空から降ってくるのは美少女とは限らない
第一章 大御所ってどこにでもいるよね・・・
「あっちぃ・・・」
山内幸成は思わずそう呟いた。時刻は午前八時。まだ朝早いにも関わらず、外はかなりの暑さだ。天気予報では最高で三十六度にまで達すると言っていた。
ミーンミーンミーン‼
シャンシャンシャンシャンシャン‼
「うるせぇ・・・」
セミたちの大合唱を聞いていると暑さが余計に増した気になる。
「はぁ・・・」
自転車の前まで来るとため息が出た。最近、仕事に行く日はこうして自転車の前でため息をつくのが日課である。
「嫌な習慣が付いたもんだな」
そう言いながら自転車に乗った幸成は職場へと向かった。
「おはようございます」
午前八時十分、職場に到着した幸成は事務所に入るとそう言った。この店の営業開始時間は十時。それまでまだ二時間近くある。本来、彼が一番早いはずなので、それならば挨拶などする必要はない。しかし、この店にはイレギュラーが存在するのである。
「おはよう山内君」
そのイレギュラーが返事を返してきた。
「あぁぁぁぁぁぁぁ」
扇風機に向かって声を出し、遊んでいる姿は子供のようである。
「相変わらず早いですね」
「あなたが遅いのよ。この店の店長なんだから、私より後に来てどうするの!ええ」
「はぁ・・・。スミマセン・・・」
「しっかりしてよね!」
天月佐知子はここのオープニングスタッフで、唯一の生き残りである。年数にして十五年、当然誰よりも店のことに詳しい。いわゆる大御所というやつである。彼女の話によると毎朝七時半には店に来ているらしい。しかし、早く来たからといって何をしているわけでもない。ただ座って夏は扇風機を、冬はストーブを独占しているだけである。一体何が楽しくてそんなに早く来るのか理解ができない。別に理解したいとも思わないが。
「そう言えばこの前言った話、掛け合ってくれた?」
「クーラーの件ですか?」
「そうそう」
「前にも言ったじゃないですか。無理ですって!」
「それを何とかするのがあなたの仕事でしょ⁉」
「そんな事言われましても・・・」
売り場には冷暖房が完備されているが事務所には無い。だからこんなクソ暑い日でも扇風機だけで我慢しなければならない。それは確かに辛いので本部に何度かクーラー設置を依頼したことがある。だが予算の都合上という理由で却下された。というか、そもそもこの事務所に取り付けるスペース自体がない。つまり、もう幸成の力ではどうにもならないのである。
「使えないわねぇ・・・」
(うるせぇ!)
口には出せないので心の中で佐知子に言っておく。
「おはようございまーす」
と、不毛な争いをしているところへスタッフの一人が出勤してきた。
「あら喜子さん!おはよう!」
「おはよう佐知子さん!」
「おはようございます」
「ちょっと聞いてよ!こんなに暑い日なのに今日も扇風機だけで耐えないといけないのよ!どう思う?」
「えー⁉ちょっとした拷問じゃない?」
「そうよねー。まぁ山内君は頑張って本部に言ってくれてるんだけどねー。あと一押しが足りないのかしら?今の現状を伝えれば納得してくれないはずはないんだけどなー」
「そうよねー。ほら山内君!もっと頑張って!このままじゃ私たち干物になっちゃうわよ!」
「・・・」
彼女の名前は中谷喜子。勤続十年の佐知子に次ぐベテラン隊員だ。佐知子の言うことは何でも聞くし、常に金魚のふんみたいに付き従ういわゆる腰巾着というやつだ。二人が揃うと毎度毎度こうして嫌味を言われるわけで、それはもうため息が日課になるのも納得の理由である。
「そう言えば今度入ってくる子って大丈夫なの?」
「どういう意味ですか?」
「だってさぁ、前入ってきた子はすぐやめたじゃない」
「あれは・・・!」
幸成は言いかけた言葉を慌てて飲み込んだ。ついこの間、新しいアルバイトを雇ったのだがすぐにやめてしまった。その理由というのが佐知子お得意の新人いびりだったのだ。まるで登竜門のようにそれは毎回行われる。そのせいでここを去った人間は数知れず。人手不足だというのに本当にやめてほしい。
「おはようございまーす!」
延々と文句のスパイラルが続く中、次にやってきたのは元気な声の女の子だった。
「おはよう・・・」
途端に佐知子が嫌な顔をする。
「天月さん、今日も早いですね。そんなに早く来てるんだったら少しは店の手伝いをしたらどうですか?」
「してるわよ」
「えぇー⁉ただ座って扇風機にあたってそれのどこが仕事なんですか⁉」
「・・・」
「どうせまた山内店長のこといじめてたんでしょ。文句があるならご自分で本社におっしゃったらいかがですか?」
「余計なお世話よ‼さぁ喜子さん仕事よ仕事‼」
佐知子はそう言って喜子と二人で開店作業をし始めた。
「百合絵ちゃん言い過ぎ・・・」
「ユッキーが言えないから私が代わりに言ってあげてるんじゃない!」
このとても強気な女の子は音坂百合絵。この店で唯一佐知子に立ち向かうことの出来る勇者である。入社当時、例のごとく新人いびりを受けた彼女であったがそれを見事に打ち負かした。それからの彼女と佐知子の関係は絶対に相容れることのない平行線状態である。
「ユッキーさぁ、言いたいことはちゃんと言わないとダメだよ!」
「それを言ったら首が飛んじゃうよ!」
「情けないなー」
「いやいや、そういう問題じゃなくて・・・」
「おはようございまーす!」
そうこうしているうちにまた一人スタッフが出勤してきた。
「あー!美香ちゃんだ!おはよう!」
「百合ちゃんおはよう!」
「お、おはようございます!」
「おはようございます山内さん!」
彼女は佐伯美香。パートで働く女性。年齢は幸成より二つ上の二十八歳である。
「何そのぎこちない感じ?そんなんじゃいつまでたっても想いなんて伝えられないよ!」
「うるさいなぁ・・・」
「うるさい?そんなこと言うならもう味方してあげないよ!」
「そ、それだけはどうかご勘弁を‼」
「あははー冗談だよ」
幸成は美香に恋をしている。百合絵はそれを知っていて応援しているのだ。
「頼りにしてるよ百合絵ちゃん」
本当に百合絵には世話になりまくっている。恋愛相談はもちろんの事、佐知子に対する意見の代弁、いびられた新人の救助など活動は多岐に渡る。仕事が出来て明るくて、少し行動が行き過ぎるところはあるけれど幸成にとってはなくてはならない存在である。
・・・
・・・
・・・
「音坂百合絵です!よろしくお願い致します!」
百合絵が面接にやってきたのは一年前。第一印象は、とにかく元気で明るいだった。元々居酒屋でのバイト経験もある為、文句なしの採用となった。そして彼女の初出勤日に事件は起こった。
「今日から宜しくお願いします!」
「宜しくね!それでは・・・」
「あーあなたが新しい新人の子ね!」
幸成が仕事の説明をしようとしたところに佐知子が割り込んできた。
「私、天月佐知子って言います。よろしく!この店にはオープン当初よりいるから何でも知ってるの。気軽に聞いてちょうだいね!」
「え?あ、はい・・・」
