしっかりとしていく。
「ぐぅべぇ……」
「くっ……」
魔獣は足を止める。
跳ね橋の中央に佇む赤い魔獣。
グゥベェの前で。
「君には失望したよ、ラミアル。せっかく目をかけてあげたのに」
「魔族は……まだ負けていない」
かなり追い込まれてはいるが、まだ立て直しは可能な筈だ。
時間さえあれば……
「ああ、それなら安心していい。逃げ出した魔族達は僕の配下が始末しているから」
「始末……何を言って……」
千里眼で、撤退している魔族達の様子を確認する。
そこには――巨大な3体の化け物が、大量の魔獣達と共に撤退する魔族達を蹂躙していく姿が見えた。
「そんな!」
「君達は負けたんだよ」
グウベェの肉体がめきめきと音を立てて、大きく変化していく。
4つの目をした、人型の赤い魔獣へと。
この姿は報告にあった……
「そして敗者には、ペナルティが必要だ。そうだろう?ラミアル」
「グヴェル……」
グゥベェが……報告に有った化け物だったなんて……
「ふざけるな!いけ!」
アムレが私を抱えて魔獣から飛び降りた。
彼女に命じられた魔獣がグヴェルに突進する。
「ふん、こんなゴミでは足止めにもならんよ」
グヴェルが腕を振り、その肘から生えた鍵爪の様な節で魔獣の首を跳ね飛ばす。
弱い魔獣程度では話にならない。
私はアムレの腕をほどき、自分の足で立ち上がる。
「アムレ……あいつの相手は私がする、その間に貴方は逃げて……そして魔王は貴方が継いで」
最後の力を振り絞り、私があいつの足止めをする。
その間にアムレ逃下て貰う。
全てを失った私だ。
その癖、死ぬのはいまだに怖い。
それでも、せめてアムレだけは……この命に代えても。
「何馬鹿な事を言ってるの!?魔王は貴方でしょ!」
私に魔王である資格はない。
事実を告げよう。
そうすれば納得してくれるだろう。
出ないと、アムレは最後までこの場に残って戦おうとするに決まってるから。
彼女には……生きていて欲しかった。
「私ね……隷属種なの。本当は魔王になる資格なんてなかったのよ。騙していてごめんね」
「……そんなの関係ないわよ」
「え!?」
「強いものが魔王になる。貴方は誰よりも強かったから、魔王になった。資格が必要だと言うなら、貴方には間違いなくその資格はあったわ」
「アムレ……ありがとう」
嬉しくて涙が零れそうだった。
アムレが自分の事を認めてくれたのが、嬉しくて嬉しくて……
「どうせあいつは逃がしてはくれないわ!ラミアル!生き延びるわよ、戦って二人で!」
そう言うとアムレは腰の鞭を手に取って構える。
満身創痍の私達では手も足も出ないだろう。
例えそうでなくとも、勝ち目の無い化け物だ。
私達は此処で死ぬ。
悔しくはあっても、もう怖くはない。
だって私の事を認めてくれた親友が、傍にいてくれるのだから。
「俺と戦うか。勇敢だな。だが――」
グヴェルが右手を天に掲げる。
その先に巨大な魔法陣が生まれ、そこから禍々しい闇が零れだす。
とてつもく強大でおぞましいその力に、思わず体がすくむ。
「お前達に、そんな勇敢な最後を与えてやる気はない」
グヴェルの体が浮き上がり、どんどん上昇していく。
その間にもグヴェルの魔法は闇を吐き出しながら、奴と共に上昇していった。
やがて遥か上空でグヴェルは停止する。
その頃には、闇は天を覆うばかりのサイズにまで膨れ上がっていた。
「この魔法は、半径数キロを消滅させる」
遥か上空にいるにもかかわらず、グヴェルの声はまるで耳元で囁いているかの様にはっきりと聞き取れた。
