一話 いつもの日、されど違う日
簡単な設定の紹介みたいな文章です。
「六角さん、最近はどうですか?」
閑静な町の一角、シックな喫茶。男は人を労るということを忘れたことは一度もない。
「順調ではありますが、やっぱりアルバイトみたいですね。仕方ないとは言え、どうも質素な暮らしは味気ない」
カウンターに座るもう一人の男は、現実味がない自分の境遇に疲れ始めていた。しかし底辺に戻りたくないという意志からか渋々真面目に働いていた。
「やっぱり、あっちが恋しいですか?」
労る目が、親身になる素振りが、彼の人格を客に知らしめていた。
「どうだろう。過労死するのとこのまま何も無く過ごすのとでは、あまりに悲しい二択だ。選ぶこと自体拷問に等しい。結局、無いもの強請りだったよ。……そういえば、悠斗さんはいつからここに?」
彼には苦手なものがあった。自分語りだ。そんな時、決まって彼は誤魔化していた。
「どうかな。ずいぶん前のことだからもうわからないな」
「そうですか。ではそろそろ」
「お仕事頑張ってください」
男は小さく頷いて仕事場に戻って行った。
カラン。いなくなった男のコップの氷が音を立てる。悠斗はコップをカウンター越しに取り、客席側に回ってテーブルを拭いた。
「大変そうに」
誰も顔は見ていないが、声を聞いた人は何人かいた。人は思う、立派だと。確かに彼は本心を口に出した。ただ少し言葉足らずだった。これを知っているのは、悠斗とせいぜいその妻ゆいだけである。
─── ・ ───
「大変そうに」
つまらない生活を送り自分の能力に見合わない仕事をし、前虎後狼な境遇の中信頼する夫婦からはこっそり金を搾取されているなんて、大変だなぁ。それに、過去の過労と打って変わって楽な仕事で労働の感覚が狂うなんて、
「可哀そうに」
「悠斗くんは本当にいい人だねぇ」
声の方を向くと常連の老夫婦がいつものテーブル席でコーヒーを片手に微笑んでいた。
「そんなことありませんよ。僕はそんな立派な人じゃないです」
謙遜であり事実である。僕はあくまで彼の良心に付け込んで金を貪っているわけで、いいようにされている彼が気の毒だと思っただけだ。なにも良いことはしていない。
「こんな旦那さんを持ってゆいちゃんも幸せだろう」
「ははは……」
愛想笑いだ。僕とゆいは只の業務提携関係にあるだけで、夫婦でもなければプライベートの付き合いもない。
チリンチリン。ドアが開いた。屈強な男が三人、カウンターに座った。
「いらっしゃい」
「これを三つ」
低い声でメニューを指差した。常連でもないのに凄く早い。
「かしこまりました」
「あんた、ひとついいか。ここらでツキノセという男を探している。知らないか?」
僕の名前は月ノ瀬悠斗。ここらの町で同じ苗字に出会ったことはない。
「月ノ瀬さんがどうしたんですか?」
「俺の部下がやられた。尻拭いは俺ら幹部の仕事だ。そいつを見つけたら、殺す」
ああ、そういえばこの前の夜誰かに絡まれたな。
「皆さんはギルドに?」
「『ウルフ』だ」
ああ、ここらで有名な。やれやれ、店の評判を下げないで頂きたいものだ。
「なぁんだ、『賊』ですか」
「あぁ?!おいてめぇもう一度言ってみろ」
ドスの利いた声で脅された。おお怖い。店内の静寂の中、一人煽る。
「なぁんだ、ここらで有名なギルドを称した蛮族の集い、ウルフの方々ではありませんかぁー。あと、店内ではお静かにお願いしますね」