「何その曖昧な返事?そんなんでやって行けるの?ここの職場はあなたが思っているより過酷よ。ちゃんとしてもらわないと困るんだから!それから・・・」
「あの、すみません!」
「なに?」
「今、私は店長と話をしている最中なんです。後でいくらでも聞きますから今は黙っていてもらえますか?それと、私が出来るかどうかなんてこれから次第であって、今ここであなたにとやかく言われる筋合いはありません!」
その場の空気が一瞬にして凍り付いた。
「な、な、な!」
「私、何か間違ったこと言いましたか?それならそうで指摘してもらえれば謝りますけど!」
「私に口答えするなんて生意気な子ね!」
「えぇ生意気ですけど何か?」
「ふんっ‼」
佐知子は完全にふてくされた表情で事務所から出て行った。
「あのぉ・・・さすがに言い過ぎなんじゃないかと・・・」
「言い過ぎ?ああいうタイプはあれぐらい言ってやらないとダメなんですよ」
「そうかもしれないけど・・・」
「店長なんだからちゃんと言わないとダメだと思います!」
「スミマセン・・・」
いつの間にか幸成が怒られていた。
「ユッキー!」
「え?」
「山内さん、あなたの事、これからそう呼びます」
「いや、突然意味が分からないんだけど・・・」
「あなたは何だか、とても頼りないです。なので私が色々サポートしてあげます。だからあなたの事は親しみを込めてユッキーと呼びます!そして私の事は気軽に百合絵と呼んでください!」
それから幸成はユッキーと呼ばれるようになった。こうして彼女は戦列入社デビューを果たしたのである。
・・・
・・・
・・・
「いらっしゃいませ!」
「ありがとうございました!」
店内に活気のいい声が響き渡る。今日は日曜日なのでとても忙しい。
「天月さん!四番の通路接客お願いしてもいいですか?」
「嫌よ!私あそこにある商品の事分からないもの!」
(あんた勤続十五年じゃないのか⁉)
幸成は心の中でそう思った。
「そんなこと言ってる場合じゃないんですよ!僕も今手が離せないんで!行って接客してもらえるだけでもいいですから!」
「あなたのお気に入りの音坂さんに頼めば?」
「彼女は休憩中でホントに人いないんですよ!だから言ってるんです!」
「じゃああの子にもう口答えしないでって頼んでちょうだい!それだったら行ってあげるわ」
「分かりましたから!言っときますから!」
そう言うと佐知子はやっと通路へ歩き出した。
「はぁぁぁ・・・」
休憩時間、幸成は盛大なため息を吐いた。朝から大忙しに加えて佐知子に手を焼いた分もありとにかく疲れからである。
「おはようございます!」
そこに遅番のスタッフの一人である丸山野乃花が出勤して来た。
「おはよう丸山さん」
「店長お疲れですか?」
「まぁ色々あってね・・・」
「ケーキ買ってきたんで良かったらどうぞ!」
「ありがとう!じゃあ遠慮なく頂かせてもらうよ!」
幸成がケーキを手に取って口に運ぶ。
「食べましたね?」
「食べたけど・・・」
「これで店長は私の頼みを断れません・・・」
野乃花が意味深な表情で見つめてくる。
「な、何一体?」
「実は私好きな人がいるんです!でも告白する勇気がなくて・・・どうすればいいんでしょうか⁉」
「なぜ俺にそんな話を?」
「だって店長は恋愛経験豊富そうだから!」
どの辺がそう見えるのだろうかと幸成は思った。産まれてこの方彼女の一人すらできたことないのに・・・。ディスっているんだろうかこの娘は・・・。
「申し訳ないけど俺には分からないよ」
自分の恋愛で手一杯なのに人の恋愛相談を受けている余裕なんてあるわけがない。
「そうですか・・・店長ならと思ったんですけど・・・残念です・・・」
野乃花はあからさまに落ち込んだ様子で顔は半泣き状態になっていた。
「おはよう野乃花ちゃん・・・て!一体どうしたの⁉」
そこへ、百合絵がタイミング悪く事務所に入ってきてしまう。
「て、て、店長に泣かされました‼」
「なっ⁉」
確かにどこからどう見てもそうとしか見えない状況だ。
「後でゆっくり聞かせてもらいましょうか・・・」
「は・・・はい・・・」
こうして夜に緊急集会が開かれる事となった。
「なーんだ、そう言う事かー」
喫茶店にて弁明すること数分、百合絵の誤解はようやく解けた。
「で、ユッキーはどうなの?」
「何が?」
「何がって美香ちゃんの事よ!」
「あ、あぁ・・・」
「なによその曖昧な反応は!そんなんじゃいつまでたっても進展しないわよ!」
「分かってるよ・・・」
「いーや分かってない!全然分かってないよユッキーは!」
今日の百合絵は強い。全く引き下がらない。
「だってもう一年半でしょ⁉いい加減覚悟決めなよ!」
そう、もう美香を好きになって一年半もの月日が経っている。このままではいけないということは幸成も分かっているのだ。
・・・
・・・
・・・
「よろしくお願い致します。」
美香が入社してきたのは二年前。幸成が面接して採用となった。
「今日から宜しくお願い致します。それでは説明を・・・」
「あなたが新人の子ね。私は天月佐知子。よろしく!この店にはオープン当初よりいるから何でも知ってるの。気軽に声をかけてね!」
「は、はい・・・」
例のごとく説明の最中に佐知子が割り込んできた。これは毎回の事であって悪い意味での伝統のようになっている。彼女は自分がここのボスだということを示したいのだ。
「なんだか頼りない返事ね。そんなんで大丈夫?うちは甘くないわよ!」
「スミマセン・・・」
そして恒例のいびりが始まる。私に逆らったらどうなるかという事を徹底的に叩き込むのだ。それに耐えられない者や逆らう者は去らねばならない。悪の女王による、自分ワールドを作る為の徹底統治である。
「あのぉ天月さん?今説明してるのは僕なんですけど・・・」
「あら?あなた私に逆らう気?」
「いえ・・・」
これでもう何も言えなくなる。一度佐知子に意見をしてとんでもない目にあった事がある。なんと、佐知子が本社へ電話して幸成に関する根も葉もない噂を流しまくったのだ。必死の弁明で何とか誤解は解けたものの厳重注意を受けた。本当に何をしでかすか分からないのだこの女は・・・。
「じゃあ私が売り場案内してあげるから」
そうして美香は佐知子に連れて行かれてしまった。
「店長、私ここでやって行く自信がありません・・・」
佐知子から解放された美香は幸成にそう言った。
「そんな事言わないで・・・」
「あの人と一緒の職場で働くなんて絶対無理です!」
こうして大概の新人は初日で潰されてしまう。佐知子はそもそも新人が入ってくるという事自体が気に入らない。住み慣れた土地を荒らされる事を嫌うのだ。だから徹底的にいじめる。その癖、人手不足で自分の仕事量が増えると文句を言う。本当にめちゃくちゃだ。
「だいたいあなた店長なのにどうしてあんな女を野放しにしてるんですか⁉」
「それは・・・」
「たった一日ですけどお世話になりました」
美香が事務所から出て行こうとする。
「待って下さい‼」
幸成は必死に呼びかけた。今この店は人手不足のピークを迎えている。ここで逃すわけにはいかない!