「ここから地上に落下するまでの時間は、1分と言った所だろう。最後の1分だ。精々怯え、絶望して見せろ」
グヴェルの姿が突如消えてなくなる。
主を失った巨大な闇は、その巨大さとは裏腹に、ゆっくりと降下を始める。
私は動かず、その様子を呆然と眺めた。
あの闇から感じる魔力はけた違いだ。
半径数キロを吹き飛ばすと言ったグヴェルの言葉に、嘘は無いだろう。
逃げた所でとても間に合わない。
「戦う事も……出来ないなんて……」
一方的な蹂躙による死の宣告。
戦士として戦って死ぬ事も出来ない……
「アムレ……」
アムレを見ると、何か魔法を詠唱している。
こんな状況でも彼女は諦めてはいなかった。
本当に彼女は凄い。
そう素直に尊敬する。
彼女が詠唱を終え、魔法を発動させると目の前に黒い穴が現れる。
「これは?」
「異界の魔獣の口よ。この魔獣の口の中は此処とは違う次元になっているわ。魔獣の体内なら、あのバカげた攻撃だってやり過ごせるはず」
「こんな切り札を持ち合わせていたなんてね」
「さ、早く入りなさい。ちんたらしてたら、あれが落っこちきっちゃうわよ」
彼女は上空を見て笑う。
確かに、くだらないおしゃべりでタイムオーバーなど笑えない。
私は空中にある穴に入った。
「これ、凄く狭いけど2人も入れるの?」
狭くてぎゅうぎゅうで身動きが殆ど取れない。
とてもではないが、2人も入れそうにないのだが……
「その魔獣は一人用よ」
「え!?」
「後は任せたわよ、ラミアル」
「駄目よ!そんなの!」
私だけ生き延びるなんて、そんなの嫌だ。
どちらかしか生き延びられないというなら、アムレが生き延びるべきだ。
「ラミアル。私、貴方に謝らなければならない事があるの」
「え?」
「グゥベェがグヴェルだって事……私知ってたの。でも殺すって脅されて。私は……自分の命惜しさ貴方に黙ってた。ごめんね」
「そんなの!そんな事どうだっていいよ!」
私も自分の命惜しさに、隷属種である事を黙っていた。
お互い様だ。
その為に彼女が犠牲になって私を助ける必要などない。
「私だって同じだもの!謝らないで!」
「ありがとう」
私は穴から抜け出そうとするが、それをアムレの手で押し戻された。
「ラミアル、貴方に頼みがあるの」
アムレは真剣な眼差しで私を見つめる。
そこには、覚悟の決まった強い意志が込められていた。
「あの化け物には悔しいけど、あたしじゃ敵いそうにない。でも貴方なら……貴方なら一矢報いてくれるって信じてる」
「そんなの無理だよ!あんな化け物に敵いっこない!」
「出来る!だって貴方はこの世で唯一、私が認めたライバル。だから貴方ならできる。私はそう信じてるよ」
「アムレ……」
「だから生きて、そして私の……私達魔族の仇をお願いね。頼んだわよ。魔王さま」
アムレは笑顔でウィンクする。
それが私が見た、彼女の最後の顔だ。
「アムレ!くそ!ひらけ!ひらけぇ!!」
入り口が閉ざされ、闇が当たりを支配する。
何とか中から出ようと暴れるが、だが開かない。
その内、疲労から私は気を失ってしまう。
「アムレ……」
目覚めた時、そこはまだ闇の中だった。
外の状況はわからない。
だけど、アムレはもう……
アムレをい失い。
私は何もかも、本当に今度こそ全てを失ってしまった。
――ただ一つを残して。
それは親友との約束。
私は誓う。
この命に代えても、必ずグヴェルを倒すと。
「う……ぐ……ぅあああああああああああああああああ!」
だから……今だけは……涙を流す事を許してほしい。
暗い闇の中。
私の生涯最後の慟哭が響いた。