左手で指を立てて自分の口に態とらしく当てた。野菜を切る手を止め、真ん中のボス感の漂う男を一瞥しようと顔を上げた。すると、僕に見られたのが不服だったのか、隣で黙っていた取り巻きが雄叫びと共に殴りかかってきた。お前のことは見てないぞ☆
「お客様、もう一度申し上げますが店内ではお静かにお願いします」
拳に刃先を向け、動きを止めたはいいが、これからどうしようか。
一呼吸と目での意見の後、
「用が済んだら帰ってくれますか?」
「ああ、いいだろう」
ボス擬きは僕の目を見てそう言った。その言葉を聞き、包丁とエプロンを置いて店の外へと連れ出した。
「あら、どういう状況かしら?」
帰ってきたゆいと出くわした。
「おかえり。今丁度喧嘩を仕入れたんだ。活きが良いよ」
「そう、興味無いわ。それ終わったらお仕事よろしくね」
ひとまず頷いた。本業の仕事が入ったみたいだ。六角さんの次は誰だろうか。
「さて、お兄さん方、僕はこの店の店主の月ノ瀬悠斗と申します。あまり心当たりはありませんが、ここらでツキノセという人を見かけることもないので、代わりに僕でいいですか?」
「はっ、お前が『決闘』を?冗談にしては面白れぇじゃねえか」
最後の取り巻きの第一声は割とうざったい物言いだ。くすんだ不愉快な声。耳障りだ。だが僕を馬鹿にしてしゃしゃり出てくる姿は六角さんよりも遥かに滑稽なので愉快でもある。
彼らは僕が身の程を弁えずに喧嘩を吹っかけているように思えるかもしれない。違うんだなーこれが。
「内容はどうしますか?別に殺し合いでもいいですよ」
ペンダント型の『戦意の証』を服から引っ張り、目につくように首にぶら下げた。決闘を正式に出来ることを示すと同時に、挑発した訳だ。
獣の目がギロリと光った。小型犬に近しいものを感じた。面白そうな悪い目だ。そう来なくちゃね。
「ほう、てめぇ随分と舐めてくれるなぁ。いいぜ、ルールは相手を戦闘不能にするか殺す。残った方が勝ち。俗に言う『ステイルール』だ。あんたみたいな一般人は知らないだろうがな」
ステイか。逆にゲシュタルト崩壊を起こすことを危惧するくらいだ。
「わかりました。今回はお互いの目的がこの決闘にあるので戦利品は無し。周りの人、モノに危害を加えた場合は即刻負け。では、始めましょう」
一瞬ボス擬きが顔を顰めるのが見えた。流石にこの人には怪しまれるか。僕のペンダント、取り巻きの腕輪が共鳴して光る。決闘の欠陥が無いことが確認され、開始の合図の鐘が鳴る。勿論、僕ら戦う本人にしか聞こえないが。
「死ねぇ!」
取り巻きは片手剣を抜き、左手に術を纏った。在り来たりな装備だ。そして在り来たりな台詞でもある。術には色々な区分があるが、なんにせよ、遠距離攻撃が可能だ。初手は剣による牽制。続く術弾の連撃で間合いを保つ。思いの外手堅いんだな。然して隙が大きすぎるし、剣の振り方がチャンバラだ。
「へっ、なかなかいい動きするじゃねえか。けどよぉ、攻めねえと勝てやしねえぞっ!」
声の強弱と露骨にリンクした術弾は少しずつ地面を抉り続けた。というのも、どちらも動かないからだ。このままやっていても何も起こらないことくらいは彼もわかっているだろう。だからこそ動かない。この後どうするのか見てみたいからだ。元軍師として。
僕はあまり戦ったことがない。僕の攻撃を受け切れる人が少なかったからだ。戦いではなく、殆ど蹂躙になった。きっと敵に恵まれなかっただけだろうけど、つまらなかったから、より楽しそうな軍師になった。それも政府軍の。もう解体したが、当時はそれなりに活気があった。確か僕が雲隠れした頃から衰弱していったはずだ。ほんと、甘い蜜をたっぷり吸わせてもらえたことには感謝している。