「あなたは僕が守ります‼」
「え?」
「あなたの事はここの店長として僕が責任を持って守ります‼だからどうか辞めないで下さい‼」
幸成は土下座して頼み込んだ。プライドがどうとかそんな事は関係ない。今、店長としてこの店を守る為にやらねばならないのだ。
「本当に守ってくれますか?」
「もちろんです‼」
口から出任せだもちろん。でも言うしかない。
「そこまで言われた仕方ありませんね」
「それじゃあ‼」
「はい!今後ともよろしくお願い致します!でも私の事ちゃんと守ってくださいね?約束破ったらすぐに辞めちゃいますからね」
「ありがとうございます‼」
それから幸成の奮闘は始まった。佐知子には直接逆らえないので落ち込んだ彼女を励ましたり話を聞いたりとにかく頑張った。そうして美香と接するうちに幸成は彼女に惹かれていった。そして自分が美香の事を完全に好きだと気付いたのが、彼女との出逢いから半年後だった。
・・・
・・・
・・・
「ユッキーずっと美香ちゃんの為に頑張ってきたじゃない!だから絶対うまくいくって!」
「そうかな?」
「そうだよ絶対!」
「逃げてたらいつまで経ってもこのままだよ?他の人にとられちゃうかもしれないよ?それでもいいの?」
「それは絶対嫌だ‼」
幸成が珍しく即答した。
「なら頑張らなきゃ!」
「うん!分かった!」
そして後日、美香を食事に誘った幸成は彼女に告白したのだった・・・
第二章 拙者は豚じゃないブヒ‼
「はぁ・・・」
一体今日何度目のため息だろうか。昨日見事に玉砕した幸成は今日ずっとこんな感じで仕事も手につかない。
「ユッキーごめん‼」
事の次第を報告した百合絵から何度も謝られた。彼女は自分が告白を進めたせいだと責任を感じているのだ。
「百合絵ちゃんのせいじゃないよ」
「ユッキー・・・」
「俺大丈夫だよ!必ずもっといい人を見つけるからさ!」
「強がってない?」
「そんなわけないだろ!あはは・・・」
何とも惨めな強がりだった。その後、百合絵から励まされ続けて何とか回復したと思ったが一日やそこらで心の傷が塞がるわけはなかった。
「プルルルル!」
そんな幸成の精神状態など客は知ったこっちゃない。事務所の電話が鳴り響く。
「お電話ありがとうございます!私、トイズ・グラウンドの山内でございます」
「あのぉ・・・今そちらで面接ってやってるブヒかぁ?拙者、アルバイトしたいんでブヒがぁ」
「真に申し訳ありません。当店は人間以外の採用は行っておりません」
「拙者は人間ブヒ‼」
「失礼致しました!ブヒブヒ言ってるからてっきり豚が応募してきたのかと」
「本当に失礼なやつだブヒ。そもそも豚が喋るわけないブヒ!」
「で、ご用件は?」
「だからアルバイトの応募だって言ってるブヒ!」
「ここはラーメン屋ではないので美味しいチャーシューにはなれないと思いますが・・・」
「だから拙者は豚じゃないって言ってるブヒ!トロトロチャーシュー希望じゃないブヒ!いい加減にするブヒ!」
本当にブヒブヒうるさい。
「はぁ・・・で、お名前は?」
「ため息ついたブヒな⁉まぁいいブヒ。拙者は豚丸無恥男と申すブヒ」
「やっぱり豚なのか・・・」
「そういう苗字なだけであって豚ではないブヒ!何回言わせるブヒか‼」
もうそろそろこのくだりにも飽きてきた。
「じゃあ忙しいのでそろそろ切りますね」
「待つブヒ!面接の日時とか決めてないブヒ!」
「するの⁉」
「するブヒ!拙者はアルバイトする為に電話したブヒ!・・・ってこれも何回言わせるんでブヒか⁉」
このまま切ってなかった事にしてもいいが、一応面接だけしてもいいと思った。このブヒブヒいう奇妙な生き物が果たしてどんな人間なのか、と言うかそもそも人間なのか興味が湧いたからである。
「じゃあ明日のお昼二時はどうですか?」
「大丈夫ブヒ!」
こうしてどう考えてもやばいやつの面接が決まった。
「豚丸無恥男と申しますブヒ!今日は宜しくお願い致しますブヒ!」
翌日、面接にやってきたのは人間だったが恰好がヤバい。男はチェックシャツにバンダナという完全なるオタクファッションに身を包んでいた。今から面接を受けようという人間の恰好とはどう考えても思えない。
「はぁ・・・はぁ・・・」
よほど急いできたのか息が切れている。かなり太めの体系の彼は大量の汗をかいており見るだけで暑苦しい。そうでなくともこの事務所は暑いというのに・・・。
「えーでは面接を始めさせて頂きます」
「お願いしますブヒ!」
いつもより流し気味に面接を進めていく。どうせ不採用にするのだから細かくする必要はない。というかちゃっちゃと終わらせてこのむさ苦しい空間から脱出したい。
「では面接は以上で終了です。ありがとうございました。忘れ物のないように気を付けてお帰り下さい」
「・・・」
しかし、男は一向に椅子から立ち上がろうとしない。
「どうかしましたか豚?」
「豚って言うなブヒ!」
「もう面接は終わりましたが?」
「拙者は不採用でブヒか⁉」
「え?」
「何だかとても雑な面接だった気がしたブヒ!」
「そんな事はありませんよ」
(当たり前だろうが!お前みたいなやつ誰が雇うかクソが‼)
と心の中で思いながら幸成は答えた。
「今すぐ採用にするブヒ!」
「いやいや、先ほども申し上げたでしょ?採用の場合は一週間以内にご連絡致しますのでって・・・」
「拙者、採用にならないと家に帰れないブヒ!アルバイトが決まるまでうちの敷居は跨がせないってママに言われたブヒ!」
知るかぁぁぁ‼
きっと幸成はこう思ったに違いない。
「そんな事言われましても規則ですから・・・」
「二次元に行きたくないブヒか?」
「は?」
「拙者、ついに二次元に行く為のマシンを作り上げたブヒ!採用にしてくれたら特別に使わせてやるブヒ!」
「・・・それで?」
「その反応は絶対信じてないブヒな‼これは本当ブヒ‼」
「はいはい良かったでちゅねー」
「・・・分かったブヒ。この手は使いたくなかったんでブヒが仕方ないでブヒ・・・」
男はポケットから携帯を取り出すとどこかに電話し始めた。
「あー僕でブヒ。さっき言ってた奥の手を使って欲しいブヒ。頼んだブヒよー」
「プルルルル!」
男が電話を切ってしばらくすると事務所の電話が鳴り響いた。
「お電話ありがとうございます!私、トイズ・グラウンドの山内でございます」
「私はトイズ・グラウンド社長の川辺元綱だ‼今すぐその豚丸無恥男君を採用にしたまえ‼」
「え、社長⁉一体何を仰って・・・」
「いいから早くしたまえ‼しかしいいか?私がこんな事を言ったなどと絶対に口外するな?言ったら君のクビが飛ぶと思え!」
「全く意味が分かりませんが‼」
ツーツー
すでに電話は切られていた。
「い、一体何をしたんだ君は⁉」
「爺やに頼んでここの社長に脅しをかけてもらったブヒ。採用にしないとうちからの事業支援を取り止めるブヒと」
「もしかして君は⁉」
「今頃気付いたんでブヒか?そう、拙者のパパは株式会社豚丸の社長ブヒ!」
株式会社豚丸。超王手焼肉チェーン。その年商は世界でもトップクラスで、噂によると日本経済を陰で牛耳ってるとかどうとか・・・。
「もしうちが支援をやめたらここの会社は終わりブヒ。それぐらい貢献度が高いブヒ」
「・・・採用で」
「やったブヒ!」
面接が終わった後、いつものように佐知子が探りを入れてくる事はなかった。恐らく、当然のごとく不採用になると思っているからだろう。
「あなた何考えてるの‼」
無恥男の初出勤日にこうして佐知子から怒られたことは言うまでもない・・・
「豚丸君やるわね!」
「えへへー。そうでブヒか」
いつもオタクファッションで来る、見た目言動ヤバいこの豚丸無恥男という男はとても仕事の出来る男だった。売り場には出ないでくれと何とか頼み込んで事務作業に従事しているわけであるが、そのスピードも正確性も一級品だ。
「以外にやるわねあの子・・・」
最近ではあの佐知子ですらその仕事ぶりを認めるレベルで、彼の評価は日に日に上昇していた。
そんあある日の出来事。
「しまった‼」
突然、事務所で幸成が声をあげた。
「どうしたのユッキー?」
「備品のゴミ袋がない・・・」
職場では無論大量のゴミが出るわけで、それを処理するための袋がないというのはとても困った事案である。
「あなた、ゴミ袋の管理は任せて下さいってあんなに自信満々に言ってたじゃない!ゴミ袋の声が聞こえるんですとまで言ってたわよ!」
当然のごとく佐知子に怒られる。
「いやいや、そんな事言ってませんよ。というか誰ですかそれは」
「お困りでブヒか?」
そこにいつものオタクファッションに身を包んだ無恥男が現れた。いつも同じ服装だが、ちゃんと洗っているのか心配になる。
「あぁ、豚丸君か。実は・・・」
「そんな事でブヒか。では任せるブヒ!」
そう言うと無恥男はどこかに電話をかけ始めた。
ガラガラガラ!
それから数分後、台車に乗った大量のゴミ袋が店に運び込まれた。
「な、何をしたの⁉」
「ちょっとした事ブヒ。僕に不可能な事なんてないブヒ!」
「店長交代する?」
「嫌ですよ‼」
こうして無恥男の評価は急上昇し、幸成の評価は急降下したという。
「はぁ・・・」
最近は行きだけでなく帰りにもため息が出る。その理由は美香との関係性が悪化したことにある。告白に失敗したあの日以降、二人の間に業務上必要な会話以外は全くない。
「全部私のせいだよね・・・」
百合絵は未だに自分のせいだと気にしている。
「そんなことないって‼」
幸成はそれを必死にフォローするのだが、いつも元気な彼女の、辛そうな顔を見るのは本当に心が痛む。
「はぁ・・・」
またため息が出る。一体どうしたものだろうか・・・。
「おぉ!店長殿!」
そんな失意に沈む幸成に声をかけてきたのは相も変わらずいつものオタクファッションを着た無恥男だった・
「なんだ君か・・・」
「なんだとは失礼でブヒな。えらく沈んでいる様子でブヒが、何かあったでブヒか?」
「君に話しても無駄だよ」
「話してみないと分からないブヒ!」
「リアルな恋の悩みだよ。君は二次元にしか興味ないだろ?」
「仰る通りブヒ。拙者に三次元ラブの知識はないブヒ」
「だよなー・・・」
「でもうちのママなら相談に乗ってくれるかもしれないブヒ」
そう言った無恥男が電話すると、ものの数分で、目の前にリムジンが到着した。
「さぁ、乗るブヒ」
無恥男に促されるまま車に乗った幸成はそのまま豚丸家へと連れて行かれた。
「お帰りなさいませ坊ちゃん‼」
目的地に到着した途端、一列に並んだ何十人もの使用人が無恥男に向かって一斉に頭を下げた。
「ここ日本か?」
そう疑いたくなる光景が目の前に広がっている。まるで西洋のお城のような建物が幸成の前にそびえ立っているからだ。
「じゃあ僕についてくるブヒ!」
言われた通り無恥男の後に続く。
「ここブヒ!」
やたらバカでかい仕事部屋みたいな所に入ると中にはきれいな女性がいた。
「あら?お友達なんて珍しいわね?」
「紹介するブヒ!うちのママでブヒ!パパの秘書をやってるブヒ!」
「初めまして。隣町のトイズ・グラウンドで店長をやっている山内幸成と申します」
「私は無恥男の母の豚丸茜と申します。息子がいつもお世話になっております」
そう言って無恥男の母はぺこりと頭を下げた。この母からどうやったらこの子供が産まれるのというぐらい美人である。父親の秋成社長もテレビなどでよく見かけるが、とてつもないイケメンである。何かとんでもない化学反応が起きてしまったに違いない。
「こちらこそ、息子さんにはというか、御社自体に大変お世話になっております!」
「堅苦しい挨拶はそれぐらいにして本題に入るブヒ。ママに店長殿の悩みを解決してほしいんだブヒ」
「悩みですか?一体どんな?」
「実は恋の悩みでして・・・」
「なにぃ⁉恋の悩みだとぉ‼おい早く水晶玉持ってこいや‼」
突然、無恥男ママが人が変わったように声を荒げた。
「な、何だ⁉」
「うちのママは恋愛相談となると気合が入りすぎてこうなってしまうブヒ」
すぐに執事らしき人が水晶玉を持ってきて無恥男ママがいる机の上に置いた。
「さぁ水晶玉の前に座れ!完璧に占ってやる‼」
幸成はその迫力に圧倒されながら椅子に腰掛けた。
「はあぁぁぁぁ‼」
無恥男ママがすごい剣幕で水晶玉にパワーを送る。
「はぁ・・・はぁ・・・」
「息切れしてますけど大丈夫ですか⁉」
「問題・・・ない!」
その後も無恥男ママは水晶玉に念を送り続けた。
「結果・・・が・・・出たぞ・・・」
「それよりあなたがやばそうですけど・・・息絶え絶えだし・・・」
「だから・・・問題ない・・・と・・・言っている!」
どうみても問題ありそうだが、本人が大丈夫だと言っているので良しとする。
「お前は近々告白されると出ている」
「誰にですか⁉」
「それは分からん。しかしその女には気を付けろとも出ている」
「本当に当たるんですか?」
「貴様、疑う気か?」
「そりゃあまぁ・・・占いなんて大概胡散臭いものだし・・・」
「私の占いはそんじょそこらのちんけなものとはわけが違う!必ず当たるぞ!」
「そうブヒ!ママの占いは三十%の確率で当たるブヒ!」
「いや、全然必ずじゃねぇじゃん‼めっちゃ確率低いじゃん‼」
そうして占いを終えた幸成は豚丸家を後にした。帰りもリムジンで送ってもらったので楽チンだった。
「あれ?誰かいるぞ」
アパートの階段を上がると部屋の前に誰かが立っていた。
「お兄ちゃん待ってたよ!」
「え・・・えぇぇぇ‼」
そう言って抱き着いてきたのは何と佐伯美香だった!
第三章 ヤンデレってこんな感じ?
「ちょっと何やってるんですかあなたは⁉」
「お兄ちゃんにこうする為にずっと待ってたんだよぉ!」
そう言って美香はより一層密着してくる。幸成は、当然ながら、この状況が全く理解できない。
「早くお家に入ろうよぉ!」
「いやいや、ここは俺の家で・・・イテテテテ‼」
美香に足を思い切り踏まれた。
「早くお家に入ろう?」
「分かった!分かったからそんなに足をグリグリしないで‼」
「分かればいいんだよぉー」
美香の粘着からようやく解放された幸成は鍵を開ける。
「たっだいまー‼」
美香がそう言って家主より先に家の中に入って行く。
「あぁそうだお兄ちゃん!ご飯にする?お風呂にする?それともあ・た・し?キャー‼これ一度やってみたかったんだー!新婚さんみたいだね私たち!」
「・・・」
「どうしたのお兄ちゃん?具合でも悪いの?」
「頭の具合が悪いみたいだよ・・・」
「えー⁉それは元からじゃん!お兄ちゃん超絶あほあほちゃんだもんねー!」
「ねぇ、これは夢なの?」
「さっき足踏まれて痛かったでしょ?だからこれは夢じゃないんだよぉ。現実だよ、げ・ん・じ・つ!」
「それだったら答えは一つしかない。君が二重人格だって言うことだ!」
「二重人格かぁー。いい線いってるんだけどなー。そうじゃないんだよ。これが本当の私だからさ」
「じゃあ一体何⁉」
「そんなに大きな声出さないでよ!もーそんなのどうでもいいじゃん!早くご飯食べよう!」
美香はそう言って勝手に台所を使い始める。
「なぁ、君は本当に佐伯さんなのか?」
「はぁ?お兄ちゃんホントにおかしくなっちゃたの?そんなの当たり前じゃん!」
「実は双子の兄弟とか⁉」
「いい加減にしてよ・・・」
美香はそう言って、食材を切る為に使用している包丁を握りしめたまま近付いてくる。
「ま、待て!早まるなよ⁉」
「それはお兄ちゃん次第かなぁ?」
美香が包丁を振りかぶる。
「ひっ‼」
グサッ‼
包丁は幸成の顔すれすれ、後ろの壁に突き刺さった。
「私は正真正銘の佐伯美香。これ以上疑ったらどうなるかなぁ?」
「その笑顔と手に持ってるものがミスマッチングなのですが・・・」
「どうなのよ⁉」
「は、はい‼もう疑いません‼すみませんでしたぁ‼」
「分かればよろしい」
美香は台所に戻って行って食事の用意を再開した。
目の前にいるのは正真正銘の佐伯美香・・・大好きな佐伯美香・・・自分をふった佐伯美香・・・
「できたよぉ!」
美香はそう言ってテーブルに食事を並べた。みそ汁に焼き魚、ホウレンソウのおひたし、美味しそうな和食だ。
「じゃあいただきまーす!」
「・・・」
「どうしたのお兄ちゃん?」
「いや、食欲なくて・・・」
「仕方ないなー。じゃあ私が食べさせてあげる!あーんして」
美香が箸で料理を掴んで幸成の口に近づけてくる。
「あ、あーん・・・」
「どう?」
「う、美味い‼」
「ホント⁉良かった‼」
料理はとても美味しくておふくろの味という感じがした。一度箸をつけると止まらない。