取り巻きは牽制と術弾を繰り返すばかりで完全に飽きてしまった。仕方ない、少し動いてみよう。
「お兄さんこそよくそんなの打ち続けられますね。飽きないんですか?」
「図に乗りやがって……」
「ああそれと、手加減はいいですよ」
取り巻きの目元が少し動いた。
「ほう、気付いてたのか。じゃあ本気で行くぜっ!」
本気だったくせに。
剣を向けての突進、避ければいいように思えるが僕の周りには大量に罠が仕掛けられている。術弾の中に幾つか地雷のようなものがあった。つまり、本来ならば動けないのだ。しかしながら術の力の衝撃による攻撃は、同じ術の力で打ち消せる。だがそんな力量差を誇示して勝っても意味がない。という訳で、仕方なくあの突進をいなすという結論に至った。しかしまあ、隙だらけで、重心がブレて、視線も定まっていない。弱い。興醒めだ。さほど期待してはいなかったが、もう少しましに戦えてもよかった。生かしておいてもしょうがないし、これ以上その鬱陶しい空気を他人に浴びせ続けるのを見て見ぬ振りするのは、心が痛むというものだ。
剣先が迫った。
「はぁ、もういいよ」
指を鳴らした。裁つ。
漆黒という言葉がしっくりくる穴が生まれた。“空間の切れ目”だ。人一人分の穴が元気に広がり、取り巻きは勢いのまま闇に散った。
「おい、お前まさか」
ボス擬きの声だ。
「お、流石ですね。ご存知『ディバリオ』です。彼は出て来れますか?」
ディバリオ。この世界と遍く世界を繋ぐ隙間のような存在。コップにビー玉を入れて水を注いだ時の水みたいなものだ。やはりこの空間の禍々しさは入らなくてもよく分かる。強烈な狂気を浴びるのが嫌になってすぐに切れ目を縫合した。彼がどうかは知らないが、稀にディバリオの中を移動できる人がいる。そうであれば彼はまだ戦闘不能ではない。
「無理だ。……あんたの勝ちだ」
良かった。
終了の鐘とともにボス擬きに体を向ける。
「さて、こうなると僕でも探すのには時間がかかります。探すのであれば情報提供はしますがご自分でお願いしますね」
「あんた、移動もできるのか、すげぇな。まあ、あいつのことはこっちで処理する。じゃあな。今度は普通に飯でも食いに来る」
少し意気消沈した様子でボス擬きは店を後にし、一人目の取り巻きは何も言わずついて行った。だから店の評判を下げないでほしい。
─── ・ ───
「大丈夫だったのかい」
老父に心配をかけたようだ。申し訳ない。
「はい、穏便に解決できましたよ」
「どうかしらね」
「なんだ、ゆい、まだいたのか」
「悪い?暇だからお話ししてたのよ」
「なるほどね。で、さっき言ってたのって……」
「ええ、あなたの想像通りよ」
「ふふ、お互いの言いたいことが言わなくてもわかる、ラブラブね」
「ちょ、ちょっとお母さん!揶揄わないでください!」
「悠斗君のお嫁さんは可愛いわね」
ゆい……、そこでしどろもどろするから夫婦だと間違われるんだぞ。
「はは、お会計ですね」
逃げるが勝ちだ。
「「ありがとうございました」」
老夫婦を見送り、ゆいは二階へ行った。今日は仕事もあることだし、早めに切り上げよう。店先の看板を裏返し、客が来ないようにしてから、新しくコーヒーを淹れた。ディバリオを見たせいか、薄く見えた。この中にあの取り巻きが……、気持ち悪。
それに元々このコーヒーあんま美味しくないし、早く無くさないとな。そうだ。
「お代わりいりますか?サービスしますよ」
「あ、ありがとうございます」
やっぱ客は便利だな!
時間が出来たら続きを書いていきます。