「ふぅー・・・ごちそうさまでした!」
幸成は一気に食べ終えた。
「お粗末さまでした!やっぱりお腹空いてたんじゃない?」
「・・・」
美香が台所で食器を洗っている。その光景を幸成はじっと見つめていた。
「なーんかちょう視線感じるんだけどぉ?私に見惚れてるの?」
「なぁ、君は俺の事が好きなのか?」
「今更何言ってるの?だーい好きに決まってるじゃん‼それとさぁ、君とかそんな他人行儀な言い方はやめてくんない?」
「み、美香・・・」
「もっとはっきり言ってよ!」
「美香‼俺も美香の事が大好きだ‼」
「やだーもう!恥ずかしいじゃん!」
目の前に大好きな美香がいる。性格には難があるけれど料理上手で自分の事を大好きと言ってくれる。これ以上の幸せがあるだろうか。
「じゃあ私そろそろ帰るね」
「もう帰るのか?」
「お兄ちゃんとはずっといたいけどさぁ。さすがに家には帰らないとね」
「そうか・・・」
「もしかして寂しがってくれてるの?」
「・・・当たり前だろ!」
そう言って幸成は美香を抱きしめた。
「嬉しい!お兄ちゃん大好き!」
美香が帰った後、幸成は事の次第を報告する為に、百合絵へ電話をかけた。
「もしもしどうしたのユッキー?」
「佐伯さんと付き合う事になった。なんか心が変わったらしくてさ」
「えー、ホントに⁉やったじゃん‼おめでとう‼」
「ありがとう‼」
「ユッキー・・・良かったね!ホントに良かった・・・」
百合絵がどんどん涙声になっていく。本当に心から喜んでくれているのだろう。
「じゃあまた明日ね!」
「おやすみー」
電話を切った幸成はその後シャワーを浴びてベッドに入った。全てが上手くいった。大好きな人と結ばれたし、もう明日から百合絵の悲しそうな顔を見なくて済む。その安堵感からか眠りにつくまで大した時間はかからなかった。
「おはようございます!」
上機嫌で店に出勤するといつも通り佐知子が扇風機の前に居座っていた。
「あら?今日は何だか機嫌よさそうね。何かいい事でもあった?」
「そんなところです」
「ふーん。浮かれすぎて仕事に支障をきたさないようにせいぜい気をつけなさい!」
「分かりました」
いつもなら鬱陶しく思うこんな小言も今日は全く気にならない
「山内君の新人教育ってホントにダメだと思わない?」
「そうよねー。佐知子さんが代わりに育ててあげた方がいいんじゃない?」
「あらー、喜子さんお世辞が上手いわねぇ。私なんて全然ダメよ!」
「そんな事ないと思うけどなー」
「そうかしら?」
喜子が出勤してくるといつも通りの好き勝手言うタイムが始まった。
「おはようございます!」
それからしばらくすると百合絵が出勤して来た。
「おはよう百合絵ちゃん!」
「ユッキー良かったね!」
「ありがとう!今まで心配かけてごめんね」
「ううん。そんなの全然いいんだよ」
百合絵がまた泣きそうになっている。二人で手を取り合って喜びあう。
「朝からあっついわねぇ。いやんなっちゃう」
佐知子が茶々をいれてくる。
「おはようございまーす!」
そこに美香が出勤して来た。
「あー美香ちゃんおはよう!」
「・・・」
美香が物凄く怖い顔で近付いてくる。
「どうしたの美香ちゃん?」
「お兄ちゃんに近付くなこの泥棒猫‼」
そう言って美香は百合絵を突き飛ばした。
「え・・・え?」
好き勝手喋り続けていた佐知子と喜子が、ただならぬ雰囲気に、話を中断してこちらの戦況を見つめている。
「美香ちゃん一体どうしたの⁉」
「気安く話しかけてんじゃねぇよてめぇは‼」
「ちょっと美香‼何してるんだよ⁉」
「お兄ちゃん、もうコイツとは今後一切口を利かないで」
「どうして⁉」
「どうしてもよ‼」
場が騒然となる。美香以外のみんなは一体何が起こっているのか状況が把握できない。
その夜、幸成は百合絵に呼び出されていつもの喫茶店に向かった。
「今日は何かごめん・・・」
「ユッキーが謝ることはないよ!それよりあれは誰なの?」
「あれって?」
「今日私を突き飛ばしたあの人よ‼」
「そんなの美香に決まってるじゃないか‼」
「そんなわけないでしょ‼あんなの美香ちゃんのはずがないじゃない‼」
「美香だよ‼」
不毛なる争いが繰り広げられる。
「確かに見た目は美香ちゃんだったよ。でも中身が全然違う‼美香ちゃんが私にあんな事するはずがないもん‼それに泥棒猫って・・・」
「でもあれは正真正銘の美香なんだよ!」
「もしかして二重人格とか?」
「違う。そんなんじゃない!あれが本当の彼女なんだ!」
「だったら何なのよ⁉」
「それは・・・」
「きっとあれは美香ちゃんそっくりの誰かなんだ。そして本物の美香ちゃんはどこかにいるんだ」
「そんなわけないだろ‼」
「そんなわけあるもん‼ねぇユッキー、二人で本物の美香ちゃんを探そうよ?」
「何言ってるの?熱でもあるんじゃないか?」
「私は正気だよ!おかしいのはあんなのを美香ちゃんだなんて言い張るユッキーの方だよ‼」
「話にならないな」
「そうだね。もうユッキーには頼らないよ。私が自分で美香ちゃんを見つけ出すから!」
「好きにすればいいよ」
「えぇ。そうさせてもらう!」
百合絵は自分の分のお金をテーブルの上に置くとさっさと店から出て行ってしまった」
「美香・・・」
アパートの階段を上がると昨日と同じように美香が待っていた。
「遅かったわね?」
「ちょっとね・・・」
「もしかしてあの泥棒猫に会ってたのかしら?」
「そんなわけないだろ⁉」
「・・・お兄ちゃんは嘘つくのが下手だなぁ。まぁ別にいいけど」
二人で部屋の中へと入って行く。
「座って待ってて」
美香はそう言って洗面所の方へ向かって行った。
「嘘ついたお兄ちゃんにはちゃーんとお仕置きしないとね」
バシャッ‼
リビングでくつろいでいる幸成に向かって、美香は洗面器に入っていた水を思い切りぶちまけた。
「ぶはっ‼」
「あーあ。びしょびしょになっちゃった。早くお風呂に入ってこなきゃ風邪ひいちゃうよー?」
「・・・」
そう言われたもののあまりの恐怖で体が動かない。
「自分で服も脱げないの?しょうがないなぁ」
そう言って美香は幸成の服を脱がし始める。
「今度もしあの女と会ったら熱湯をかけるからね!」
耳元でそう囁かれる。明るいテンションが余計に怖い。恐らく本当にやるだろうこの女は。
「じゃあごゆっくりー。あー、お風呂から上がったらちゃんとリビングの掃除もしてね。びしょぬれだから」
風呂場へと連行された幸成はシャワーを浴びる。
「あんなの美香ちゃんのはずがないじゃない‼」
浴槽につかりながら百合絵の言葉を思い出す。確かにそうだ。佐伯美香は優しくて気が利く人で・・・。何より百合絵の事を大切に想っている。だから今日の朝に起きた出来事は考えられないのだ・・・
「何考えてんだ俺は‼」
違う‼今俺の前にいるのは正真正銘の佐伯美香だ!俺の事を好きだと言ってくれる人だ‼
脳内から慌てて百合絵の言葉を掻き消す。
「美香‼愛してる‼」
風呂からあがった幸成は部屋着に着替えると、そう言って美香を抱きしめた。
「ちょっとぉ!お兄ちゃんたら大胆!」
「好きだよ美香!」
「分かった!分かったからぁ!そんなに抱きしめられると苦しいよぉ」
「ごめん・・・」
「さすがに可愛そうだから、リビングは私が掃除しといたよ。酷い事してゴメンね・・・」
「いや、俺こそ美香の事ほったらかして他の女と会っててゴメン・・・」
「じゃあこれからは私の事だけ見てくれる?」
「もちろんじゃないか‼」
「嬉しい!」
「明日二人とも休みだろ?どこかに遊びに行かないか?」
「さんせーい!」
「どこがいい?」
「うーんとねぇ。お兄ちゃんと一緒にいられる私はどこでもいいけどなぁ」
「じゃあ遊園地に行かないか?」
「うん!いいよ!」
そうして翌日に遊園地デートが決まったのだった。
「今度はあれに乗ろうよぉ!」
美香が幸成の服を引っ張る。
「待ってくれよぉ!ちょっと休憩」
「もう!情けないんだからお兄ちゃんは・・・」
散々アトラクションで遊んだくせに美香はまだまだ元気だ。女の子は本当にこういうところが好きなのだなぁと思った。
「私、ソフトクリーム買ってくるね!」
そう言って美香が無邪気にかけていく。
「お待たせー!」
戻ってきた美香の手には二つのソフトクリームが握られていた。そのうちの一つを幸成が受け取る。
「食べさせ合いっこしよ?」
「こんなところで恥ずかしいよ・・・」
「お兄ちゃん照れてるの?可愛い!」
そう言って美香が自分の持っているソフトクリームを幸成の口に突っ込んだ。
「もごっ⁉やったなぁ!」
そう言って今度は幸成が自分の持っているソフトクリームを美香の口に突っ込む。
「俺さぁ、今すっごく幸せだよでも」
「私もよ!」
「多分あれだろうな。この光景を見られたらすっげー殺意抱かれるぐらいいちゃいちゃしてんだろうなぁ今の俺たち」
「間違いないね」
二人で幸せな時間を噛みしめる。
「今度は観覧車に乗りたいな!あれだったら疲れないでしょ?」
「そうだな」
二人で観覧車に乗り込む。
「きれいなー景色だねー」
「ホントになー。でも美香の方がきれいだよ」
「なにそのとってつけたような言い方?でも嬉しい!」
そう言って美香が抱き着いてくる。
「ずっと一緒にいてくれるよね?」
「もちろんじゃないか!」
二人で永遠の愛を誓い合う。こうして二人は思う存分遊園地を満喫した。
「楽しかったねー」
二人で帰り道を歩く。
「キスしよっか?」
「いいよ」
誰もいない夜の公園で二人の時間が流れる。
「うわぁぁぁ‼」
幸成が美香にキスしようと顔を近づけた時、どこからか叫び声が聞こえてきた。
ドスん‼
そして何かが幸成の上に落下した。
「お兄ちゃん⁉」
「見つけたでぇ」
空から降ってきた人間は美香を見てニヤリと笑った。
第四章 空から降ってくるのは美少女とは限らない
「母さん⁉」
幸成を押しつぶしている人物に向かって美香がそう言った。
「やっと見つけたで美香」
「そんな事より早くどいてもらえますか・・・」
幸成が潰されながら必死に訴えかける。
「おぉすまんな。よいしょ」
「ふぅー・・・え、そんなバカな⁉」
幸成はその人物の顔を見て絶句した。どこからどう見ても、その人物は天月佐知子だったからである。
「幸成やないか。なんでお前ら二人ここにおるんや?」
「・・・」
カオスな状況過ぎてどこからどう質問していいかすら分からない。
「まさかお前、百合絵ちゃんを裏切って駆け落ちでもしたんか⁉なんちゅう薄情なやっちゃ‼そんな子に育てた覚えはないで‼」
「ちょっと落ち着いてよ‼そんなんじゃないから。とにかく、ちゃんとお金は返すから。悪かったわよ」
「当たり前や‼このアホ‼」
美香は佐知子そっくりの誰かに思い切りシバかれた。
「そんなに強く叩くことないじゃない・・・」
「お前がアホな事するから悪いんや!」
「あのぉ・・・」
話についていけない幸成が小さく手を挙げる。
「おぉ幸成おったんかいな」
「いますよ‼というか一体どうなっているんですか⁉なんであなたは空から降ってきたんですか⁉」
「美香がうちの金を勝手に持ち出しよって。それで美香を探しとったんやが、その途中で崖から落ちて今の状況や!」
この人は天月佐知子そっくりというか見た目はそのままだ。だが中身が全く違う。本物の佐知子は、口の悪さは一級品だが話し方に品がある。何よりこんな関西弁で喋らない。
「偶然・・・なのか・・・?」
自分をふったはずの佐伯美香。それが突然、自分を好きだと言って目の前に現れた。性格は百八十度違うし百合絵に優しくない。
「美香、やっぱり君は本物の佐伯美香ではないんじゃないか⁉」
「・・・もう隠してもムダみたいだね。そうだよ!私はこの世界の佐伯美香じゃないんだよ!」
美香は悪戯がばれた子供のような無垢な表情でそう答えた。
「この世界?一体何を言ってるんだ⁉」
「言葉の通りだよ。私はこことは別の世界、あなたたちが通称二次元と呼んでいる所から来たの。そこではねー、あなたは私のお兄ちゃんなの。そして佐知子お母さんがいて、私たちは家族なの」
とても信じられないような話だがそうとしか考えられない事象が多数起きており、疑う余地はない
「君はどうしてこの世界に来たんだい?」
「お兄ちゃんが私を裏切ったからよ!」
「裏切った?」
「そうよ。私の大好きなお兄ちゃんはあのにっくき音坂百合絵と一緒になっちゃったのよ!私はずっとお兄ちゃんを愛してたのに・・・あの泥棒猫女は絶対許せない!元の世界でもこっちの世界でもね!」
「そんなの逆恨みだろ・・・」
「それの何が悪いの⁉私はお兄ちゃんを真剣に愛していたのよ!それこそ結婚まで考えてね!」
「それがどうしてこの世界に来る理由になるんだ?」
「この世界であなたと結婚する為よ!」
美香は幸成を見つめて言った。
「俺と?ちょっと待ってくれ!君は自分のお兄ちゃんと結婚したいんだろ?だったら俺は関係ないじゃないか!」
「だから、あなたが私のお兄ちゃんになるのよ」
「つまり、容姿が一緒だから、俺が代わりになれと?」
「代わりじゃない‼あなたは完璧に私のお兄ちゃんとして生きるの‼私があなたをお兄ちゃんとして教育するのよ!向こうの世界だと本当の兄妹だから結婚できないけど、この世界ならそれが出来る‼だから私は家のお金を持ち出してまでこの世界に来たのよ!」
「全くとんでもない娘や。そこまでするか普通?」
「母さんに私の何が分かるのよ⁉ずっと兄妹だからって反対ばっかりして!」
「当たり前やろそんなもん‼うちは兄妹で愛し合っているんです・・・なんてご近所に説明できると思っとんのか⁉幸成の方はちゃんとそれを分かっとったんや」
「私、この世界でお兄ちゃんと結婚するよ!」
「勝手にせい。お前みたいなバカ娘、もう家族やない!ほんならうちは帰るからな・・・」
そう言った佐知子は中々動き出さない。
「どうかした?」
「なぁ、一体どうやって帰ったらええんや?」
「そりゃそうよね」
「肝心な事を聞き忘れていたけど、君はどうやってこの世界に来たんだい?」
「豚丸無恥男を知ってるわよね?」
「もちろん」
「あいつがこの世界から私たちの世界に来ていたのよ」
・・・
・・・
・・・
「ここが二次元ブヒか⁉」
二次元に行くという夢の装置を完成させた豚丸無恥男はさっそくその力で別の世界に来ていた。しかし見渡す景色は元の世界と何も変わらない。
「確かに成功したはずでブヒが・・・」
「あら?豚丸。あんた何やってんの?」
「お主は佐伯美香殿!」
無恥男に声をかけてきたのは佐伯美香だった。
「お主がいると言う事はここは二次元ではないブヒか・・・」
「相変わらずきっしょいなお前は‼」
「ブヒャ⁉」
無恥男は美香に飛び蹴りを食らって倒れこんだ。
「な、何するんでブヒか⁉」
「お前がきっしょいから悪いんだよ!ぺっ!」
ついでに唾を吐きかけられる。
「お主は本当に佐伯美香殿なのかブヒ?」
「あったりまえの事聞いてんじゃねぇよクソが!」
外見はどこからどう見てもそうなのだが、中身が自分の知っている彼女と全く一致しない。
「なるほどブヒ・・・」
あの装置がちゃんと稼働していたとすれば導き出される答えは一つだ。ここは元の世界のパラレルワールドなのだ。そして今目の前にいる佐伯美香はこの世界に存在するもう一人の佐伯美香という事だ。
「なに一人で納得してんだ!もう一回痛い目にあわせて・・・」
ふいに美香の動きが止まる。
「どうしたブヒか?」
美香の目線の先には、仲良さそうに腕を組んで歩く幸成と百合絵の姿があった。
「・・・」
美香はその二人をただ茫然と見つめている。
「う、う、うわぁぁぁん‼」
突然、美香が子供のように泣き始めた。
「ど、どうしたブヒ⁉」
「私の・・・お兄ちゃん・・・取られて・・・悔しい‼」
「どういう事ブヒか⁉」
美香は無恥男に事情を説明した。
「ほほう。なるほどブヒ。お主の問題を解決する方法があるブヒよ」
「ホントに⁉」
「本当ブヒ。実は拙者、こことは別の世界から来たブヒ」
「・・・頭沸いてんのかお前?」
「まぁごもっともな意見ブヒ。とにかく信じてついてくるブヒ!」
・・・
・・・
・・・
「そうしてこの世界に来た私は、『あなたをお兄ちゃんにする作戦』を無恥男から伝授されて実行に移したってわけよ」
「面接の時言ってた事って本当だったんだな。というかこんなややこしい事になってるのは全部あいつのせいだったのかよ・・・」
「じゃあそいつに頼めばうちは元の世界に帰れるんか⁉」
「そういう事になるわね」
「ちょっと待ってくれ!」
「なに?」
「だったら本物の佐伯さんは一体どこにいるんだよ⁉職場に来ているのはずっと君だけだし・・・」
「あぁ、彼女なら私が元いた世界のどこかに監禁してきたわ」
「なんてことを!じゃあ今すぐ助けに行こう!」
「無理よ」
「え⁉」
「すまないブヒなぁ、店長殿・・・」
どこからともなく無恥男が現れた。
「この美香殿が泣いてるのを放っておけなくてブヒなぁ・・・。調子に乗ってとんでもない事態を招いてしまったブヒ・・・」
「だから君の力で向こうの世界に行くんだよ!」
「亜空間アイドル空島光ラストツアーバージョン・・・」
「は?」
「ひかりんの超激レア限定フィギュアを人質にとられてるんでブヒよー‼装置を起動させたら壊されちゃうブヒよー‼」
「そんなもん知るか‼」
「店長殿には一体どれだけの価値があるものなのか分かってないんでブヒよ‼」
「ねぇお兄ちゃん?」
「なんだよ?」
「どうしてそこまでしてこっちの世界の佐伯美香を助けたいの?」
「どうしてってそれは‼・・・」
なぜか言葉があとに続かない。そうしなければいけないのは当然のはずなのに・・・
「あの女はあなたをふったのよ?でも私は違う。ずっと側にいるわ。絶対に裏切ったりしないもの!」
「・・・」
「口車に乗せられてるんやないわ!このままじゃ、うちかて元の世界に帰れんのやからな!おいそこの豚!早くその装置とやらを動かさんかい!」
「豚って言うなブヒ!だからそれは無理でブヒよ」
「それやったらお前ん家に乗り込んで装置を無理やり起動させたる‼」
「うちのセキュリティを破って侵入することはどんな泥棒にも不可能ブヒ。それに、あの装置を起動させるには拙者しか知らない特別な解除キーが必要ブヒ」
「じゃあどうしろって言うんや⁉」
「もう諦めてこの世界で暮らしましょうよ。なんなら母さん、天月佐知子を監禁でもして、
この世界の天月佐知子として暮らせばいいのよ」
「アホぬかせ!」
「・・・あれは⁉」
幸成は、公園の外を見覚えのある人物が歩いていくのを見つけて駆け出した。
「百合絵ちゃん‼」
「あぁ・・・ユッキー・・・」
「そんなにボロボロになってどうしたんだよ⁉」
「ずっと・・・美香ちゃんを探していたんだ・・・でも見つからないよぉ・・・」
百合絵はそのまま意識を失った。
「百合絵ちゃんしっかりして‼百合絵ちゃん‼」
「スー・・・スー・・・」
どうやら疲れて眠ってしまっただけのようである。
「一体どうしたブヒ⁉」
帰ってきた幸成の腕の中には寝息をたてて眠る百合絵の姿があった。
「なんで泥棒猫なんかと一緒にいるのよお兄ちゃん⁉」
「そんな呼び方するな‼この娘は佐伯さんを、こんなにボロボロになるまで
必死で探していたんだ‼」
「百合絵ちゃんやないか‼ってうちの知ってるあの娘とは違うんやな・・・」
「俺は自分勝手だったよ、本当に。でもこの娘が頑張っている姿を見てそれじゃいけないと思った!この娘には君じゃなくてこの世界の佐伯さんが必要なんだ!だからこの娘の為に佐伯さんを取り戻す‼」
「大層な覚悟ね。でもどうするつもりぃ?」
「それは・・・」
無恥男の協力がなければ向こうの世界に行くことは出来ない。一体どうすれば・・・
「仕方ないブヒな・・・」
「豚丸君?」
「店長殿の熱意に心を打たれたブヒ。向こうの世界に連れて行ってやるブヒ!」
「何を言ってるの⁉そんな事したらあなたの大事なフィギュアは木っ端微塵よ?」
「まぁそれはしばらく寝込むぐらいに辛いでブヒが・・・豚丸無恥男、ここで立たねば男でないブヒ‼」
「よく言った豚‼」
「だから豚って言うなブヒ‼」
「どうやら何を言っても無駄みたいね。だったら好きにすればいいわ。どうせ彼女を見つけることなんて出来ないんだから。諦めて帰ってくるのがオチよ」
「じゃあ行くぞ!百合絵ちゃん待っててね!」
三人は豚丸家が用意したリムジンに乗り込んだ。そして豚丸家に到着すると、転送装置で向こうの世界へと向かったのだった・・・
第五章 二次元世界へようこそ
「ここが本当に別の世界なのか?」
「拙者も最初はそう思ったブヒ」
そう、目の前に見える風景は元いた場所と何も変わらない。
「じゃあうちは帰るからな」
「手伝ってくれないんですか⁉」
「当たり前やろうが!うちはただ帰りたかっただけや!」
佐知子はそう言ってさっさとどこかへ行ってしまった。
「どうするブヒ?」
「と言われても手掛かりすらないしなぁ」
「危なーい‼」
「うわっ‼」
幸成は前から走ってきた女の子と思い切りぶつかった。
「いてて・・・」
「大丈夫でござるか⁉」
「うん・・・て君は⁉」
手を差し出したのはグルグル眼鏡をかけた丸山野乃花だった。
「急いでいたとはいえすまないでござる!」
「その眼鏡と語尾から察するに、この世界の丸山殿はどうやらオタク女子のようでブヒな」
無恥男が耳元で囁く。
手掛かりがないのでとりあえずこの娘にも聞いてみようと幸成は思った。
「君は丸山さんだよね?」
「そうでござるが?なぜ私の名前を知ってござるのか?」
「え⁉僕たちの事知らない?」
「はて?どこかでお会いしたでござろうか・・・」
「じゃあ佐伯美香さんの事も知らないかな?」
「すまぬが知らないでござる・・・」
同じ人物であってもこの世界では交友関係も全く違うようだ。美香、佐知子と家族なぐらいだからそれも当たり前かと幸成は思った。
「私、これから限定フィギュアの販売会に行かねばならないのでござる」
「ほう、丸山殿はフィギュアに精通しておられるのかブヒ?」
「そうでござる。今から販売されるのは数量限定フィギュア、亜空間アイドル空島光ラストツアーバージョンでござる」
「それって⁉」
「そうでござる‼拙者が人質にとられているフィギュアでござる‼」
「あの良さが分かるでござるか?」
「当たり前でござる‼一緒に買いに行くでござる‼」
「いつの間にか語尾がござるになっているんだが・・・」
「では店長殿、急用ができたので拙者は少し失礼するでござる‼」
「あ、おい‼」
幸成の呼びかけもむなしく、無恥男は野乃花と一緒に光の速さで去って行った。
「結局俺一人かよ・・・」
幸成は何のあてもなくその辺をぶらぶらと探索する。
「一体佐伯さんはどこにいるんだよぉ・・・」
「幸成さん‼」
ふと、そんな声が聞こえたので振り返ってみるとそこには百合絵が立っていた。
「百合絵ちゃん‼・・・さん?」
「あら、どうして百合絵って呼び捨てにしてくれないのかしら?何かの罰ゲーム?」
「あ、あぁ、すまない百合絵!」
(この娘なら何か知っているかもしれない!)
「なぁ百合絵?佐伯美香って知ってるか?」
「もちろん知ってるわよ。それがどうしたの?」
「最近どこかで彼女を見なかったか?」
「うーん・・・そう言えば最近見かけないわねぇ」
「そっか・・・」
「ねぇ、あなたはやっぱり美香ちゃんが好きなの?」
「え?」
「悔しいけど、私のあなたへの愛情は、美香ちゃんには遠く及ばないと思うんだー。そんな彼女からあなたを本当にとりあげて良かったのかなぁって。美香ちゃんすっごく怒っててさぁ。あなたたち二人が兄妹じゃなければ良かったのに・・・なーんて事も思っちゃったりしてさ・・・」
この世界でも百合絵はとてつもなくいい娘みたいだ。そんな彼女に対してよく泥棒猫だなんて酷い事が言えるもんだ。
「じゃあ俺ちょっと用事あるから先帰ってて」
「うん!」
もしこのままこの世界の俺と鉢合わせしたら色々面倒なことになる。
ドン‼
急いで立ち去ろうとする幸成は誰かとぶつかった。
「いてて・・・」
幸成とぶつかったのはもう一人の幸成だった。
「ですよねー・・・」
これぞまさにお約束の展開!
何事か分からず立ち尽くすこの世界の幸成と百合絵に、元の世界代表の幸成は全力で事の次第を説明した。
「こんな事言っても信じてくれないと思うんだけど・・・」
「いや、この状況からして君の言っていることに間違いはないだろう。微力ながら君に協力させてもらうよ」
(この世界の俺理解力たけー!ナイス!)
「私も協力するわ。でもそれって全部私のせいよね・・・ごめんなさい・・・」
百合絵が泣きそうな顔で頭を下げる。
「そんな事ないよ‼君は何も悪くないんだ‼」
「そうだよ‼」
「・・・二人とも、顔も声も一緒だからどっちが言ってるのか分からないわね・・・」
「確かに・・・」
「そうだわ!じゃんけんで負けた方が語尾にデストロイ!ってつけるの。そして名前もデストロイ幸成よ」
「なんでデストロイ?」
「言葉の響きが素敵じゃない!」
じゃんけんの結果元の世界幸成がデストロイ幸成となった!
「とりあえず美香ちゃんが行きそうな場所をあたってみましょうか」
「そうしようデストロイ!」
しかし、三人で色々なところを探索したものの手掛かり一つ見つからなかった。
「はぁ・・・デストロイ!」
「何の力にもなれなくてすまなかったね」
「いえ、そんな事はないよデストロイ!」
「おーいブヒー!」
そこに紙袋をいくつもぶら下げた無恥男が走ってきた。
「豚丸君お帰りデストロイ!」
「おぉ店長殿が二人・・・それにその恐ろしい口癖は何ブヒ?」
「こうしないと見分けがつかないだろデストロイ!」
「そんな事より佐伯殿を見つけたでブヒよ‼今、丸山殿が足止めしてくれてるから早く来るブヒ‼」
「ま、マジで⁉デストロイ!」
「俺たちも行くよ‼」
「お主らが来たら話がややこしくなりそうでブヒが・・・拙者の持ち物だけ預かっておいてもらえないブヒか?」
「分かったわ。二人ともしっかりね!」
無恥男と幸成は美香が見つかったという所へ急いだ
「ここブヒ!」
そう言って無恥男に案内されたのは見覚えのある喫茶店だった。
「ここは・・・デストロイ!」
「もう語尾つける必要ないでブヒよ・・・」
「あ、あぁそうか・・・」
「意外と気に入ってたブヒな?」
「まぁね」
カランカラン!
二人で店内に入る。
「佐伯さん・・・」
店内で美香を見つけた幸成は安堵の息をついた。
「え、もしかして山内さん⁉どうしてここに・・・」
美香は野乃花と一緒にテーブル席に座っていた。
「確かあなたは監禁されているはずじゃ・・・」
「監禁?もしかしてこっちの世界の私がそう言った?私は無理やり連れてこられたわけじゃないのよ」
「どういう事ですか?」
「私はこの場所に望んでやってきた。だってもう山内さんに会うのが辛かったから・・・
この世界の私の話に賛同したのよ」
「そうだったんですか・・・帰りましょう元の世界に。百合絵ちゃんが待ってます。本当のあなたを見つけるんだ!ってボロボロになるまで頑張ったんですよあの娘は」
「百合絵ちゃんが・・・」
「僕もあなたに会う事をためらいました。正直このままの方がいいんじゃないかとも考えました。でも百合絵ちゃんのおかげで目が覚めました!彼女の為に戻って来て下さい!」
「・・・そうね。早くあの娘に会いたいわ!」
「そうと決まれば早く戻るブヒ!ちょっと来るブヒ!」
無恥男に促されて三人は人気の少ない所に移動した。
「さぁ、これで元の世界への扉が開くブヒ!」
そう言って無恥男がリモコンのようなもののボタンを押す。すると、向こうの世界へつながるワープポイントが現れた。
三人は一斉にそこへ飛び込んだ・・・
「僕の家ブヒ!」
そこは見覚えのある豚丸家の部屋だった。
「あーあ。帰ってきちゃったぁ。私の負けみたいだね」
「あー‼」
突然、無恥男が叫び声をあげた。
「ど、どうしたの豚丸君⁉」
「紙袋を預けたままだったブヒよー・・・慌てて帰ってきたからブヒー・・・」
「ほら!」
別の世界の美香が無恥男に向かって何かを投げた。
「おっとブヒ!・・・これは亜空間アイドル空島光ラストツアーバージョンだブヒ‼壊さないで持っててくれたブヒか⁉」
「そんなもの壊したって何の憂さ晴らしにもならないからね。じゃあ私は約束通り帰るから」
「ホントに行くのか・・・」
「あらお兄ちゃん、今更寂しくなった?」
「なぁ、この世界に残るって選択肢はないのか⁉」
「二人も同じ人間がいたらややこしくてしょうがないでしょ。私は所詮よそ者なのよ」
「そんな・・・」
「束の間だったけどあなたと過ごせて良かったわ」
「何で佐伯さんをもっと分からない場所に隠したりしなかったんだ?」
「出し抜けばいくらでも出来たのにね。私の甘さかな。もう一人の自分にそんな酷い事は出来なかったのよ」
「そうか・・・俺また遊びに行くよ‼」
「・・・待ってるわ」
それだけ言うと彼女は向こうの世界へと旅立っていった。
「終わったブヒな・・・」
ドカーン‼
突然、転送装置が爆発した。
「せ、拙者の大発明があぁぁぁ‼」
「うん?」
幸成はテーブルの上に手紙が置いてあるのを見つけた。
この手紙を読んでいるってことはもう装置は木っ端微塵ね。あなたたちが向こうの世界に行ってる間に爆弾を仕掛けておきました!これであんたはもうこっちには来れませーん‼ざまぁみろ‼お兄ちゃんが変な気起こさないようにしておいてあげたんだから感謝してよね!ついでに私も、もうあなたの事忘れれるように。まぁ、せいぜいに幸せになりなさいな。私のだーい好きなお兄ちゃん! 美香
「美香・・・」
こうして不思議なこの事件は幕を閉じた・・・
エピローグ
「六番の通路お願いできますか天月さん⁉」
「私あそこの商品分からないの」
(勤続十五年だろ⁉)
いつもの日々が戻ってきた。何も変わらない日常。
「ふぅー・・・」
「お疲れ様です山内さん!」
佐伯美香がそう言ってお茶を差し出す。
「あぁ、ありがとう佐伯さん」
「今度のデート応援してますからね!ビシッと決めてきてくださいよ!」
「う、うん・・・」
「何ですかその曖昧な反応は⁉しっかりしてください‼」
(佐伯さん、だんだん百合絵ちゃんに似てきたような気が・・・)
「百合絵ちゃんを泣かせたら私が許しませんよ‼」
この世界の裏にはもう一つの世界がある。信じられないような話だがそれは事実なのだ。向こうの世界がどうなってるのか。彼女が一体どうなったのか気にならないわけじゃない。でも俺は今ここにある現実を、世界を生きていく。だって俺はこの世界の人間だからさ!
ここまで読んで頂いてありがとうございます!
正直、作者の妄想全開みたいなところがあるので皆様に受け入れてもらえるかは分かりません。私どうやら結末を考えるのが苦手なようでして・・・。どうかご容赦くださいませ・・・。
長編を目指して書いたのですが結局短編になってしまいました。次はチャレンジしてみたいと思っております!
それではまたの機会に!